第29節を終えて、リーグ首位を独走するグランパス。悲願のリーグ初優勝が手の届くところにまできたが、グランパスの栄光への道のりは苦しいものだった。
1993年。列島が注目する中、10チームが参加して始まったJリーグ。その中にグランパスも、名を連ねていた。開幕戦の相手は、鹿島。86年W杯の得点王、リネカーを擁するグランパスだったが、「神様ジーコ」を中心に容赦ない攻撃をしかける鹿島の前に、5対0と完敗。苦しい船出となった。その年の、成績は9位(10チーム中)。翌年、新たに2チームが加盟したリーグ戦で、11位(12チーム中)。低迷を続けるチームは、いつしか「リーグのお荷物」と揶揄されるようになっていた。
1995年、そんなグランパスに変革がもたらされる。ベンゲル監督の就任だった。当時ヨーロッパで主流となっていた、組織サッカーを目指すベンゲルは、中心選手にストイコビッチを抜擢。その起用はずばり的中。ユーゴスラビア代表としてW杯を経験し世界的な名声を手にしていたストイコビッチが、その華麗なテクニックでチャンスを演出。組織力の高まったチームは、リーグ3位へと躍進。さらに、その年は天皇杯を制し、グランパスは初のビッグタイトルを手にした。
そして、1999年。再び、グランパスに風が吹く。呂比須ワーグナー、山口素弘、楢崎正剛と代表クラス3人の大型補強を行ったグランパス。その年のチームには、その3人のほかにも、ストイコビッチ、望月重良、平野孝、大岩剛と、前線から最終ラインまでを実力者が占めた。タレント揃いのグランパスは、そのシーズンの天皇杯を制する。これが、2度目の戴冠。しかし、その強力なラインアップをもってしても、この年のリーグ戦は4位。いつしか、リーグ優勝がグランパスの使命となっていた。
リーグ優勝を目指すグランパスだったが、しかし、チームは厳しい局面を迎える。2001年、クラブ史上最大のスター・ストイコビッチの引退。大きな光を失ったグランパスは、その後、安定した成績を残せず苦しい時代を迎える。特に2005年、2007年には降格の危機にも直面。優勝の2文字は口にすることさえ出来なかった。
そのグランパスに転機をもたらしたのは、あのカリスマだった。ストイコビッチ監督の就任。監督としての経験は無く、グランパスで監督キャリアをスタートさせることになったストイコビッチは、圧倒的な存在感で、チームを変える。監督1年目、チームは最終節まで優勝争いに絡み、3位へと躍進。さらに翌年は、ACLでベスト4。
そして、今年。
ストイコビッチ監督は、シーズン前の会見で優勝宣言。新たに、金崎夢生、田中マルクス闘莉王と代表クラスを補強したチームは、磐石の態勢で悲願のリーグ初制覇への戦いを歩みだした。8月14日ホームで浦和を撃破すると、683日ぶりに首位に立ったグランパスは、その後1度も首位を譲ることなく、勝点を積み重ね、首位を独走。第29節を終えて、2位鹿島に勝点8点差のグランパス、いよいよ優勝へのカウントダウンが始まった。
リーグ元年からの悲願、18年の記憶を胸に今リーグ初制覇へと突き進む。