1993年、Jリーグ開幕。
オリジナル10の一員としてスタートを切った、名古屋グランパス。
1986年メキシコワールドカップで得点王に輝いた世界的ストライカー、ゲーリー・リネカーを獲得し、大きな注目を集めた。それ以降も、レフティーモンスター・小倉隆史、ピッチ上の妖精“ピクシー”こと、ドラガン・ストイコビッチなど数多くのスター選手が在籍した。
スター選手を擁するも低迷するグランパス、そんなチームを立て直したのがアーセン・ベンゲル。
1995年、世界的名将の下、悲願の初タイトルを獲得。歴史に輝かしい1ページが刻まれた。
さらに1999年、再び歓喜が。楢﨑、山口、呂比須ら新戦力の活躍もあり、2度目の天皇杯優勝。
開幕当初、「Jリーグのお荷物」と呼ばれたクラブは、常勝軍団へと成長しつつあった。
2009年にはアジアベスト4にまで登りつめた。そして迎えた2010年、Jリーグ発足から18年目にして掴み取った悲願のリーグ初制覇。3試合を残しての優勝は、1ステージ制では史上最速の記録だった。
そして今シーズン、小倉新監督の下、新たな船出を迎えたグランパス。
しかし大黒柱の闘莉王が指揮官の構想外となり、さらには牟田や本多など主力のDFが抜け、最終ラインに不安を抱えたままシーズンに突入した。
すると、その不安は現実となる。ディフェンスラインの安定を欠き、失点数はリーグワーストの2位。
ファーストステージ14位に終わった。セカンドステージに入ると、グランパスはついに降格圏へと転落。
ジュロヴスキー新監督を据え、さらには闘莉王をブラジルから呼び戻してラスト7試合に挑むも、あと一歩及ばず…。
Jリーグ開幕から24年間続いたJ1での歴史が終わり、クラブ史上初のJ2降格となった。
J開幕と共に始まった、名古屋グランパスのJ1での戦い。一時は「Jリーグのお荷物」とまで揶揄された弱小クラブがリーグ制覇を成し遂げるビッグクラブへと成長を遂げた。
そんなグランパスでキャリアを積み、世界へと羽ばたいていった川島永嗣、本田圭佑、吉田麻也。
今や日本代表に欠かせないエースへと成長を遂げた本田は、古巣・名古屋グランパスへの想いを語った。
「下を向いてばかりもいられないでしょうし、実際に選手やフロントやサポーターも切り替えて来年1年でJ1に上がることを目標に頑張っていく準備は出来ているんじゃないかと思っています。僕はそれをグランパスファンとしてサポートしていきたい」
そしてチーム最年長の楢﨑正剛は、来季に向け大きな決意と共に新たな一歩を踏み出そうとしている。
「このチームをまたJ1の舞台に戻さないといけない。それが一番の気持ちです。クラブとしてまた生まれ変わる良いキッカケじゃないかと思うし、後々こういった出来事がこのクラブを一段も二段も引き上げてくれたとそういう風になってくれればいい」
2017シーズン。
名古屋グランパスは1年でのJ1復帰を目指し、J2で再スタートを切る。