◇米同時多発テロ関連の取材・報道について
10月の番組審議会の課題番組は「Let'sドンキ・ホーテ」の予定でしたが、米同時多発テロ発生から一ヵ月が経過したことを機に、テロ関連の一連の取材・報道について委員の意見を聞くことになりました。 |
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主な意見はつぎのとおりです。 |
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発生当初、情報量が少なく推測、類推になりがちだった。そうなると興味本位に発展する。アメリカに比べアフガニスタンやイスラム社会がどのような社会か情報が少なく、偏りがある。
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視聴者は日本がどんな選択が出来るのかについての情報が欲しい。日本の国益が何なのか、掘り下げて欲しい。「報復」などの言葉の定義を厳密にするべきだ。「イスラム系」と安易に形容詞をつけるべきではない。
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ビンラディンの思想的掘り下げが足りない。80年来イスラムは圧迫されてきた、と言っているがテレビではこの80年の明快な説明がされていない。パレスチナ問題が原点で、外国ではそうした観点でみているが、日本の報道では少ないのではないか。パレスチナなどの長い歴史を踏まえないと判断を誤る恐れがある。
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ビンラディン氏と『氏』がつくが、『氏』は尊敬の意味合いがあり、どうしていつまでも付けるのか。テロは憎むべき犯罪で、それの撲滅と、テロの背景の議論がごっちゃになっている。アフガニスタンなどの歴史、文化を取り上げた長い解説をやってもらいたい。
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日本の政府の対応と世論の間にはギャップがある。こうした時テレビがどういう姿勢をとるのかは大変重要だ。ジャーナリズムの使命は単に政府の言うことを伝えることではなく、批判をすることだ。テレビ局として何を伝え、何を主張するか議論をしているのか。日本にはキリスト教もイスラム教もあるが、大方は仏教で欧米とは違う立場で報道できるのではないか。
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ジャーナリズムはプロセスは追うが、全体的なパースペクティブを持っていない。また、オサマかウサマか表記もはっきりしない。それほどアラブやイスラムに無知である。大事件がおきたときは、我々がじっくり、ゆっくり考えられるような材料をメディアは出して欲しい。 |
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9月11日の衝突場面を何回も放送したが、子供が鈍感になってしまう。日本ではテレビ映像が衝突シーンでまず目を引き付けるように、センセーショナルに作られている。キャスターが次々に入る事実を伝えていたアメリカABCテレビが一番見易く、信頼できた。異文化を理解するにはその国の番組や映画、ドキュメンタリーを放送するのが手っ取り早い。そうした番組をやってもらいたい。 |
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衝突シーンを何度も使ったのは、『映像が無ければ』伝えられないというテレビの性癖が出たのではないか。言葉がついていっていなかった。テロが何故起きたのか、との視点も必要だが、テロをおこしてはいけない、そのために何をすべきかも考えるべきだ。そうした行動をローカル局として追うべきだ。 |
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以上のような意見が出されました。
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