今年で88回を迎えた夏の全国高校野球。高校球児の憧れ“甲子園”では、これまで大勢のヒーローが生まれた。江川卓、松井秀喜、松坂大輔など“怪物”と呼ばれた選手たち。荒木大輔、ダルビッシュ有など“アイドル”として世の女性を夢中にさせた選手たち。彼らの名を聞いただけで、甲子園での1シーンを鮮明に思い出すことができるファンも多いのではないだろうか。
東海地方からも数々のヒーローが誕生した。イチローは愛工大名電の卒業生。“鈴木一朗”として3年生の時には背番号1をつけていた。プロに入り、打者として輝かしい栄光を手にしたイチローは高校時代、投手として活躍していた。甲子園でベスト4まで進んだ工藤公康も愛工大名電出身(当時は名古屋電気)。名電には工藤が残した伝統がある。春日井市の野球部寮から名古屋市の学校まで約10キロを毎日走る“通学ランニング”。当時監督だった中村豪氏(現豊田大谷高校監督)が工藤に期待を込めて走らせたのがきっかけだという。
愛知が生んだ“アイドル”として全国から注目を集めた選手もいる。“坂本佳一(東邦)”1977年夏、坂本は1年生ながら甲子園に出場し、東邦を準優勝に導いたエースだ。坂本は“バンビ”の愛称で一躍甲子園のアイドルとなった。しかし、坂本は当時のことをこう振り返る。「苦しいばかりの3年間だった」と。名門校の厳しい練習に耐え抜いた日々。1年生エースとして活躍した坂本への期待は大きかった。甲子園であと一歩届かなかった優勝旗。「1年生の時は先輩に連れていってもらった。今度は自分の力で行きたい。」しかし、坂本の野球人生は平坦ではなかった。“故障との戦い”さらには“プレッシャーとの戦い”。結局、その後坂本が甲子園のマウンドに立つことはなかった。苦しいばかりの高校時代、たった1度きりの甲子園。それでも坂本は「甲子園は素晴らしい場所、多くの高校生に出場させてあげたい」と言う。そして、甲子園は「これからの自分の人生のベースにもなるものだ」と。
誰もが憧れる“甲子園”で今年も新たなヒーローが生まれるかもしれない。いったい、どんなドラマが待っているのか高校野球から目が離せない。
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