◇ 『青春の中国~甦る東亜同文書院生の夢~』
についての審議 |
|
平成12年2月26日(土) 午後1時~1時55分
『名古屋テレビ特集』の枠で放送。
|
・ |
今から100年前に中国の上海に設立された東亜同文書院は、45年で幕を閉じたが、学術的に見ても貴重な財産が多い。その精神を受け継いで愛知大学が設立され、3年前には「現代中国学部」が誕生した。そして現代の学生を通じて、中国との交流をすすめていこうと努力されている方々の存在を知り、感銘を受けた。 |
・ |
東亜同文書院が、どんな学校だったのか知らない人の方が多いと思うので、どういういきさつで設立され、誰が主導権を握っていたのか、説明が欲しかった。今我々は、戦前の軍部の暴走とか帝国主義というものを、負の遺産としてとらえているが、そうしたものにつながるようなものだったのか、国家とは別の意味での、人間と人間の本当の心の交流を旨とした正の遺産なのか、判らないままだった。 |
・ |
北京の図書館から、東亜同文書院時代の資料が発見されたというのが、今回の放送のきっかけだと聞いていたが、どういう資料が出てきたのか、どれくらいのボリュームがあったのか。また、東亜同文書院のOBが愛知大学に寄贈した資料とは、どういう関係があるのか、全く触れられなかったが、他をさいても触れてもらいたかった。 |
・ |
同文書院のOBたちが描いた「日中友好の夢」と現実には、非常に大きなギャップがある。そのギャップはどういうものなのか、同文書院の客観的な説明がないと、視聴者にはわかりにくい。さらに、彼らの夢は戦争のために実現出来なかったという、悲劇だとか不幸だという被害者意識でとらえられている。しかし中国人に対してやったことにたいしては、むしろ加害者的な役割をしたわけで、日本人として、悔恨(かいこん)とか反省という面が欲しかった。同文書院を取り上げるのなら、もっと厳しい歴史認識をふまえてやるべきだった。 |
・ |
同文書院の教授陣には、リベラルな人が多かったとか、左翼的な傾向の書籍も自由に閲覧出来るなど、当時、軍部が支配していた日本の国内とは、かなり違う自由なムードがあったことを一種の驚きで見た。若い時に日本を外から眺めるチャンスを与えられた学生は、大変幸運だったように思う。 |
・ |
戦前中国の実態をリポートした、エドガー・スノーの初期の著作には、上海に大規模な日本のスパイ学校があったと書かれていたというのには、大変驚いた。ただ残念なのは、この紹介が単なるエピソードで終わってしまったことだ。同文書院を巡る歴史的考察があれば、これに対する何らかの回答が出来たと思う。日中の交流という側面にとらわれ過ぎたために、闇の部分の解明が不完全に終わってしまったきらいがある。 |
・ |
当時日本に植民政策というものがあって、同文書院が植民政策の実行者を養成する機関であることは、学生たちにも自覚があったのではないか。「中国との架け橋」というなら、中国人から見たらどのように映ったかという視点がなければ意味がない。中国では、この学校は日本の侵略の手段だったというのが一般的評価だし、今でもそう思っている人は多いようだ。
戦後55年近く経って、同文書院の位置づけを客観的に論じ、検証することが必要だったのではないか。 |
・ |
制作の意図に合っているのかどうかわからないが、いろいろ意見として出た部分を、突き詰めて描かなかったから、この番組が出来たのではないか。短い時間で日中の交流の歴史観を問うことが本当に出来るのだろうか。第三国からの見方や、中国の方の話が、OBが見た夢に対比させる形で散りばめられており、ああいう形での番組づくりはやむをえなかったのではないか。ただ、対比の仕方などにもっと工夫が出来たのではないか。 |
・ |
日中学生シンポジウムが行われたが、どういう話し合いだったのか、中国人学生から反論が出たことについてもっと具体的なことを知りたかった。愛知大学の中国学部の学部長が「調査した結果を中国側に投げ返して、それで何かが出てくる」と話していたが、そういうことは非常に大切なことだと思う。中国人学生の、日本と比較するだけで本当に中国がわかるのかという、そういう反論をもっと詳しく知りたいと思った。 |
・ |
同文書院のOBの人たちの話は、異国での青春の思い出という感情に思い入れが強いために共感するのは難しかった。青春の感傷かなという感じ。それに対し、今の学生たちが出てくる場面はとても良かった。もう真っ直ぐに今の中国を見ている。日本だとか中国だとかをあまり意識しないで、ただ言葉の障害ぐらいで、あとは乗り越えられるという風に思えるという、やはり学生の若さには、未来の希望が持てるなという感じがした。 |