スタッフの一言/日々スポーツ取材に励むメ~テレスポーツ部スタッフそんな彼らが取材先で感じたことをつづる

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Jリーグ加入

2007/12/04
今回の担当者

FC岐阜のJリーグ入りが決まった。FC岐阜は「岐阜県にもプロサッカーチームを」と2001年に誕生した。その後地域リーグを勝ち上がり、今シーズンからアマチュアリーグの最高峰であるJFLに参加。JFL18チーム中4位以上の成績を収め、なおかつプロチームにふさわしい経営基盤があると認められればJ2昇格という状況だった。地域リーグは順当に勝ちあがったが、今シーズンのJFLはすんなりとはいかなかった。開幕当初は順調に勝ち星を重ねたものの、夏場から思うように勝ち星が伸びず、一時は昇格圏外の7位まで順位を下げた。最終戦のひとつ前の試合では、1-3で佐川急便SCに敗れ自力昇格が消滅し窮地に追い込まれた。ライバルチームが敗れたことで息を吹き返し、最終戦でようやく4位以内を確定させる“ぎりぎり”の昇格だった。経営面でもJリーグから「財政面で問題がある」とされ、その後なんとかスポンサーのめどをつけ、こちらも“ぎりぎり”の合格となった。

12月3日午後4時40分、Jリーグの鬼武チェアマンから電話でJリーグ加入決定の連絡が入った。決定を受けて今西GM、松永監督、北村、片桐両選手が記者会見に臨んだが、4人の口から共通して語られたのは「ここまで選手やスタッフを支えてくれたのはサポーター」という言葉だった。FC岐阜のサポーターは確かにチームに力を与えた。最終戦は群馬県での試合だったが、岐阜から700人ものサポーターが乗り込んで選手を奮い立たせた。チームの財政難を救おうとサポーター持ち株会も立ち上げた。持ち株会の事務局長である飴屋の社長さんに聞いたら、すでに800万円以上集まったという。この日も決定の報告を一刻も早く聞こうと記者会見場の外のロビーには30人ほどのサポーターが集まった。記者会見の前、今西GMは報道陣にこう言った。「Jリーグから決定の連絡が来たら、まず外にいるサポーターに決定の報告をします。それから記者会見をします。」サポーターを大事にしたいという思いの表れだ。“いの一番”に報告を受けて、サポーターは抱き合い涙して喜びを分かち合っていた。

記者会見が終って帰る途中、JR岐阜駅で今西GMと遭遇した。今西GMは吉備国際大学の教授を務めていて岡山へとんぼ帰りだ。「よかったですわ。」「お祝いの電話は15本くらいあったかなあ」ほっとした雰囲気できょうのようすを話す今西GMだったが、話題が来シーズンのことになったとたん表情が厳しくなった。J加盟決定というめでたい日にもかかわらず、きょうすでに何人かの選手に来シーズン契約を結ばないことを通知したそうだ。「いっしょに戦ってきた選手に通告するのはつらいが、選手を入れ替えていかないとチームは強くならない。」Jで勝ち抜くため戦力補強は絶対だが、資金は正直ない。補強はJを戦力外になった選手を中心にやっていくそうだ。また残留する選手の給料もJにあがったとはいえそんなにアップできないという。
Jリーグ入りはあくまでスタートライン。さらに上をめざすFC岐阜にとってこれまで以上に長く厳しい戦いが始まった。

副部長:K

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