2011年08月29日(月)
「ジャンケン」緊迫する試合の中で、選手の素顔がちらりと見えて少し笑えることがある。
8月28日(日)Jリーグ グランパスvs甲府 の試合。
相手に先制されたグランパスは後半32分、玉田がゴール前、飛び込んで同点とする。さらにその2分後、ブルザノビッチのシュートを相手ゴールキーパーが弾いたところに、ケネディが詰めて逆点ゴール。これでグランパスは、完全に流れを掴んだ。
そして、前半ロスタイム。さらに、グランパスに絶好のチャンスが訪れる。ゴール前、いい位置でのフリーキック。プレースキックの名手が揃うグランパス。ボールのセッティング位置には、玉田、藤本の姿があった。なにやら、身体を寄せ、頭を寄せあった二人。おもむろに始めたのは、《最初はグー、ジャンケンポイ》。パーを出した玉田に対して、藤本はチョキ。思わず、がっくりと藤本の背中に頭をくっつけた玉田、シュンとしてその場を離れた。
してやったりの藤本は、そのフリーキックを鮮やかに決めた。さらに、後半にも1点を決めた藤本。この日、やはり藤本は「モッテいた」のだろう、玉田とのジャンケンを制した時点で。
2011年08月22日(月)
「中日ドラゴンズ・和田一浩」チーム打率セリーグワーストの中日。
主砲でもある和田選手も開幕から調子が上がらず苦しんでいました。
打率は2割台中盤から中々上がらず、
去年セリーグMVPを獲得した男からは考えられない成績。
今月の16日。ナゴヤドームには、練習前、早出特打をする和田選手の姿が・・・
一心不乱に黙々とバットを降り続けていました。
今シーズン初の出来事とあって、練習終わりには多くの報道陣が話を聞きにいきましたが、ノーコメントでベンチに走り去る和田選手。
いつも必ず、報道陣の質問には何かしらコメントを残しますが、
何も答えない姿を僕は、初めて見ました。
何としても結果を出す・・・相当な覚悟があったのかもしれません。
迎えた18日、巨人戦。
1点ビハインドと苦しい展開の中、7回ノーアウトランナー2塁で4番・森野選手が、送りバントを行い、ワンアウト3塁。
味方が必死につないだチャンス、犠牲フライでも充分な状況。
和田選手が振り抜いた打球の行方は、なんとレフトスタンドへ…
実に19試合ぶりのホームランは、勝負を決める逆転ツーランアーチ。
「結果を出すためには、バットを振り続けるしかない」
38歳のベテランがみせたひたむきな姿・・・
去年、幾度となくチームの勝利に貢献してきた和田選手の勝負強いバッティングがようやく戻ってきた気がしました。
2011年08月15日(月)
「12年ぶりのスポーツ部」甲子園での熱戦が続いている。
残念ながら東海勢はすべて初戦で姿を消してしまったが、
今年の全国大会は見所の多い試合が続き、
仕事の合間にもついテレビモニターに目が行ってしまう。
筆者はこの7月の人事異動でスポーツ部で勤務することになった。
以前にも在籍していた部署で12年ぶりの復帰だ。
この時期になるとテレビ朝日系列が総力を挙げて制作する「熱闘甲子園」で
ディレクターとして働いていたときのことを思い出す。
何度かかかわらせて頂いたが、一番の思い出は1998年の大会、いわゆる松坂世代の大会だ。
横浜vsPL学園の延長17回や決勝戦でのノーヒットノーランなどまさに松坂大輔の大会だった。
そんな中、一番心の残っているシーンは準決勝の横浜vs明徳義塾。
前日に延長17回を投げきった松坂は登板せず、試合も0対6のビハインド。
敗色濃厚の終盤、ブルペンで投球練習を開始した松坂が右腕のテーピングをはがし始めた・・。
試合をあきらめない強い意志を感じるシーンだった。
この日は投げないはずだったが最後にマウンドに上がった。
実際8回に4点、9回に3点を奪った横浜が劇的なサヨナラ勝ち。
信じられないことが起こるのが高校野球。
今年もまだしばらく仕事が手につかない日々が続くだろう。
2011年08月09日(火)
「高校野球」高校野球も地方大会が終わり、甲子園の熱戦が続いている。
特定の高校のファンやOBはそのチームが勝ちあがっていくことに
応援のしがいを感じていると思う。
しかし、特定の高校のないファンは「小が大を制す」ではないが、
野球無名校が有名校を倒す姿に感動を覚えるのではないだろうか。
今年の地方大会、愛知、岐阜、三重はまさしくその展開となった。
中でも愛知代表の至学舘は野球部のグラウンドを持たず、
「鳥カゴ」と呼ばれるケージの中で打撃練習などをしているぐらい
野球環境が整っていない。
それではなぜ至学舘は次々に強豪を倒し甲子園行きの切符を
手にできたのだろう。
実は今年2月、昨夏のエース・桐林史樹さんが交通事故のため
高校の卒業を前にこの世を去った。
面倒見のいい先輩で後輩たちからも慕われていたという。
その先輩が夢見た甲子園出場を自分たちの手でかなえたいとナインが結束。
地方大会では、桐林さんの遺影をベンチに置き、
さらに投手交代の時は、桐林さんの写真が手渡されていた。
ピンチを迎えると「辛い時は桐林さんがいる空を見ろ」を合言葉に戦ってきた。
その結果が甲子園出場という夢を掴み取ることができた。
チーム一丸とよく言うが、これこそがまさにチーム一丸だ。
もちろんナインにも愛知大会を勝ち抜くその実力や努力もあったと思う。
勝利の女神もそんなチームに微笑んでくれたのではないだろうか。
甲子園大会も始まり、残念ながら至学舘は初戦で敗れた。
しかし、下を向くことはなく胸をはって名古屋に帰ってきてほしい。
君たちはさわやかで清々しいプレーを見せてくれたのだから。
小生は今年の夏、久しぶりに感動を味わうことができた。