2015年1月5日 書初めにこめられた今年にかける思い
「僕の今年の漢字はこれです!柱!
チームの柱にならなきゃいけないし、なります」
「今年ダメだったらダメだと思いますし」
2013年5月
吉見はヤクルト戦で右ヒジにしびれと脱力感を感じ緊急降板
このおよそ1ヵ月後、野球人生をかけた手術に踏み切った
トミージョン手術
損傷した肘の側副靭帯を切除し、他の部分の正常な腱を移植
移植した腱によって靭帯の再生を図る
復帰にかかる期間は最低1年
まずは右ヒジを正常に曲げるところから始まった
野球ができないもどかしさを感じながらも
懸命にリハビリを続けた
それから1年1ヶ月後
2014年7月に吉見は一軍に合流、
ヤクルト戦で復帰戦に登板した。
実に427日ぶりとなる1軍登板
いままでにない緊張が押し寄せていた
「マウンドに上がれる喜びとあとは感謝の気持ちを持って
マウンドに上がりました」
5回を投げ3失点
勝ち星こそつかなかったが
また一軍のマウンドに戻ってこられたことが何よりもうれしかった
「振り返ると早いですけど、いろいろあったので1年間、長かったのかなと」
復帰戦から8日後
吉見は本拠地ナゴヤドームの先発に起用され2戦目にのぞんでいた
3回までパーフェクトピッチングをみせる快投
前回の登板よりも投球内容は格段によくなっていた
しかしこのときある異変が・・・
それは手術をした右ヒジではなく手首の痛みだった
「傾斜をつかってキャッチャー座らせてピッチングをするとしびれるというか」
その後も手首の状態は回復せず3試合目
3回3失点で降板、再び2軍落ちとなってしまった
「手術で移植した靭帯の部分がよくなっても周りの部分が違う反応を起こす」
シーズン終了後、少しずつ手首の状態は回復していったものの
1勝もできずシーズンを終えてしまった
ここ2年間でわずか1勝、吉見の心に危機感だけが募っていった
一進一退を繰り返す右腕の状態。
その負担を軽減するにはどうしたらいいのか?
10月、吉見は一大決心をする。
訪れたのはトレーニング研究施設 ワールドウィング
代表を務める小山裕史の独自理論である「初動負荷トレーニング」
正確な筋肉の動きによるパワーの向上や、故障を防ぐといった効果に
信頼を寄せられ、ドラゴンズでは山本昌などが師事している。
吉見はワールドウィングで一からトレーニングを見直し、
復活への道を切り開こうとした。
特に意識して改善を試みたのは下半身
吉見ここ数年、下半身の動きが硬くなっていたのを感じていた
上半身にしっかりと力が伝わらず
ヒジにストレスのかかる体の使い方になっていたという。
下半身の可動域を広げることで
ヒジに対する不安を少しでも取り除こうとした
「今までの自分のスタイルっていうものを変えなくちゃいけないと
この年になって思っているので」
オフのトレーニングメニューも大きく変えていった。
例年走ることに重点を置いていたオフの自主トレ
しかし、この年末年始は「投げてない日がない」というほど
投げることに時間を割いた
鳥取でも強めのキャッチボールを連日100球ちかく行うなど
この時期にこれだけ投げるのはプロになって初めてのことだった
「この2年何もできなくて自分の中でもやもや感がすごくあって
投げてしっかり不安を取り除いておきたいなというのが理由かなと思います」
そして 去年の12月、吉見はある人物と会うため台湾を訪れていた
3年ぶりに再会したのは、かつてドラゴンズに在籍していたチェンウェイン
150キロを超えるストレートを持ち味とし、吉見と共に、
左右のエースとして称されドラゴンズの黄金期を支えた
メジャーに移籍してからもその活躍は目覚しく、去年はオリオールズで16勝。
海を渡ったアメリカでもその実力をいかんなく発揮している。
弟のようにかわいがってきたというチェン。
遠く離れた舞台でも懸命に戦っている姿は吉見の励みとなっていた
自然と思い出話に花が咲く。
互いに認め合い、切磋琢磨し、助け合ってきた
昔を思い出しながら吉見は気持ちを新たにしていた
これまでの栄光を捨て去り、新しい自分を見つけるため
いま迎えようとしている変革のとき
「リセットはしてないです。ただ全部を総入れ替えしているのかなと。
実際にすべて入れ替えています。」
「リスタートに近いんですかね」
2015年 吉見一起のリスタートが始まる