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2016年5月25日(水) 深夜1:59~2:59

それでも、働く~ALSになったJリーグ社長~

経営難から存続の危機に陥っていたFC岐阜。新しい親会社から派遣されたのが当時35歳の恩田聖敬だった。恩田は岐阜県山県市出身。京大の宇宙航空工学科を卒業後、サービス業に興味を抱きエンターテインメント業界に入った。

20代でグループ企業の取締役に抜擢された恩田に、Jトラストの社長、藤澤はFC岐阜の舵取りを任せた。「出来ないと思うことに取り組むのが仕事」と恩田は言う。サッカービジネスに、もっとエンターテインメントの要素を持ち込むことでFC岐阜の躍進を図ろうと試みた。


しかし就任の年、手足に違和感を覚え、精密検査の結果、難病ALSと判明する。

恩田は2年目のシーズンになって、発症を公開した。日を追うごとに悪化していく病状をカメラは捉える。それでも社長であることを貫こうとする恩田。その姿はファンや同僚たちに、どう映ったのだろうか。

体が動かなくなってもスタジアムに通い続けた恩田。サプライズの「ハッピーバースデー」がスタジアムに響く。「もうやめろ」と恩田に引導を渡したのはほかでもない、恩田を指名した藤澤社長だった。ビジネスに徹する藤澤だが「FC岐阜を会社の体にしたことは認める」と評価する。

不完全燃焼でFC岐阜社長を退いた恩田。彼が「次の道」として選んだのは、新会社の設立だった。