佐藤 裕二

PROFILE

ニュースの時間

産婦人科が減っている

私事で恐縮ですが、僕の名前は「裕二」。両親が名づけました。「裕」というも字には「心ゆたか」に育って欲しいという願いを込め、次男であることから「二」という字を添えました。

明治安田生命の調査によると、一昨年生まれた男の子の名前で最も多かったのは「翔」と「大翔」。女の子のトップは「陽菜」だそう。 遡ってみると、
大正元年の男の子のトップは「正一」。大正二年は「正二」、大正三年は「正三」。
昭和元年は数日しかなかったためかトップは「清」。
昭和二年は「昭二」、昭和三年は「昭三」が最も多い名前です。
(ちなみに平成元年は「平一」ではなく「翔太」でした)

皆さん、それぞれの願いと希望を込めてお子さんに名前をつけ夢を託します。

しかし今、安心して子供を産めない環境になっている地域があります。
三重県尾鷲市の市立尾鷲総合病院では、年収5500万円で雇い入れた唯一の産科医との契約を更新できず、再び産科医不在という状況に陥りそうになりました。
年間報酬2800万円と500万円の奨励金でなんとか50歳の医師を確保。
三重県は去年10月、県立志摩病院から産婦人科医がいなくなると発表し、
岐阜県飛騨市もお産の出来る病院は一箇所もありません。

理由の一つが3年前の「臨床研修制度の導入」です。
「診療に従事する医師は、医師免許取得後2年間、臨床研修を受けなければならない」とされています。
これまでは「出身大学やその関連病院を中心に専門の診療科に偏った研修が行われていたため幅広い診療能力が身につきにくく、また地域医療との接点が少なく『病気を診るが、人を診ない』と評されてきた」(厚生労働白書より)ことから、2年間は大学病院ではなく現場で研修が行われることになりなりました。
これにより大学病院で“戦力”とされてきた研修医の数が減り、現場から医師を呼び戻さなくてはならなくなりました。

そしてもう一つが“産科医の過酷さ”です。
生命誕生の瞬間に立ち会える産科医は素晴らしい仕事のように思えますが、現実は過酷です。
東海地方の30代後半の男性外科医は言います。
「理想と現実の狭間というところ。産科は拘束時間が長い。急な呼び出しも多くハード。それでいて上手くいって当たり前とされているから訴訟も多い。
「正直言って割に合わないのでは」と産科医の現状を推し量ります。
しかも「大変だから希望者が少ない。現場は人手不足。更に過酷になる。
まさに悪循環」と不安視します。

打開策はあるのか?
安倍総理は所信表明の中で「産科医不足対策」を明言してはいますが、具体策は見えてきません。