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落合英二

2006/12/16放送

松坂大輔、桑田真澄、新庄剛志
今年も日本プロ野球界を背負ってきた男たちが様々な決断を下した。
そしてこの男も…

落合英二37歳
落合は引退会見で「肩の痛みで引退を決意した」と発表。 しかし、引退の決意は肩の痛みだけではなかった。 思えば、ケガに始まりケガで終わったプロ野球人生。 92年右ひじの骨折を抱えドラフト一位で入団だったが98年には最優秀中継ぎ投手賞を獲得。 野球界において守護神につなぐセットアッパーというポジションを確立させた男である。

15年目を迎えた今シーズン、開幕は2軍スタート、しかし、6月、1軍昇格となる。 まず、昇格を喜んだのは家族だった。落合の家族は奥さん子供二人の4人家族 落合家の神棚に、子供たちが、「パパがたくさん投げられるように!」と自分達で折った折り紙を備えている。 落合は家族に支えられていた。

そして、満をじして上がった1軍であったが、8月2日の横浜戦、吉村に打たれたHRが決め手となり2軍降格となってしまう。 2軍落ちを言い渡された夜、落合の部屋には続々と選手が集まった。 そこで、落合は部屋に来てくれた仲間達と約束をした。 「走りこむこと…そしてまた戻ってくることを…」 約束を守るために落合は走り続けていた。 10月10日、ドラゴンズは優勝した。 そこには、落合の姿はなかった。 しかし、胴上げの横には背番号26のボードを永田トレーナーが掲げその試合には、荒木選手が帽子のツバに26と書いて出場していた。 そして、ビールかけでは福留が落合のユニフォームを着ていた。 仲間は、落合のことを忘れていなかった。 落合は、仲間にも支えられていた。 ドラゴンズが優勝した日、落合はドラゴンズのユニフォームを脱ぐことを決意していた。 その日から1ヶ月間、落合は他球団でのプレーも考えた、しかしドラゴンズの落合で終わりたい。 家族・仲間・ファン、様々な思いと落合は戦っていた。苦悩と葛藤の日々が続いた…

そして、落合の出した決断は、ドラゴンズの落合で終わること。
応援してくれるファンや支えてくれる仲間たちがいたドラゴンズ。
そこ以外で野球を続けることは考えられなかった。
それが、落合英二15年間の答えだった。

次回予告

今回は光る!スポーツ研究所年末SP
今年も中日ドラゴンズの井上一樹選手会長がプロデュース!!
3年目を迎えたこのSP企画もさらなるパワーアップ!!超豪華ゲストが衝撃企画に挑戦、ドラゴンズ選手の意外な素顔が明らかになる!!さらにGPファイナルでまさかの2位に終わった浅田真央を大特集。あの転倒に隠された真実とは?16歳の少女が大きな壁に立ち向かうその姿に迫った。
12月22日(金)よる11:30分から1時間SP

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