地元・豊田市生まれの山内壮馬。
杜若高校時代、甲子園出場はならなかったが3年夏の愛知大会はベスト4進出。
後に楽天へ進んだ長谷部康平とのダブルエースで注目を集めた。
名城大学へと進むと、才能が一気に開花。
最速148キロのストレートでその名を全国に広め、迎えた2007年秋。
大学生・社会人ドラフト1位で中日から指名され、プロ野球人生が始まった。
だがそんな順風満帆な男に待っていたのは痛烈なプロの洗礼。
入団後、2年間の一軍登板はわずかに5試合、
即戦力と期待されながら一つも勝つことができなかった。
「勝負の年」と位置づけ、臨んだ3年目。
念願のプロ初勝利は7回途中2失点、甲子園での阪神戦だった。
その後は一進一退を繰り返す日々、この頃、山内はある事で苦んでいた。
制球重視の投球を追い求めるあまり、
自慢だったはずのストレートが、いつしか走らなくなってしまったのだ。
出した答えはスピードとの決別。
するとここから新たなスタイルを確立させる。
それが、打者の手元で変化する「動くボール」
実を結んだのは5年目の2012年。
自身初の2ケタ勝利(10勝)をマークし、先発ローテーションを守り抜いた。
しかしより一層の期待とは裏腹に2013年以降はヒジのケガもあり、満足のいく結果が残せなかった山内。
背番号はいつしか59に変わり、2015年はプロ入り後初めて一軍登板のないままシーズンを終えた。
すると、待っていたのは非情な宣告。球団から戦力外を言い渡され、野球人生の崖っぷちに立たされた。
トライアウトを受け、打者3人と実戦形式で対戦。その後楽天のテストを経て合格し、舞台は名古屋から仙台へ。
迎えた今年6月、2年ぶりに一軍のマウンドに立った山内。
打者1人、わずか3球…
このオフ、山内はひっそりとユニフォームを脱いだ。
通算17勝15敗、苦しい事の多かった山内のプロ野球人生。
「たくさんの感動をありがとう、壮馬!!」