7月2日。その時を、彼は笑顔で迎えた。東京都内で行われた、代表メンバー発表会見。15人目、FWで真っ先にその名を読み上げられたのが、永井謙佑だった。順当に選ばれたように見えるが、しかし、永井は「長い道のり」だったと語る。
去年9月に始まった、ロンドンオリンピック出場をかけた最後の戦い、永井の姿はベンチにあった。それまでは、13試合で9得点と関塚ジャパンの絶対的エース。その永井が、最終予選では途中交代の切り札。
永井「ずっと点もとってましたし、そんなコンディションも悪くなかったんで、何でだろうなっていうのがありましたね」
それでも、永井はチームのためにと、腐ることなく、その役目をこなしていた。2012年3月14日、アジア最終予選 日本vsバーレーン。引き分け以上でロンドンへの切符を手にする試合、日本は勝利。五輪出場権を獲得した。しかし、永井の胸中は複雑だった。「嬉しいことは嬉しいですけど、まあ、あんまり納得はしてないですね」「自分も結果だしてかなったし、ピッチにそんなに長く立っていなかったんで」。頭の中にあったのは、五輪出場メンバー入りをかけた新たなサバイバル。6月14日に発表された、ロンドン五輪予備登録メンバーの35人。この中から、大会に出場できる、本登録メンバーはわずか18人。およそ2人に1人が落選となる。
永井「本大会出れるか出れないかっていう瀬戸際なんで」「得点をしてアピールしないと生き残れない」
そこから永井の猛アピールが始まった。リーグ戦再開の6月16日から、メンバー発表前のラストゲーム6月30日までの4戦で圧巻の6得点。永井の五輪への強い気持ちが生み出した、大量得点。その根底にあったのは、「世界の舞台に立ちたい」という強烈な思い。実は、永井には苦い記憶があった。
20歳以下のワールドカップといわれる、ワールドユース選手権への出場権のかかった試合、2008年、AFC U-19選手権・準々決勝。永井らは韓国に完敗、世界の舞台を逃していた。だからこそ、
永井「借りは返したいんで、やっぱそういう苦い経験している奴と一緒に出たいですね」「やっぱ、最後ひょこってきて、(メンバーに)入られるのもいやなんで頑張りたいです」
そして、代表発表の7月2日。永井はついに世界の舞台への切符を手にした。選ばれたものの責任。
永井「やったります」「得点ぶちこみますよ」