車いすテニス小田凱人選手、圧勝でパリパラ準決勝へ 涙ながらに語った夢、信じ続けた“言葉の力”
2024年9月5日 17:14
パリパラリンピックの車いすテニス男子シングルスに出場する一宮市出身・小田凱人選手(18)。4日行われた準々決勝でストレート勝ち。金メダルまであと2勝としました。圧倒的なその強さを誇る小田選手の、これまでの歩みを振り返ります。
子どもたちと写真撮影に応じる小田凱人選手
「初めてのパラリンピック。色々な縁があるのは感じている」
小田選手の名前の由来、凱旋門がある運命の場所で――。
「ついに僕がその舞台に立てる。僕の人生の色々なことが詰まった舞台になる」
車いすテニスに出会ったあの日から――。
待ち焦がれた憧れの舞台に立った小田凱人選手、18歳。
「パラリンピックは、オリンピックに比べると知名度もないし、そこを変えるために僕は病気になったと思う。そのためにパリパラリンピックに出る」
「有言実行」をモットーに、華々しいキャリアを築いてきた小田選手。
信じ続けてきたのは「言葉の力」です。
10歳の時、涙ながらに語った夢
骨のがん、骨肉腫を患ったのは9歳。
主治医にパラスポーツを勧められ、車いすテニスを始めました。
「将来の夢は、車いすテニスで世界一になることです。海外で活躍する選手になって、お母さんやお父さんに恩返しをしたいです」(2017年、当時10歳の小田選手)
大勢の前で、涙ながらに語った夢。
ここから、彼の快進撃が始まります。
トレーニングに励む小田凱人選手
15歳から見せた、揺るぎない自信
車いすテニスを始めて、わずか4年。
13歳ながら18歳以下の世界一になると、翌年にはジュニア世界ランキング1位を獲得します。
メ~テレが初めて取材したのは15歳の時。
当時から、揺るぎない自信がありました。
「どんなショットでもクオリティーは高い。どんな相手と戦っても、苦戦させるプレースタイルになっている。試合に勝って喜ぶだけでは、選手としてダメだと思っていて。試合を見ている人を巻き込むプレーが必要」
メンタルは「強い」「弱い」ではない
その後プロに転向すると、質の高いショットを武器に史上最年少で4大大会初制覇。
「将来の夢は、車いすテニスで世界一」。10歳の時に描いたあの夢を、わずか6年4か月で実現させました。
また、去年12月のインタビューでは小田選手の言葉から、強さの秘密を垣間見ることができました。
Q.今年は頂点に立てた。今までと何が変わった(濱田隼アナウンサー)
「変わったことは自分の中ではなくて、レベルは違うけど同じテニスをして、同じ意識でやっていたので。結果がいい方向に変化していった」(小田選手)
Q.メンタルが強い印象があるが
「僕の中でメンタルが強いとは思っていなくて。メンタルは『強い』『弱い』よりも、『うまい』『へた』という感覚。メンタルをうまく使いこなしている」
子ども向けのイベントや大会を開く小田選手
「子どもたちのヒーロー的な存在に」
快進撃を続ける中で、彼の代名詞といえる印象的な言葉があります。
「障害のある子どもたちでも活躍できる世の中を作れる選手になり、病気と闘う子どもたちのヒーロー的な存在になれるような選手を目指して、頑張っていきたい」
車いす界のレジェンド、国枝慎吾さんに憧れて競技を始めた小田選手。
今度は、自分が子供たちに希望を与える存在へ。
去年、自らが先頭に立ち、子供たちと交流するイベントを企画。ジュニアの大会も開催しました。
「世界1位になってグランドスラムで優勝して、それだけでは物足りない。僕が求めていたものが、すべて形として残ってくれた」
パラリンピック「全てを出し切って挑む」
車いすテニスを盛り上げたいと、初めて本も出版。
そのイベントには、多くの子供たちの姿がありました。
「世界で活躍していて、自分の憧れ」(参加者)
「自分も小田選手のようになりたい」(参加者)
「パリパラリンピックに向けて、注目されるような活動をしてきた。全て出し切って大会に挑みたい」(小田選手)
準々決勝まで1セットも落とさず
紡いできた数々の言葉。すべては、このパリで輝くため。
パリパラリンピックでは初戦から2試合続けて、ストレート勝ちを収めました。
そして4日の準々決勝。
相手は世界ランク6位の強豪、オランダのエフべリンク。
お互い譲らず、第8ゲームまで互角の戦いでしたが、持ち前の力強いショットで均衡を破った小田選手は、第1セットを奪います。
第2セットに入っても、小田選手のペース。
ネット際に落とすドロップショットなど、緩急自在の攻撃で相手を翻弄し、セットカウント2対0で勝利しました。
パリパラは「自分の大会だ」
「ここまでセットを落とさず試合をできてて、すごく感覚がいい。このままトップまで突き進みたい。負ける気がしない」
金メダルを目指すその先に、描いている未来があります。
「僕がオリンピックを超えるぐらい衝撃を与えて、パラリンピックを見ない人が減って、僕の試合をたくさん見てくれるように、実現へのチャンスが今回の大会。自分の大会だと思って試合したい」
(9月5日放送 メ~テレ『ドデスカ+』「じもスポ!」コーナーより)