ナレーション 俳優 大杉 漣

メ~テレ50周年特別番組

銀球のメッセージ

~ピンポン外交と名古屋~

放送日時12月24日(月)午前10時51分~午前11時45分

あなたは知っていますか?日中国交の原点が名古屋にあることを…

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 メ~テレに「小小銀球震寰宇」という記録映画のフィルムが残されている。日本語で「小さな銀球が世界を揺るがした」という意味だ。
1971年、名古屋で世界卓球選手権大会が開かれた。国交のなかった中国の代表チームが出場し、名古屋は「中国ブーム」に沸いた。
メ~テレが制作した記録映画は中国代表チームの動向を追い、香港の映画館で上映された。
 名古屋での卓球大会は世界を大きく変える出来事だった。当時の中国は文化大革命の嵐が吹き荒れ、「竹のカーテン」で覆われて いた。卓球大会の送迎バスに乗り合わせた米国と中国の選手が偶然握手を交わしたことをきっかけに、対立していた米中両国の「雪 解け」が始まった。これが「ピンポン外交」と呼ばれるゆえんだ。
 米中接近のきっかけとなった名古屋での卓球大会。しかし、これが日中国交正常化にとっても大きな役割を果たしたことはあまり 知られていない。日中の政界関係者などへの長期にわたる取材で卓球大会の裏側で繰り広げられた外交交渉の全貌が今回初めて明ら かとなった。
 一方、中国が「井戸を掘った友人」と呼ぶ人物が名古屋にいた。卓球大会に中国チームを招致した愛知工業大学学長の故・後藤鉀 二だ。後藤は数々の困難を乗り越えながらも命がけで中国の参加を取り付けた。その胸に秘めた思いとは何だったのか…。
 日中国交樹立から40年の今年。日本政府が尖閣諸島を国有化したことをきっかけに、日中関係は最悪の状態と言われている。ピ ンポン外交の舞台・名古屋で新たに日中の架け橋になろうと奔走する人たちが動き出している。