パラ陸上界の花形種目100mで世界を目指す『義足のスプリンター』。
三重県大紀町出身の井谷俊介選手(26)。
大学2年生の時、交通事故により右足ひざ下を切断。
ふさぎ込む井谷選手を救ったのが、陸上競技でした。
井谷「ゆっくりしか歩くことのできなかったのが、自分の力で芝生の上を走った。風を切る感覚が気持ちよくて、楽しかった」
本格的に陸上競技を始めたのは今から3年前。
競技を始めてわずか1年足らずで100mのアジア記録を更新、2年目で世界選手権のファイナリストにまで上り詰めた井谷選手。
東京パラリンピック出場が、確実視されていました。
井谷『やればやるだけ早くなる。練習や試合が楽しかった』
ところが、新型コロナが井谷選手の人生を狂わせます。
目標としていた東京パラリンピックが一年延期に…さらに強力なライバルが出現しました。
去年9月。およそ1年ぶりに出場した大会でそれまで一度も優勝経験のなかった超新星の大島選手に敗れ、2着に。国内大会では2年ぶりの敗戦でした。
井谷『ここまで計画通りに来ていたのに…ポンとライバルが出てきて簡単に負けてしまった。』
それでも井谷選手、限られた練習環境のもと、必死に頑張りました。
今年4月、東京パラリンピック出場をかけた一発勝負。
井谷『自分の持てる力を今日は絶対出せる、ピークが完璧にここにきている。』
強い思いで大一番に臨みました。
しかし結果は2着。ベストは尽くせたものの、再び大島選手に敗戦。
東京パラリンピックへの道は途絶えました。
井谷「義足になってここまでめぐり合わせよくやりたいことやれてそこはすごく運が良かったのに、コロナだなんだ…急に新しい選手が出てくる。努力なのか日頃の行いなのか、何か一つピースが合わないのがボクの人生っぽいな…」
試合から4日後…ジムにはトレーニングに励む井谷選手の姿がありました。コロナに翻弄された一人のアスリート。現実を受け止め、再び前に歩みを進めています。
井谷「3年後のパリのパラリンピックに出て、そこで活躍してパラリンピックの決勝の舞台で走ってメダルを獲る。そのためにも明日からいっぱい走って、いっぱいトレーニングして、強い自分になれるようにやっていきたい」