■「Let’sドン・キホーテ」とは…
1990年10月にスタートして12年半、534回の放送を重ね、 2003年3月に終了 したメ~テレのアウトドア番組「Let’sドン・キホーテ」。自然と遊ぶことをテーマに、この地方の身近な自然を紹介し続けてきました。「ガサガサ(陸と水の境目や、ブッシュのある怪しいところをタモで魚たちを捕獲すること)」や「ユラユラ帯(汽水域の淡水と海水の境目)」などの言葉も定着させるなど、アウトドアの遊びに接していなかった人たちも含め、幅広い視聴者に5番目6番目のドン・キホーテ隊員となった目線で楽しんでいただきました。時代を先駆けたテーマと自然と共存していくことの提案で、多くの発見と話題も提供。ファンとの集いも何度も開催して視聴者と一緒になって番組を作り続けてきたことで、いまなお根強いファンがいます。
■Another…
番組には当時の出演者はもちろん、番組の影響を受けて水生生物の研究者となった番組のファンも参加!!
スタッフも、当時の制作担当者や、カメラスタッフも現場に復帰して、チームワークも呼吸もあの時代のままで挑みます。特別番組だからと言って、特別なテーマや仕掛けを用意するのではなく、レギュラー時代の延長のようなスタイルで構成します。いわば、「535回目」のLet’sドン・キホーテです!
■あの「うきさとむら」のドンキ小屋のその後…
ドン・キホーテ隊が4年にわたって通い続けた植林の森がありました。ヤマザクラの巨木を守り、間伐した木材で囲炉裏のある花見小屋を建てたドンキ隊は最後に、里の人たちが守ってくれていたその小屋を訪ねます。杉皮葺きで土壁のその小屋は今どうなっているでしょうか。
■出演者から 「ドン・キホーテ隊・中本賢 隊長」
9年以上もドンキのロケから離れていたのに、打ち合わせに入ったとたんに一気に時間が縮まって、すぐにレギュラー時代の感覚にもどってしまった。いつもの仲間たちがそこにいるし、「あ、うん」の呼吸っていうのかなあ…。ドン・キホーテをやって僕の人生は大きく変わったし、それは今の仕事にもつながっている。始めた頃は、アウトドアをブームの先駆けとしてやっていたかもしれないけれど、次第に身近な自然の中に、大きな発見を繰り返して、感動しっぱなしで番組から離れられなくなっていた。それはスタッフも一緒だったと思うよ。
ドンキが復活して本当に良かったと思う。なぜなら、こんなテーマが今の時代、本当に大切なことだとつくづく思うようになっていたんだもの。
■スタッフから 「PD海老名敏宏(ライツ推進部)」
59歳になって再びドンキの番組を担当することになった。もちろん私だけではなく、スーツを着て営業の最前線で頑張っている仲間や、久しぶりにカメラを回すことになる今は現場を離れた仲間たちも戻って、「本当にあの時代のようなハードなロケができるんだろうか」と正直、不安だったこともある。予想通りのハードなロケになったけれど、気分は10年前に戻っていた。仲間はそれだけでエネルギーになる。
でも今度復活する時には、確実に「お達者倶楽部」のアウトドアを目指すだろう。焚き火でお茶をすすりながら…
愛知万博の開催予定地で揺れた愛知県瀬戸市の「海上の森」。30年以上使われていなかった休耕田を利用して、ドンキ隊が古代米(黒米、赤米など)を苗から育て収穫した記録。米作りを通して、季節ごとに美しい姿を見せてくれた昔懐かしい里の風景と知恵を学んだ。
名古屋の身近な都市河川に天然のアユを発見したことで,ドンキ隊の庄内川通いが始まった。河口や源流域などを巡り、かつては汚れきった川にも貴重な生き物たちの営みを発見することになった。魚たちはいろいろな環境に合わせながら知恵を絞り、子孫をつないでいた。
旧上宝村(現高山市)の山里を訪ねるうち、谷の奥深く下ったところにひとつの滝を発見した。その風景に魅せられてその滝をめざした。私たちが「天空の滝」と呼んだその滝。真夏の時期と真冬の凍った滝に挑んだ記録。
南アルプスの木曽駒ヶ岳。長野県駒ヶ根市からケーブルカーに乗って千畳敷まで上り、厳冬の冬山登山に挑み、夏には風景を一変させたお花畑を巡り、宝剣岳から駒ケ岳山頂をキャンプをしながら目指した記録。
三重県松阪市の山奥にかつて(宇気郷村)と呼ばれた里があった。今では人口100人にも満たない里は、林業で賑わった時代があったけれど、今ではすっかり荒れた森になっていた。ドンキ隊は4年にわたり植林の森で間伐や昔ながらの小屋作りを通して、林業の現実を確かめた。