スポーツの素晴らしさは夢に向かって挑戦し続けるアスリートの素晴らしさ。密着取材でアスリートの真実の姿を描き出します。
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2009/04/25放送
今月行われた、競泳日本選手権。この大会で7月にローマで行われる世界選手権の日本代表に選ばれた、女性アスリートがいた。
加藤ゆか、22歳。(愛知県豊川市出身)彼女の種目はバタフライ。
去年の北京五輪でオリンピック初出場を果たすなど、現在50mと100mのバタフライ日本記録保持者である。(※長水路での記録)
彼女の魅力は何といっても爆発的なスピード。スタート直後の潜水中にみせる「ドルフィンキック」のスピードは世界最速と言われるほどだ。
そんなスピードを生み出す理由には訳がある。大学時代(山梨学院大学)に男子顔負けの筋力トレーニングを積むことで、強靭な肉体を作り上げてきた。
この地道な努力が北京オリンピック出場をつかみ、次世代のエース候補にまで一気に登り詰めた要因なのだろう。
しかし・・・ここから彼女に試練の道を与える。北京では100mバタフライに出場するも、予選6組で6位。総合でも23位に終わり、世界との壁を痛感した瞬間だった。
「全然納得できる内容ではなかった。すごい悩んだんですけど、辞めて社会に出て働くという気持ちも大きかったので、すごく悩んで・・・」
北京をきっかけに彼女は「引退」を考えていたのだという。大学4年で出場したオリンピックを一つの節目とし、卒業と同時に水泳とは無縁の新たな自分を探そうとしていた。
そんな悩む彼女の背中を押してくれた人物がいた。かつてシドニー五輪100m背泳ぎで銀メダルを獲得した中村真衣さん。彼女は加藤にこんな言葉をかけた。
「悩むのは水泳が好きだから、続けたいから悩むんだよ」
この言葉が加藤の気持ちを動かした。一からスタートするべく、拠点を東京に遷す。
彼女が選んだ新天地は北島康介ら多数のオリンピック選手を輩出した、名将・平井伯昌コーチの所属する東京スイミングセンター(東京SC)。彼女の世界挑戦が名将の下で始まった。
大学のある山梨と東京を行ったり来たりの毎日を送りながら、水泳に打ち込む加藤。
だが試練は続く。復帰した2月のジャパンオープンでは短水路で自身が持つ日本記録を明け渡した。この時、加藤は周りから完全に遅れをとっていた。
「続けると決めてよかったのかなと。でもそんな気持ちじゃダメだと思って練習に励んでいたけど、自分の知らない所で迷いがあったりしてて。でもそのあと一ヶ月半後には日本選手権も控えていて・・・」
オリンピック後に再び味わった悔しさ、もどかしい自分の気持ちと戦いながら、彼女は日本選手権でのリベンジを誓った。
そして迎えた日本選手権。派遣標準記録を突破すれば自動的に世界水泳ローマへの代表キップを得られるこの大会。加藤は代表になることはもちろん、自身の持つ日本記録の更新と100mで56秒台を狙っていた。
4月19日。100mバタフライ予選を2位で通過した加藤。勝負の時がきた。
スタート直後、得意のドルフィンキックが決まらない。いつもなら頭一つ抜けられるはずの彼女が、初めて左右横どなりの選手に並ばれた。明らかに加藤は焦っていた。勝負の後半、2位で折り返した加藤だったが、最後の最後まで勝負は分からなくなっていた。
結果は・・・。
59秒04で2位。優勝は高校2年の新鋭・宮本悠衣(藤村女子高)に譲ってしまった。
試合後「悔しい・・・」と言葉を何度もこぼした彼女の表情はあまりにも険しかった。
世界水泳ローマのバタフライ代表として選出はされたが、日本記録更新も56秒台にも届かなかった加藤ゆか。
7月、ローマで悔しさにまみれた想いを必ず晴らしてくれるに違いない。
世界で羽ばたく日を夢見て―――