兵庫県西宮市甲子園町にある野球場、阪神甲子園球場。
1924年 西宮市に建設されこの球場。
敷地面積 39,600平方メートル、グラウンド面積 14,700平方メートル、スタンド面積 24,900平方メートル、
収容人数:50,454人(内野31,197人、外野19,257人)、センター 120.0m、1925年 両翼 96.0m。
1924年夏から全国中等学校優勝野球大会の主会場となり、以来、数多くの高校球児たちの熱いドラマを見守り続けてきた。
現在、プロ野球で活躍する選手たちも甲子園について、熱い思い出を持っている。
甲子園、そこには様々な歴史があった。
『センバツの第一回大会は名古屋で開かれた』
1924年から始まった春の甲子園。
その第一回大会は、名古屋市にある山本球場で開かれた!!
山本球場の名前の由来は、スポーツ用品店の店主、山本厳三郎が作ったから。
戦後派、国鉄八事球場として親しまれたが、取り壊された。
『アルプススタンドの名付け親』
すっかり高校野球の応援としておなじみのアルプススタンド!
実は、その名付け親は、画家・岡本太郎!
当時18歳の太郎は、父と2人で甲子園へ。
アルプススタンドに陣取る白い服を着た観客を見て、
「まるでアルプスのようだ」とつぶやいた。
当時、朝日新聞で甲子園の一コマ漫画観戦記を連載していた父の岡本一平は、その言葉を引用し、「そのスタンドは、また素敵に高く見える。
アルプススタンドだ、上の方には万年雪がありそうだ」と掲載。
『グラウンドに火をつけた』
甲子園を覆う黒い土。
最初は、尼崎の土や神戸の土を混ぜていた。
そして、淡路島から土を買って、黒い土を作り上げた。
しかし、当初は、水はけが非常に悪く、大雨でグラウンドに水溜りができてしまう。
そこで、その対策として、なんとガソリンをまいて火をつけ、乾燥させたこともあるという。
現在は、中国福建省の白砂と九州の火山灰中の黒土をブレンドして使用している。
その土は、5年に一度全て取り替えられる。
まだまだある甲子園にまつわる伝説!!
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