放送内容

2015年11月22日(日)放送

現役引退 中日ドラゴンズ・朝倉健太投手

カテゴリー:野球

今シーズン終盤、次々とユニフォームを脱いだドラゴンズの選手たち。
谷繁元信、小笠原道大、和田一浩、山本昌…
蒼々たるメンバーの中にもう一人、忘れてはならない選手がいた。
ドラゴンズ一筋16年、朝倉健太・34歳。
「ケガとかして苦しい時期もあったけど、1年目から使ってもらって
 充実したプロ野球人生だったと思います」
東邦高校時代から愛くるしい顔立ちで人気のあった朝倉健太、
プロ3年目に初の2ケタ勝利をマークすると、実力が一気に開花する。
その後は投手王国と呼ばれたドラゴンズの先発の柱として長年君臨し続けた。
16年間で積み上げた白星は65勝。
朝倉にとってのプロ野球人生とはいかなるものだったのか―――――

(1)ブレークのきっかけ
プロ3年目、11勝をマークし初の2ケタ勝利を挙げた時、
  当時の投球フォームは独特な「すり足」投法だった。
  沖縄キャンプ中、ピッチングコーチのアドバイスにより
「キャッチボールではいいボールがいっているのに、ゲームだとダメだったので
   じゃあキャッチボールの投げ方でピッチングもすればいいのでは?」と
  試行錯誤の上に、フォームを変更。これがブレークのきっかけとなった。

(2)最も印象に残ったゲーム
オールスターに監督推薦で出場した06年、
当時の落合監督から推薦された7月4日の巨人戦のゲーム前に
「今日、変なピッチングをしたら監督推薦を取り消すからな」と言われ、
緊張しながらも奮起!
東京ドームで巨人打線を相手に何と9回131球を投げ抜き、5安打完封勝利を収める。
朝倉は指揮官の前でオールスター出場に値するピッチングを見せ付けたのだった。

(3)お世話になった人々
「落合英二さん、今中さん、憲伸さん、小笠原孝さん、山井さん。
 やっぱり先輩たちの名前が挙がってきますよね」
こう話す朝倉だったが、中でも今中慎二さんとは良き相談相手として
とてもお世話になってきたと明かす。
「当時まだマクドナルドは24時間営業じゃなかったんですけど、
 朝5時くらいに今中さんから電話がかかってきて「朝マック買ってこい!」と
 遠征先では何度もありました(笑)居留守していました」と当時のエピソードを暴露。

ドラゴンズ一筋16年。ファンに愛され、チームメイトに愛された朝倉健太。
今後は球団職員に転進し、裏方としてチームを支えていく。
まだまだ34歳。いつかまた、再びユニフォームを着ることを願って―――――