中京大中京。
数々の記録を持つ、全国屈指の名門野球部は、
春夏合わせて史上最多となる11回の日本一に輝いている。
昭和初期には前人未踏の夏の甲子園3連覇を達成した。
そんな名門を率いて20年となる大藤監督。
大学卒業後、静岡の高校で5年間コーチを務め、その後、中京大中京の監督に就任。
合計25年間、人生の半分以上を高校野球に捧げてきた。
そして、記憶にも新しい去年夏の甲子園 決勝。
名門校を率いる準圧と戦い続け、19年目にして悲願の全国制覇を成し遂げた。
目指すは、夏の甲子園連覇。大きな目標に向かい、チーム一丸となって突き進んでいた最中、
1つのニュースが飛び込んできた。
―大藤監督の勇退
夏の大会を前に、それが報道されてしまった。
「本当は隠しときたかった。変なプレッシャーを与えたくなかった」
最後の夏、何としてでもチームを勝利へと導くため、これまで培った全てを伝える。
そして、20年の集大成となる、最後の夏が始まった。
初戦は完封勝利と順調な滑り出し。
4、5回戦共にコールド勝ち。ゲームを重ねるごとに手ごたえは大きくなる。
準々決勝、さらに勢いを増す中京大中京打線。
投げては、エース森本が好投を見せ、圧勝の6回コールド勝利。
翌日、試合に備える中京大中京ナイン。
準決勝と決勝は連戦となるため、3年生にとっても監督にとっても、このグランドでの練習は最後となる。
ずっとここが監督の居場所だった。それもこれが最後の日…。
指導にも自然と熱が入る。淋しさを噛み締めながらも、時折笑顔でアドバイスを送る。
準決勝では、先発した浅野が5回までパーフェクトピッチング。甲子園まであと1つ。
迎えた決勝戦。投打が噛み合い、結果は7-2。2年連続26回目の甲子園出場を決めた。
試合終了後、勝ってもあまり喜びを見せてこなかった監督から、最後の夏で最高のガッツポーズがでた。
泣いても笑ってもこれが最後の甲子園…。
懐かしくもあり、切なくもある聖地への想い。
自分にとっては、これが最後だが、自分のことよりも、生徒が悔いなく全力でプレーすることだけを、ただ願う。
練習終了後、記者からの質問(Q今年で勇退となりますが?)に対し、苛立ちを隠せない監督。
自分のことは、関係ない。甲子園は生徒たちのもの。
何より生徒を思うからこそ、感情的になってしまう。
「オレの最後なんてどうでもいいけど、3年生にとっては最後。こでまで監督を20年やってて、
春夏の甲子園は40回、出場できたのはそのうち9回だから、31回は負けて泣いてる姿を見てきた。一生懸命やってきたのに、生徒が泣き崩れる姿を見るのが可哀相で可哀相で…。
そういう思いをさせてくない。だから頑張らなきゃなって厳しくもなる。」
泣き崩れる姿を見たくない…。その想いは25年間変わらない。
「やっぱり子供が好きなんだ。コイツらを見てると可愛くて可愛くてしょうがない。」
ただ子供が好きだから。…これこそが監督・大藤敏行の原点だった。
そして迎えた最後の甲子園…。
1回戦 中京大中京 2―1 南陽工
2回戦 中京大中京 21-6 早稲田実業
大藤監督 最後の夏は終わった…。
翌日、出発前に3年生全員を集め、監督として最後に歌のプレゼントをした。
歌の途中、監督はこらえきれず、涙を流した。
20年間の監督生活を終え、惜しまれながらもユニフォームを脱いだ大藤敏行。
長きに渡り、名将によって作られた『中京野球』はこれからも受け継がれてゆく。