研究コーナー/スポーツにまつわる伝説や言い伝え、些細な疑問までを徹底検証します。149
五輪野球2007/06/02放送
日本代表監督就任会見で、北京では「金メダル以外いらない」と力強く宣言した闘将、星野仙一。その星野ジャパンの第一次候補60人が先月、発表された。これまで、オリンピック6大会で5つのメダル。そして去年のWBCで優勝を果たした日本は、今度の北京で必然、金メダルが期待される。今や五輪での金メダルは日本の悲願にもなったと言える。日本が金を獲ったのは、野球が公開競技として五輪に初登場した84年のロサンゼルス大会のみ。さらに、ここ2大会はプロが参加したにも関わらず金は獲れなかった。それどころか、決勝にも進出できていないからだ。 かつて、五輪にはアマチュア選手だけが出場していた。つまり、アマチュア選手でなければ、五輪には出られなかった。だからこそ、プロの誘いを断り、アマチュア選手であり続けた選手がいた。バルセロナ、アトランタ、シドニーと3大会連続で出場、投手としてオリンピック通算5勝という最多勝記録を持つ杉浦正則(現 日本生命監督)だ。杉浦の最後の五輪となったシドニー大会、日本は初めてプロ選手8人が参加し、プロ・アマ合同チームで戦った。キャプテンをつとめた杉浦は「もっと時間が欲しかった」と話す。アマチュア選手は合宿を繰り返し、早目にシドニー入りして調整できていたのだが、プロ選手はシーズン中だったため、大会の2日前のシドニー入りだったという。細かいサインプレーの練習など出来ないまま試合に臨んだ日本は、五輪で初めてメダルを逃した。 「すごいプレッシャーの中で戦ったという思いが今も残っている」と前回のアテネを振り返った中日・中村紀洋は「思い通りには体が動かない」と話す。メダル奪回をかけオールプロで出場した日本は、メダル奪回だけでなく、「金で当たり前」とまで言われた。しかし、結果は準決勝のオーストラリア戦に敗れ、3位の銅メダル。中日・福留孝介は「絶対、金を」という気持ちが金を取れなかった原因と話す。「全勝で金メダルをとらなければいけない、という考えを捨てれば、もっと楽に戦えたのでは」と。 次回のロンドン大会から野球が正式競技から除外される事が決まり、北京が「正式競技での五輪・金メダル」の最後のチャンスとなる。そんな使命を背負い、星野ジャパンは11月、台湾でアジア予選を戦う。今回メジャーリーグ選手の出場は難しそうだが、現在の60人で十分「国民の皆さんの喜ぶ結果がだせる」と宣言した。 日本の五輪野球成績
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