放送内容

2012年05月26日(土)放送

中日ドラゴンズ 山﨑武司 「覚悟」

カテゴリー:野球

第2のふるさと仙台への特別な想い。

「ドラゴンズのユニフォームを着さしてもらって、
そして仙台に戻って試合に出るというのが
僕のひとつの目標でもあったので・・・。」

そして自らの存在意義をかけて戦う交流戦への想い。

「ここがひとつの僕の26年の最大のヤマ場かも
しれないですね。」

中日ドラゴンズ、山﨑武司。
43歳の大ベテランの覚悟に迫った。

3月30日。今年も長いシーズンが始まろうとしていた。
移籍1年目の山﨑は開幕1軍を見事に勝ち取った。
「おおいに緊張して、そして楽しんでいい成績で
1日終わりたいですね。」
開幕戦4番ファースト。10年ぶりに戻った古巣での試合。
注目の第1打席。
打球はレフト前へ。
今シーズンチーム初ヒットはプロ26年目
山﨑のバットから生まれた。
チームは広島に快勝し3年ぶりの開幕戦勝利。
4番が新天地でいきなり存在感を示した。
その後、持ち味のホームランこそ出ないものの
開幕から20試合を経過して打率 打点ともまずまずの結果。
4番としてチームを引っ張っていた。ところが・・・。
4月25日 一軍登録抹消
一方、山﨑がいなくなってからもチームは好調を維持していた。
5月3日の阪神戦では4番に入ったブランコの一振りで快勝。
5連勝を挙げ、首位をキープしていた。
翌日のナゴヤ球場。
2軍の残留組に交じり、練習を行う山﨑の姿があった。
インフルエンザの影響で戦線を離脱してから
すでに10日が経っていた。
この日はグラウンドでおよそ40分間の打ち込み。
一人黙々とバットを振り込んだ。
「1日1日、テレビ見たり新聞見たりすると、それを見るたびに
イライラしますし、本当に時間を無駄にしたくないので
早く自分としての10の力を出せるようにね。
早く実戦に出たいなという感じですね。」

少しでも早く1軍へ。山﨑が急ぐのには理由があった。
「仙台にいけなかったら何の意味もないし・・・。」
去年10月、7年間在籍した楽天を退団した。
球団創設時からプレーし、自分を愛してくれた仙台のファンに
ドラゴンズの選手として元気にプレーする姿をみせたい
という想いが山崎を奮い立たせた。
「ドラゴンズのユニフォームを着させてもらって
そして仙台に戻って試合に出るというのが僕のひとつの
目標でもあったのでそれが達成できないようじゃ
ユニフォームを脱がなきゃいけないと思いますので・・・。」
1週間後に迫った交流戦へ、まずは2軍戦に出場した。
復帰後、1打席でいきなりレフト前ヒット。
さらに際どい変化球をきっちり見極めフォアボール。
「バッティングの感覚は思ったより狂ってはいなかった。
結果を残して、認めてもらって1軍にいくという事になると
思いますので、そういう中では結果を出していきたいです。」
2日後、山﨑は1軍に合流した。交流戦はもうすぐだ。

復帰後の山﨑の役割は主に代打となった。
交流戦前、最後の試合となった5月13日の広島戦も
同点の9回に代打で登場。
しかし、広島守護神サファテに抑えられチームを勝利に
導くことは出来なかった。
だが、この試合には山﨑らしさが凝縮されていた。
「ボールの速いピッチャーだったので半インチ
短いバットを使ったんですけど。」
スピードのあるサファテを攻略するために
いつも使っているバットより速いボールに対応しやすい
短いバットで打席に立っていた。
「自分でこれが一番いい方法だなということはやっていこうと
思いますね。それが結果が出なくてもやってみて駄目だったら
仕方ないし、やらずに結果が出なかったらやっとけばなという
気持ちだけは避けたいと思って。」
結果を出すためにやれることはやる。
これがプロ26年間で得たもの。
さらにこの試合、6回に平田が83打席ぶりにホームランを
放った後、次のようなコメントを残した。
『打席に入る前に山﨑さんに後ろに残りすぎてるぞ
と言われて、すぐに実践できました』
「ピッチャーに向かっていっていないというか、ピッチャーと
勝負していないというのをすごく感じたのでアドバイスした」
実は2軍にいたときも山﨑は育成選手に
身振り手振りを交えアドバイスを送っていた。
1軍復帰へ自らがもがいていても
ドラゴンズが強く、そして勝つためだったら
当然であるかのように。それが山﨑という男である。

いよいよ交流戦が始まる。
改めて山﨑がその覚悟を口にした。

「僕にとってこの交流戦のアウェーの12試合というのは
非常に大切。ここが僕の26年の最大のヤマかもしれない。
ユニフォームを脱ぐか あと1年2年やれるか。」

交流戦の最初は指名打者制のないナゴヤドームでの試合が
続いた。4試合目となった西武戦。
1点ビハインドの8回、一発が出れば逆転の場面で代打山崎。
しかし、狙っていたと右方向へ。
自らのアピールではなく、チームの勝利へ。
つなぐという役割を果たした。
この後、4番和田が決勝のタイムリースリーベース。
チームは今シーズン初の逆転勝ちをおさめた。
次は、いよいよ指名打者のあるビジターでの試合。
しかも場所は仙台。
最高の形で乗り込むことになった。

仙台での試合前日。山崎は宮城県内の中学校にいた。
チームメイトとともに被災地の子供たちに義援金で購入した
運動用具などを届けた。子供たちと触れ合うことで、
改めて第2のふるさとへの想いが強くなる。
「楽天のユニフォームで来てるときと、ドラだと反応が違う。
寂しいね(笑い)違うユニフォームでかえってこれたのはうれしい。」
夜は仙台市内のホテルで激励会が行われた。
支えてくれる人たちの声援が山崎の力になる。
「7年間やってね、仙台に来てワッと言われなかったら
寂しいのもあるし、支援して応援してくれる人たちがいる限り
頑張りたいいいところが見せたいね。」
しかし、試合は雨で中止。
山崎の強い想いも天気には勝てなかった。
室内練習場で行われた練習。
山崎の動きに注目が集まる。
翌日、球場の上空には青空が広がっていた。
自らヤマ場と語る指名打者制のあるパリーグ本拠地での
最初の試合を仙台で迎えた。
その仙台のファンの前でドラゴンズの選手としてプレーする。
存在感を見せたい。
2回、この試合最初の打席が回ってきた。
球場全体から大きな声援を受けた。
そして・・・。
変化球をレフト前に弾き返した。
目標として頑張ってきた仙台で、
覚悟を決めて臨んだ指名打者の初打席。
見事に結果を残した。
山崎は翌日、何よりも仙台のファンに感謝した。

「ヒットを打ったこともうれしかったけど
その前のバッターボックスに入ったとき名前を
コールしてもらってすごくうれしかった。
それが一番うれしかった。
元気でね、ドラゴンズのユニフォームで帰れたというのが
自分にとって今後の財産になったかなと思います。」

ひとつの目標は達成した。
しかし、これで終わりではない。
自らの存在意義をかけた山崎の戦いはこれからも続いていく。