日々スポーツ取材に励むメ~テレスポーツ部スタッフ。そんな彼らが取材先で感じたことをつづります。
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2009/09/22
今回の担当者
今年の高校野球は筆者にとって日本で一番長くて熱い夏となりました。
愛知県代表の中京大中京高校の43年ぶり7回目の全国優勝で幕を閉じた夏の甲子園。
筆者はこの時期、2ヶ月ほど中日ドラゴンズの担当を離れ、東海3県の地方大会(速報!甲子園への道)とテレビ朝日系列で放送されている熱闘甲子園の番組スタッフとして高校球児を追い続ける日々を送ってきました。
そんな毎日の中で優勝した中京大中京はもちろん、筆者はもう一つのチームにある衝撃を受けました。
甲子園で45年ぶりの夏ベスト4に輝いた県立岐阜商業です。
一言でいえば「日本一のチームワーク」を持ったチームでした。
県立岐阜商業といえば、中日ドラゴンズOBである高木守道さんをはじめ和田一浩選手、英智選手など数多くのプロ野球選手を輩出する名門。
しかし1996年以降、夏の甲子園で1度も勝つ事ができなかったチームでもありました。
そんなチームが今年PL学園に勝ち、帝京を破り、次々と強豪と呼ばれるチームを倒す姿に筆者以外のたくさんの人が感動を覚えたはずです。
その影には「絆」で結ばれたベンチ外の選手たちの献身的なサポート、笑顔で明るい雰囲気づくりなど表舞台に立つメンバー18人への最強の環境を作り出している姿が。
入社以来、今年で4度目の高校野球取材をしてきましたが、現場でそんな彼らを目の当たりにして、感動のあまり年甲斐もなく大粒の涙をこぼしてしまった筆者。
名門校としてのプレッシャーは相当なものだったはずです。
素晴らしいチームでした。また野球というスポーツの凄さを改めて感じる事が出来たチームでした。
そして名門といえば、忘れてならないのが優勝した中京大中京。
甲子園の抽選会で取材した大藤敏行監督がこんな事を言っていたのを今でも思い出します。
「もう40年以上も優勝していないんですか。じゃあ20年はボクの責任ですね。」
大藤監督が母校の監督に就任して20年余り。「名門・中商」のプライドを捨て、筆記体のユニフォームに変更したのも、96年のセンバツで準優勝したのも、04年夏の甲子園でベスト8に輝いたのも、今年のセンバツベスト8も全て大藤監督が作ってきた伝統。
しかしながら、これまで全国制覇には一度も届きませんでした。
そんな大藤監督のもと、エースで4番の堂林君を中心にキャプテンの山中君、3番河合君、5番磯村君など全国屈指の打撃力で圧倒的に勝ちあがっていった中京ナイン。
新潟・日本文理との決勝戦は史上まれに見る大激戦となり、わずかの差で中京大中京が全国制覇を成し遂げました。
筆者はその時、熱闘甲子園のスタジオにあるモニターで試合を見ていたのですが、試合後、閉会式最後にナインたちがグラウンドを行進している時、堪えきれなくなって涙を流していた大藤監督の姿に筆者は目を奪われてしまいました。
選手たちと接する時や我々報道陣の取材に応じてくれる時など、気持ちはとても熱いけど、淡々としたイメージが強かった大藤監督。
そんな監督が人目を憚らず涙している姿に筆者もまた涙。
中京大中京・大藤敏行監督の想い全てがこの涙に集約されていたなと改めて思います。
それにしても今年の夏は熱戦続きの好ゲームが多かった。
普段はほとんど涙することのない筆者、この夏だけで何度泣いた事やら・・・。
ディレクター:Y