「“地域”が求められている」
昨年末、京都の清水寺で「今年の漢字」が発表された。
「命」。
遅ればせながら、2006年を振り返ろうと思う。
去年は子どもをめぐる悲しい出来事が相次いだ。
4月、岐阜県中津川市で中2の少女が高1の少年に、パチンコ店の廃屋で殺害された。
6月、米山豪憲君殺害事件で畠山鈴香容疑者逮捕(その後、畠山彩香さん殺害容疑でも逮捕、起訴)。
8月には酒気帯びの公務員が運転する車に追突されたRV車が海に転落し、3人の幼児が亡くなった。
そして例年になく多発した虐待やいじめ自殺。
放送の中で、毎日のように子供の未来が奪われたニュースに触れる。星になった子供たちの辛さ、苦しさ、親御さんや周りの人たちの無念さを思うと胸が詰まる。
これらのニュースに共通して言えるのは、「大人が子供の命を奪った」もしくは「救えなかった」ということ。飲酒運転などは言語道断だが、いじめ自殺などに関しては時代の変化も関係しているのだろう。
名古屋市教育センターの青山金一部長は、社会構造の変化を指摘する。
「家庭・地域・社会」の三層構造だったのが、今は「家庭・社会」の二層構造。
「地域」とのふれあいが少なくなった。
テレビやゲーム、携帯電話なども溢れ、子ども達は部屋にこもる時間が増えた。
「街での会話」は減っている。
それにより「今の子ども達は、地域で免疫力をつける前に社会に放り出される」という青山さんの指摘は頷ける。
一方で、地域全体で子供を見守ろうとする活動も増え始めた。
中京大学の学生は「愛知子ども守り隊(守るんジャー)」を結成。
愛知県警昭和署では、独身寮の若手警察官が非番の日に子どもを見守る「昭和よくし隊」を立ち上げた。日本初の試みだという。
通学路に立つ地域のボランティアの皆さんも増えた。
地域が「子どもを守ろう」と動き始めた年だったようにも感じる。
昭和署の野田忍警部は「大人に守られた子供たちは、自分より弱いものを守るようになってくれるはず」と話す。
映画界では「ALWAYS三丁目の夕日」や「地下鉄(メトロ)に乗って」など“懐古もの”がヒットを飛ばす。人々があの時代の「街」を必要としている。街角や路地で気軽に声を掛け合える街。子供たちの笑い声が響く夕暮れの空き地。そんな、日常的に大人が子供を見守っていた「地域」が求められているように思う。
2007年が皆様にとって幸せな年でありますように。