放送内容

2012年11月25日(日)放送

現役引退 中日ドラゴンズ英智「スペシャリストとして歩んだプロ14年間」

カテゴリー:野球

1997年シーズン、リーグ最下位に終わったドラゴンズ。
その原因はこの年にオープンしたナゴヤドームの広さにうまく対応ができなかったからだとは言われていた。
球団は「広いドーム球場ならではの野球」を目指し、脚力や守備力を重視した選手の補強に乗り出す訳だが
そここでリストアップされたのが、当時名城大学4年の蔵本英智選手だった。
ドラフト4位でドラゴンズに指名され、自慢の足と強肩を武器に頭角を現し、
落合政権となった2004年からは、重要な場面での守備、走塁に欠かせない存在として輝き続けた。
リーグ優勝4回、日本一にも大きく貢献した36歳。惜しまれながら今年10月に現役引退を表明し
現在は2軍外野守備走塁コーチとして新たなスタートを切った。そんな男のプロ14年間とは―――――

<カルチャーショック>
プロ入団当初、英智選手は周囲のレベルの高さに驚かされたという。
「僕は愛知大学リーグでただ打って、ただ投げてという感じだったけど、東京6大学や東都の人たちは
ちゃんと頭を使って野球をしていたんですよね。同期の選手にもすでに負けていると感じ、
その差を少しでも埋めようと思って必死にやっていました」

<スペシャリストとして>
英智選手自身に大きな影響を与えたのが、当時中日でプレーし現在は巨人でコーチを務めている大西崇之コーチの
アドバイスだったという。守備、走塁という限られた中でプレーすることの多かった英智にとって
いかにプレーをする前までに、ゲームに備える準備やイメージの想定、対戦相手の調子の見極めなど
出来るだけのことを全てやった上でプレーに入るということを学んだそうだ。さらにラクロスのようにネット状で
包み込むようにボールをキャッチするため、より深くポケットを作るため、外野手グローブのはめ方も
人差し指を入れる部分に指を入れず、中指の部分に人差し指を入れるなど一つずつ指をずらしてはめるという
細かい部分も工夫をこらしてきた。このような小さな努力が後の「スペシャリスト英智」を作りあげることになる。

<現役引退>
「自分の中では2年くらい余分に長く現役を続けられたと思います。
ちょっとずつなんですけど、自分の思うプレーが出来なくなっていると2年くらい前から感じていたので」
意外ではあったがスペシャリストだからこそ、研ぎ澄まされた感覚が英智選手にはあるということを意味していると思う。
それでも引退セレモニーではライトスタンドに向けて大遠投を見せ、ファンのド肝を抜いた。
プロ14年間で英智が魅せた数々のファインプレーは今後も中日ドラゴンズの球史に燦然と輝き続けるに違いない。
そしてコーチとして1人でも多くの若手選手を育て上げて欲しいと願う。

英智選手、本当にプロ14年間お疲れさまでした。感動をありがとう――――――