2014シーズンへ向け、動き始めたドラゴンズの選手たち。
その中で、プロ31年目を迎えるのが現役最年長の山本昌。
50歳での現役続行に意欲を見せる大ベテランは、年明けから鳥取のトレーニング施設で自主トレを開始。オフの間は、ほぼ休むことなく体を動かし続けている。
そんな進化を続ける山本昌を伊集院所長が直撃!
<不遇の5年間>
1984年のプロ入りから2年間は、1軍登板ゼロ。
3年目に初登板を果たすも、4年目に左ヒジを疲労骨折し、結果を残すことができない。
勝ち星を挙げられないまま迎えた5年目の1988年、いわば“左遷”ともとれる「アメリカ留学」を命じられる。
山本昌は「いま思えばあの頃が一番つらかった」と振り返る。
<転機となったアメリカ留学>
留学先ので出会ったのが、いまや彼の代名詞ともなっている、スクリューボール。
このボールを伝授したのは、なんとピッチャーではなくメキシコ人の野手。
投げてみると「意外に三振がとれた」
意外な人物から教わったこのボールが、その後の野球人生を大きく変えることに。
留学は1年間の予定だったが、ドラゴンズの投手事情により、急遽半年で呼び戻される。
「また打たれて2軍にいくのかな」そんな考えとは裏腹に、驚異の活躍。
覚えたてのスクリューボールを武器に、プロ初勝利、そして5連勝。その年のリーグ優勝に、大きく貢献した。
「自分でもびっくりした」そう話した山本昌。
2年連続の最多勝や沢村賞を獲得するなど、その後も躍進を続けることになる。
<数々の最年長記録>
ノーヒットノーランや3度の最多勝など、
30年間のプロ生活で輝かしい実績を残してきた山本昌。
そして現在、投げるたびに塗り替えているのが、数々の最年長記録。
45歳0ヵ月のプロ野球の完封最年長記録を持つ山本は、「もう一度完封したい」とさらなる記録更新にも意欲を見せる。
去年の契約更改では、落合GMから50歳までのプレーを保証された。
生ける伝説・山本昌のあくなき挑戦は、まだまだ続く。