メ~テレ ドキュメンタリー

メ~テレ制作の本格派ドキュメンタリー

TOPIC
放送内容

メ~テレドキュメント
2008年5月29日(木) あさ9時57分~

作られた顔~私たちが伝えた「中国」~

メインビジュアル

 32年前、完成していたにもかかわらず放送しなかった1本のドキュメンタリー番組があります。タイトルは、「中国の顔 次の世代へ ~引き継ぐ者の証言~」。文化大革命期の中国を取材したシリーズの最終章でした。当時の指導者の一人、鄧小平を「走資派」として厳しく非難する若者たちの姿を描いたこの番組は、何故放送中止となったのでしょうか?

 1970年代、中国は「竹のカーテンの向こうの国」と言われ、西側諸国とは国交を持たない、いわば謎の国でした。メ~テレは、国交正常化前の1972年、その謎の国の単独取材に成功した、世界でも数少ない放送局の一つだったのです。それ以来、中国報道の先駆者として文化大革命期の中国取材を続け、1976年には集大成として「中国の顔」全13本シリーズを企画しました。その年、中国では周恩来、毛沢東があいついで死亡、江青ら4人組の失脚、そして「走資派」として排除されていた鄧小平の復活と、政界に激震が走りました。「中国の顔シリーズ」は、まさにその激変の最中に放送されていたのです。そして最後の一本が、放送中止となりました。

 今回の番組は、激動の時代を生き抜いたかつての番組の出演者たち、そして取材に携わった名古屋テレビの記者を取材し、1970年代・メ~テレの中国報道を検証、報道のあるべき姿について考えます。

スタッフのつぶやき
企画・原案:平岩 潤

「先輩たちの偉業にケチをつける」 この番組を一言で言うと、こうなる。

 メ~テレは1972年の国交正常化前から、中国報道に取り組み、50本近い番組を放送した。当時の中国は「竹のカーテンの向う側」、即ち鎖国状態であり、外国、とりわけ西側のメディアは取材が不可能だった。そんな中、一地方局が中国当局に働きかけ、長期取材を実現したのだから、当時の先輩たちの苦労たるや、想像を絶するものがある。

 番組は、その偉業を辿りつつも、当時の取材や表現の方法が正しかったのかどうか、「ケチをつけて」ゆく。30数年ぶりに現地を再訪し、当時の取材先や、取材スタッフの証言を交えながら、検証した。

 もちろん、「ケチをつける」とは「天に唾する」こと。先輩たちに向ける視線は、最初から、自分自身に向かう視線なのである。結果として「取材して、何かを伝える」という、今の私たちの仕事が、いかに落とし穴が多く、さまざまな危うさの上に立っているかを、実感した。詳しくは、番組を見ていただければと思う。

 諸先輩方には、「ケチをつけに」訪ねて来た後輩たちを、大変温かく迎えて頂き、不躾な問いにも真摯に答えて頂いた。「先輩にケチをつける」という、いかにもシンドイ企画を、私よりさらに後輩のプロデューサーやディレクターが引き受けて、番組に仕上げてくれた。
 また、この番組は、昨年放送した「紅いスクープ」「幻の第13話」の続編にあたるが、前作をご覧頂いた方からは、多くのご意見や励ましを頂いた。それをもとに、スタッフ間で議論しながらテーマを深めていくという、確かな手ごたえを感じることが出来た。
 企画の言いだしっぺとして、関係の皆さんに、深く深く感謝をしたい。