3.11
先週末、実家のある福島県へ帰省していました。
今日3月11日で東日本大震災から13年経つのを前に、
全員が無事に避難することができた奇跡の学校 として知られている
震災遺構 浪江町立請戸(うけど)小学校へ行ってきました。
請戸小学校がある浪江町は、
東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故により、甚大な被害を受けました。
伝承館の方によりますと、沿岸部では15.5mの津波が多くの家々を飲み込み、ほとんどの家屋が流され海と陸地の判別がつかなくなった中、
請戸小学校の校舎や体育館など、限られた家屋のみが流出することなく残ったそうです。
請戸小学校も、校舎の2階の床面まで津波が達したそうです。
請戸小学校の1階では、校舎そのものや絵本・展示物から
どれほどの高さの津波が校舎を襲ったのか、
校舎はどうなってしまったのか、
当時どのように、どんなルートで避難が行われたのかを知ることができます。
一目見ただけで、大地震と大津波の恐ろしさがわかります。
各教室にあったはずのガラス窓や扉はなく、天井や壁は剥がれたり穴が空いたりしていました。
請戸小学校内に残っている時計は、津波に襲われた時刻を刻んだまま止まっていました。
体育館内の床はへこんで穴が開いており、ステージの上には「祝 修・卒業証書授与式」と書かれた横断幕がかかっていました。
校舎の2階にのぼると、東京電力福島第一発電所の排気塔などが見えました。
2階に残されている教室には、
福島第一原子力発電所の事故によって、
津波被災地の捜索へ行きたいのにそれを禁じられていた人たちの想いや
一緒に暮らしていた警戒区域内の家畜について国から安楽死処分の指示が出されていたことなど
震災当時の人々の声や記録が書かれたパネルが置いてあります。
他にも、町内沿岸部に押し寄せた津波を見た人、津波に巻き込まれた人の声が書かれていたり、
津波被害の航空映像、地域の方々の体験談映像が流れていたり、
校舎2階へ到達した津波の痕跡が残っていたりしました。
震災当時、請戸小学校に通っていた人たちが
東日本大震災から10年が経ったときの想いを綴っている文集も展示されていました。
今回、遺構として残されている請戸小学校を見て、
改めて自分の大切な人や大切なものについて考えるきっかけになり、
今ある毎日の生活をもっと大切にしようと思いました。
これからも、日頃からできる備えはしっかりしていきます。
皆さんも、もしもの時にどこへどう逃げたらいいのか、
自分の無事や居場所を誰にどう知らせるのか。
今日、改めて確認してみてはいかがでしょうか。
帰りには、道の駅 なみえ に寄ってなみえ焼きそばを購入。
もっちりとした太い麺と濃~い味付けが美味しいんですよね。
福島には美味しいお米・果物・お酒・魚・グルメが沢山あるんです。
皆さんにも機会があれば食べてみていただきたいです。
今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。