40年の歴史に幕「名古屋シネマテーク」最後の日、閉館惜しむファンで劇場は満員
2023年7月31日 17:02
映画文化の多様性を支えてきた灯が、また一つ消えました。28日、名古屋最古のミニシアター、「名古屋シネマテーク」がファンに惜しまれながら閉館しました。
1982年、映画好きの人たちが集まり、自主上映会からスタートした映画館「名古屋シネマテーク」。
客席40席の小さな映画館、いわゆるミニシアターです。
大手の劇場では上映されないドキュメンタリー作品や海外のアート系映画などを上映。
1989年、昭和天皇の「大喪の礼」の際には、各地の映画館が休館する中で上映を続けました。
名古屋シネマテーク 代表 倉本徹さん
「1年間に約900万円の赤字」
代表の倉本徹さんは、約40年にわたって、劇場を見守ってきました。
「名古屋を素通りしていく、名古屋では上映されない作品があったりして、それを何とかキープしようということがありましたね」(名古屋シネマテーク 代表 倉本徹さん)
しかし、コロナ禍でミニシアターを取り巻く環境は大きく変わりました。東京の「岩波ホール」が閉館し、大阪の「テアトル梅田」も閉館。
さらに、名古屋では2023年3月「名演小劇場」が休館になりました。
「1年間に900万円くらい赤字であると、赤字がこのままいくとあと一年で終わりだなということでやめることを決意しました」(倉本さん)
デビュー作品をシネマテークで上映した 中江裕司 監督
デビュー作を上映した監督はーー
名古屋シネマテークの閉館の知らせを聞き、ここでデビュー作品を上映した監督はーー
「とってもさみしいですね。シネマテークさんみたいに映画の未来を考えている劇場というのは、最初お客さんが入らなくてもこの映画はいい映画だからということで長く上映を続けてくださる」(中江裕司監督)
一方、名古屋シネマテーク開館の翌年、1983年に開館し、互いに切磋琢磨してきたミニシアター「シネマスコーレ」の木全純治代表はーー
「閉館になるのは非常に残念だけど、うちと同じ40年という長い間やっぱりミニシアターとしてのリーダーシップとってきたことは高い評価がある。一館だけでは難しいので複合的にある中で競い合い文化は生まれてくるので、しばらくはあまりいい状態ではない状況が続くでしょう」(木全純治さん)
名古屋シネマテーク
閉館当日、劇場内は満員
迎えた閉館当日。
「近畿の方から来ました。いつか行きたいなとずっと思ってたところ閉館というニュースを聞いて急いできました」(近畿から来た20代)
訪れた人の中にはーー
「チケットが売り切れでした…。私もミニシアターで働いていてそこが3月で終わってしまって、閉館を聞いてショック」(30代)
最後の上映作品のチケットは、上映の約1時間前にチケットが完売。多くの人が訪れ劇場内は満員となりました。
「最後を見届けたいと思ってきた。街の文化をつくっている場所がなくなるのはさみしいなと思っている」(40代)
「あそこのスクリーンでもう2度と映画が映されないとおもうとすごく寂しいなと思う」(30代)
「世界の尖った映画を上映してきたはずです。映画館で学ぶことによって観ている人がレベルアップする。学びの場としては最高の環境だった」(映画「全身小説家」監督 原一男さん)
「これで”倉本の映画館”は終わりました。若い人たちに良質な映画を見ながら目を肥やしていってほしいと思う」(倉本徹さん)
上映が終わった後も、名残惜しそうに写真を撮る人の姿もみられました。
(7月31日15:40~放送メ~テレ『アップ!』より)