名古屋テレビ

  放送番組審議会だより 


 このページは「放送法」および「放送法施行規則」に基づき名古屋テレビ放送の番組審議会の議事の概要をお知らせするページです。
 名古屋テレビ放送の番組審議会委員は11名で、会議は毎月1回、年間10回(8月と12月は休会)開催されます。放送番組の内容をはじめ、放送に関する全般的な問題についてご意見を伺い、番組制作の参考にさせていただいております。

 名古屋テレビ放送では、番組審議会でのご意見を、毎月第1土曜日の午前11時25分から放送する「オンブズ11」の中でもご紹介していますのでどうぞご覧ください。

平成11年度放送番組審議会委員(敬称略)~11名~

○委員長   塩 澤 君 夫  (名古屋大学名誉教授)
○副委員長 矢 崎   藍  (作家 桜花学園大学教授)
○委  員 加 藤 幸兵衛  (陶芸家)
○  〃 村 山 きおえ  (画 家)
○  〃 楠 田 堯 爾  (弁護士)
○  〃 水 野 新 平  (ホーユー社長)
○  〃 関 谷 崇 夫  (名鉄副会長)
○  〃 磯 部   克  (日本ガイシ副社長)
○  〃 石 塚 正 孝  (JR東海常務)
○  〃 木 全 純 治  (シネマスコーレ支配人)
○  〃 小川クリスティーン(金城学院大学客員助教授)


第412回 名古屋テレビ放送番組審議会

●開催日    平成12年3月22日(水)
●出席委員   委員長
副委員長
委 員
 〃 
 〃 
 〃 
 〃 
 〃 
 〃 
 〃 
   

委 員


塩 澤 君 夫
矢 崎   藍
加 藤 幸兵衛
村 山 きおえ
楠 田 堯 爾
水 野 新 平
関 谷 崇 夫
磯 部   克
石 塚 正 孝
小川クリスティーン
     ~以上10名~

木 全 純 治
(リポート提出)

●議 題 ○局側の事業報告
 『青春の中国
   ~甦る東亜同文書院生の夢~』について
 放送番組全般について
 平成12年春の番組改編の説明
 事務局報告その他

●議事の概要

 ◇ 事業報告 
今年12月にはいよいよBSデジタル放送がスタートする。これに関連し、今月2日には、CS放送のスカイパーフェクTVが、ディレクTVを吸収合併するという動きもあった。
こうした中で、送り手と受け手の関係を一層深めることを目的とした、「メディアアクセス推進協議会」という会が設立されることになった。放送業界や通信業界をはじめ、100社程度が参加する予定で当社も加わる。 
新しいデジタルメディア時代に、インターネットなどを使って、双方向により、視聴者とメディアを結びつけるために、放送局、視聴者、制作者などが、意見交換をする場にしたい考え。協議会の設立を兼ねた、第1回のメディアアクセスシンポジウムが、「ローカルコンテンツはローカル局を救うか」というテーマで、5月19日に、名古屋国際会議場白鳥ホールで開かれる。
春の改編についての概略説明。
大きな基本方針は三つ。一点目は、夜の時間帯について、ターゲットを絞った「ゾーン編成」を推進したこと。特に午後8時台の月曜日と土曜日は、ドラマからバラエティに路線転換した。二点目は、夜の時間帯、いわゆるプライムタイムは、ほとんどが、正時より数分前に番組をスタートさせるいわゆる「フライング編成」とした。三点目は、午後11時台のネオバラエティーを30分から45分に枠を拡大し、若者路線を強化した。
一方当社の制作番組では、夕方に情報系生ワイド番組「ニュースTRYあんぐる」を4月3日からスタートさせる。
また先月16日の「大雪情報」で初めて使用した「L字画面」を、緊急な時だけでなく、通 常の時でも使うこととし、コケコッコーの前に放送している「やじうまワイド」の中で、毎朝6時30分前後に、この方式を使って天気予報や交通情報などを伝えることを、今月20日から始めた。
また、金曜日の午後11時台に「夜だMONDE」(よるだもんで)というタイトルの45分の新番組を、4月21日からスタートさせる。
これにより、今回の番組改編率は、全日が26.2%、ゴールデンが53.0%、プライムが40.1%とかなり大幅になった。
今月15日に、JR名古屋高島屋がオープンした。この中に東急ハンズ名古屋店も同時にオープンしたが、ここで当社の”逆立ちちゃん”グッズの販売を始めた。携帯ストラップやぬいぐるみ、手提げ袋などで、今後いろいろなアイテムを増やしていくつもりだが、人気商品になって局イメージのアップに繋がればと思っている。
今回の審議会を最後に、矢崎委員、加藤委員、村山委員、水野委員には、ご退任いただくことになった。矢崎委員は11年、加藤委員は6年、村山委員は4年、水野委員は2年、それぞれ委員を勤めていただいた。任期中は、熱心にご意見を述べていただき、またリポートを提出していただくなど、一方ならぬご負担をおかけしたことと思う。改めて厚くお礼を申しあげる。今後のご活躍を心から願っている。

 ◇ 『青春の中国~甦る東亜同文書院生の夢~』
                  についての審議
 
平成12年2月26日(土) 午後1時~1時55分
『名古屋テレビ特集』の枠で放送。

 
今から100年前に中国の上海に設立された東亜同文書院は、45年で幕を閉じたが、学術的に見ても貴重な財産が多い。その精神を受け継いで愛知大学が設立され、3年前には「現代中国学部」が誕生した。そして現代の学生を通じて、中国との交流をすすめていこうと努力されている方々の存在を知り、感銘を受けた。
東亜同文書院が、どんな学校だったのか知らない人の方が多いと思うので、どういういきさつで設立され、誰が主導権を握っていたのか、説明が欲しかった。今我々は、戦前の軍部の暴走とか帝国主義というものを、負の遺産としてとらえているが、そうしたものにつながるようなものだったのか、国家とは別の意味での、人間と人間の本当の心の交流を旨とした正の遺産なのか、判らないままだった。
北京の図書館から、東亜同文書院時代の資料が発見されたというのが、今回の放送のきっかけだと聞いていたが、どういう資料が出てきたのか、どれくらいのボリュームがあったのか。また、東亜同文書院のOBが愛知大学に寄贈した資料とは、どういう関係があるのか、全く触れられなかったが、他をさいても触れてもらいたかった。
同文書院のOBたちが描いた「日中友好の夢」と現実には、非常に大きなギャップがある。そのギャップはどういうものなのか、同文書院の客観的な説明がないと、視聴者にはわかりにくい。さらに、彼らの夢は戦争のために実現出来なかったという、悲劇だとか不幸だという被害者意識でとらえられている。しかし中国人に対してやったことにたいしては、むしろ加害者的な役割をしたわけで、日本人として、悔恨(かいこん)とか反省という面が欲しかった。同文書院を取り上げるのなら、もっと厳しい歴史認識をふまえてやるべきだった。
同文書院の教授陣には、リベラルな人が多かったとか、左翼的な傾向の書籍も自由に閲覧出来るなど、当時、軍部が支配していた日本の国内とは、かなり違う自由なムードがあったことを一種の驚きで見た。若い時に日本を外から眺めるチャンスを与えられた学生は、大変幸運だったように思う。
戦前中国の実態をリポートした、エドガー・スノーの初期の著作には、上海に大規模な日本のスパイ学校があったと書かれていたというのには、大変驚いた。ただ残念なのは、この紹介が単なるエピソードで終わってしまったことだ。同文書院を巡る歴史的考察があれば、これに対する何らかの回答が出来たと思う。日中の交流という側面にとらわれ過ぎたために、闇の部分の解明が不完全に終わってしまったきらいがある。
当時日本に植民政策というものがあって、同文書院が植民政策の実行者を養成する機関であることは、学生たちにも自覚があったのではないか。「中国との架け橋」というなら、中国人から見たらどのように映ったかという視点がなければ意味がない。中国では、この学校は日本の侵略の手段だったというのが一般的評価だし、今でもそう思っている人は多いようだ。
戦後55年近く経って、同文書院の位置づけを客観的に論じ、検証することが必要だったのではないか。
制作の意図に合っているのかどうかわからないが、いろいろ意見として出た部分を、突き詰めて描かなかったから、この番組が出来たのではないか。短い時間で日中の交流の歴史観を問うことが本当に出来るのだろうか。第三国からの見方や、中国の方の話が、OBが見た夢に対比させる形で散りばめられており、ああいう形での番組づくりはやむをえなかったのではないか。ただ、対比の仕方などにもっと工夫が出来たのではないか。
日中学生シンポジウムが行われたが、どういう話し合いだったのか、中国人学生から反論が出たことについてもっと具体的なことを知りたかった。愛知大学の中国学部の学部長が「調査した結果を中国側に投げ返して、それで何かが出てくる」と話していたが、そういうことは非常に大切なことだと思う。中国人学生の、日本と比較するだけで本当に中国がわかるのかという、そういう反論をもっと詳しく知りたいと思った。
同文書院のOBの人たちの話は、異国での青春の思い出という感情に思い入れが強いために共感するのは難しかった。青春の感傷かなという感じ。それに対し、今の学生たちが出てくる場面はとても良かった。もう真っ直ぐに今の中国を見ている。日本だとか中国だとかをあまり意識しないで、ただ言葉の障害ぐらいで、あとは乗り越えられるという風に思えるという、やはり学生の若さには、未来の希望が持てるなという感じがした。
 
以上のような意見が出された。
 

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