藤波朱理選手・小田凱人選手・羽根田卓也選手 パリで大活躍した地元選手と新たな挑戦
2024年12月26日 18:43
2024年のパリオリンピックで、日本勢は海外開催の大会では最多となる金メダル20個を含む45個のメダルを獲得。パラリンピックでも41個のメダルを手にしました。『ドデスカ+』のスタジオにも来ていただいた地元選手の活躍、そしてその後に迫ります。
左:小田凱人選手、中:藤波朱理選手、右:羽根田卓也選手
今年、日本中を熱くさせたパリオリンピック・パラリンピック。東海地方出身の選手たちも大活躍し、たくさんの感動をもたらしました。
レスリング女子53キロ級金メダリストの藤波朱理選手(三重県四日市市出身)。
中学2年から公式戦負けなし137連勝で、世界の頂点に立ちました。
「最高です!オリンピック最高、レスリング最高!」(藤波選手)
一躍脚光を浴びた藤波選手。パリから帰国後、『ドデスカ+』に生出演してくれました。
Q.オリンピックの優勝は他の大会と違う?(濱田隼アナ)
「周りの人の反応や、オリンピック自体も歓声が多くて、その中で試合をすることはなかったので、特別だと感じました」(藤波選手)
Q.緊張よりも楽しかった?(濱田アナ)
「もちろん緊張も不安もあったけど、そういったものも含めて楽しめたオリンピックだったと思います」(藤波選手)
『ドデスカ+』のスタジオでケーキを味わう藤波朱理選手
藤波朱理選手、ロサンゼルスに向け新たな挑戦
去年、濱田隼アナが取材した時には、こんなやり取りがありました。
Q.金メダルを取ったらご褒美にやりたいことは?リクエストはしっかり覚えておくので(濱田アナ)
「おいしいケーキが食べたいです」(藤波選手)
約束通り、スタジオに金メダルがのったケーキを用意しました。
「最高です!」(藤波選手)
11月、オリンピック後初めての大会に臨み、連勝記録を139に伸ばした藤波選手。
試合後、2028年のロサンゼルス大会に向けて新たな挑戦を表明しました。
「階級を1つ上の57キロ級に上げる決断をした。次は57キロ級での五輪チャンピオンのタイトルをとりたい。厳しい戦いにはなると思うけど、チャレンジをしたい」(藤波選手)
パリパラリンピックへの思いを語る小田凱人選手
史上最年少金メダリストの小田凱人選手
パラリンピックで注目を集めた地元アスリートが、車いすテニスの小田凱人選手(愛知県一宮市出身)。
「有言実行」をモットーに、数々の最年少記録を塗り替えてきた18歳です。
「アニメのヒーローは最後、一番強い敵が出てくる。それが今回のパリパラリンピック」(小田選手)
テニス人生「第1章」の大トリとして臨んだ、パリパラリンピック。
名前の由来、凱旋門があるパリの地で、史上最年少の金メダリストとなりました。
「やっぱり運命はあるなと思いました」(小田選手)
地元・一宮市民の応援を「うれしかった」と話す小田選手
小田選手の地元・一宮市への熱い思い
快挙達成から10日後、『ドデスカ+』のスタジオに来てくれた小田選手。
生まれ育った地元・一宮市への思いを明かしました。
「僕を(地元の人が)自慢にしてくれるかどうかが一番大事。パブリックビューイングがあることは聞いていて、決勝だけだったから『決勝までは絶対に残らないと』と思いましたけど、見てくれていると思いながら試合をしていて、すごく多くの人が会場にいて、うれしかった」(小田選手)
さらに、18歳らしからぬ意外な素顔も。
「カラオケは尾崎豊だけじゃなくて、『最後の雨』(中西保志)とか『レイニーブルー』(徳永英明)とか。ガラガラになるまで歌っちゃいます」(小田選手)
小田選手がかねてから語っているのが、「車いすテニスを広めたい」という思い。
「車いすテニスは足に障がいのある人が、テニスをするために車いすに乗る。一般の健常の選手と戦って勝ちたい。それを見ていて分かりやすくおもしろいと思う」(小田選手)
思いが形となるその日まで、小田選手は走り続けます。
5度目のオリンピックに出場した羽根田卓也選手
羽根田選手「五輪を目指さなくなった時が引退」
Q.2024年はどんな1年だった?(濱田アナ)
「パリ五輪があった、1つ大きなイベントがあった、忘れられない年でした」(羽根田卓也選手)
5度目のオリンピック出場を果たしたカヌー・羽根田卓也選手(愛知県豊田市出身)。
8年前のリオ大会でアジア人初のメダルを獲得したレジェンドは、決勝に進めず…。それでも「特別なオリンピック」となりました。
「東京オリンピックが終わって、さらに応援の輪が広がっている中で臨ませてもらった5大会目のオリンピックだったので、一緒にチャレンジする感動を共有するっていうところで、結果だけではなく他の素晴らしさも、パリオリンピックで再認識できました」(羽根田選手)
37歳でのチャレンジが終わり、気になるのは――。
Q.競技人生の終わり方について考えていることは(濱田アナ)
「オリンピックを目指さなくなったら競技を引退する時だと思う。(オリンピックを目指す)理由が見つからなかった時、別のチャレンジをする理由が見つかった時が、(引退する)タイミングなのかなと思います」(羽根田選手)
濱田隼アナウンサーと対談する羽根田選手
次世代の育成を目指す羽根田選手
11月。羽根田選手が握っていたのは、パドルではなくマイク。
企画から運営まで全てに携わる「羽根田卓也杯」を開催。次世代の育成を目指したカヌー大会は、今年で3年目を迎えました。
「自分がやってきたカヌー競技を次世代につなげたり、広めていきたい思いはどんどん強くなっている。草の根活動も実際にやっているし、どんどん日本中に広がっていって、将来は僕が成し遂げていない金メダルを日本に持って帰ってくることを夢見て頑張っていく」(羽根田選手)
(2024年12月26日放送 メ~テレ『ドデスカ+』「じもスポ!」コーナーより)