去年12月、谷繁元信の姿は横浜にあった。
毎年恒例となっているたった一人での自主トレ。
新たなシーズンに向け、ただひたすら己と向き合う日々。
「やっぱ孤独に勝たないと僕らの世界って強くなれないと思うんですよ、
僕はですよ、一人でどこまで出来るかっていうのを常に考えて」
一切の甘えや妥協は自分に許さない。42歳で迎えるプロ25年目が始まろうとしていた。
迎えた沖縄キャンプ。自分のペースで一年間戦う身体を作り上げていく谷繁。
そんな男を伊集院所長が直撃!プロ入りから現在に至るまでプロ生活24年の歳月を振り返る。
沖縄キャンプスペシャル対談、いざ開宴。
<プロ入り後の意識改革>
高校時代、島根・江の川高校で2度の夏の甲子園を経験し3年夏はベスト8進出。
4番バッター、さらには強肩強打の捕手としてドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団する。
プロ1年目から高校生としては異例の即戦力キャッチャーとして開幕一軍、
さらには代打でプロ初打席初ヒットをマークするなど華々しいデビューを飾った谷繁だったが
レギュラー定着までには至らなかった。また野球に対する姿勢も真剣とはいえなかったという。
「そのうちレギュラーを獲れて、お金も稼げてっていう何か甘く考えて、そんなに真剣に野球を
やっていなかった。それがプロ4年目の途中に、このまま大した成績も残さずやっていたら
そのうちクビになると思い始めて、そこからですね」
<レギュラー定着への道>
谷繁は言う。「キャッチャーなので1回から9回まで任せてもらって初めてレギュラー。
みんな早くからレギュラーになったと言いますけど、僕の中ではプロに入ってから
7年、8年かかったと思うんですよ」
プロ入りから8年目でレギュラーとなった谷繁だが、そこまでの道のりはあまりにも厳しいものだった。
当時の監督からリード面を指摘され、試合数が激減したこともあった。さらにあの大魔神・佐々木から
「秋元(谷繁と併用されていた捕手)の方がワンバウンドを捕るのがうまい。だからお前とは組めない」と言われ、
大魔神の代名詞フォークを捕球するために、毎日毎日ワンバウンドを捕る練習に明け暮れた。
当時の谷繁を支えたのは苦しさ、悔しさなどの反骨心だった。
<谷繁元信の今>
レギュラー奪取に費やした時間、およそ8年。それからというもの、谷繁はケガ以外で
ポジションを明け渡すことはなかった。驚くべき数字は横浜時代の97年から現在に至るまで
16年連続で所属チームにBクラス(4位以下)がないということ。
その間リーグ優勝5回、日本一2回を経験するなど数々の勲章を手にしてきた。
そんな男も今年で42歳。今シーズンは個人の記録もかかったメモリアルシーズンとなる。
残り31本に迫っている2000本安打。歴代3位・2770試合ものゲームに出場し、
通算出場試合記録は今や歴代2位の世界の王に接近。
さらにルーキーから25年連続のホームランを放てば史上1位の記録を更新する。
本人は常々「記録のために野球をやっている訳ではない」と話してきた。
それでも長く続けてきたからこその証が、谷繁を待ち受けている。
キャンプを順調に消化し、いつもと変わらぬ戦う姿がそこにはあった。
プロ25年目、今シーズンも谷繁元信から目が放せない。