中日ドラゴンズ・谷繁元信が目指すこと、それは勝つこと。例え、どんなに自分が打てなくても。
キャッチャーとして、誰よりも貪欲に、誰よりもチームが勝つことに集中する。
その反面、打者・谷繁としての思い。開幕前、こんな事を言っていた。
「そりゃポストシーズンに出ないとあの記録…記録っていうかねえ。それを何とかすることはできないんだけど」
宣言通り、喰らいついた。巨人とのクライマックスシリーズファイナルステージ第1戦で
実に61打席ぶりにタイムリーツーベースを放ち、バットでチームを勝利へと導いた。
だが、この舞台に辿り着くまでの道のりは険しかった。
41歳の身体は痛みに耐え続け、勝つことの難しさ、厳しさを改めて味わった一年。
2012年1月、谷繁のトレーニングは横浜からスタートした。たった一人、もくもくと走りこみを繰り返した。
2月、沖縄キャンプ。初日から野球へのスイッチが入った谷繁はひたすら己と向き合い、練習に励んだ。
迎えた3月31日、セ・リーグ開幕当日。ナゴヤドームへと向かう車中で力強い一言。
「とにかく144試合で優勝するっていう。そのことが一番第一」
こうして、谷繁元信のリーグ3連覇をかけた戦いが幕を開けた。
2012年の初ヒットは、広島との開幕第3戦。ミコライオのストレートをレフト前へと運ぶ。
開幕してから10打席かかった。
そんな谷繁にとって、プロ24年目は記録尽くしの一年だったと言っても過言ではない。
中でも4月25日のヤクルト戦、、今シーズンの第1号はプロ野球史上1位となる、 ルーキーから24年連続のホームラン。
さらに、残り119本から始まった2000本安打。順調に本数を縮め、7月を終えた時点で64本のヒットを放つ。
残すは54試合で55本、1試合に1本のペースで達成が近づいていた。
だが、勝負の9月。クロスプレーで交錯し、右太ももを負傷。以来、スタメンから姿を消してしまう。
谷繁の心中はどうだったのか?
「あれをじゃあ逃げて1点を取られる、逃げる姿を見せることもできないだろうし、
やっぱりずっとホームを1点でも少なくと思っていつもやっているので、だからあれは仕方ないケガ」
ただひたすら、勝利を追い求める。そのために身を呈したケガは、全力で戦う姿勢の表れだった。
スタメンを外れて9試合目。代打で登場した谷繁は歴代3位となる2753試合出場を果たす。
「確かにねえ、あと上にいるのが王さんと野村さんだけっていう、
それは現実問題としてあるので、考えないことはないとは思うんですけど、
とにかく一日一日、一試合一試合の積み重ねで自分がどこまでやれるかっていうだけだと思うのでね、ここまで来たら」
この他にも3000塁打や1000四球など多くの記録を打ち立てた今シーズン。
しかし宿敵・巨人との差を最後まで埋めることはできなかった。成し得なかったリーグ3連覇の夢。
迎えたクライマックスシリーズ、巨人とのファイナルステージ。
全ては勝利のために。キャッチャーとして投手陣を懸命にリードし続け、
バッターとしてポストシーズンで2年ぶりのヒットを放つなど全試合にフル出場した谷繁。
あと一歩、日本シリーズには届かなかった。思いは来シーズンへと持ち越される。
42歳で迎える2013年。逆襲へ、谷繁元信のプロ25年目は
果たして―――――