“哲人”とは自分の哲学をもって時代に立ち向かう熱き人。
そんな哲人が今あなたに伝える「哲人の告白」。
この番組では「今」の日本の中で、経済・文化・政治など
様々な分野で活動を続ける“哲人”からの言葉を伝えます。

中野信子

脳科学者/1975年東京生まれ。
東日本国際大学教授,横浜市立大学客員准教授。1998年東京大学工学部応用化学科卒業。2008年東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。08年から10年まで、フランス国立研究所にてニューロスピン博士研究員として勤務。現在、脳や心理学をテーマに研究や執筆の活動など精力的に行っている。著書に『脳・戦争・ナショナリズム』(文藝春秋)『あなたの脳のしつけ方』(青春出版社)、『脳はどこまでコントロールできるか』(ベストセラーズ)などがある。

「“脳科学”で人々に心豊かな人生を」

「人々が“脳科学”に期待していること」
「皆さんはじつは脳科学の内容を知りたいわけではない。何が知りたいのかというと、もっと自分自身のことを知りたいんですね。自分自身がどうしてこういう感情を持つのだろうか、どうして嫌な思いをするのか、さらに言うのであれば、誰かに自分のことを理解してほしいという気持ちがすごく強いように感じて、脳科学的な内容をお話すると、まるで自分を理解してくれたというふうな感覚が得られるのかもしれないですね。」

「ある小説のタイトル“優雅な生活が最高の復讐である”」
「生きていると必ず失敗したり嫌な目にあったり、屈辱的な思いをすることもある。こういう時に一番いい復讐の方法は自分自身が心豊かな生活を送って満足して優雅な時間を過ごすことじゃないでしょうか。」

塚本こなみ

はままつフラワーパーク理事長/1949年静岡県生まれ。
結婚後、造園業を営むご主人の仕事を手伝ううちに、樹木の世界に足を踏み入れ、自身も一級造園施工管理技士を取得。92年女性初の樹木医資格取得。93年造園、緑化、樹木の保護などを事業とする自身の会社を設立。96年「あしかがフラワーパーク」(栃木県)の大藤移植を成功させ、99年より同パーク園長を16年間務める。2013年から「はままつフラワーパーク」を運営する公益財団法人浜松市花みどり振興財団理事長に就任。

「お客さまの心に、花を咲かせ続けたい」

「“10年、50年先を見据えた”樹木の環境づくり」
「庭というのは工事は完成でも庭として完成品はないんですね。永遠の未完成なんです。木がそこで根を張り成長するごとに変わっていくわけですね。この木が10年先も50年先もその先もしっかり根を張れる環境を作ってあげる。それが一番の大切なことですね。」

「日々の積み重ね“人生は一本の線ではない、一日という点の連続である”」
「今日1日を大切に、太い点をしっかり打ち続ける。すると振り返ってみると、自分の人生が太くてしっかりした線になる。いま、今日をしっかり生きるということの連続のような気がします。」

豊島圭介

映画監督/1971年、浜松市出身。
シャイカー所属。テレビシリーズ「怪談新耳袋」(03)で監督デビュー。監督作に、TVドラマ「マジすか学園」シリーズ(10~13)、「CLAMPドラマ ホリック xxxHOLiC」(13)、映画『ソフトボーイ』(10)、『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(10)、『花宵道中』(14)、『海のふた』(15)、『森山中教習所』(16)など。2016年5月より『ヒーローマニア –生活- 』が公開予定。

「“楽しい”が詰まった映画をみんなで作り続けたい」

「豊島監督が目指す映画」
「エンターテイメントをずっと作り続けたい。“映画って面白いよね”という作品を作りたい。“しみじみ良い”というよりも、(『ヒーローマニア –生活- 』みたいな)ガチャガチャしていて、“楽しいモノがいっぱい詰まっていたね”という事をやりたいなと思いますね。」

「“みんなで作る”のが映画作り」
「自分でできる事は限られているので、才能をもったいろんな人たちの力をかき集めて、モノを作ることがこの世界の醍醐味。自分よりスゴい人たちと仲間になって、モノを作るという作業が楽しい。それが自分にとっての映画作りだなと思います。」

村上心

椙山女学園大学 生活科学部 教授/1960年大阪生まれ。
1992年東京大学大学院工学系研究科博士課程満了。ハイパースペースクリエータ、写真家。博士(工学)。遼寧工程技術大学客員教授、CIBW104共同代表、みんなのファッションショー代表オーガナイザ、中川運河キャナルアート副理事長、団地再生支援協会理事、Dr.M BANDバンマス、など。著書に「貨幣・緑・壁」「建築再生の進め方」など多数。2008年度都市住宅学会著作賞、2007年日本ディスプレイ大賞入選など。

「幸せにするデザインで 未来へ街を繋いでいく」

「街をデザインする上で大切な事」
「未来の人が決定できる余地を残す事だと思っています。200年後に自分たちがどんな暮らしをしているかなんて、誰もわからないじゃないですか。200年後の街を、200年後の人々が決められる余地を残してデザインしておくという事がとても重要。街だけじゃないですね、建築もそうあるべきだと思っています」

「大事にしている言葉“一期一会”」
「いろんな仕事をして、いろんな楽しみも味わって。そういう場面で関わった方々には本当に感謝しています。もうひとつは、自分がこの世に生まれて、与えられた役割というのがあると思うんですね。その様々な機会を与えてくれているという事にも感謝しています。その気持ちを“一期一会”に含めたいなと思っているんです。」

増田明美

スポーツジャーナリスト/1964年、千葉県生まれ。
私立成田高校在学中、長距離種目で次々に日本記録を樹立する。1982年にマラソンで日本最高新記録を作り、1984年のロス五輪ではメダルを期待されたが、無念の途中棄権。1992年に引退するまでの13年間に日本最高記録12回、世界最高記録2回更新。現在はスポーツジャーナリストとして執筆活動・スポーツ中継の解説に携わるほか、大阪芸術大学教授、全国高等学校体育連盟理事など多方面に活動中。

「選手である前に“人”を伝えたい」

「途上国でのスポーツ支援活動について」
「(トーゴで)女子のサッカーチームを作ったんですよ。作った時は村の長老さんなんかが『何で女性が肌をさらけ出してスポーツをするんだ』と反対が多かったんですけども、やり始めてみたら、女性が活躍して。選手の皆さんがサッカーを通して自信をつけて自立して、後には『自分はジャーナリストになりたい』とか『国のリーダーになりたい』なんていう素晴らしい女性がたくさん誕生したんですね。スポーツの持っている力というのは偉大だなと思うんですね。」

「大切にしているのは“肌で感じる”こと」
「自分の目で確かめて、肌で触れて初めて分かる事。取材においても、途上国にお邪魔する事においても、その人の肉声とか表情というのをしっかりと肌で感じていきたいなと思います。」

白河桃子

少子化ジャーナリスト/作家、相模女子大学客員教授。
内閣府「少子化社会対策大綱」有識者委員、まち・ひと・しごと創生本部「地域少子化対策検証プロジェクト」委員。一億総活躍国民会議の民間議員。2008年に刊行した山田昌弘氏との共著『「婚活」時代』(ディスカヴァー携書)が20万部のベストセラーに。著書に『格付けしあう女たち』『「専業主夫」になりたい男たち』(ポプラ新書)など。

「多様なライフスタイルが広がる社会をめざして」

「これから取り組んでいきたいこと」
「男子を育てる事ですかね。今までずっと女の子にばっかり『頑張れ、働き続けろ』と言ってきたんですけど、やっぱり女性は『そんな事したら私だけ損じゃない、仕事もして家事もして子育てもして』とみんな思っているんですね。それで、なんか順番間違えたかなと。これからは男子校などに行って、『家事や育児をしっかりやりましょう。そのほうがあなたも一人で稼がなくてよくて得だし、あなたがチャレンジしたい時に働く女性はあなたを応援してくれるんですよ』みたいな事を言っていったほうがいいのかなと思っていますね。」

「金子みすずの言葉“みんなちがって みんないい”」
「多様性という意味なんですけれども。私もいつも“ライフデザイン”とか言っていますが、自分で選んで欲しいと思っているんですね。だから多様な生き方、多様な働き方、多様なカップルのあり方。そういうのが許される社会になるのが一番良いと思っています。」

上村愛子

元女子モーグル日本代表/1979年兵庫県生まれ。
白馬高校在学中に長野オリンピックに出場、7位入賞。2007-2008シーズンにW杯種目別年間優勝、翌シーズンには世界選手権優勝を果たす。オリンピック5大会連続入賞。2008年度紫綬褒章受賞者。2014年3月に引退。2016年2月27日~28日モーグルW杯秋田たざわ湖大会アンバサダーを務める。

「明日の笑顔のために 今日一日を大切に」

「選手生活を振り返って」
「今年の自分より来年の自分の方が、スキーの技術や闘い方が上手くなっているはずだと信じようとする気持ちだったり、上手くなるように努力していこうという積み重ねだったと思うんですよね。明日の自分が良い方に変わっていけるように、その姿を信じてやっている時間だったと思います。」

「人生のベースにあるのは“明日笑うために、今日を頑張る”」
「オリンピックに出ていたり、自分の人生は派手なところはすごく派手だったりするじゃないですか。でもベースは、“笑っていたい”という。“明日私笑っていたいな” “一週間後、一年後笑っていたいな”とか。そう考えると、今の選択肢も自ずと自分なりに答えが出て来たり、今を頑張ろうと思えるようになるかなと思っている。」

山本博

アーチェリー選手/1962年神奈川県生まれ。
中学1年からアーチェリーを始め、高校ではインターハイ3連覇。大学ではインカレ4連覇、日本体育大学在学中にロサンゼルスオリンピックで銅メダルを獲得。2004年開催のアテネオリンピックではロサンゼルスから20年ぶりに銀メダルを獲得。09年、自身14回目となる世界選手権出場を果たし、男子団体で銅メダルを獲得。現在も現役選手として活躍中。著書には、児童書「がんばれ!盲目の犬レディ」(岩崎出版)。

「重ねてきた努力の日々が大きな感動を生む」

「アーチェリーの魅力」
「実にアーチェリー競技というのは、単純なんですね。そして非常に簡単なので、とても入り口は広いんですけれども、そこからの奥が深い。41年間やって今なおかつ、アーチェリーの練習が新鮮でとても楽しいのは、毎回発見があるから。これが僕にとって長年続けられるモチベーションの元になっていますね。」

「大事にしている言葉“感動の大きさは努力の大きさ”」
「素晴らしいプレーを見たら、世界の多くの人たちが感動する。なぜそれだけ多くの人たちが感動できるのかというと、その素晴らしいプレーをした人が、その日に至るまでものすごく努力をしてきているわけですよ。大きな努力をしてきたならば、最終的に皆さん(観客)が受ける感動というのはとても大きいものになるし、その本人も大きな感動を得られる。ですから、いくつになっても、努力の後には大きな感動が得られるので、しっかり頑張ってもらいたいですね。」

山本昌

野球評論家/1965年生まれ、神奈川県茅ヶ崎市出身。
日本大学藤沢高校卒業後、ドラフト5位で中日ドラゴンズへ入団。84年に入団して以来、32年間中日ドラゴンズ一筋で活躍。プロ生活32年、実働29年はいずれも歴代最長で、数々の最年長記録を樹立した。06年には史上最年長でのノーヒットノーラン、08年には通算200勝を史上最年長で達成。15年9月26日に引退を発表。10月7日のシーズン最終戦で広島戦に先発し、32年にわたる現役生活に終止符を打った。

「32年間の現役生活を超え これからも“己を高め”続ける」

「“チャンスをものにする”ことで長く第一線で活躍」
「本当は十中八九ダメな方だったんです。でも、その1割、2割でたくさんの方に助けていただいて、それを上手く力にできたということですね。もしもアドバイスがあるとしたら、そういう周りの助けもあるかもしれませんので、 常に努力をしておくと“それでダメなら仕方ない”と思える。自分がそういうふうにやってきましたので、これだけやってダメなら力が足りなかったんだと。とにかくいつもそういうチャンスが来たら、チャンスを取れるように準備しておく。そういう事じゃないかと思います。」

「レジェンドとなる理由“己を高める”」
「まず周りの状況よりも、常に自分を高めておけば、どんな場面にも対処できるのではないかと。まずは己を高めておく。そういうふうにこれからも頑張っていきたいなと思います。」

三橋美穂

快眠セラピスト/愛知県岡崎市出身。
自動車メーカーでのマーケティング職を経て渡英。帰国後、寝具メーカーに入社。研究開発部長を経て、2003年独立。講演や執筆、個人相談を通して、眠りの大切さや快眠の工夫、寝具の選び方などを提案している。これまでの20年間に、1万人以上の眠りの悩みを解決してきており、睡眠を多角的にとらえた実践的なアドバイスと、手軽にできる快眠メソッドが、テレビや雑誌等で支持を集め、睡眠のスペシャリストとして多方面で活躍中。

「心地よい眠りを通して 豊かな人生をサポートしたい」

「眠りにつきやすくなるコツ」
「寝る時、布団に入ってから、深呼吸をしながら眠りにつくというのはオススメです。緊張している時というのは呼吸が浅くなっていますから、ゆっくり意識的に息を深く吸って、ゆっくり長く息を吐いていると、だんだん身体や脳の緊張が取れてきますので、眠りにつきやすくなるんじゃないかと思います。」

「過去の失敗があるから 今の自分がある」
「思い通りにいかない時って、その事が引っかかって、くよくよ悩んで引きずりがち。でも、自分が失敗だと思うような事も、“失敗は成功のもと”とも言うじゃないですか。そんなふうに思える私にとっての一言が“すべて完璧”です」

笠原将弘

日本料理「賛否両論」店主
1972年東京都生まれ。高校卒業後、9年間「正月屋吉兆」で修業。父の死に伴い、実家の焼鳥屋「とり将」を継ぐ。「吉兆」仕込みの腕と技、独自のアイデアで「とり将」を人気店に育てた。2004年 「とり将」が30周年を迎えたのを機に、いったん店を閉め、恵比寿に「賛否両論」を開店する。リーズナブルな価格で味に定評のある和食を提供。数々のメディアから注目を集めている若手料理人の1人で、私生活では3児の父親でもある。

「“自分は自分”を貫き 日本料理を広めていきたい」

「日本料理の魅力」
「日本の自然や四季、そういう文化的な背景を大事にしている。そういう所がまず魅力的だと思いますし、あとはすごく食べる人の事を考えた料理だと(思う)。お年寄りだとちょっと食べやすく小さく切ってあげたり、かたいお刺身だったら包丁で細かく目を入れてあげたり。思いやりのある料理だと思いますね。」

「父から受け継いだ信念“人は人、自分は自分”」
「周りと同じ事をやる必要はないんですよね。仕事ってそういう事だなと思う。9割の人に否定されても、1割すごく熱狂的なファンがいるほうが、僕はカッコイイと思うんです。『笠原がやっている事は面白そうだな』『なんかあいつは人と違うな』みたいなね。だから、“自分は自分”だなと。人の意見なんか聞いていたら、何をしていいか分からなくなっちゃいますからね。」

紫舟

書道家/アーティスト
書という表現手段を使い、文字に表情・感情をつけ情報としての文字をそれ以上にしていく。NHK「龍馬伝」題字で、手島右卿賞受賞。2015年ミラノ万博展示デザイン賞金賞の日本館エントランス空間アート担当。2014年フランス国民美術協会展最高位金賞受賞。本年同展、日本人現存作家初の主賓招待作家としてパリルーブル美術館地下200㎡を飾るなど、世界へ日本の文化を発信する。伊勢志摩サミット・ロゴマーク選考会審議委員、大阪芸大教授。

「書を通じて 時代を創り出す人でありたい」

「作品制作で大切にしていること」
「心の中がしっくり来る。腑に落ちる。そういった感覚をすごく大切にしながら制作をしていて、自分自身が本当に作りたいものや今発信したいものをすごく大切にしながら作っています」

「目指すのは“そうぞうびと”」
「時代というのは常に困難が山積していて、そういった困難な中でも創造する事をあきらめなかったり、クリエイティブな発想で乗り越え解決したり。そういうクリエイティブな力を持った人になりたいなと思っています」

飯塚順子

接遇&ビジネスマナー講師・講演家/元ANA客室乗務員
ANAに30年間勤務。うち10年間は、管理職として600人以上のCAを指導する。ANAのトップCAとして、北朝鮮拉致被害者を迎えに行く便に搭乗。出向した東京全日空ホテル(現ANAインターコンチネンタル東京)ではVIP担当コンシェルジュとして、皇族・政治家の応対を担当。心を揺さぶるエピソードを通じて伝える接遇ビジネスマナーの指導には定評があり、大手企業をはじめ幅広い業種を対象に、年間160本の研修を行っている。

「心を動かすおもてなしでお客様の笑顔を生み出す」

「“プラスαの一言”で相手の心を動かすおもてなしを」
「お客様がおいでになりまして、『こんにちは』だけではなく、『今日は久しぶりに良いお天気でよかったですね。お待ちしておりました』という一言を加えるだけで、相手はすごく迎え入れられたという気持ちになると思うんですね。一人ひとりに合った、その人に向けたメッセージを伝えるというのが、“プラスα(アルファ)の一言”。これがとても大事だと思います」

「大事にしている言葉“ダイヤモンドは傷ついて輝く”」
「嫌な事や苦しい事、辛い事から逃げてしまいがちになります。やっぱり嫌ですものね。でも、そういう経験があるからこそ、自分の成長なんだと思います。傷つく、マイナスという事を嫌がらないで、これは自分に与えられた一つの成長の糧だと思っていただいて、ダイヤモンドのように輝いていただきたいと思っております」

三遊亭萬橘

落語家
1979年、愛知県生まれ。大学時代に落語と出会い、落語研究会で腕を磨く。2003年、三遊亭圓橘へ入門。2006年、二ツ目昇進。自由奔放でオリジナル、エネルギッシュな勢いに満ちており、次第に「五代目圓楽一門会のホープ」と称されるほどの人気を集める。2013年、真打に昇進し、四代目 三遊亭萬橘を襲名。

「落語を後世に伝えるための人材になりたい」

「落語家としての目標」
「自分は落語に生かしてもらっているという、ずっとそういう状態なので。なるべく落語のほうから“いてほしい”と言われるような人材になりたいです。落語が世の中に、この日本という国の中に残っていくために、僕の力が必要だと言われるような人材になりたいです」

「落語を“チーム”で広めていく」
■立川志の春、林家たけ平と立ち上げた「谷中はなし処」
「1人でやる面白さももちろんあっての話ですけど、チームでやれば、また別のより深い面白さや落語の魅力を伝えられると思います。1人でやるよりも3人でやったほうが、より面白いものができるという事を自分でも体感したいし、メッセージとしても伝えたいという気持ちがあります」

蜂谷宗苾

志野流香道21世家元継承者
1975年愛知県生まれ。室町時代より20代500年にわたり香道を継承し続けてきた志野流の第20世家元蜂谷宗玄の嫡男。 02年より大徳寺松源院に身を置き、04年泉田玉堂老大師より軒号「一枝軒」宗名「宗苾」を拝受、第21世家元継承者となる。 現在は、次期家元として全国及び海外教場での教授、「香木」を後世に遺していくためベトナムでの植林活動など、世界各国を含めた各地で啓蒙活動を行っている。平成21年度文化庁海外文化交流使、フランス調香師協会名誉会員。

「自然界から届く“香”で世界中を繋ぎたい」

「室町時代より続く香道を世界に広める」
「世界に誇る素晴らしい文化ですから、この文化によって世界中のいろんな人と繋がることが出来る。さらに香りですので、香木のいい香りは国と国、人と人を繋げられる、そんな可能性を香道は秘めているのではないかと思っています。」

「香道の奥深さ“自然界の声を聞く 香りで地球を包む”」
「100%天然の香木の香りを聞くということで、癒しの向こう側に、やはり地球と会話をする、大地、自然と会話をするというのがありますから、僕たち人間側は、地球から自然界から色んなことを感じとる、学びとる。そこに繋がっていくと思っています。」

水尾衣里

名城大学人間学部 教授
愛知県出身。工学博士(東京農工大学大学院)。専門は建築学、都市計画学。平成11年より警察庁中部管区警察学校警部補任用科特別講義講師を務め現在に至る。大学では、環境人間学、都市文明史、人間とデザイン等の科目を担当。愛知県環境審議会委員、農林水産省北陸農政局技術検討会委員、Radio NEO番組審議会委員長などその他多数の行政機関や各種団体で委員を歴任。まちづくりや地域振興、景観や環境への配慮をテーマに講演を行ったり意見を述べている。

「現場に足を運び より良いまちづくりを目指す」

「地域活性化のために重要なこと」
「一番重要なことは地域の人たちが自分の住んでいる地域、または身近な地域の中の良い所をもっと認識するというか、再発見することが大事だと思うんですね。“ここの街並みいいですね”ということは住んでいる人は気がつかないけれど、よそから来た人は気がついたりする。街の良い所をいかに維持していくか、または大切にしていくか。地元の人たちにとって大切な場所になっていくというプロセスが大事なような気がします。」

「現場を知ることが大切」
「実際に自分でそこへ行って見てみる。またはそこの人たちにいろんなことを聞くと、新しい発見は数え切れないほどあるわけですね。自分で確認をして、自分の目で見てということを心がけているので、“まずは現場へ行ってみる”というのがいつも大事にしている言葉であり、行動です。」

干場弓子

ディスカヴァー・トゥエンティワン取締役社長 / 愛知県生まれ。お茶の水女子大学教育学部卒業。世界文化社に入社、「家庭画報」編集部等を経て85年、株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン設立。編集部全般も統括し、CDサイズのシリーズ、ミリオネーゼシリーズなどを立ち上げてきた。勝間和代さんの各書籍、流行語大賞にノミネートされた『「婚活」時代』等も手がける。2011年には『超訳 ニーチェの言葉』が同社初の100万部を突破。常に新しい視点でヒットを創りだしている。

「新たな価値観を提案し、時代を切り拓く」

「創立30周年を迎える“ディスカヴァー”」
「近代が始まってから当たり前だと思っていたようなことが、ちょっと問い直される時が来ていると思うんです。そういう意味では広い意味での常識や前提を疑う。我が社がというよりは、いろんな著者の方のいろんな意見、そしてまたそれに対する読者の方の反応も含めて、新しい価値観を提案し、そしてみんなで考えていくきっかけを作る。私たちの時代が来たなと考えています。」

「『風と共に去りぬ』の大好きなことば“Tomorrow Is Another Day”」
「ビジネスでも個人的なことでもよくない結果があった時に、反省したり後悔したり悔やんだりすることがありますよね。ただ反省していてそこで止まっていては、次がないじゃないですか。だから一旦はそこでおしまい。また明日は新しい日で、また一歩あゆむ、ということ。」

音無美紀子

女優
66年に劇団若草に入団。71年TBSのテレビ小説「お登勢」のヒロイン役に抜擢されデビューを果たし、脚光を浴びる。76年に俳優の村井國夫氏と結婚、一女一男をもうける。近年は「歌を歌う」ことは、いつの時代にも人に喜びを与え人と人を結ぶ大きな力になれるのではと、東日本大震災の被災地での毎年の開催を目標に、同じ志を持つ仲間たちと共に「音無美紀子の歌声喫茶」の活動もライフワークとしている。

「東北へ歌声と笑顔を届けたい」

「“音無美紀子の歌声喫茶”を立ち上げたきっかけ」
「ある仮設住宅のコミュニティの場所で、1人のお年寄りが『歌でもうたいましょうか』と発言してくれて、そこにいた70~80人が一斉に釜石音頭をうたい始めたら、顔が変わったんですよ。みんな明るくなって。『あっ、これだ!歌声喫茶!それがいいんじゃないかな』と思い、すぐ東京に帰ってから仲間と話し合いました。」

「“一歩を踏み出す”勇気が大切」
「やっぱり最初の一歩が大事なんだなって。踏み出す勇気というか。嫌だけどしょうがない、やるしかない。その一歩を踏み出すこと。怖じ気づく自分を奮い立たせる、その一歩が大事だと常々感じますね。」

亀山郁夫

名古屋外国語大学 学長/1949年栃木県生まれ。
東京外国語大学ロシア語学科卒業。東京大学大学院博士課程単位取得後退学。前東京外国語大学学長。専門はロシア文学、ロシア文化論。主な著書に『磔のロシア』(大佛次郎賞)『謎解き「悪霊」』(読売文学賞)、主な訳書に『カラマーゾフの兄弟』(毎日出版文化賞特別賞)、『罪と罰』『悪霊』などがある。自身初となる小説『新カラマーゾフの兄弟』(河出書房新社)が2015年11月20日発売(予定)。

「いくつになっても新たな挑戦と喜びを追求しよう」

「ロシア文学から人生の“教訓”を得る」
「ドストエフスキーの言葉の中に、例えば“苦しみこそが人生だ”と、こんなふうな言い方をするんですね。苦しみという、本来ならば普通の人であればそれを避けようとするものを前向きに積極的に受け入れていこうという、そういうチャレンジングな精神。これも『カラマーゾフの兄弟』の重要な哲学のひとつだというふうに思います。」

「飽くなき探究心が大切“人生学び直し 臆せず喜びの発見に努めよ”」
「60歳を過ぎて、何が大事かなと思い始めたときに、小説の執筆もそうですが、人生常に学び直して行くという精神が大事なのではないか。自分自身の新しい自己を確立する。それは60歳でも遅くはないのだと。自分にとって人生のモットーであり、多くの人に伝えたいメッセージでもあります。」

高嶋ちさ子

ヴァイオリニスト/東京都生まれ。
6歳からヴァイオリンを始める。1994年イェール大学音楽学部大学院音楽学部修士課程修了。97年からは本拠地を日本に移し、様々なプロジェクトで、全国各地年間約100本近くのコンサートを行い、新たなクラシックファンを獲得している。今年はデビュー20周年で全国コンサートツアー中。また2016年には自身がプロデュースした「12人のヴァイオリニスト」が結成10周年を迎える。現在、2児の母でもある。

「心に残る“美しい音色”を届けたい」

「音の強弱で、音色の美しさを引き立たす」
「シーンとした状態から弾きはじめるとか、弾いている途中にシーンとした状態を作る。そうすると余計にヴァイオリンの音色の美しさというのが伝わるんじゃないかなと。とにかく皆様にヴァイオリンの音色の美しさというものを感じて帰っていただきたいと思っています。」

「何事も一生懸命取り組む“全力投球”」
「なんでも一生懸命やらないと、そのものの面白さや楽しさが経験できないと思うんです。適当にやれば別に負けても悔しくもないし、勝ってもそれほど嬉しくないし、ドキドキもワクワクもしないんですね。私は子どもに全てのものにワクワクしてドキドキして生活してほしいって思っているから、一喜一憂して、とにかく何事にでも一生懸命取り組んでほしいなと思っています。」

湊かなえ

小説家/1973年広島県生まれ。
2005年第2回BS-i新人脚本賞で佳作入選。07年第35回創作ラジオドラマ大賞受賞。2007年第29回小説推理新人賞を「聖職者」で受賞。08年受賞作が収録された『告白』を刊行。同作で08年週刊文春ミステリーベスト10第1位、09年第6回本屋大賞を受賞する。12年「望郷、海の星」で第65回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。その他にも多くのヒット作を生み、ドラマ・映画化が多数されている。最新作『リバース』(講談社)が発売中。

「人々に“物語”という種を届けたい」

「“実際に起きるかもしれない”世界を表現」
「何か事件が起こったりとかそういった時に、“もしかしたら自分にも起こり得ることかもしれない”とか、“自分の住んでいる町でもあるかもしれない”とか、物語の中に読者の方が自分の身を置いて体験できるような構成や内容にしたいなと常に心がけています。」

「人生において“物語は想像力の種である”」
「本はあくまで種であって、すべての種が芽吹くわけではないけれど、たくさん種を植えていたらきれいな花壇ができて、人生に行き詰まったりとか何か疑問を持った時に、その花壇の中から答えを見つけることができるんじゃないかなと思います。なので、いつか花が咲くんだということを想像しながら種を植えていってほしいなと思っています。」

内藤淳平

WHILL株式会社 共同代表・最高開発責任者/1983年愛知県生まれ。
名古屋大学大学院工学研究科卒業。2008年SONY入社。エンジニアとして車載カメラの開発に従事。09年エンジニア団体 Sunny Side Garage設立。11年にWHILL projectを開始し、12年6月WHILLの最高開発責任者(CDO)に就任。慶應大学SFC研究所所員。車イスではなく新しい乗り物をコンセプトとした「パーソナルモビリティ」の製造・販売で、2015年度グッドデザイン賞を受賞。

「世界中の人たちが笑顔になるものを発明したい!」

「今までの車イスとは違った新しい“モビリティ”」
「一人のユーザーに会ったことがきっかけで、その方が100メートル先のコンビニに行くのを諦めるということを言われました。車イスという製品のイメージを変えていきたいと思いまして、どういうふうにすれば変わるのかを考えるのが一番大変でした。東京モーターショーに一度出した時にユーザーの方にいろいろ見ていただいて“これいつ出るんですか?”という話になり、“期待されてるんだな”と、やっぱり期待されるものを作りたいと思うのはエンジニアとして非常に純粋だったんじゃないかと思います。」

「恩師から頂いた言葉“可能性は無限大”」
「高校の先生が退官される時に言った言葉で、その時はその意味があまりわからなかったんです。だんだん会社立ち上げていろいろやっていると、本当にどうなっちゃうのかなとか思う時は結構あるんですけど、結局信じてやっていくとうまくいくという経験は本当に多いんですね。そういう言葉が支えになってくれていて“あきらめることはない”ということかなと思います。」

原田さとみ

フェアトレード名古屋ネットワーク代表。1987年モデルデビュー後、東海圏を中心にタレントとして活動。2010年にエシカル・ペネロープ(株)を設立し、名古屋テレビ塔1階にてフェアトレード&エシカル・ファッションのセレクトショップ「エシカル・ペネロープ TV TOWER」を経営。“思いやり”のエシカルの普及とともに、フェアトレードタウン運動に取り組む。講演・絵本の読み聞かせ・司会・執筆など、幅広く活躍中。JICA中部オフィシャル・サポーター。

「“思いやり”の心で フェアトレードを広めたい」

「フェアトレードを広めるために必要な事」
「『途上国でできました。これを買ってください。だって誰かの役に立っているから』ではなくて、そのデザイン力や売る方法、品質が本当に心地よくて、その商品が売れるものであるという事が大事なんですね。持続的にその地域のものを買って頂く、食べて頂くためには、美味しさも追求しなくてはならないし、トレンドに合った洋服を作っていかなくてはならない。そこは一生懸命に、手を抜かないでやっていきたいと思っています。」

「大切にしているのは“思いやり”」
「フェアトレードは思いやり貿易やおかげさま貿易とも言われますけれども、人に対しても地球環境に対してもフェアでいく。優しく、思いやりをもっていく。誰も傷つけないというのが思いやりだと思います。」

白井智子

NPO法人トイボックス代表理事
4歳から8歳までをシドニーで過ごす。1995年、東京大学法学部卒業。松下政経塾に入塾。教育改革をテーマに国内外の教育現場を巡る。沖縄でのフリースクール校長を経て、2002年、大阪でスマイルファクトリーを立ち上げる。2003年、「池田市で教育活動を」という市長からの要請から、NPO法人トイボックスの立ち上げに参加。2011年6月からは福島県南相馬市での支援活動にも取り組んでいる。現在、文部科学省のフリースクール等に関する検討会議委員などを務める。

「子ども達の“自分らしさ”を育む場所を作りたい」

「子どもたちと接する時に心がけている事」
「とにかくあなたが大事な存在だという事、“大好きだよ”という事を、不自然でなく伝える事です。あなたがそのままですごく価値がある素晴らしい存在だという事を、日頃の何気ない関わりの中で伝えていく、見せていく。それは無意識にやっている事ですね。」

「伝えたいのは“あなたはあなたのままでいい”」
「完璧な人間なんて誰もいない。みんなデコボコはあるんですよね。できない事はお互いに支え合って、できる事で人の支えになってという事をみんなができるようになったら、もっと住みやすい世の中になるんじゃないかなと思っています。」

浅尾美和

元プロビーチバレー選手/1986年三重県生まれ。 小学生からバレーボールをはじめ、津商業高校ではインターハイ、国体に出場し主将も務めた。高校卒業後、ビーチバレーの世界へ。同時にタレントとしても活動。その美貌から「ビーチの妖精」と呼ばれていた。プロビーチバレー選手として活躍し、2012年に現役を引退。結婚の後、現在一児の母となり、子育てに奮闘中。「ドデスカ!」(メ~テレ)にコメンテーターとして出演のほか、各種イベントやバレーボール教室の講師など幅広く活躍している。

「楽しむ姿で“笑顔”を届けたい」

「現役時代、苦しい時に支えとなったもの」
「上手くいかなくて勝てない時が続いたのですが(ファンの方に)“結果じゃなくて浅尾さんの笑った顔だったり楽しくプレーしているのが見たくて来ている”というふうに言ってもらった時に、“私それ忘れていたな”と思って。すごく嬉しかったんですよね。いろいろと苦しい出来事があったので。」

「常に笑顔を心がけて“何事も楽しむ”」
「自分が楽しんでいなかった時を知っているから、より感じてしまうんですよね。今お仕事していても、自分が楽しんでやっていたら、見てくれている人にも伝わると思うし、笑顔の伝染じゃないですけど、そういう部分を心がけています。」

本條秀太郎

三味線奏者/1945年茨城県生まれ。
71年、本條流を創流。古典・民族音楽を土台とした三味線音楽「俚奏楽」を発表、新作端唄・三味線現代曲も多数作曲する。古典の枠に留まらず、様々なジャンルの音楽、奏者と共演し、数多くの国内外公演を行っている。2007年、紫綬褒章を受章。三味線音楽の興隆に力を尽くし、民謡・民俗芸能の発掘、採譜等、幅広い音楽活動を続けている。著書に『本條秀太郎 三味線語り』(淡交社)がある。

「不東の精神で 三味線の可能性を追求する」

「三味線という楽器の魅力」
「西洋の音楽だと、同じ配分でスーっと消えるんだと思うんですけど、三味線というのはいつも揺れながら消える。複雑な感じで減衰していく。聴き手がその余韻に自分の世界を入れて、初めてその曲が成り立つ。」

「力を与えてくれる言葉“不東”」
「玄奘三蔵様が天竺(インド)に仏教の勉強に行かれて、『勉強がちゃんとできないうちは唐(東)には帰らない』と。“成し遂げるまでは絶対に戻らない”という意味なんだろうと思います。(大事なのは)やり続ける事、思い続ける事だと思います。」

加藤庸子

脳神経外科医/1952年、愛知県生まれ。
78年、愛知医科大学医学部卒。中国、オーストリアへの留学等を経て、91年から藤田保健衛生大学で脳神経外科医として勤務。06年、日本初の女性の脳神経外科教授に就任。生涯の脳動脈瘤手術数1900例以上は、女性脳外科医として世界最多。現在、同大学坂文種報徳會病院 脳神経外科教授、脳血管・ストロークセンター、センター長。日本脳神経外科学会理事。

「あきらめない心で 人々の健康を支えたい」

「患者と向き合うときに心がけている事」
「先代の教授に言われたのですが、『どんな偉い方でも病気になった時は最弱者である』と。この人がなぜここに座って、どこに大きな風穴が空いているのかを、入って座るまでの間にそれを判断して、『そこの大きな穴にまずは戸板を貼れ』とずっと言われてきました。」

「若者たちへのメッセージ“あきらめない”」
「希望や設定を高い所にもつ。山でも高い所に登れば、低い所よりも開けた景色が見えるので、そこまでは夢中であがって、そして良い結果を得る。若い人には頑張ってもらいたいと思います。」

安田喜憲

環境考古学者/1946年三重県生まれ。
東北大学大学院理学研究科修了。理学博士。環境考古学専攻。広島大学助手、国際日本文化研究センター教授、東北大学大学院教授などを歴任。現在、ふじのくに地球環境史ミュージアム館長、スウェーデン王立科学アカデミー会員。紫綬褒章受章。著書に『山は市場原理主義と闘っている』(東洋経済新報社)、『森と文明の物語—環境考古学は語る』(ちくま新書)、『日本神話と長江文明』(雄山閣)などがある。

「生命を尊び 自然と共生する社会を目指す」

「他者の命にふれる事が 生きる力を育てる」
■来春開館の「ふじのくに地球環境史ミュージアム」に込めた思い
「(今の子どもたちは)本物のチョウチョやカブトムシを見たり、本物の動物を触ったりするチャンスが意外とない。自分の命以外の、他者の命にふれあうという事。それが実は生きる力を得る源だと思うんです。だから、このミュージアムに来たり、あるいは移動ミュージアムに参加したりする事によって、子どもたちが生きる力を得る事ができれば、このミュージアムは成功だと僕は思っています。」

「“真摯”な姿勢が大事」
「真摯に生きる。これは極端に言うと、嘘をつかないという事です。正直に生きるという事。率直にものを言って生きていくという事が、僕は一番大事だと思います。」

清宮克幸

ヤマハ発動機ラグビー部監督/1967年大阪府生まれ。
大阪府立茨田高校でラグビーを始め、早稲田大学では2年時に日本選手権優勝、4年時には主将で大学選手権を制覇。卒業後はサントリーに入社し、フランカーとして活躍。2001年に引退し、早稲田大学ラグビー蹴球部の監督に就任、5年間で3度の大学選手権優勝を果たす。06年、サントリーラグビー部の監督に就任。07年度にトップリーグ優勝。11年、ヤマハ発動機の監督に就任。15年、日本選手権優勝。

「“有言実行”の精神で ラグビー界の未来を切り開く」

「素の自分を出して 信頼関係を気付く」
■指導者として大切なこと
「僕は表裏のない、素の自分をしっかり出すことを軸としていますね。最終的には、選手たちが『この人のためだったらやってやる!行ってやる!』と、そういうふうに思ってもらえるような信頼関係。そういう事を築く事が大事だと思うんです。」

「目の前の事に全力を尽くせば 道が開ける」
「自分の可能性をしっかり信じて、やる事はやる。そうすると道が開ける。どんな姿になるかなんて考えてやってもしょうがない。やる事をやるんです。目の前の事に全力を尽くす人間がその先を選択できると思います。」

松本丈

株式会社夜明け市場 取締役/1982年、福島県いわき市生まれ。
大学で建築を専攻し、不動産業に就職。その後、同郷の親友が立ち上げた、47都道府県の活性化を目指す会社「ヨンナナプランニング」に入社。東日本大震災発生後、仲間たちとともに、故郷いわき市に「復興飲食店街夜明け市場」を立ち上げる。現在、地元にUターンし、夜明け市場の事務局長として現場全般を統括するほか、NPO法人TATAKIAGE Japanの共同理事長として、地域の次世代プレーヤーの育成に取り組んでいる。

「人との繋がりを大切に 福島を盛り上げたい」

「これからの福島には 新しい人たちの受け入れ態勢が必要」
「今、福島はいろんな課題が起こっていて、それを解決していくようなチャレンジができる場所だと私は捉えています。新しい事業を起こしていくとか、そういう人がどんどん増えていくというのが僕は理想だと思っていますし、新しい人を受け入れていく地域や受け入れ態勢そのものがもっと必要なんじゃないかなと。」

「大事なのは“結果で示す、背中で見せる”こと」
「反対される方やマイナスなことを言う方がいるかもしれないけれども、やりたいという思いをもって、どんどん前に進める。その結果で理解してもらうというプロセスがここ4年間ぐらいやってきて、僕はすごく大事だなと感じていて。前を向けた人からどんどん前を向いて進んでいくのが、結果的には全体を底上げすることになるのかなと思っています。」

原田眞人

映画監督/1949年、静岡県出身。
79年『さらば映画の友よ インディアンサマー』で監督デビュー。95年『KAMIKAZE TAXI』は海外でも高い評価を受け、その後『金融腐蝕列島[呪縛]』(99)『突入せよ!「あさま山荘」事件』(02)『クライマーズ・ハイ』(08)など話題作を立て続けに送り出す。11年に監督した『わが母の記』で第35回モントリオール世界映画祭審査員特別グランプリを受賞。最新作『日本のいちばん長い日』が8月8日より公開。

「熱い情熱と冷静な判断で がむしゃらに突き進む」

「俳優の個性を生かした役作り」
■日本映画史上、大きな挑戦となった“昭和天皇を描く”
「昭和天皇に関する手に入る限りのビジュアルなものや映像的なものは見ました。ですからクセをまねようとすればまねる事はできたんです。でも昭和天皇役の本木雅弘さんと打合せをして、『安っぽい芝居はやめよう』と。本木さん本人も『本木雅弘らしさがある程度は出ていいんだ』と。結果として、ものすごく気品のある昭和天皇になったと思う。」

好きな言葉「遮二無二(しゃにむに)」
「何をするにしても、遮二無二やっていくっていうのはすごくいい。そこだけで突っ走っちゃいけないけれど、遮二無二いってダメだったら、じゃあどこから攻められるかを考えてみる。僕は“遮二無二”という言葉が好きですね。」

大和悠河

女優/宝塚歌劇団元宙組男役トップスター。抜群のスター性でファンを魅了し続け、卒業後は女優として『CHICAGO』『細雪』等、多数の主演・ヒロインで幅広く活躍。歌舞伎やオペラにも造詣が深い。2015年8月は舞台『南の島に雪が降る』(8/6~東京・名古屋・大阪・福岡)や東劇にて『大和悠河が語るMETオペラの魅力』(8/30)。
9月には『美少女戦士セーラームーン』でのタキシード仮面役、他数々の出演が続く。また本の執筆でもマルチな才能を発揮。ムック本「SNOOPY」(学研)での連載も大好評。

「オンリーワンの舞台で、人々に幸せを届けたい」

「役を自分のものにして演じる」
「大和悠河としてその役をちゃんと解釈をして方向性を決めるというか、しっかり自分として解釈するというところがまず、必要だなと。大和悠河がやるなら大和悠河らしい、私にしかできないものにしなくてはいけないんじゃないかというのを宝塚時代から思ってまして、それは女優になってからも変わらず大切にしています。」

大切な言葉「大好きって手をつないで歩くこと」
「舞台で演じて、お客様に楽しんで帰っていただきたいと思っていますから、ひとりでも多くの方に『生きててよかった』と、大げさかもしれないけれどもそういうふうに、ちょっと“幸せ”を感じて帰ってもらえる、そんな女優になれたらいいなと思いまして。説明がかけ離れてしまうかもしれないですが、“大好きって手をつないで歩くこと”イコール“幸せ”ということなのかな、と思って。」

樹林伸

小説家/1962年東京都生まれ。
早稲田大学政治経済学部卒業。87年講談社に入社し、少年マガジンの編集者として漫画編集に携わる。独立後も漫画原作者として数々のヒット作を手がける。代表作は『金田一少年の事件簿』『探偵学園Q』『クニミツの政』『エリアの騎士』『BLOODY MONDAY』『神の雫』など他多数。また、亜樹直、天樹征丸、安童夕馬、龍門諒など多くのペンネームを持つ。小説の執筆も行い、「小説 野性時代」(KADOKAWA)で『ドクター・ホワイト』が連載中。

「常に“楽しむ”気持ちを忘れない」

「“漫画”と“小説”の作り方の違い」
「初めて長編小説を書いて、“小説って奥に入っていく仕事なんだな”というふうに感じたんですね。漫画というのは横に広げていく部分が多いんですけど、小説というのは中に深く潜っていくような作業ですね。取材も含めて。つまり内面描写を書くシーンがすごく多くなるし、細かいところも取材したものがかなり活かせるんですよね。」

「楽しんで仕事をすれば、面白いものができる」
「どんなことも、楽しんでやることが大事なんですよね。例えば漫画は読んで楽しいと思うもの、面白いと思うものなんだから、楽しんで作らなきゃダメですよね。ワインもそうです。“何を飲むか”よりも“誰と飲むか”の方が大事です。楽しめる相手と飲まないと、少しもおいしく感じない。食事もそうですよね。すべてそうだと思います。」

酒井美紀

女優/静岡県生まれ。
95年、映画『ひめゆりの塔』『Love Letter』で、第19回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。96年、ドラマ「白線流し」で注目を浴びる。97年の映画『誘拐』で、第21回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。また、同年の映画『愛する』で、第10回日刊スポーツ映画大賞新人賞を受賞。2007年から「ワールド・ビジョン・ジャパン」の親善大使としても活躍中。7月16日スタートのテレビ朝日系ドラマ「最強のふたり~京都府警 特別捜査班~」(毎週木曜よる8時)出演中。

「今この瞬間にやれる事を精一杯やる」

「“暮らしの中で沸き立つ感情”を心にためておく」
「普通の日常生活の中でいろんな感情になりますよね。悲しくなったり怒ったりとかそういうものを日頃からためておくというか。そうすると役の感情になっている時に、スッとその役の気持ちが理解できたりというのがしやすくなるのかなと思ってわりと心がけていることですね。」

「今を大事にする事が、未来へとつながる」
「今この瞬間にやれる事を精一杯やる事がとても自分にとって充実したり心の豊かさになったり、それが積み重なる事で未来になっていくので。今ここにいるのは今までの積み重ねで、そう考えるとやっぱり今この瞬間を大事に生きるという事はとても大切な事じゃないかと思っています。」

鈴木千恵

下駄アーティスト/静岡県生まれ。
インテリアの専門学校を卒業後、靴メーカーに就職。94年以降、塗り下駄職人に学び、下駄の世界に入る。様々な素材を用い、独自に表現した下駄が森英恵氏の目にとまり、2008年東京表参道のオープンギャラリーに展示。09年水戸芸術館で開催された「手で創る-森英恵と若いアーティストたち」に参加。10年から高島屋巡回展にて受注販売を開始。

「楽しむ気持ちを大切に オンリーワンの下駄を生み出し続ける」

「想像力を大切に“楽しい”と思える下駄を作る」
■ユニークなデザインの下駄で注目を集めている鈴木さん
「お客さんが見て楽しんでくれたらいいなとか、自分も作っていて楽しいと思えるものをいつも作るようにしています。絵そのものは、多分小さい頃からの延長線で、想像してものを描く方が好きだったので、子どもの頃から好きだった落書きがベースになって、その延長線で今があるのだと思います。」

「自分の感性を信じて のんびり結果を待つ」
■自分に合っている言葉は“果報は寝て待て”
「売れるものを作ろうというつもりで作っているわけではなくて、自分が思いついたものや好きなもの、楽しめるものを作って、周りの人がどういうふうに評価してくれるかをのんびり待っているような感じなので、“果報は寝て待て”というのが自分にぴったりの言葉かなという気がします。」

舘野泉

ピアニスト/1936年東京生まれ。
1960年東京藝術大学卒業。1964年よりフィンランド在住。81年よりフィンランド政府の終身芸術家給付を得る。02年脳溢血により右半身不随となるが、04年に“左手のピアニスト”として復帰。06年シベリウス・メダル、08年旭日小綬章受賞、12年東燃ゼネラル音楽賞本章ほか受賞歴多数。12~13年には「左手の音楽祭」を開催。今もなお現役として第一線で活躍中。今年11月10日にヤマハホールにて「79歳バースデー・コンサート」が開かれる。

「まず一歩踏み出す そこから新しい世界が始まる」

「困難を乗り越えて“左手のピアニスト”として活躍」
「大変なこと、難しいことというのは両手で弾いてたってたくさんあるわけですよ。両手で弾く音楽がいつもやさしいかというとそうではないし、左手で弾くのだって同じように、“難しい、無理だ“と思うようなこともいつもたくさんあるわけだ。それを乗り越えてというか解決してやっていくというのも面白い。言ってみれば冒険をしているようでね。」

「人生を切り拓くために 大切なこと」
「どういうことになるかわからないからやってみようというのも面白いじゃないですか。とにかくためらっていちゃだめです。自分で一歩を踏み出すんだという、いつでも前に動くというその気持ちがないと何もできないから。まず一歩踏み出すということ、そしたら他のことは後からついてくるんです。」

野村又三郎

能楽師狂言方/1971年、愛知県出身。
重要無形文化財総合指定保持者。故・野村又三郎信廣の嫡男。東京藝術大学卒業。1976年に初舞台。松尾芸能賞新人賞、名古屋市芸術奨励賞、愛知県芸術文化選奨文化賞などを受賞。皇太子殿下【御成婚奉祝能】や皇后陛下主催【御前演奏】、映画【ラストサムライ】の劇中劇や【愛知万博】の開会式に脚本・演出・演技指導・出演で参加。2011年に400年余続く家名の野村又三郎を襲名。

「多くの人々へ狂言を広め、未来へ受け継いでいく」

「狂言を生活の中の“当たり前”にしたい」
■伝統芸能の現状について
「能楽という括りでいえば、600年の歴史があって。家(和泉流野村派)の歴史としても400年あって。充分本来は広まっているはずなのですが、どうしても明治維新以降の西洋文化に慣れ親しんだ生活の中では、非常に置いてきぼりになっている感じがあります。これからはもっともっと、江戸時代までのように、狂言というもの、能楽というものが生活の当たり前になるような、そういった位置づけまで高めていきたい。元に戻したいというのが正直な気持ちです。」

「狂言を伝えていくための“鎹(かすがい)”でありたい」
「先祖から自分、そして後世へという時代の“かすがい”でもありますし、舞台から客席に向かっての“かすがい”、また日本から世界に向けての“かすがい”。そういった意味で、いつも何かそこのキーパーソンになれるような存在でいたいというのを心がけています。」

佐藤浩市

俳優/1960年東京都生まれ。
多摩芸術学園映画学科に在学中、NHKドラマ『続・続事件 月の景色』で俳優デビュー。翌年出演した『青春の門』で注目され、ブルーリボン賞新人賞を受賞。以降、映画やテレビドラマへの出演を重ね、『忠臣蔵外伝 四谷怪談』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、『ホワイトアウト』『壬生義士伝』で同最優秀助演男優賞に輝く。2015年6月20日(土)より、主演作『愛を積むひと』が公開。

「常に チャレンジングな仕事に挑む」

「映画の中で、佐藤さんが掲げたテーマ“許す”」
「“許す”というものが自分の中で大きくなっていったんで、人を許すということ、それが結局自分自身に対してどういう形で戻ってくるのか。それもひとつの愛を積むことだなと思ったんですよね。(許すことは)難しいですね。やはり、なかなか若い時にはできないことであっても自分自身のモチベーションを変えていかないといけないものというのも確かにあるというのを、天国にいる樋口可南子さん演じる良子さんは伝えたかったんじゃないかなと、僕自身は感じたんですけどね。」

「“守破離”の流れで自己を確立していく」
「ベーシックなものは守りつつ、それを破るほど研鑚(けんさん)して、そしてそこから離れて自己を確立する。昨日今日で自分が作り上げられるわけでもないし、自分が経験したこと、それから新しいものを生み出して自分自身を確立するということですよね。」

篠田恵里香

弁護士/男女トラブルをはじめ、債務整理、交通事故問題などを得意分野として多く扱う。また、離婚等に関する豊富な知識を持つことを証明する夫婦カウンセラー(JADP認定)の資格も保有している。外資系ホテル勤務を経て、新司法試験に合格した経験から、独自に考案した勉強法をまとめた『ふつうのOLだった私が2年で弁護士になれた夢がかなう勉強法』(あさ出版)が発売中。

「弁護士として 人々の気持ちに寄り添っていきたい」

「依頼者に寄り添い、話を引き出す」
「弁護士という肩書きだけで相当話しづらいとか緊張してしまう方が多いんですけど、まずは家族のように心を開いて、話したいことは話していただくということがひとつですね。弁護士に依頼するまでにも相当悩まれてからご相談に来る方が多いので、その日のご相談だけでも気持ちが軽くなっていただけるようなアドバイスを、ということを心がけています。」

「“もうダメだと思ってからあと二回頑張る”ことで、壁に立ち向かう」
「“選択肢がない”と思ったら諦めてしまいそうな心が当然あると思うんですけども、あと一回頑張ったら変わるかもしれない。もう一回頑張ってもダメだったら“もうダメだ”とさすがに思うんですけども、それでもあともう一回だけ最後に頑張ってみようというところで、人生の結果って変わってくるところがすごくあるんですね。あと一回もう二回目頑張ったら結果が大きく変わることってあると思うので、もうダメだと思っても諦めないで、あと二回頑張るというのが自分の座右の銘と思っています。」

雅姫(まさき)

モデル・デザイナー/学生時代にモデルデビュー、多くのファッション誌、CM等で活躍。結婚出産を機に、キッズ&レディスウェアの店「ハグ・オー・ワー」と暮らしまわりを提案する「クロス&クロス」の2店舗を東京自由が丘にプロデュースし自らデザインも手がける。2003年初の著書「私の好きな暮らしのかたち」(集英社)が18万部の人気に、その後30冊近い著書を発表し続けている。現在ではモデル、服、雑貨のデザイン、空間プロデュース、出版等、幅広い活動をし、そのライフスタイルは女性の憧れとして人気を博している。

「いつも明るい心で、すべてのことに楽しみを!!」

「“日々の生活”から仕事のヒントを得る」
「全てに共通するのは、楽しみながらとか興味を抱くことであって、休みの日でも、例えばお花屋さんに行ったりとかカフェに行くだけでも“この内装素敵だな”とか“お花が綺麗だな”とか、それが少しでも仕事に繋がっていると思うんですね。」

「“いつも心に太陽を”の気持ちで、日常を華やかに」
「うちの旦那さんがよくニコニコしながら言っている言葉なんですけど、人生上手くいくことばかりじゃないですし、皆さんつまづいたり色々あると思うんですけど、芯をしっかり自分で持っていて心の中でいつもニコニコ笑えるように。そういう気持ちを持っていればいいのかなと思います。」

上橋菜穂子

作家/1962年東京都生まれ。川村学園女子大学特任教授。文化人類学専攻、オーストラリアの先住民アボリジニを研究。1989年『精霊の木』で作家デビュー。著書に、『精霊の守り人』をはじめとする「守り人」シリーズ、「獣の奏者」シリーズなどがある。海外での評価も高く、2014年、“児童文学のノーベル賞”と称される国際アンデルセン賞<作家賞>を受賞。『鹿の王』で2015年本屋大賞、第4回日本医療小説大賞を受賞。

「豊かな想像力で 壮大な物語を紡ぐ」

「読者に 物語の世界を生きてもらいたい」
「“本を読む”という感じではなくて。(本の)中に吸い込まれてしまって、そこで食べ物を食べて、その土地の匂いを感じて、主人公と一緒に生きた感じになる。本を閉じた時に『あれっ、今まで自分はどこにいたかな?』と思うような感じ。そういう物語になってくれたらいいなと思って書いていますね。」

「一つの見方に“とらわれない”」
■文化人類学者でもある上橋さんが大切にしている事
「『私が今考えている事は、あくまでもたった一つのものの見方だ』という事を、常に考えていたいなと思っていて。その立場にとらわれない。その視点にとらわれない。そういう事が、心のどこかにありたいと思っています。自戒を込めてですけどね。」

寺門和夫

科学ジャーナリスト/1947年生まれ。早稲田大学理工学部卒業。長年にわたって宇宙開発、天文学、惑星科学などについて取材・執筆を行っている。現在、財団法人日本宇宙フォーラム主任研究員、宇宙航空研究開発機構機関誌『JAXA’s』編集委員、なども務める。主な著書に『宇宙から見た雨 熱帯降雨観測衛星TRMM物語』『超・絶景宇宙写真』『ファイナル・フロンティア:有人宇宙開拓全史』『〔銀河鉄道の夜〕フィールド・ノート』がある。

「未来のため日本の宇宙技術を伝えたい」

「宇宙開発は、“地球環境を守る”役割も果たす」
「宇宙開発のもうひとつの側面は、地球のために役に立つということですね。いま台風がどこにいるかとか、それから世界のどこで干ばつが起こっているとか、そういったこともすべて地球を回っている地球観測衛星によって情報が得られる時代になりました。そういった意味では、宇宙というのは、地球の環境を守ったり、防災という観点でも非常に今大事な存在になっているということもありますね。」

「“THINK”常に自分で考える」
「パソコンを持っていたり、スマートフォンを持っていれば、知りたい情報っていくらでも簡単に出てきてしまいますね。果たしてそれが正しい情報なのか、あるいは自分にとって一番知りたい情報なのか、そういったことを判断しないで使っているケースが結構多いんですね、私も含めて。だけどやはりその時に、今情報がこれだけ溢れているからこそ、何が正しいのか、あるいは何が自分にとって一番大事なのか、そういったことを自分で考えてみるということが大事なんじゃないかと思いますね」

前田冨佐男

茶匠/1959年静岡県生まれ。慶応義塾大学法律学科卒。祖父の代から続く茶問屋を継ぎ、現在(株)前田金三郎商店代表取締役社長。創業100年。1990年全国茶審査技術競技大会第37回優勝。2002年テレビ東京『TVチャンピオン』第1回お茶通選手権優勝で一躍有名に。2004年第1回日本茶インストラクター・インストラクションコンクール優勝。日本茶の魅力を広めるため、「お茶の淹れ方教室」等を積極的に行なっている。

「新たなブレンドを探求し未来へお茶を繋げる」

「ブレンドする事で お茶は味わい深くなる」
「例えば“ユタカミドリ”という品種は、焙煎しますと、焼き栗のような香りがします。それから“ヤマカイ”というのは、マヨネーズのような酸味がある味や香りがするんですけども、これを少しだけブレンドすることによって、お茶の味のふくらみが非常に増してくるんですよね。単品だけ飲むと『えっ』というような味がするものも、ちょっと入れると非常に味わい深くなる。これがお茶のブレンドの妙味だと思います。」

「お茶を広めていくために必要な事」
「今までのブレンドの技術を活かした、新しいブレンドというのがこれから必要になってくると思います。抹茶ラテの味のするお茶とか、レモングラスとミントの入ったレモネードの味のするお茶とか、こういうようなものを新たに開発していく。紅茶ではよくやりますよね。日本茶でも、合うハーブを加えていけば、皆さんが楽しめるような製品というのはまだまだできるんですね。」

本田よう一

料理家/1983年福島県生まれ。高校卒業後、栄養士の専門学校に進み、栄養士の免許を取得。卒業後は独学で料理写真を学び、フリーカメラマンとなる。2006年からは料理家として仕事を開始。野菜をたっぷり使い、素材の味を活かしたレシピを得意とし、家族みんなで楽しめる味付けに定評がある。あったかふくしま観光交流大使としても活動。また、「ふくごはん」というウェブサイトを立ち上げ、“福島の食材”を使ったレシピを公開。雑誌『オレンジページ』やテレビなどのメディアで活躍中。

「お料理で人々の生活を楽しくしたい」

「常に“レシピを見た人が作りたくなるような料理”を目指す」
「僕らが作って美味しいというのはもう必要最低限のことなので、見ただけである程度再現できそうなものだったり、味の想像がついたり、そこから誰かが作りたくなる気持ち、誰かに作ってあげたくなる気持ちを作れるようなレシピやお料理を作っていければと思っています。」

「“作る人にも優しく 食べる人にもやさしい”レシピ」
「お料理っていろんな特性があると思うんですね。栄養素の面があったり、家族団らんの面があったり。でも誰かしらがご飯を作らなくてはいけないし、その人がより楽しい気持ちで作れば、食べる人みんなが楽しく生活できると思うんですね。しかも1日3回食べますからね。それがみんな楽しかったら、もっと楽しく生活できるかなと思っているので、そういったことをお手伝いできればと思います。」

辛坊治郎

ニュースキャスター/1956年鳥取県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、読売テレビに入社。アナウンス部に配属され、報道局情報番組部長、報道局テレビ報道解説委員長などを歴任。テレビやラジオでのニュース解説など多方面で活躍中。現在はシンクタンクである大阪綜合研究所の代表を務める。著書に、2012年『辛坊訓 日々のニュースは教訓の宝庫』(光文社)、最新刊『ニュースで伝えられない この国の真実』(KADOKAWA)などがある。

「情報の“原点”に迫り、正しい情報を伝えていきたい」

「時事に鋭く切り込むコメントの裏側」
「これは切り口があるように見せているだけで、単にニュースに興味を持ってもらうための手法であって、ニュースの本体は全くいじっていないですよ。私がしゃべっていることって、テレビの印象だと“過激なこと言いますね”とか“強いこと言いますね”とか“そこまで言いますか”という反応をされる方が多いんですが、本当は実は何も言っていない。これが理想形なんですね。」

「自分への戒めにしている言葉“花のことは花にきけ”」
「この商売をやっていると、本当に情報を知っている人にあたらないと、事実の原点にあたらないと、正しい情報は伝えられない。花のことを“感じたい”“伝えたい”“見たい”と思うなら、花に聞かないとわからない。心の中には常にそれがありますね。」

種本祐子

ヴィノスやまざき取締役 社長/静岡県生まれ。1987年、実家である「やまざき酒店」に就職。翌年、本格的なワイン販売へ乗り出すため、「株式会社ヴィノスやまざき」設立。90年、日本ソムリエ協会認定ワインアドバイザーになり、93年にはカリフォルニアワインマスターコンテスト優勝。翌年、現地の生産者の元に直接買付けに行くスタイルで、初輸入のフランスワイン1万本が1カ月間で完売。現在、定期的なワインセミナーの実施、東京をはじめ首都圏に直営店の経営等、「蔵直」ワインを独自に展開。

「“For Others”の精神でワインの魅力を届けたい」

「現地に足を運び、“厳選したワイン”をお客様へ」
「ワインのラベルからでは分からないもの、作っている人たちの思いとか姿勢とかそういうものは現地に行ってみないと分からないんですね。農業の現場を見て、土を見て、そしてぶどうの畑を見て、お客様に安心してお届けしたいという思いで現地に行っています。」

「“利他 For Others”の心をもって」
「自分のためにではなくてお客様のために、相手の方のために働こうと。これが私にとってもいつも迷った時に戻る言葉です。これは、おそらく創業のときからのお客様のためにというヴィノスの企業理念とずっと変わらないんじゃないかと思っています。」

尾崎勇気

元関脇 隆乃若/1976年長崎県生まれ。92年鳴戸部屋入門、99年夏場所新十両、同年九州場所新入幕。2001年初場所新小結、同年夏場所横綱武蔵丸を破って初金星を獲得。2003年初場所新関脇に昇進、2007年秋場所惜しまれつつ引退。現役時代には、敢闘賞を3度受賞しており、その実力はさることながら、均整のとれた体格と美丈夫で人気力士であった。現役引退後は、キャスターとして活躍中。

「日々の“稽古”の積み重ねが強い自分を作る」

「日々の稽古を信じて 自分を奮い立たせた」
■現役時代、取組に臨む前の心境について
「当然緊張感があります。あと、大ケガするかもしれないという恐怖感もあるんですよね。私は新弟子の頃から引退するまで、そういった気持ちが消える事は一度もなかったです。その恐怖感、緊張感に打ち勝つにはどうしたらいいかと考えた時に、『やるだけやったから大丈夫なんだ』という稽古の裏付けしか、それに打ち勝つことはできないんですよね。ですから私は本場所の一番に臨む前には、『じゅうぶん稽古やったんだ』と言い聞かせていました。」

「努力の積み重ねが 結果を生む」
■引退後に実感した“何事も稽古”
「力士の頃は当然、土俵で体を鍛えることが稽古だったんですけれども、力士をやめて、いろんな仕事をする中で、『稽古が必要でない仕事なんて無いんだ』と実感しました。ただ稽古の内容が違うだけで、何か結果を出すためには、常に日々の努力、積み重ねが大事だと痛感しています。」

高橋博之

日本食べる通信リーグ 代表/1974年岩手県花巻市生まれ。06年2月の岩手県議会議員選挙に無所属で立候補、初当選を果たす。政党や企業、団体の支援を一切受けず、草の根ボランティア選挙で組織の壁に風穴を開けた。2011年、岩手県知事選に出馬、次点で落選。被災地270キロを徒歩で遊説する前代未聞の選挙戦を展開した。2013年3月にNPO法人「東北開墾」設立。7月「東北食べる通信」創刊。現在2014年に創立した「日本食べる通信リーグ」代表を務める。

「“都市と地方をかきまぜる!”新たなビジョンを伝えたい」

「“食べる通信”に込めた思い」
「いま食べる人たちから作る人たちの顔が見えない。一番大事な食べ物を作っている人の思いだとか、言ってみれば育ての親なのでどんな思いでその子育てをしたかという思いに触れた方が、食べた時に美味しくなるはずなので。そうすればもっと一次産業が評価されるだろうし、食べる物作る人と食べる人が友達になってほしいなと思って。」

「高校時代に知った“至誠、天地を動かさん”」
「誠の心は人の心を動かし、やがて天をも動かすという意味なんですけど。僕は最後理屈じゃなくて情熱というか、“ひとりでもやる”という姿勢が人に伝わって行くと思っているんですね。食べる通信を始めた時も最初は一人でやっていましたけど、誰も相手にしてくれなかった。でもいまはこういう形になってきているので、死ぬまでそういう思いでいたいなというふうに思います。」

浅野史郎

前宮城県知事/1948年生まれ。仙台市出身。東京大学法学部卒業後、厚生省に入り、老人福祉、年金、障害福祉などキャリアをつむ。北海道庁福祉課長への出向、厚生省障害福祉課長就任で障害福祉の仕事に出会い、ライフワークとの思いを抱く。1993年から3期12年間、宮城県知事を務める。2006年慶應大学総合政策学部教授。2009年にATL(成人T細胞白血病)を発症、造血幹細胞移植を受け、11年5月に復帰。現在、神奈川大学特別招聘教授。

「“足下に泉あり”の精神で地域を変える」

「関わり合う事で地域が変わる」
■障がいをもつ子どもたちと地域をつなぐ活動“ぷれジョブ”
「(障がいをもつ子どもたちが)1週間に1時間だけ、その地域の中の事業所で仕事をするんですね。“ジョブサポーター”という地域の中の普通のおじさんおばさんが見守りだけをする。ラーメン屋さんでは餃子作りを手伝わせてもらったと、(障がいをもつ子どもたちは)生まれて初めてのことですから、嬉々としてやっていて。ジョブサポーターの人も生まれて初めて障がい者と関わったと。私はそれによって、地域が変わるんじゃないかと。」

「目の前の事に集中して取り組めば 良い結果が待っている」
■人生の指針は 哲学者の言葉“足下に泉あり”
「自分の足下の土を掘っていったならば、美味しい水が湧いてくる。それは“他のことは考えるな”という事だと受け止めています。置かれた立場というのをそのまま受け止めて、自分の足下を掘っていく。そういうような生き方がいろんな意味で自分の役に立つ。そういう事を実感しています。」

松本志のぶ

アナウンサー/浜松市出身。日本テレビアナウンサーとして17年間、報道、情報、スポーツからバラエティとジャンルを問わず活躍。現在、テレビだけでなく、イベントやクラシックコンサートの司会、読み聞かせコンサートの朗読、「報知映画賞選考委員」など仕事の場を広げている。2011年12月長女を出産。「解決!ナイナイアンサー」(日本テレビ系)、「世界水紀行」(BS日テレ)などに出演中。4月26日(日)「はままつクラシック・カフェ」の進行を務める。

「日々の小さな積み重ねが今の幸せに繋がる」

「“アナウンサー”という仕事に対する思い」
「“声と言葉の職人でありたい”という気持ちを忘れないこと。原稿を読み間違えない、時間内にちゃんと読むとか。きちんとした言葉遣いをするですとか。基礎的なコツコツとしたことをきちんと積み上げていく。これが大切かなと思って心がけてやっています。」

「小さな幸せを噛みしめること」
「仕事もそうなんですけど、なんでも派手なことよりもコツコツ、地味なことを積み上げて行くのが好きでして。小さい喜びとか、小さい幸せを毎日コツコツ積み上げて、それを今に持っていけるような日々を送りたいなと思っています。」

国府弘子

ピアニスト/東京都出身。数々の演奏経験を経てその音色にますます深い情感をたたえ、ジャンルを超越した共演者から熱いラブコールの絶えない、オンリーワンのピアニスト。国立音楽大学ピアノ科在学中にジャズに目覚め、卒業後単身渡米、帰国後1987年デビュー。2015年1月21日に22枚目のアルバム「ピアノ一丁!」をリリース、現在それに伴ったツアー中。http://kokubuhiroko.net

「想いを込めて 心に届くピアノを奏でる」

「“音の持つ力”を信じて」
■2009年から5年間、乳がんで闘病生活を送った国府さん
「音楽家として思うのは、“がん”という言葉の響きが本当に重くて。“がん”という言葉を聞くたびにドキッとするんですね。だから私は“ぽん”と呼んでいました。“ぽん”と呼ぶと勝てそうな病気なんですよね。耳から入る言葉の響きというのがどれだけ精神的に影響を与えるか、身をもって分かったので、ピアノの響きも、耳から入る効く薬だといいなと思ってますね。」

「伝えたい言葉“耳をすませてごらん”」
「耳をすませて音色を味わっていく事が、心に届く演奏をするポイントだと思いますし、日常生活でも全く同じ事が言えるような気がする。相手の言っている事に耳をすませて。良いコミュニケーションというのは、耳をすませて聴く事が鍵かな。」

成島出

映画監督/1961年山梨県生まれ。86年、監督作『みどり女』でぴあフィルムフェスティバル入選。94年脚本家デビュー。04年初監督作品『油断大敵』で新人監督賞を受賞。以降、『フライ,ダディ,フライ』(05)、『孤高のメス』(10)など多くの話題作を手がけている。12年、『八日目の蝉』で日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞。最新作『ソロモンの偽証 前篇・事件』(2015年3月7日)、『後篇・裁判』(2015年4月11日)が公開予定。

「立ち向かう“勇気”が新たな自分への第一歩」

「自然な演技を引き出すために」
「脳みそで考えている間は決してうまい演技は出来ないんですよ。何回も何回もダメ出しして、(役者が)だんだん追いつめられて、“頭の中は真っ白になったけど、身体の中に染み込んでいるセリフが台本どおりにちゃんと出てくる”という状態まで持っていくというやり方でしたね。だから何人かの子供が、“あるシーンでOK出たけど全く記憶がない”という症状がたまに出るんです。」

「“勇気”を持つ大切さ」
「“勇気”を持って前に進む。見てみないフリをするとか、どうしても人間そうなりがちになっちゃうんですけど、それでも立ち向かっていく“勇気”。そこからいろんなことが、大事なことが生まれてくると思う。出会いだったりとか、人と人との繋がりだったりとか。」

山郷のぞみ

元女子サッカー日本代表/1975年埼玉県生まれ、本庄第一高校卒業後に現・伊賀FCくの一や浦和レッズレディーズ等に在籍。1997年に代表入り以降、日本代表戦96試合に出場し、なでしこリーグでは前人未到の326試合ゴールを守り抜いた。2011年のドイツW杯代表に選出され、チームの精神的支柱となり、悲願のW杯初優勝に貢献し国民栄誉賞も受賞した。2014年12月に現役引退を発表し、今春から成立学園GKコーチに就任した。

「強い“心”をもって チームを支える」

「常に意識していたのは “チームのために何ができるか”」
■北京オリンピック代表からの落選など、挫折も味わってきた山郷さん
「落選はすごくショックだったんですけど、そこのチームの一員には変わりなかったし、バックアップメンバーとしては選ばれていたので、“そこで自分に何ができるのか”。一緒に戦ってきた仲間達もいるので、その人たちと最後まで戦おうという気持ちで臨みましたね。」

「“心”が強いゴールキーパー」
「1つのプレーでゲームを崩してしまったり、(流れを)変えてしまう事が多い中、それを何事もなかったかのようにプレーするってすごく大変だと思うんですよ。芯が強い、メンタリティが強いゴールキーパーになりたいと思っていて、そういうのを心に留めてプレーしていました。」

石田巳賀

華道石田流 次期家元/金城学院大学文学部国文科を卒業後、名古屋造形大学大学院造形研究科先端表現修了。古典的ないけばなから現代アートまで幅広く学ぶ。愛知県芸術劇場の舞台装飾花を手掛けたり、「あいちトリエンナーレ2010」への出演、金沢21世紀美術館への招待出品など、多ジャンルとの総合芸術を中心に創作。2015年4月15日、名古屋市千種文化小劇場「Ce n’est pas mauvais! 悪くない Improvisation LIVE」に出演。

「“花は心”の精神で 世界を魅了していく」

「世界に誇れる芸術作品 “いけばな”」
「フランスでお華をデモンストレーションする機会がありました。その時に世界中の人が集まる大会だったのですけれども、色んな国の方が生け花を不思議そうに眺め、私の説明を不思議そうに聞いていたんですね。生け花というものは、今でも世界を魅了している素晴らしい芸術のひとつなのかなと思っております。」

「心の重要性」
「(生け花は)ものすごく集中しなければいけないんですね。葉の一枚一枚が作品の一部、それが本当に美しく見えるように、花の少しの向きだけでも全然表情が変わってしまうのです。そして、花を咲かせる為には心が必要ですね。心というものはとても大切なものだと考えております。」

川口マーン惠美

作家/1956年、大阪府生まれ。ドイツ・シュトゥットガルト在住。日本大学芸術学部音楽学科卒業。シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。90年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓し、その鋭い批判精神が高く評価される。『ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか?』(祥伝社新書)、『住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち』(講談社+α新書)など著書多数。

「海外から見た日本を伝えていきたい」

「調和を大事にする日本」
■ドイツ在住の川口さんが感じる日本の良さ
「サービス業が日本はすごく高度に発達しているんですけれど、その根本のところが、お客さんに快適な思いをしてもらいたいという思いやりが入っているんですね。それが入っているサービスと入っていないサービスというのは大きく違うんです。ちょっと自分が損をしても、みんなで仲良くやっていければいい。調和を大事にするというのが日本の特色だと思うし、それが無くならないでずっとあればいいなと思っています。」

「好きな言葉“果報は寝て待て”」
「“果報”というのはご褒美という意味ではなくて、“果”というのは何か一生懸命自分がしたあとにそれが良いように出ること。“報”というのは悪く出ること。自分が一生懸命努力したら、あとはじたばたしないで待ちましょうということで、すごく好きな言葉なんです。」

中西哲生

スポーツジャーナリスト/1969年愛知県生まれ。同志社大学経済学部卒業後、Jリーガーとして名古屋グランパスエイト・川崎フロンターレで活躍。名古屋時代は、現イングランド・プレミアリーグ「アーセナル」の監督であるアーセン・ベンゲル監督のもと、天皇杯優勝。川崎では99年、キャプテンとしてチームのJ2優勝・J1昇格に貢献した。引退後はスポーツジャーナリストとして、テレビ・ラジオを中心に活動。毎週月曜〜金曜6:00〜9:00よりJFN38局で「中西哲生のクロノス」が放送中。

「日本らしいサッカーが 世界を制する」

「様々なモノにふれて 自分の糧にすることが大切」
自分が何かを話す時に、より多くの選択肢から話せるように、普段からいろんなモノを見たり、聞いたり、いろんな人に会ったり、いろんな場所に行ったりということを、より多くするように心がけています。より沢山のモノを見たり、聞いたり、話したりすることによって、自分の表現方法は豊かになると思うので、常に『新しい人に会う』『新しい場所に行く』『新しいモノを食べる』という事を意識しています。

「“日本らしさ”を追求することが 優勝へのステップ」
「日本がワールドカップで優勝するために自分に何ができるか。そのためにはもっと日本のことを深く掘らないといけないと思いますし、それと同時に、すべての論理や戦術や技術などに、“日本らしさ”というものをどう内包させていくかというのが重要だと思っています。それをいかにうまく選手たちに伝えるか、日本のサッカーの中に体現させるために自分は何をすべきか、ということを考えています。」

辻口博啓

パティシエ/1967年石川県生まれ。クープ・ド・モンドをはじめ、世界の洋菓子コンクールで優勝経験を持つ。2013年パリで行われた世界最大のチョコレートの祭典「サロン・デュ・ショコラ」にて最高評価「5タブレット+星」を獲得。モンサンクレール(東京・自由が丘)をはじめ、コンセプトの異なる12ブランドを展開、近年ではサプリメント機能を備えたショコラや砂糖不使用のショコラなど「健康」をテーマに商品開発を行うなど、常に新しいものを打ち出している。

「“和”の心をもって 世界に挑み続ける」

「常に挑戦者であり続けたい」
■国内外のコンクールで数々の優勝経験を持つ辻口さん
「昔話をするようになったら、僕が引退するときだと思ってるんですよ。だから、世界の舞台で常に勝負する。チャレンジャーとして世界に出て行きたい。そういう思いがあるんです。」

「“和を以て世界を制す”の精神」
「おもてなしの心であるとか、すばらしい文化を持った国というのは、本当に世界でも誇れる国だと思うんです。“和を以て世界を制す”というのをしっかり実行していく。それが僕のライフスタイルですね。」

青木良太

陶芸家/1978年富山県生まれ。岐阜県土岐市のスタジオで制作を行う。年間約15,000種類の釉薬の研究を通じて、金、銀、プラチナ等、陶芸では通常扱うことのない素材を使用し、美しい作品を生み出し続けている。国内外で開催される多数の個展を中心に、現代美術のアートフェアへの参加や、他分野とのコラボレーションも行うなど、陶芸の魅力を世界に伝えている。陶芸家を志す学生や若手陶芸家を集めた交流イベント『夏のイケヤン★』等、陶芸界の活性化となる様々な活動を積極的に行っている。

「“絶対やってやる”精神で陶芸を世界中に」

「自分が欲しいものを作りたい」
■陶芸の新たな表現を生み出し続けている青木さん
「ただ単に、自分が欲しいものを作っているだけなんです。歴史上に見ても自分が欲しいものが無かったから、自分の欲しいものを作ろうと思って。(例えば)ワイングラスを陶器で見たこと無いじゃないですか。世界中で作れる人が誰もいなかったんですね。でも僕、『絶対金のワイングラスが欲しい』と思って。『自分が欲しいから絶対作ってやろう』と思って、2年研究したらようやく出来た。」

「諦めずにやり続けることが大切」
■漫画「スラムダンク」からの言葉“諦めたらそこで試合終了ですよ”
「自分の作りたい作品、ワイングラスとかもそうじゃないですか。諦めたらできなかったわけですし。やっぱりやり続けることで、答えが見つかるんじゃないかなと思って。やり続けさえすれば失敗じゃないっていうことですもんね。」

原志保

美容家/1969年生まれ、愛知県出身。モデル、加圧トレーニングインストラクター、エステティシャンの経歴をもとに、お肌と身体のトータルビューティスタイルを提案。ファスティングマイスター、ダイエットアドバイザーなどの資格を生かし、
外側だけではなく内側からのケアとして、老けない食生活についてのコーチングを行う。商品の企画、プロデュース販売なども手掛けており、著書に『美ハラシェイパーで骨盤ダイエット』(セブン&アイ出版)などがある。2児の母。

「輝く美しさは 強い志から」

「骨盤を整えて 理想的な身体を目指す」
■大学で美容や健康について指導している原さん
「骨盤がゆがんだ状態で歩くと、後々に腰痛になったり、膝が痛くなったりしますし、ゆがんだ状態でトレーニングをすると、ゆがんだ状態で筋肉がついてくる。今の子たちはスマホをやったり姿勢がすごく悪いんです。骨盤を正すことによって姿勢も良くなりますから、まずはそこをちゃんとしてからウォーキングやダンスのレッスンをするというプログラムを組んでいるんです。」

「大切なのは“志を抱いて進む”こと」
「私自身名前が“志”(こころざし)を“保”(たもつ)と書きますけども、自分を振り返ってみると、夢に向かって進んでるなと思うんです。キラキラ輝いている人たちはみんな目標や夢があるなと思うので、この言葉を選びました。」

河村雅隆

名古屋大学大学院 メディアプロフェッショナルコース 教授/1975年、東京大学経済学部卒業。同年、NHKに入局。報道局報道番組部、特報部などで、主に「NHK特集」を制作。NHKエンタープライズ、国際メディアコーポレーション(ロンドン・ニューヨーク)などで、スペシャル番組や国際共同制作、放送の海外発信を担当。2010年から現職。著書に『ドキュメンタリーとは何か テレビ・ディレクターの仕事』、『テレビは国境を越えたか ヨーロッパ統合と放送』(ブロンズ新社)など多数。

「仕事もプライベートも人の繋がりを大切に」

「大事なのは…“人間力”」
「(人間力を高めるには)自分に課題を与えていく事。自分が新しい事をやろうと思わないと人間はなかなか成長しないんじゃないかなと。それから一回出来上がった自分というのは、ずっとそのやり方を守ろうとする訳ですけれども、もう一回それを壊して新しいモノ(自分)を作っていこうと。僕はよく“下りのエスカレーターを昇るようなもの”だと人生も仕事も。常に新しいエネルギーを加えていかないと今の位置だって維持できない訳ですね。」

「“感動”とは人間の内部ではなく人と人の間に存在するもの」
「人間一人では何もできない訳ですね。仕事というのは人を動かしていく事だと。人間の感動とか気持ちは人間の内部ではなく、人と人の間に存在するんだと。放送の仕事も同じで、自分が調べてこれだけは伝えたいという気持ちを自分の中にだけ感動を留めているだけじゃなく、見る人・スタッフの間・取材先との間においてそれを定着させていこうと。これは僕の好きな言葉ですね。」

ミサコ・ロックス

コミックアーティスト/法政大学在学中に、ミズーリ州トルーマン州立大学に留学。2006年処女作「Biker Girl」を出版。2007年自伝的恋愛コミック「Rock and Roll Love」を出版。NY公立図書館のベスト・ティーン・ブックスに選出。日経ウーマンの“ウーマン・オブ・ザ・イヤー2010”の1人に選出。2014年、エッセイ「理由とか目的とか何だっていいじゃん! チャレンジしなくちゃ後悔もできない! ニューヨーク流 自分を解き放つ生き方」を出版。ameblo.jp/misakorocksでブログコミック配信中。

「“成せばなる”の精神で前へ出よう!」

「「もっと前へ!」の精神で」
「後悔っていうのは何かチャレンジしてからじゃないと後悔っていう事にならないと思うんですね。マンハッタンに住んでいると、日本の人たちって潜在能力がすごく高いなと。手先は器用だし心配りできるし、プラスになる事がたくさんあるのに、結局それを生かせないまま留学をやめて帰って来ちゃう人とか結構見るんですよ。だからもっともっと空気とか読まなくて前に出ちゃってもいいと思うんですね。」

「自分を知る事が“成せばなる”への1歩!」
「本当に努力して自分のやりたい事をやれば必ず目標を達成できる能力は、みんなそれぞれ潜在能力の中にあると思うんですよ。だからこそ自己分析とかリサーチを固めていって勝負していけば絶対“成せばなる!”に近づけるはずです。」

諏訪綾子

フードアーティスト/1976年 石川県生まれ。2006 年よりfood creationの活動を開始、主宰を務める。2008年に金沢21 世紀美術館で初の個展「食欲のデザイン展 感覚であじわう感情のテイスト」を開催。食とアートの各領域から高い評価を得る。現在までにシンガポール・パリ・ベルリン・香港・福岡・東京など、国内外で「ゲリラレストラン」を開催し、人間の本能的な欲望、好奇心、進化をテーマにした食の表現を行い、美食でもグルメでもない、栄養源でもエネルギー源でもない新たな食の価値を提案している。

「好奇心の味わいで新たな“食”の価値を生み出したい」

「斬新な表現を続ける理由」
「もしかしたら一生使うこともないかもしれない感覚とか感情をとか誰でも持っていると思うんですね。ですからそういうもののスイッチを入れたりとか、扉を開くような事が出来るんじゃないかなという風に考えていて、それを色んな方法を試行錯誤しながらやっているという感じです。」

「“味わう”事が次の進化に繋がる」
「もっと感覚を研ぎすませて味わう、深く味わう事でそれが次の進化に繋がるんじゃないかという風に考えているんですけれども、好奇心とかを総動員して深く味わう事でその先にある進化というものにすごく興味があるんですね。」

細川珠生

政治ジャーナリスト/1991年聖心女子大学卒。米・ペパーダイン大学政治学部留学。1995年『娘のいいぶん~ガンコ親父にうまく育てられる法』で第15回日本文芸大賞女流文学新人賞受賞。「細川珠生のモーニングトーク」(ラジオ日本、毎土7時5分)は現在放送20年目。元品川区教育委員。文部科学省、国土交通省、警察庁等の審議会等委員を歴任。星槎大学非常勤講師(現代政治論)。著書「自治体の挑戦」他多数。日本舞踊岩井流師範。熊本藩主・細川家の末裔。カトリック信者で洗礼名はガラシャ。

「国民の視点を大切に政治の世界を伝える」

「大切なのは“視点”」
「“女性活躍”ということを安倍政権が始まって以来すすめていますが、そこに出てくる会議にも男性ばかりが議論していることがよくあるんです。それはきちんと女性の声を聞いて進めなければならないという意味では、まだ未開拓なことがたくさんあって社会全体が大変だなという風に思います。」

「乗り越えられない試練はない!」
「“あなただからこそ与えられたことであるから決してできないことではないんだ”ということですね。これは何をするにも私の心の支えかなという風に思っています。」

小椋久美子

元バドミントン選手/1983年三重県生まれ。小学校2年生の時にバドミントンを始める。四天王寺高校に入学し、2001年の全国高校選抜でシングルス準優勝。三洋電機入社後、2002年にはオールジャパン(全日本総合バドミントン選手権)シングルスで優勝を果たす。2008年の北京オリンピックではダブルスで5位に入賞。全日本総合バドミントン選手権では5連覇を達成。現在は解説や講演、子供たちへの指導を中心にバドミントンを通じてスポーツの楽しさを教える活動を行っている。

「“今”を幸せに前向きに生きる!」

「スポーツで精神を養う」
「スポーツを楽しむことで、例えばその先に“自分はこうなりたい”“こういう風な選手になりたい”という風に思ってくれると、自分で目標を見つけて頑張ることまでできると思うんです。(私が)大人になってからも辛いことだったり、何か乗り換えなきゃいけないときに必ずそれ(その気持ち)が支えてくれたというか、救ってくれた部分がありました。」

「“過去”を悔やんだって明るい“未来”は来ない!」
「過去は過去ですごく貴重な経験として自分の中にあるんですけど、あの時があったからと悔やんだりって絶対良い方向に向かないと思っているんです。常に良いことを考えるとういか前向きに考えようというのが今の自分自身。その先に見える未来というのは、絶対良い方向に向くだろうと思います。」

岩瀬大輔

ライフネット生命保険株式会社 代表取締役兼COO/1976年埼玉県生まれ、幼少期をイギリスで過ごす。1998年、東京大学法学部を卒業後、ボストン・コンサルティング・グループ、リップルウッド・ジャパン(現RHJインターナショナル)を経て、ハーバード経営大学院に留学。同校を日本人では4人目となる上位5%の成績で卒業。2008年、副社長としてライフネット生命保険を開業する。2013年6月より現職。主な著書は『ネットで生保を売ろう!』『仕事でいちばん大切な人を好きになる力』など。最新刊は『直感を信じる力』

「仕事は“何をやるか”より“誰とやるか”を大切に」

「仕事で大切なのは“仲間”」
「色んな人に会って、その人たちの価値観や雰囲気などがしっくり来るかどうかに尽きるような気がします。思うんですが仕事ってどの仕事も本質的に変わらないんじゃないかと思っています。どういう仲間と朝から晩まで過ごすのか?そういった点を大事にされた方がいいんじゃないかと思っています。」

「哲人からのメッセージ「得意泰然 失意淡然」」
「うまくいっていない時こそ自信を持って堂々としろと。うまくいっている時は謙虚に淡々とやりなさいと。誰しも良い時と悪い時があると思うんですよ。でも悪い時があるから強くなれるし、必ず循環して良い時って来ると思いますし。そういう風に考えると必ずしも思うようにいかない時でも少し心安らかに前向きに過ごせるんじゃないかなと思っています。」

Ms.OOJA

シンガーソングライター/1982年三重県生まれ。17歳から歌い始め、三重、名古屋のクラブを中心にライブ活動を展開、約10年歌い続けた。2011年にメジャーデビュー。2012年にドラマの主題歌に起用され、ブレイク。人にヒーリング効果を与える声と言われている「1/fのゆらぎ」のシルキーボイスを持ち、卓越した歌唱力とパワフルなライブパフォーマンスで注目を集める。

「“Special One Life”を胸に歌い続ける」

「“歌”は切り離せない自分の一部」
「自分から歌うことを切り離して考えることができなかったんですよね。“あきらめる”という概念がなくて、自然に私の一部として歌う。歌っていくためにはどうしたらいいかなというのはすごく考えてました。」

「奇跡の集まりで作られた“Special One Life”」
「生まれてから今日ここまで積み上げてきた日々というのは特別な奇跡の集まりであって。その中で生まれる出逢いも奇跡の集まりであって。そのひとつひとつが今日まで生きてきた自分を作ってて。だから自分というのはすごく“特別な存在”なんだよというのを常に曲作りやライブで思ってやっています。」

増田セバスチャン

アートディレクター/原宿kawaii文化をコンテクストとするアートディレクター。
演劇、現代美術で活動後、1995年にショップ『6%DOKIDOKI』を原宿にオープン。きゃりーぱみゅぱみゅの美術演出などを手掛け、2014年にはニューヨークで個展を開催。
映画初監督作品「くるみ割り人形」が11/29(土)全国ロードショー。

「“kawaii”アートで未来はカラフル!」

「“色には人生を楽しくさせる力がある」
「色というのはすごく人を元気にさせるエネルギーがあって、例えば髪の毛の色をちょっと変えたり派手なシャツを着たりすると一日がそわそわすると思うんですね。色を用いてちょっとでも送っている生活を豊かにする。人生をちょっと楽しくする。そういうことを僕はアーティストとしてのメッセージとしてやっています。」

「“カラフル”で未来に希望を」
「子供時代に見ていた未来っていうのはすごくいろんな選択肢があって、そこはいろんな色があってそこに向かって進むということがすごく希望だったりしたと思うんですね。いろんな世代もカラフルなものを使うことによってもうちょっと楽しい人生が送れるよと。そういう意味ではいつでも未来はカラフル。そして希望に向かって未来はカラフル。そういう風に僕はいつも考えています。」

北岡哲子

東京工業大学 助教/東京工業大学大学院理工学研究科・機械制御システム専攻及び男女共同参画推進センター助教。2009年、東京工業大学において博士号(工学)を取得。異分野から工学の世界に飛び込み、独自の「癒し工学」を提唱し社会貢献を目指す。工学・心理学・脳科学・芸術を結びつけた学際的研究に従事している。「癒し工学研究会」主査。28歳と25歳の子供を持つ母でもある。

「“癒し工学”で人々の心を健やかに」

「“癒し工学”とは」
「視覚刺激や聴覚刺激などの物理量と、例えば人の感情の癒され具合や心地よい度合い、その関係を解析することが“癒し工学”の基本のパターンです。」

「相反するものを融合させる意味」
「“癒し工学”も『工学』と『癒し』が融合するということが、「そんなことあり得るわけないじゃないか」と言われるのが最初だったので、そういう全く相反する反対の概念と思われるようなことをくっつけ融合させることの意味を感じてやっています。文系も理系も相反するものと思われていますが、そういう相反するものをひとつに融合するということが非常に価値のあることじゃないかと思います。」

開沼博

社会学者/1984年福島県いわき市生まれ。福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在同大学博士課程在籍。専門は社会学。様々な媒体にルポルタージュ・評論・書評などを執筆。主な著書に『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)『フクシマの正義』(幻冬舎)『漂白される社会』(ダイヤモンド社)などがある。

「“ピンチはチャンス”の精神で福島を支える」

「“課題先進国”という事」
「課題先進国“日本”という言い方をします。先進国であるけれど色々な問題を抱えています。そういう意味では被災地の福島というのは、課題先進国“日本”の中でも“課題先進地”なんです。ここで色々やれる事があります。それは実験なのかもしれないし市場の開拓なのかもしれません。そういう捉え方をした時、ここ(被災地)には大きな価値があると思うんです。」

「“危機はピンチではなく“チャンス”」
「社会に危機があると皆そこを起点に社会がダメになったと言います。でも逆で、常に危機がある中でこそ改善する価値があったり外に輸出できるモノが生まれるという風に思うんです。だからこそ私たちはそこから新しい社会づくりができるという考え方をしていく事が求められていると思います。」

天野喜孝

アーティスト/1952年、静岡県出身。15歳でタツノコプロに入社し、アニメ『ガッチャマン』『みなしごハッチ』などのキャラクターデザインを手掛ける。独立後、1987年に、ゲームソフト『ファイナルファンタジー』のビジュアルコンセプトデザインを担当し、若い世代の圧倒的支持を獲得。以後シリーズ全作品に関わる。イラスト、装幀の他に、舞台美術や衣装デザインなど、多岐に渡る活動を続けている。海外でも多数個展を開催し、現在は、熊本市現代美術館にて個展『想像を超えた世界』を開催中。

「想像力を大切に自分の絵を追求し続ける」

「次元の違う世界にトリップしてもらいたい」
■絵を通して表現したいこと
「絵を見た時に、気持ち良くなってもらいたいんですよね。現実ではない世界にトリップしてもらいたいというか。でもそれは、そんなにとんでもない世界ではなくて、共感できる部分を感じてくれたらと思うんですけどね。見た人が、『こういう世界もあるんだ』『こういう世界に行ってみたいな』と、救われれば面白いなと思いますね。そういう世界を表現してみたい。」

「“宇宙”の神秘に救われる」
■創作活動の原点に引き戻してくれるのは“宇宙”
「こうやって普段生活しているんですけれども、パッと上を見ると、月が浮いているんですよね。それが僕にはすごく不思議に見えるんですよ。『ああやっぱり宇宙にいるんだな』と思うと、いろいろあっても『まあいっか』と思っちゃうんですよね。そういう意味じゃ、救われたりするんですよね。『まだまだ知らない部分がいっぱいあって、自分は地面にくっついて何かやっているんだ』みたいな。そうすると、『じゃあやろうかな』って。コツコツと。そこの原点に戻れるというんですかね。僕の場合は。」

青山繁晴

独立総合研究所 社長/1952年神戸市生まれ。慶大文学部中退、早大政経学部卒。共同通信へ入社し事件記者、経済記者を経て政治部へ。首相官邸、防衛庁、外務省などでスクープ連発。ペルー日本大使公邸人質事件の現地取材のあと依願退社し三菱総研の研究員に転身。2002年春、日本初の独立系、すなわち旧財閥や銀行、証券会社のヒモ付きでないシンクタンクである独立総合研究所を創立、代表取締役社長に就任。作家としてロングセラーの「ぼくらの祖国」など。

「自由な精神で日本の未来を担う」

「“縛られないこと”が国益に繋がる」
「常に自由で何者にも縛られない。ただ国益と国民のためにやるんだったら、いかなるお金も受け取っちゃダメです。こちらからモノを言うためには裏でお金をもらっちゃダメ。」

「大切なのは“脱私即的”の精神」
「“私を脱して本来の目的につく”“私を脱して”というのは何とかいい事を言ってウケようとか自分がいい事を言っていると思われたいというのは本来の目的じゃなくて“私”の方なんです。したがって“私”を脱しようと努めつつ本来の目的につくと人生おもしろいよねという意味なんです。」

飯田泰之

明治大学政治経済学部准教授/1975年東京都生まれ。東京大学経済学部卒業、同大学院経済研究科博士課程単位取得退学。財務省財務総合研究所上席客員研究員。株式会社シノドスマネージング・ディレクター。専門は日本経済・ビジネスエコノミクス・経済政策・マクロ経済学。著書には『ゼロから学ぶ経済政策』(角川oneテーマ21)『世界一シンプルな経済入門』(エンターブレイン)『世界一わかりやすい経済の教室』(中経文庫)など多数。

「楽しめる道が成長につながる」

「こだわりは3つくらい」
「こだわりは3つくらいにしてくれと。逆に言うと3つくらいこだわりを持ってくれという話をよくするんです。というのもこだわりが多すぎる人間は付き合いづらいんです。そうすると自分の周りから人が去っていってしまう。これはすごくもったいない。逆に何のこだわりもないと自分の中に方針がないのと同じ事ですから寂しい。」

「迷ったら“苦じゃない方”へ」
「行くべき道に迷ったら自分にとって苦にならない方を選んだ方がいいです。やはり自分にとって向いている仕事をすると自分自身が楽しいから学んでいける。学んでいくと技能も上がっていく。ですから長期的に成長していくためにも自分にとって苦じゃない事をやってください。」

海演隊

演芸ユニット/2010年に“東海地区に演芸を広め隊(たい)”という想いで地元芸人5人によって結成。戦隊ヒーローの ように5色の着物を身にまとい活動している。メンバーは雷門獅篭(落語/レッド)、雷門幸福(落語/ブルー)、雷門福三(落語/イエロー)、小池鱗林(講談/ピンク)、柳家三亀司(江戸曲独楽/グリーン)。

「“笑い”の力で日本を元気に!」

「“海演隊”としての活動」
「5人それぞれの役割が決まってひとつの公演ができる。それぞれが色んなアイデアを出してドンドン色んなことをやっていける状態なんです。「アイツがああいうことやるから、俺はちょっと違うことをやろうかな」とか。だからそれぞれのカラーがだんだんこの後出てくると思います。」

「“笑い”の薬を広めたい!」
「こっちも笑っている姿を見ると元気になる。笑わせている私も向こう(観客)も元気になっている。お互いが元気になっているんです。みんなでバーンと笑うということはすごくストレス解消になりますし、“笑い”という薬を広めていきたいですね。」

越智小枝

相馬中央病院 内科診療科長/東京都出身。東京医科歯科大学を卒業後、インペリアル・カレッジ・ロンドンにて公衆衛生学を学ぶ。3.11をきっかけに災害公衆衛生に興味を持ち、相馬市の仮設健診などの活動を手伝いつつ留学先で研修を積んだ後、2013年11月より相馬中央病院勤務。

「こだわりを捨て、やりたいことに突き進む」

「イギリスから福島に渡った理由」
「現場に行ってみるべきじゃないかと。こちら(福島)に入ってくると決めた時にも福島に偏見を持っていませんでした。もっとこっちの地域には学ぶべき事、発信するべき事がたくさんあるのではないかと思った事がきっかけです。」

「“無一物”ということ」
「『すべてに何もこだわるな』という教えの1つ。役職や形にとらわれずに“本当に自分のやりたいこと”は何かを見失わずにいけたらいいなと思っています。」

福和伸夫

名古屋大学減災連携研究センター長/1957年愛知県生まれ。1997年名古屋大学先端技術共同研究センター教授に就任。2001年には環境学研究科教授となり、2009年副研究科長歴任。2010年減災連携研究センター教授を兼務し、2012年にセンター長となった。主な業績に、体感型振動実験教材を用いた耐震化の理解増進と防災普及啓発で文部科学大臣表彰科学技術賞、触れて学ぶ耐震実験教材「ぶるる」でグッドデザイン賞新領域デザイン部門などがある。

「“我が事感”を心に防災・減災への一歩を進む」

「防災・減災に大事なのは“我が事感”」
「(大事なのは)我が事感です。『自分は自然の中で弱い人間だ』ということをわかっていればいい。『自分は安全な空間にいる』と勝手に思っているんじゃないでしょうか。『自分の命は誰かが守ってくれている』と思っているんじゃないでしょうか。それは全部“他人事”だからです。」

「防災・減災はみんなで一歩ずつ“やるっきゃない!”」
「『やるっきゃない』ということは、愚直にみんなで一歩ずつ行動していく。そういう館がこの“減災館”で、ここの1階・2階は市民に公開しているんです。あらゆる人たちが自発的に防災・減災行動を始める手伝いを一緒になってやっているんです。」

蒼山日菜

切り絵アーティスト/1970年神奈川県生まれ。2000年より、はさみのみで作る“レース切り絵”を始める。2008年、スイスのシャルメ美術館で開催された第6回トリエンナール・ペーパーアート・インターナショナル展覧会で、アジア人初のグランプリを受賞。Newsweek誌「世界が尊敬する日本人100人」に選出された。近著に『蒼山日菜 世界を旅するレース切り絵』(ブティック社)『蒼山日菜が教室で教えている切り絵のコツ』(玄光社)などがある。オスカープロモーション所属。

「楽しみながら 自分の切り絵を追求していく」

「頭の中に 繊細なユートピアを作り出す」
■ファンタジックな世界観を生み出す秘密
「何もないスペースにテーブルと椅子を置いて、ピアノの曲をかけて絵を描く事ですね。繊細なユートピアみたいなものを自分の頭の中に作り出して、それで絵を描いていくんです。完全無菌室じゃないと、絵は描けないですね。」

「大事なのは“才能1% 楽しむ99%”」
「楽しめないと挫折してしまうと思うんです。才能がある・無いという事が重要なのではなくて、“好き”か“嫌い”かという事が重要。どんどん楽しんで自分で追求していく事が大切だと言いたくて、“才能1% 楽しむ99%”といつも言っています。」

中西輝政

京都大学名誉教授/1947年、大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。英国ケンブリッジ大学歴史学部大学院修了。京都大学助手、三重大学助教授、スタンフォード大学客員研究員、静岡県立大学教授を経て、京都大学大学院教授。2012年、退官して京都大学名誉教授。専攻は国際政治学、国際関係史、文明史。『大英帝国衰亡史』『アメリカ外交の塊』『日本人が知らない世界と日本の見方』『賢国への道 もう愚かではいられない』など著書多数。

「大きく深い視野をもって 世界を見つめ続ける」

「世界の流れを総合的に観察して 選択を考える」
「今、いろんな新しい流れが世界に見えております。特にアジアの経済発展とかですね。こういう時代こそ、本当の底流は何なのか。本当に日本が大切にしなくてはならない流れは何なのか。これを見定めることですね。単純に新しい傾向に飛びつくのではなくて、総合的に観察し、選択を考える。これが一番大切だと思います。」

「これからの日本人に必要なものは“大きな視野と深い視線”」
「大きなスパンでモノを見たり、あるいは物事の裏を考えて、その底にあるものは何かという、総合的で非常に成熟した柔軟なモノの見方というのは、まだまだ日本人は達成していない。大きな視野と、それから深いモノの見方。この2つですね。これがやっぱり、これからの日本人に一番求められることではないかと思うんですね。」

熊野善介

静岡大学創造科学技術大学院・教育学部大学院 教授/1955年仙台生まれ。科学教育・教育工学・地学教育などが専門分野で、アイオワ大学で博士号(フルブライトプログラム)、筑波大学で修士号を取得している。学部は宮城教育大学。学部時代にMacalester Collegeへ国費留学。学位取得と同時に静岡大学に移動。平成22年度科学技術分野の文部科学大臣表彰(理解増進部門)、静岡大学卓越研究者、アイオワ大学客員研 究員を経て現職。日本エネルギー環境教育学会現会長。

「“夢”を持って日本の教育に変革を!」

「現代の日本に必要な教育は“STEM教育”」
「エネルギーという言葉の定義は難しいのですが、間違いなくSTEM教育の中心の1つです。エネルギーとは何か?システムとは何か?という事を現代の子供たちはぜひ理解して、将来大変難しい問題を子供たちは自分で選択をしていかなくてはならない時代になりましたので、その訓練を小さな時から繰り返し行いながらより知的な日本人の教育をもっとも望まれているのが現代ではないかと思います。」

「“夢”を持つ事が大切!」
「正解がない様々な課題に立ち向かうためにはバイタリティーと体力と夢を持たないと何も始まらない。「未来は明るい」という夢を持てる子供たちになって欲しいし、私も年をとっても夢を持ち続ける人間になりたいです。」

佐渡島庸平

株式会社コルク代表/1979年東京都生まれ。中学時代を南アフリカ共和国で過ごし、灘高校に進学。東京大学文学部を卒業後、講談社に入社し、モーニング編集部に所属。三田紀房『ドラゴン桜』、安野モヨコ『働きマン』、小山宙哉『宇宙兄弟』などのメガヒットを生み出す。伊坂幸太郎『モダンタイムス』、平野啓一郎『空白を満たしなさい』などの小説にも携わる。2012年に講談社を退社、日本初の作家のエージェント会社である株式会社コルクを設立。

「人生を投資して 漫画の未来を切り開く」

「ビジネスの仕組みを世界基準に」
■作家エージェント会社・コルクを起業した理由
「世界的には、エージェントがついて、作家をサポートするというのがビジネスの流れなんですね。日本以外の国は全部そういう形になっていて、日本の作家というのは、あまり海外では活躍できていない状況なんですね。その理由の一つは、“ビジネスの仕組みが世界と違うからではないか”。そんな仮説を立てて、作家エージェント会社を創業しようと思いました。」

「ベンチャーをやる=“人生を投資する”」
「ベンチャーをやるとはどういう事かというと、お金じゃなくて、自分の時間を、自分の人生を投資しているんだなと。人生は一度きりしかないので、寝かせておくのはもったいないものだと思うんですよ。“人生を投資せよ”。それは、今やっている漫画のキャッチコピーでもありながら、今の僕の生き方のキャッチコピーでもある。そんな風に思っています。」

ヤマザキマリ

漫画家/1967年生まれ。17歳で絵画の勉強のためにイタリアに渡り、フィレンツェの美術学校で11年間油絵を学ぶ。その後、中東、ポルトガル、シカゴを経て、現在イタリア在住。『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)で手塚治虫文化賞短編賞、マンガ大賞2010を受賞。累計900万部の大ベストセラーになる。現在、『プリニウス』(「新潮45」新潮社、とり・みき氏との共作)、『スティーブ・ジョブズ』(「KISS」講談社)ほか、連載多数。

「広い視野を持ってこだわりの漫画を描き続ける」

「漫画を描く=論文発表」
「漫画って論文みたいなモノなんですよ、自分にとっては。論文発表みたいなモノで、文章の代わりに漫画にしている。例えば自分が、本とか書籍とかどこかの情報で得てきた人物がいたとすると、それを肉付けして、自分なりの解釈で、いろんな考証も交えた上、一つの結果として漫画にしたい。昔いた歴史上の中から(人物を)拾い出してきて描いていくというスタイルは、変わらないと思います。」

「“近くにあるものよりも 遠くにあるものを目指す”ことが大事」
「いつも常に意識しているのは、足下の石ころを見つめているとつまずくから、遠くの山を見て歩くという感覚ですよね。遠くを見ようと思っている方が、意外と近くのものにも気持ちが配れる。近くのものしか見てないと、本当それだけにしか視野がいきませんので、それは非常に大事だと思いますね。」

末延吉正

ジャーナリスト/1954年、山口県生まれ。早稲田大学卒業。慶應義塾大学大学院終了。79年、テレビ朝日入社。アメリカ・中東・アジアの特派員を経て、経済部長、政治部長を歴任。フィリピン革命、旧ソ連崩壊、米軍パナマ侵攻、湾岸戦争、アフガン、ソマリア、カンボジア・ボスニアPKO、北朝鮮などの取材にあたった。2004年、政治ジャーナリストとして独立。立命館大学客員教授、中央大学特任教授を経て、今年秋から、首都圏の大学で『政治とジャーナリズム』を講義の予定。

「好奇心を持って現場の事実に迫っていく」

「現場の事実を積み上げ 自分の頭で考えてほしい」
■ジャーナリストを志す人たちへのメッセージ
「自由に発想し、自由に考え、自由に行動する。あまりにも政治的な偏り、偏向というのは、やっぱりあってはいけないと思うんですね。現場の事実に迫っていく、積み上げていく。そういう所を謙虚にやってほしいと思うので、自分の耳で聞いて目で見て、そして考える。そういう事を大切にしてほしいと思っています。」

「好奇心いっぱいに 自分を燃やしていく」
■高杉晋作の言葉“面白きこともなき世を面白く”
「とにかく好奇心が強いんですよ。気持ちも若いですから、何か面白い事がしたい。みんなが恐がってしない事とか、「ダメだ」って言われるとやってみたくなる。好奇心いっぱいに、その瞬間に自分を燃やしていく。そういう自分を見ているのが好きなのかもしれませんけどね。」

為末大

アスリートソサエティ 代表理事/1978年生まれ、広島県出身。男子プロ元陸上競技選手・400mハードル日本記録保持者で、世界陸上選手権の2大会で銅メダルを獲得する快挙を達成。又オリンピックには、2000年シドニー・2004年アテネ・2008年北京と、3大会連続で出場した。2012年に引退。現在、アスリートソサエティ代表理事、執筆、テレビ出演等多方面でスポーツと社会についての活動を広げている。

「大きく考えてどんな悩みも解決する!」

「アスリートとしての経験を“社会問題解決”に生かす」
「アスリートが役に立つパターンでは僕は色んなものがあると思うんですが、やっぱり教育の側面が大きいと思うんですね。本当に苦しいスランプの時に「それにどう立ち向かうか?」とか、「目標をどうやって作るか?」とか、「モチベーションをどうやって保つか?」とか。こういうものを社会に還元していくという色んな世界においての教育者としての役割というのは可能性がもっとあると思います。スポーツの方は、例えばダイエットしようと言うと嫌だけど、「夢中で宝探しみたいなゲーム」をやっていたら運動してダイエットしていましたとか。例えばおじちゃんおばあちゃんがたくさん歩いていて元気になりましたとか。そういう手段で、スポーツ的なものを組み込んでいって社会の問題を解決するというのはありえるんじゃないかなと思っています。」

「苦しいときこそ“Think Big!”」
「スランプとかに入って苦しいとなっている時に、ほとんどは自分の思い込みって言うんですかね。自分がそう見てるから厳しいって事が大きかったんですね。大体スランプから抜ける時には「離れた視点から見る」とか、「時間軸の長い宇宙の話を聞く」とかそういう事をやっていくと「自分が小さい事をやっているな」と思ってきたら、悩んでいた事がバカらしくなってきて、「もう少し大きなビジョンでいこう!」と思う事が多かったんです。苦しいときこそ「Think Big」と意識するようになりました。」

六角精児

俳優/1962年生まれ、兵庫県出身。劇団「善人会議」(現・扉座)の旗揚げメンバー。様々な舞台で活躍のほか、「相棒」シリーズ、「ルーズヴェルト・ゲーム」(14年)などTVドラマに多数出演。映画主演作に『相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿』(09年)。近年の映画出演作は『十三人の刺客』(10年)、『謝罪の王様』(13年)、『超高速!参勤交代』(14年)など。今年1月、六角精児バンド「石ころ人生」で1stアルバム発売。現在、テレビ朝日系ドラマ「ゼロの真実」(毎週木曜21時)に出演中。

「一生懸命に“石ころ人生”を楽しむ!」

「なにごとも一生懸命取り組む」
■ 俳優を続けてこられた理由
「なんとなく(俳優を)やっていたら、気がついたら30くらいになっていたんです。困ったなと思っても、大学も途中で辞めちゃってるし、資格があるわけでもない。(でも自分は)“手を抜く”ということが分からないので、どんなことでも一生懸命はやっていたんです。一生懸命やっているところを見ていてくれた、若い時分のプロデューサーの人がいて、その人が思い出して使ってくれたりした。毎日毎日自分なりに精一杯生きていくと、多分いいことがあるんじゃないかなと思いますね。」

「CDタイトル“石ころ人生”」
「石ころのようにコロコロ転がって、いろんなところの角がとれて、たまに止まって苔がむして。どこに行くか全く分からないけれど、たどり着いた所で幸せにやりたい、楽しくやりたい。僕の人生観はそういう“石ころ人生”。」

小川和久

軍事アナリスト/1945年、熊本県生まれ。陸上自衛隊生徒(少年自衛官)、新聞記者などを経て、日本初の軍事アナリストとして独立。総務省消防審議会委員、内閣官房危機管理研究会主査などを歴任。現在は、静岡県立大学特任教授として静岡県の危機管理を担当。

「常に“ベストな答案”を考え、日本を導く!」

「大規模災害の備えに私たちができる事…“声をあげる”」
「どんなに個人とか自治会レベルで頑張っても限界があるという事なんです。災害がきたらやっぱり被害の範囲を狭めるのは個人でもあるけれども同時に行政なんですね。実際に活動するのは消防であり警察でありそして全国規模で動くのは自衛隊です。その能力を高めるために納税者として常に声をあげ、あるいは地元選出の議員を通じて能力を上げていく。それが巡り巡って自分の安全に繋がるという事を自覚して欲しいという事です。」

「皆が目を見張るような“答え”を!」
「『神略』…神様だったらどう考えるだろう、これはベストの答案という意味です。『奇計』というのは「奇をてらう」という事ではなくて、皆が目を見張るような答案を書き上げよう。そういう目的意識と言いますか、そういった事に繋がる言葉だという風に理解して使っています。」

石黒不二代

ネットイヤーグループ代表取締役社長兼CEO/34歳のとき2歳の子どもを連れて米スタンフォード大学ビジネススクールに留学。MBAを取得。シリコンバレーでコンサルティング会社を起業後、1999年、デジタルマーケティング支援を行い、ネットイヤーグループのMBOに参画、2000年より現職。2008年に東京証券取引所マザーズに上場。
現在は、内閣府の「選択する未来」委員会などの公職も務めている。

「自分が変われば、世界も変わる!」

「大切なのは自分で“考える”こと」
「言われた仕事をやってくれる人は素晴らしいのだけど、それ以上に自分の特質とか知識とか才能を考えてより上を目指してくれる人。そういう人が集まると会社は強くなると思っているので、“言われた仕事だけはやってくれるな”という意味合いで(著作に)こういう題をつけました。」

「まずは自らが“変わる”」
「今経営者として日本企業に求められているのは変化だと思うんです。自分が変わる事でお客様を変える事ができる。お客様が変われば日本企業。この強い日本企業が変われば世界を変える事ができると信じているので、常に変革が起こる会社が最終的には成長すると思うんです。」

天野篤

心臓外科医/日本大学医学部卒業後、亀田総合病院、新東京病院など国内民間病院勤務で手術経験を多数積んで冠動脈バイパス手術の第一人者となり、2002年より順天堂大学医学部教授に。2012年には天皇陛下の心臓手術(オフポンプ冠動脈バイパス手術)を執刀した。これまでに執刀した手術は6500例を超え、成功率は98%以上。主な著書に『一途一心、命をつなぐ』『熱く生きる』などがある。

「“一途一心”で 命をつなぐ」

「患者が手術を覚えていない事が 本当の成功」
■手術に臨むにあたって 心がけていること
「その患者さんが将来に渡って元気でいる姿を思い描いて、手術では絶対に精一杯やる。手抜きとかそういう事ではなくて、その時に確立された医学的な背景を患者さんに出し惜しみしない。手術が本当に成功するというのは、患者さんが手術から時間が経った時、また、その方が一生を終える時に、手術の事を何も覚えていないという事ですね。」

「コツコツと積み上げていけば 見えない後押しがある」
「一つひとつコツコツと積み上げて、自分のできる事をひたすら突き詰めていくと、ある時、神様が一つ上の力を与えてくれるんですね。見えない後押しがあるんです。コツコツコツというのを20回くらいやると、100段ぐらい上にいる事がたまにある、という事です。」

水谷雅子

主婦モデル/1968年愛知生まれ。女性誌に読者モデルとして登場したことをきっかけに、「若すぎる40代」として日本だけでなくアジア各国で話題になる。2児の母でもある。著書に、『美魔女ビューティー 20歳若返る魔法のメソッド』『水谷式 かっさビューティー』(双葉社)がある。

「毎日の積み重ねで 輝く“美”を!」

「美の秘訣は“食べ過ぎない”こと」
暴飲暴食はしないようにしていますね。もちろん甘い物も好きなので、食べたりしますけども、食べ過ぎない事ですね。全く食べないとなると、それもストレスになりますので、お友達とランチに行った時には甘い物を食べて、夕飯はちょっと控えるという感じですね。」

「“美は一日にしてならず”の精神」
「即効性を求めちゃダメだと思うんですよ。やはり日々のお手入れ。歯みがきをする感覚で、毎日2、3分でも良いので、自分のお肌にお手入れをする事ですね。」

佐々木蔵之介

俳優/1968年京都生まれ。大学在学中から劇団「惑星ピスタチオ」で看板俳優として活躍。00年、NHK朝の連続テレビ小説「オードリー」で注目される。以降、ドラマ、映画、舞台と幅広く活動。05年には自らプロデュースを務める演劇ユニット「Team申」を立ち上げる。主な映画出演に『間宮兄弟』、『アフタースクール』、『大奥』、『岳—ガク—』など。

「良い仕事をして うまい酒が呑みたい!」

「本当にやりたくなった時に始めればいい」
■進路に悩む若者たちへのメッセージ
「やりたい事があったらやっているはずなんですよね。まだやっていない事はそこまでやりたい訳ではないんじゃないかな。だからその時になったら、機が熟したらやればいいんですよ。やりたくなったら絶対やるはずですから。」

「“うまい酒”は 全力投球した時間があってこそ」
「仕事が終わった後、みんなで『うまいな』とか、一人でも『うまいな』と思えて、『よくやった』『一日のけじめついた』と。中途半端なことをして呑んだ酒はうまくないので、やっぱり良い仕事して、良い仲間とうまい酒を呑みたい。」

西澤真理子

リテラジャパン代表/東京都生まれ。上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業。インペリアルカレッジ・ロンドンでリスク政策とコミュニケーション博士号を取得。シュトゥットガルト大学社会学部環境技術社会学科プロジェクトリーダーなど、イギリスとドイツでの10年の研究生活を経て2006年帰国。株式会社リテラシー(リテラジャパン)を設立。代表を務める。大学で教鞭もとっており、専門はリスク政策とリスクコミュニケーション。著書に『リスクコミュニケーション』(エネルギーフォーラム新書)がある。

「リスクを恐れず、新たな道を切り開く」

「リスクを減らす食事は“和食”がオススメ」
「和食はリスクを減らすという意味では素晴らしい組み合わせなんです。キャベツを茹でたり、(献立に)煮物を入れたり。野菜も摂りますし、肉もそんなに摂らないですよね。リスクを減らすという意味では先人の知恵として非常に素晴らしい考え方なんです。」

「大切なのは踏み出す“勇気”」
「今の私が模索している道というのは必ずしも最初に思った道ではないかもしれないんですけれども、少しリスクをとりながら一歩踏み出す事でちょっとずつ(道が)開けてきたなという風に思うので、ぜひ皆さんにもそういうチャンスがあれば一歩踏み出して頂きたいなと思います。」

杉田達哉

画家・デザイナー/1954年、静岡市出身。武蔵野美術大学卒業。現代美術で著名な京橋「ギャラリー椿」を拠点に、静岡松坂屋、渋谷西武等で絵画作品を発表。唯川恵氏の直木賞受賞作「肩越しの恋人」を始め、小川国夫氏、曾野綾子氏、遠藤周作氏、山田太一氏等の著作、約35冊の装幀に起用。平成25年度静岡県文化奨励賞受賞。現在、常葉大学造形学部造形学科教授。

「想像する喜びが溢れる作品を作り続ける」

「大事にしたいのは 想像力を刺激すること」
■見る人によって捉え方が異なるのが 杉田作品の魅力
「見る人がいろいろなイメージを広げていく。想像していく喜びがある。『光がここから入ってくるんだろうな』というように、見る人がいろいろな事を思ってくれる事が一番大事かなと思っています。」

「目指す作品像は “覚醒の森 酩酊の海”」
「客観的に物事を考えるような覚醒した作品作り。見るという事に対する喜びが溢れてくる絵。その両方がうまく表現出来る絵を私はこれから描きたい。」

堀田あけみ

椙山女学園大学准教授・作家/愛知県生まれ。名古屋大学大学院修了。高校二年生の時に「1980アイコ十六歳」で文藝賞を当時最年少で受賞。ベストセラーになり、映画化やテレビドラマ化もされた。その後は作家として活動を行いつつ、心理学者(専門は発達・教育心理学)として研究者の道も歩む。椙山女学園大学、国際コミュニケーション学部准教授。『唇の、することは。』『花くらべ』『発達障害だって大丈夫ー自閉症の子を育てる幸せ』など著書多数。

「人生は“大好き”でできている」

「ありのままの自分を受け入れる」
■三児の母である堀田さんが伝えたいこと
「お母さんっていつも『これでいいのかな』と思いながら生きている人じゃないかと思います。子どもに向き合うときに。私自身もそうなんですね。やっぱり子どもは親が受け入れてあげなきゃいけないと思うんですね。でも私は、真面目なきちんとしたお母さんほど、自分を受け入れていないような気がするんです。『私はもっとできるんじゃないか』『私はどこかで間違えているんじゃないか』『私は本当に良いお母さんなんだろうか』と。だから私はお母さん方とお話しする機会があると、『それでいいですよ』とお伝えしているんです。」

「“大好き”を見失わないで」
「自分はやっぱり好きな物をずっと追いかけて来ることができて、それを仕事にできたんですね。どうして私が運良くそこにいられたんだろうと思うと、“好き”という想いが強くて、それを一生懸命追いかけて来たからだと思うんです。やっぱり自分の“大好き”は見失わないでほしいなと、教え子に対しても子どもに対しても思っています。」

舞の海秀平

大相撲解説者/1968年、青森県生まれ。日本大学相撲部で活躍後、大相撲出羽海部屋入門。 91年幕内入り。角界最小の身体ながら「猫だまし」、「八艘飛び」などを繰り出し、“技のデパート”の異名をとる。99年の引退までに、技能賞を5回受賞。最高位・小結。引退後は大相撲解説やスポーツキャスターとして活躍中。著書に『はじめての大相撲』『土俵の矛盾 大相撲混沌の中の真実』『先生教えて!体育のギモン(楽しく学べるQ&A 5)』などがある。

「何事も“覚悟”を持って全力で挑む!」

「予想を覆す事が力になる」
「必ず言われるのが、今はなんとか勝てるけれども次は通用しないだろう。もうここまでだろう。そういう言葉が回り回って聞こえてくる。そうすると沸々と眠っていた闘志に火がついて、じゃあやってやろうじゃないか!そして色んな意味で周りの予想を覆してやろうじゃないか!と、そういう気持ちになってくるんです。」

「どんな相手にも“覚悟”を決める」
「現役時代から土俵に上がって塩をまいているんですよね。そうすると相手が大きく見えてくる。俺はもう勝てないんじゃないか。勝てないばかりか歯が立たないんじゃないか。そうするとどんどん落ち込んでいくんです。でも最後の最後は時間が迫ってきて、闘わなければいけない。無様な姿は見せられないとなった時に、覚悟というものが生まれてくるんです。」

伊藤洋一

経済ジャーナリスト/1950年、長野県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、時事通信社に入社。ニューヨーク特派員、外国経済部デスクなどを歴任。86年、住友信託銀行に入行。現在、三井住友トラスト基礎研究所主席研究員。金融市場からマクロ経済、特にデジタル経済を専門とし、テレビ番組やラジオなど幅広く活躍している。著書に『日本力 アジアを引っぱる経済・欧米が憧れる文化!』『ほんとうはすごい!日本の産業力』などがある。

「日本のパワーを信じる!」

「日本経済に必要なのは 発想の転換」
「(日本は)少子高齢化において、世界で先頭を走っているわけだ。客観的事実として、統計上で。そうなると、それは新しい産業の力になるんですよ。実際に、日本の老人ホームの運営の仕方は、韓国でものすごく話題になっているんですよ。僕はもっと発想の転換をすべきだと思っていて、あまりにもマスコミに悲観論が強いのは間違っていると思っています。」

「日本人はもっと自信を持つべき!」
「日本人ってすごく欲張りなのは、例えば『軍事力はアメリカに負けている』とか、常にトップと比べて『自分たちはまだ劣っている』みたいな。『ノーベル賞を取れるのはイギリスより少ない』というような考え方をするんだけど、客観的に世の中を見た時に、200近い国がある中で、突出したパワーや特質を持っているわけなので、“日本のパワーを信じる”ということが重要なのかなと思います。」

夏目幸明

ジャーナリスト/1972年、愛知県出身。早稲田大学を卒業後、広告代理店勤務を経て独立した後に、ビジネス系の記事を中心にジャーナリストとして活動。「マーケティング、マネジメント、技術がわかれば企業が見える」と考え、これらを報じる連載を持つ。現在、講談社『週刊現代』に『社長の風景』を連載中。書籍も多数出版し、2013年には『こんな社長がいてくれたら!社長あるある』(朝日出版)を出版。ジャーナリストとして得た知識を元に就活講座も実施している。

「“なぜ”を追求することで世の中が分かる!」

「大人は子どもたちに夢を」
「(最近の学生は)ちょっとハングリーさに欠けるなんて言われますけど、逆に我々大人はもっと彼らがハングリーになるような夢をいっぱいに見せるべきだと思っています。僕は学生と食事に行く時に絶対に決めている事があって、それはお金は僕が出すっていう事です。『大いに食え!オレは人生をエンジョイしている!仕事が楽しい!』もっと面白いモノが世の中にあるんじゃないかっていう事を何となく雰囲気で感じとってくれればって思ってるんですね。」

「“なぜ”が見えると世の中がクリアに見える」
「世の中にあるモノとか世の中の制度とか、あとは成功する人の体験だったり。色んなモノに“なぜ”っていうのが必ず隠されているはずなんですよ。その“なぜ”を取材して、(世の中が)見えるようになると、『じゃあ私はこうしよう』という事で、イノベーションが起きるんですね。“なぜ”っていう理由をないがしろにするとタブーがうまれる。“なぜ”っていうモノを知り尽くせばそのタブーが破られる社会が来ると思っているんです。」

姫野カオルコ

小説家/1958年、滋賀県出身。独特の筆致と幅広い作風で、特異な位置に立つ。読者層は男女同数。1997年『受難』が第117回直木賞候補、2004年『ツ,イ,ラ,ク』が第130回直木賞候補、2006年『ハルカ・エイティ』が第134回直木賞候補、2010年『リアル・シンデレラ』が第143回直木賞候補となったのち、2014年『昭和の犬』で第150回直木賞受賞。受賞会見には愛用のジャージ姿で登場し、世間の話題をさらった。

「自分のペースを大切に小説を書き続けていく」

「アイデアが浮かぶ時間は“朝”」
「(朝の)6時から7時の間にふわーっといっぱい出てくるので、それを一気に書く感じです。だからもしその時に、留守電を聞いたりメールを見たりすると、頭の中にできていたことが全部パーになる感じがして…溢れて、バーっと流れ落ちる感じがして。朝に喋ったり何かすると、ものすごくダメです。」

「自分に言い聞かせている言葉“ものは考えよう”」
「わりと私は物事の悪い方を見てしまうクセがあるんですけど、何か悪い事が起こっても、『でもこれはこういうことかもしれないよ』と良い方向に、プラスのように考えていくクセを持てたらと私はいつも思うので、自分に言い聞かせている言葉なんです。」

佐々木圭一

コピーライター/上智大学大学院を卒業後、1997年博報堂に入社、2014年ウゴカス設立。新人時代、伝え下手にもかかわらず、コピーライターとして配属され苦しむも、伝え方に法則性をあるとき見つけ頭角を現す。日本人初、米国の広告賞One Show Designでゴールド賞を獲得。ほかにも国内外で51の賞を受賞。広告以外にも作詞家、大学講師として活躍。2013年発表の初の著書『伝え方が9割』(ダイヤモンド社)は、55万部のベストセラーに。

「伝え方を身につければ 人生が変わる!」

「感情30%増しでメッセージを送る」
■ネットでのコミュニケーションで上手く“伝える”には?
「SNSやメールでのコミュニケーションでポイントになるのは、デジタルの文字で届いてしまうという事なんですよね。そうすると、自分が思っているよりも意外と冷たく伝わっちゃうんですよ。僕がオススメしているのが“感情30%増しでメッセージを送る”という事。例えば、ビックリマークをちょっと多めに打ってあげるとか、驚きの表現をあえて入れてあげることによって、届いた時には、ちょうど自分が思っているのと同じぐらいの感覚で相手に伝わるんですね。」

「伝え方は“センス”ではなく“技術”」
「僕自身も伝え下手ですし、過去の自分自身でいうともっともっと伝え下手だったんですよね。伝え方というのは、元々センスだと思ってたんですが、技術だというふうに気付いてから、ガラリと仕事も変わりましたし、僕の作っているコピーも変わりましたし、本当に人生が変わったんですね。学べるんですよ実は!」

千谷美恵

着物デザイナー/1965年生まれ。銀座に店を構える創業140年以上の老舗呉服屋「伊勢由」の娘に生まれる。1989年ウエスタンミシガン州立大学、1990年立教大学卒業後、外資系大手のシティバンクに入行。1998年、退職して5代目若女将となる。2009年4月、職人の手による和服を、気軽に紹介したいと実家から独立して「銀座いせよし」を開店。銀座を代表する女将として、女性誌などにもしばしば登場。著書に『老舗の若女将が教える とっておき銀座』(祥伝社黄金文庫)がある。

「“行動力”を発揮して着物の魅力を伝えていく」

「時代に合わせて 伝統の柄をアレンジ」
■デザインする際に心がけていること
「日本の柄はもうある程度完成されていて、素晴らしいものばかりなんですね。ですけれども、その柄をそのまま現代に持ってくると古めかしい感じだったり、大仰すぎるみたいな所があったりするので、柄の大きさや色数を、少し変えるというような事を目指しています。」

「大事にしている“行動力”」
「『どうしようかな』って悩んだ時、まず行動してみて、やってみると次のステップに急に上がっていきますので、ちょっと『こうしようかな』って思った時は、行動に出してみるということをなるべく心がけるようにしています。」

矢内理絵子

日本将棋連盟 女流棋士/1980年生まれ、埼玉県行田市出身。8歳で父親に将棋を教わる。関根茂9段門下。90年に女流育成会に入会をし、93年4月プロ棋士になる。2006年に第32期女流名人位を獲得、続く第33期、第34期も防衛を果たし女流名人位3連覇を果たすなど、これまでにタイトルを多数獲得している。2013年4月に女流棋士会会長に就任。

「経験が生む“ひらめき”を信じて 最後まで戦い抜く」

「経験の積み重ねが“ひらめき”を生む」
■勝敗の決め手となる“ひらめき”について
「何もしないで培われたり、出てくる力ではないと思っていまして、自分自身で努力して勉強してきたモノだったり、経験してきたモノの中から生まれてくる力だと思っているので、ひらめきや直感というものが正しい方向に働くっていうのは、自分がやってきたことが正しかったんだっていう証明の一つかなと思ってます。」

「対局前に唱える“戦いは最後の5分間にある”」
「形勢が不利で『もうダメかもしれない』と思っても、最後まで諦めてはいけない。逆に、『今日はいけたかもしれない』と思った時でも、最後の最後まで何があるかわからないから、気を緩めてはいけない。油断してはいけない。対局の時にも始まる前に、自分の中で何度も唱えるというか、非常に大切にしている言葉です。」

田﨑史郎

政治評論家/1950年生まれ、福井県出身。中央大学法学部卒業。73年、時事通信社入社。79年より政治部。以来、田中派、竹下派、橋本派を担当し、政治取材を35年に渡り行なっている。編集委員、解説委員長等を経て、現在は時事通信社解説委員。テレビ番組への出演や雑誌記事の執筆なども精力的に行なっている。主な著書に『竹下派死闘の七十日』(文春文庫)、『梶山静六 死に顔に笑みをたたえて』(講談社)などがある。

「“自分にしかできない“我が道”を貫く」

「政治取材の面白さは 政治家の“素顔”が見られること」
「やっぱりその人(政治家)を間近で見ることができる。普段見せない表情も見せてくれる。それがやっぱり面白くてしょうがないんですよね。泣き、笑い、怒る。時には人の足を引っ掛ける。そういうことを平気でやる人たちだから。人間観察っていう上では、ドラマ以上に面白い取材現場だと思います。」

「自分を信じて 正しいと思う道を貫く」
「自分がこうと思ったら、いろんな人の意見を聞きながらも、それでも正しいと思ったら、自分を信じて生きていくっていう事ですね。失敗したら、自分が引き受ければいいことで。人の意見に従って、それで間違ったら、もう目も当てられないじゃないですか。自分が正しいと思うならばその道を貫いていく、という事だと思うんです。」

岩崎恭子

スイミングアドバイザー/バルセロナオリンピック金メダリスト/1978年生まれ、静岡県沼津市出身。5歳より姉の影響でスイミングスクールに通い始める。1992年、1996年と2度のオリンピック出場を果たし、14歳で出場した92年のバルセロナオリンピックでは200m平泳ぎで金メダルを史上最年少で獲得した。現在は、水泳の指導ならびに水泳の楽しさを伝えるためのイベント出演を中心としながら、メディア・トークショー出演、執筆活動などを精力的に行っている。

「“素直”な心で 日々ステップアップ!」

「自分の力で乗り越える事で 強い大人になれる」
■水泳を通して子どもたちに伝えたいこと
「何か目標を持ったり、自分のやりたい事を見つけて、それに向かって頑張っていく、努力していくという事がすごく重要。もちろんスポーツなので、勝つ時と負ける時があるんですけど、自分で乗り越えようとする事を子どもの頃に経験すると、強い大人になれるんじゃないかと思っています。」

「大切にしている事は “素直さ”」
「素直さがあるといろんな事を吸収できるという事を、あるコーチに教えて頂いたんですね。頑固になってしまうと自分の考えを曲げられない。(素直に)いろんな表現や体験を吸収できる事によって、ステップアップにつながるんじゃないかなと思っています。」

松尾たいこ

イラストレーター/広島県生まれ。1995年、32歳で上京しセツ・モードセミナーに入学。1998年からフリーのイラストレーターに。第16回ザ・チョイス年度賞鈴木成一賞受賞。これまで250冊以上の書籍装丁画を手がけたほか、雑誌,広告,ファッションブランドやミュージアムショップへの作品提供。2013年5月に初のエッセイ「東京おとな日和」を出すなど幅広い分野で活躍している。

「夢を描き続ける!“タイミング”は人それぞれ」

「目に映るものを強調して描く」
「描くモチーフとして好きなのは、山とか木とか雲なんですね。だからどっちかというと、カタチが限定されていないモノが好きで。空に雲が浮かんでたら、水色と白で普通だと描こうと思うけど、じっと雲を見ると薄くピンクとか薄く黄色があったりするんですよ。それをちょっと強調して描く。」

「30 代へおくる言葉 “タイミングは人それぞれ”」
■32 歳でイラストレーターの道へ進んだ松尾さん
「30代前後ってすごく悩む時期な気がするんですよ。もう若くないみたいな感じがしちゃって。今更何かやってもって、自信なくしてる人がすごく多い気がするので、遅くないよっていうのはすごく言いたいなと思って。スタートっていうよりもタイミングは人それぞれかなって思います。」

嶌信彦

ジャーナリスト/1942年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、毎日新聞社入社。経済部、ワシントン特派員などを経て87年に退社しフリーに。『自分を活かす構想力』『日本の〈世界商品〉力』『首脳外交』『ニュースキャスターたちの24時間』など著書多数。新刊に『日本人の覚悟—成熟経済を超える』、BS-TBS「グローバル・ナビフロント」、TBSラジオ「嶌信彦のエネルギッシュトーク」などに出演中。HP: http://www.nobuhiko-shima.com/

「十分な“構想力”と“志”“覚悟”で 第3の国難を乗り切る!」

「“国柄”が良い国を世界に発信」
■“国柄”とは人柄と同じく国の性格のようなもの
「日本はかつてのような経済大国だとか、政治大国や軍事大国には、なかなか成れないんじゃないかと。その中でどうやって世界に存在感を表していくかといった時に、日本の“国柄”というのをどんどん世界にアピールしていく事が大事だと思います。」

「物事を多方面から見る“構想力”をもつ」
「我々はただ知識を集めるだけじゃなくて、“構想力”を持って欲しい。そしてその構想力を実現する情熱と“志”“覚悟”を持って欲しいというのが僕の期待ですね。」

遠山正道

株式会社スマイルズ代表取締役社長/1962年生まれ。慶應義塾大学卒業後、三菱商事株式会社入社。1999年に「Soup Stock Tokyo」第1号店をオープン。2000年、三菱商事初の社内ベンチャー企業「株式会社スマイルズ」を設立。2008年、MBOによりスマイルズの株式100%を取得し三菱商事退社。新しいリサイクルショップ「PASS THE BATON」やネクタイブランド「giraffe」、ファッションブランドの「my panda」も手がけている。

「“情熱をもってオリジナルブランドを提案していく!」

「共感がもてるサービスの提案」
■(株)スマイルズの理念
「少しでも“世の中の体温が上がれば良いな”と思っています。時代やその時のモチベーションに合わせながら、それを実際の行動に移して世の中に提案していくような会社でありたいと思っています。」

「遠山さんの信念“公私同根”」
「公もプライベートも根っこは一緒。むしろその事を24時間考えて、ウキウキしたり、悩みながら、仕事に取り組んでいきたい。その人自身の根っこの部分はすごく大事な要素だと思います。」

飯塚翔太

陸上 短距離選手/1991年、静岡県御前崎市出身。高校3年生でインターハイ(200m)と国体(少年A100m)のタイトルを獲得する。2010年世界ジュニア選手権の200mで、日本男子選手として同大会初優勝、“和製ボルト”として注目を集める。2012年のロンドン五輪では代表入りを果たし、4×100mリレーのアンカーとして5位入賞の一翼を担った。中央大学4年生。

「“モチベーション”を高め世界を舞台に走り抜ける!」

「速さの秘密は“リラックスした理想的なフォーム”」
■速く走る為に心がけている事
「100%で走る時に100%の力を入れるというのは違うと思うんですよ。頑張りたい時ほど、力を入れない様にしている。本番になったら、速く走りたいと当然思うので、後はいかに無駄な力を抜くかって事だけ考えて走っています。」

「高い“モチベーション”で挑むのが成功のカギ」
「速く走りたいとか強くなりたいというのは誰でも思っているので、あと大事なのは“どうモチベーションを上げるか”。試合を早くやりたいなとか、どうしたらそうなるかっていうのを常に考えてやっています。モチベーションを上げた人の方が強くなると思います。」

堤幸彦

映画監督/1955年生まれ。愛知県名古屋市出身。数多くのCMやプロモーションビデオの演出を手掛けながら、『バカヤロー!私、怒ってます』の第4話『英語がなんだ』で映画監督デビュー。その後『池袋ウエストゲートパーク』『TRICK』『SPEC』『20世紀少年』など映画・ドラマ共に多くのヒット作を生み出しているほか、CMや舞台演出なども手掛け、多方面で活躍している。最新映画『A・F・O』が2月22日(土)東海地区先行公開。

「“意外”なアプローチで観客を驚かす」

「学生の映像作品に驚かされる」
■愛知工業大学で客員教授
「ノルマとして毎年1人1作品、受け持っているクラスで義務づけているんですね。毎年ものすごくビックリするんです。我々が10年以上かかったこと(映像技術)を、ほぼ数週間で習熟する事が出来る。コンピューターがなせる技かもしれないんですけど、コンピューターはあくまで機械ですから。そこには人間の発想や、『これをやるぞ』という意思が無ければ動かない。」

「“意外”な事を追求する」
「『“意外”な事とは何だろう』と考えながら生きてきたような気がするんですね。王道とオーソドキシーな仕事ぶりがなければ“意外”というものは成立しない訳だけども、やっぱり映像の仕事に携わる者にとって、(意外な事は)一番やりたい事、やるべき事だと思うんですね。」

森理世

ミス ユニバース 2007/1986年生まれ。静岡県静岡市出身。4歳からジャズダンスを始め、高校よりカナダへバレエ留学し教師課程修了。帰国後の2007年5月にミス ユニバース世界大会で日本人として48年ぶりに優勝。就任後は15カ国で様々なチャリティ活動を展開。現在はモデル活動、チャリティ活動のほか、2009年に母と設立したダンスアカデミーでアーティスティック・ディレクターとしてダンス&ビューティーを掲げ、直接指導にもあたる。

「“愛情”はやる気と精神力を育てる」

「“心の鍛錬”が身を美しくする」
■美しさの秘訣
「“躾”という漢字は“身”を“美”しくすると書く。厳しい状況に立ち向かう精神の強さだったり、それを受け入れる柔軟性を自分自身で“躾”ていく事によって、内面から美しく凛としたものを出せるんじゃないかなと思っているので、なるべく逃げずに立ち向かっていこうと、自ら思うようにしています。」

「厳しい指導の根底に大いなる愛情」
■ダンスを通じて 子どもたちに伝えたい“愛”
「打たれ強さと愛情を感じ取るレーダーをどんどん磨いていってほしいと思うんです。この環境を自分のものにして、『いつか飛び立ってやる』っていうやる気や精神力を高めてくれるベースは愛情だと思うんですね。なので、やはり“愛”だと思います。」

安田道男

俺の株式会社 常務取締役/1961年、東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。84年、野村證券株式会社入社。クォンツセールス部ヘッド兼次長、エクイティ・ソリューション部長等を務め、2004年退社。09年、ブックオフコーポレーション創業者である坂本孝氏とともに、バリュークリエイト株式会社(現・俺の株式会社)創業に参画。常務取締役として、「俺のフレンチ」「俺のイタリアン」などの出店に尽力。

「“みんなが幸せになれる戦略”で人気店を支える」

「“常識”は時代と共に変化する」
■元証券マンの計算力で常識を覆す
「世の中的にこうだと言われている常識があるとする。それを一生懸命細かく計算をして、『この常識ってもしかしたら違うんじゃないの?』というのが出てきた時が、非常に重要なポイント。今まで常識だったものが常識でなくなり、新しい常識となる。それが非常に仕事上では重要かなと思いますね。」

「他人の利益を優先する“利他の精神”」
「儲けよう儲けようとすると、結局自分本位になってしまう。自分本位になると、世の中が見えなくなってしまう。そうではなくて、自分達がリスクをとってこれをやれば、どれだけ多くの人に喜んで頂く事が出来るかが非常に重要な気がします。」

増島みどり

スポーツライター/1961年生まれ。学習院大からスポーツ紙記者を経て、97年フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(文藝春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。『ゴールキーパー論』(講談社)、『シドニーへ 彼女たちの42・195km』(文藝春秋)、『In His Times 中田英寿という時代』(光文社)、『名波浩 夢の中まで左足』(ベースボール・マガジン社)等著作も多数。

「“アスリート魂”を追い続ける」

「インターネットを使った記事の配信」
■そこに目を向けた理由とは?
「私にとって、スポーツは“スピード”なんですね。スピードとの戦いなので。何故かというと、今日世界記録が出たら、明日塗り変わるんですよ。明日の新聞まで待たなくても、もっと中身が濃くて面白いものを今すぐ見せられたら、どんなに良いかと思ってやっています。」

「アスリートは“前に転ぶ”」
「ケガでもそうですし、スランプでもそうですし、みんな何かに転んでいるんですよね。転んでいるんですけども、転ぶ姿を見ていると、絶対に手に何かを持っていますね。ただで転んでいないという事です。そこがスゴイ事だと思いますし、彼らの姿勢がスポーツを集約しているんじゃないかなと思いますね。」

椎木里佳

女子高生起業家/株式会社AMF代表取締役。1997年東京都千代田区生まれ。中学3年のときに株式会社AMFを創業。現在、私立高校1年生。JKめざましプロデューサー、Tokyo Teens TV企画&製作&出演。学業と事業の両立に奮闘中。中学1年のときに英検2級を取得するなど英語も得意。尊敬する人は父。趣味は買い物とビジネス書を読むこと。

「世界の10代を元気にしたい!!」

「日本の“カワイイ”を世界に伝えたい」
■若者文化を紹介する動画コンテンツを制作中の椎木さん
「今、海外では日本のポップカルチャーがすごく注目されていて、私も“カワイイ”っていうのがすごく好きなので、そこを上手く融合させて、『Tokyo Teens TV』という番組を作ろうと思ったんです。」

「会社名AMFの由来にもなった“感謝・謙虚・全力”」
「“感謝(Appreciation)”というのは、すべての事に感謝するという事。“謙虚(Modesty)”というのは、いくら有名になろうとも謙虚でいるという事。“全力(Full Power)”というのは、ささいな事に対しても全力でやるという事で、“感謝・謙虚・全力”をモットーとしてやっています。」

村松亮太郎

映画監督 / クリエイター/NAKED inc.代表。TV、広告、MV などジャンルを問わず、アートディレクションを中心に活動。2006 年から長編映画4 作品を劇場公開し、自身の脚本・監督作品がワールドフェストヒューストングランプリを受賞するなど、国際映画祭で注目を浴びる。昨年末話題となった東京駅の3D プロジェクションマッピング「TOKYO HIKARI VISION」の総合演出ほか、2013 年は東京国立博物館「KARAKURI」など、映像と光を駆使した空間演出を手がける。

「枠にとらわれない演出を作り続ける」

「プロジェクションマッピングの魅力は 生で体験できること」
「ある種のライブですよね。“その場でやる”ということが非常に魅力的。スマートフォンなども普及して、メディアを通して見られるモノがどんどん消費されていく中で、やはり“生(なま)”の魅力ですよね。(プロジェクションマッピングは)生で見てもらうという魅力がとても良い。」

「座右の銘は“なんとかなるなる なんとかすれば。”」
「(言い訳として)難しいことを並べるのは簡単。『難しい』『大変』『キツい』だとか、あまり好きじゃないんですよ。目の前のそれ(難題)をどうするかっていう時に、避けるのはあまり意味がない。結局また出てくるんでね。だから、『なんとかしようよ』というのがすべて。」

金美齢

評論家/1934年生まれ、台北出身。1959年来日、早稲田大学第一文学部英文科入学。1971年早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位修了。多くの大学で講師を歴任、早稲田大学では20年以上英語教育に携わる。テレビを始め、新聞・雑誌など各種メディアにおいて、家族・子育て・教育・社会・政治等、幅広い分野にわたって様々な提言を行っている。

「日々、感動する事で美しく齢を重ねる」

「税金を払える大人に育てる」
■金さんが考える“親の役割”
「子どもを育てるのは、もちろん愛情ですよ。でもその愛情とは何かというと、子どもが一人前になるという事です。一人前の大人というのはどういう事かというと、税金を払える人間だという事です。要するに、人間としてちゃんと生きているか、世間のお役にたっているか。だから、税金を払う大人に育てる。これは親の役割だと思っています。」

「心がけていること“一生美しく齢を重ねる”」
「歳をとっていけば、間違いなく衰退していくし、間違いなくシワは増えるし、そのうちに認知症が始まるかもしれない。でもそれを少しでも緩やかにするためには、毎日毎日、やはり自分が無駄に歳をとらない。お月さまをみて『うわぁキレイだね!満月も素晴らしいし、三日月もまた美しいな』っていうね。そういう思いを日々しているという事が、“美しく齢(よわい)を重ねる”基本だと思っています。」

江辺香織

プロビリヤード選手/1984年大阪生まれ。プロビリヤードプレイヤーの父の影響を受けて、18歳でビリヤードを始める。21歳でプロテストに合格。最年少の女子プロビリヤードプレイヤーとして、公式トーナメントで活躍中。新しいスポーツビリヤードの文化を作るべく従来のイメージとは違うエンターテイメント性の高いイベントを自ら企画・運営したり、マスコミ出演等でビリヤードの普及を推進するなど、多彩な活躍をしている。2013年10月現在、全日本ランキング9位。

「どんなときでも“Never Give Up”」

「奥深いビリヤードの世界」
「私も18歳の頃まで(ビリヤードを)やっていなくて、知らなかった世界だけど、踏み入れてみたら素晴らしいドラマがあった。趣味でやるにしても、ビリヤードってすごく運動にもなるし、頭も使うし、仲間とのコミュニケーションにもなる。こんな素晴らしいスポーツはないと思っているので、是非みんなにもやってもらいたいです。」

「目の前の一球に集中して 絶対に諦めない」
「とにかく目の前にある一球と、自分がやるべき事にしか集中しないようにしています。勝ったらどうとか、負けたらというのは考えないようにして、とにかく集中するように心がけています。勝負は諦めた時点でもう負けなので、どれだけスコアが自分の方が低くても、必ずどこかでチャンスはあるので、諦めなければ上手くいくと思っています。」

小林宏之

航空評論家(元日本航空機長)・危機管理講師/1946年、愛知県新城生まれ。東京商船大学航海科を中退し、1968年日本航空株式会社に入社。入社以来42年間、一度も病欠などでスケジュールの変更なく飛び続ける。乗務した路線は、日本航空が運航した全ての国際路線と主な国内線。総飛行時間は地球800周に相当する18500時間。首相特別便機長も担当。日航退社後は、危機管理・リスクマネジメントの講師として活躍する傍ら、航空評論家としても活躍中。

「目標を持てば いくつになっても成長できる!」

「年齢は自分でコントロールできる」
「飛行機の場合、色々な情報や技量は、経年化するたびにレベルが下がる可能性がありますので、それが下がらないように、若い人の2倍3倍くらいやってきたつもりです。私が実際、自分の能力が一番向上したのは60歳過ぎてからで、『年齢というのは自分でもコントロール出来るんだ』という確信を持っています。」

「伝えたい言葉“いつだって今が旬!”」
「体力的には確かに衰えてきますけど、人間というのはいくつになっても成長し続ける事が出来るんじゃないかと思います。超高齢社会においても、みんながそういった気持ちで人生を歩んでいけたら、みなさん非常に良い人生を送れるんじゃないかと思います。」

谷中麻里衣

キャスター/1990年生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。2011年度ミス日本グランプリ。英検1級(日本英語検定協会賞受賞)、TOEIC990、TOEFLiBT118。テレビやCMで活躍中。

「笑顔で前向きに 全力で取り組む!」

「徹底的に調べ上げてから放送に臨む」
「伝える為には、まず自分が理解している事が重要だと思っていて、同じ事を言うのでも、理解して言うのと、理解していないのとではだいぶ違うと思うので、ちゃんと自分で噛み砕いて表現出来たりだとか、自分なりに理解して言う事を心がけています。」

「モットーは“笑顔は世界の標準語”」
「小さい頃アメリカにいて、言語が全くわからなかった時に、意外と英語がわかる事よりも、笑顔でいる方が友達が出来るんだなというのが分かって。どんな場においてもコミュニケーションって重要で、笑顔でいると自分が前向きにもなれますし、前向きに取り組むだけで、結果って全く違ったりするので、笑顔があればすべて解決するんじゃないかと思っています。」

夏野剛

慶應義塾大学大学院特別招聘教授/1988年早稲田大学卒、東京ガス入社。95年ペンシルベニア大学経営大学院卒。ベンチャー企業副社長を経て、97年NTTドコモへ入社。99年に「iモード」、その後「おサイフケータイ」などの多くのサービスを立ち上げた。2005年執行役員、08年にドコモ退社。現在は慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 特別招聘教授のほか、ドワンゴ、セガサミーホールディングス、ぴあ、トランスコスモス、グリー、トレンダーズなど複数の取締役を兼任。

「失敗を恐れず前進あるのみ!」

「IT時代では“やる気”が成功のカギ」
「個人に熱意と関心があればいくらでも情報が手に入る。そしてその情報を元に、自分の考えを鋭く磨いていく事ができる時代になったんですね。だからこそやる気があるかどうかが一番大事なんです。やらされている人よりも、やる気があって自分でやっている人の方が、100倍、200倍、10000倍専門性が高くなるんですね。“好きこそ物の上手なれ”がこれほど当てはまる時代は、今まで無かったと思います。」

「若者こそ自分の頭で考えろ!」
■学生に伝えたいこと
「一番大事な事は、まず自分の頭で考えるという事だと思います。新しい技術、新しい環境、そして今まで予想もしなかったような変化。こういったものが起こるというのが当然な時代になりましたので、そういう中では、若者こそ自分の頭で考える。そして前例はともかくとして、自分が正しいと思った事をやる。これが一番大事だと思っていますね。」

加藤清隆

政治評論家/1952年、長崎県生まれ。77年早稲田大学政経学部卒、時事通信社入りし、政治部配属。福田、大平両首相番、新自由クラブ担当。山口支局勤務後、85年再び政治部。後藤田官房長官番、竹下派、橋本幹事長番、外務省キャップを担当。94年ワシントン特派員。97年官邸キャップ、02年10月から政治部長。06年1月から静岡総局長。10年7月から解説委員長。12年7月から現職。

「タブーなき真実の報道を追求していく」

「女性政治家こそが 日本を変える」
「男の場合は世間のしがらみに負けてしまうんですよ。妥協に妥協を重ねて、どんどん偉くなるとダメになってくるんです。それに対して女性は、『ダメなものはダメ』と妥協しない。女性の政治家をもっと増やして、総理大臣あるいは閣僚をどんどん出していく事によって、閉塞感に陥っている日本の政治を、私は打ち破れると思っている。」

「真実を伝える事が使命」
「タブーを恐れない真実の報道ということを少なくとも目指してきたつもりですし、現役の記者ではありませんけども、今後もその信念に基づいて、皆様に本当の事をお伝えする。その仕事が、私の使命だと思っています。」

竹内薫

サイエンス作家/1960年東京生まれ。東京大学教養学部教養学科、同理学部物理学科卒業。マギル大学大学院博士課程修了、Ph.D.(高エネルギー物理学)。一般読者にもわかりやすく手に取りやすい先端科学の解説本には定評があり、近年ではテレビやラジオでも科学解説者として活躍中。主な著書に『99.9%は仮説』(光文社)、『理系バカと文系バカ』(PHP新書)、『知的生産のための科学的仮説思考』(日本能率協会マネジメントセンター)など多数。

「暗雲の先には明るい未来がある!」

「日本こそ科学技術が必要な国」
■科学を学ぶ事の大切さとは?
「例えば地面を掘ってそこから原油が出て来るとか、そういう状況ならそんなに科学技術に頼る必要はないと思うんですよ。でも日本はそういう物がないですから、そうしたらもう頭で勝負するしかない。その基礎は科学技術ですよね。経済の方が当然重要ですけど、経済というのはあくまでも科学技術の上に乗ってるものですから、科学技術が無くなってしまったら経済もない訳ですね。」

「座右の銘は “Every cloud has a silver lining”」
「“Cloud”は“雲”。“Silver lining”は“雲の縁取りの銀の部分”ですね。だからどんな暗い雲でもその周囲には、その背後の太陽の光による銀の縁取りが見えている。うまくいかない時代においてもその次の未来には、明るいものがあるぞっていうメッセージ。」

武田鉄矢

俳優/1949年、福岡県出身。72年、フォークグループ・海援隊でレコードデビューし、73年「母に捧げるバラード」が大ヒット。77年、初の映画出演作『幸福の黄色いハンカチ』(山田洋次監督)で第1回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。79年、ドラマ「3年B組金八先生」に主演。海援隊が歌った「贈る言葉」も大ヒットし、以後、国民的な人気シリーズとなる。その後も映画、ドラマ、音楽、執筆活動など幅広い分野で活躍。

「人間の本性こそ 最高の演技」

「人間の本性に近づく演技を追い求めている」
■武田さんが目指している演技とは?
「人間の本性に近づくんだっていうこと。取り繕ったり、飾ったり、魅せようとしたり、そんな仕草ではなくて。人間の本性にさえ近づければ、その演技は上手くなくても、お客さんを飽きさせることがない。それを永遠に追い求めているというかね…。」

「大切にしている言葉 “人は間違う時だけ個性的です”」
「人間はテストでいうと、○をもらう答えの時より、×をもらう答えの時の方に、個性があるんだよね。つまり、あの子にフラれたとか、あの時につまづいたとか、あの試合で負けたとか。そういう失敗の所をもう一回なぞってくれないかな。実はそこにあなたの個性が眠っている。」

諏訪哲史

作家/1969年、愛知県名古屋市生まれ。國學院大学文学部哲学科に入学し、独文学者の故種村李弘と出会う。大学卒業後、名古屋鉄道に入社し、6年間勤務。退社後、2年かけて執筆した小説『アサッテの人』で第50回群像新人文学賞、第137回芥川賞を受賞。ほかの作品に『りすん』『ロンバルディア遠景』『領土』、エッセイ集に『スワ氏文集』などがある。愛知淑徳大学メディアプロデュース学部准教授。

「“書く”ために 100倍“読む”」

「“ソフトトラウマ”になる授業」
■大学で教えるときに大事にしていること
「心に残る、逆にいうと“ソフトトラウマ”になるような、やや衝撃的な体験をさせてあげたいと。極端なモノを見せることが大事だと僕は思っていて。彼らが絶対にこれまで触れてこなかったようなものを選んで、見せるようにしているんですよね。」

「“読む:書く=100:1”が基本!」
「書くよりも100倍読むこと!長編を書こうとする人は、当然ながら長編を100編読む。読んだ量がその人の筆の力、技量に全部つながっていくので。受容したものを100貯めることが必要で、それで初めて書くに値する状態、モチベーションができてくる。」

石川和男

社会保障経済研究所代表・東京財団上席研究員/1965年、福岡県生まれ。東京大学工学部卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。資源エネルギー庁時代には電力・ガス改革に取り組む。2007年に退官。現在は政策研究大学院大学客員教授、NPO法人社会保障経済研究所代表、霞が関政策総研主宰などを務める。著書に『原発の正しい「やめさせ方」』『多重債務者を救え!—貸金業市場健全化への処方箋』(共にPHP研究所)などがある。

「日本の未来の為、“ベストアンサー”を提案し続ける」

「目指すべきは“一億総そこそこ社会”」
■石川さんが考える“理想の社会”とは?
「そんなに貧しくなく、そこそこ暮らしていける世の中を続けてほしいなと。そうすると、日本の冨というものを上手くみんなでシェアしていける。特定の人たちだけが大儲けして、あとはみんな貧乏っていう格差社会じゃなくて、“一億総そこそこ社会”。そこそこ生きていければ幸せだろうっていう。そうすれば、みんながバランスをとれる良い国なんじゃないかと思いますよね。」

「座右の銘は“得意冷然 失意泰然”」
「『得意になったとしても冷静にいましょう』という意味での“得意冷然”。挫折したり、嫌な事があったり、それはそれとしてしょうがないと。『明日からちゃんとやろう』みたいな、泰然とするという意味での“失意泰然”。これを2つ合わせて“得意冷然 失意泰然”。物心ついた時からの座右の銘なんですよ。」

大桃美代子

タレント/ニュース番組をはじめ、料理、クイズ、バラエティ、情報番組など幅広い分野で活躍。食育や農業に関心を持ち、食に関する資格を多数取得している。05年に「魚沼特使」に任命され、中越地震の復興に向けて頑張っている地元・魚沼を全国の人に知ってもらいたいとの想いから、07年より魚沼で古代米(桃米)作りを始める。また、魚沼の子どもたちと<食>を見つめ直す活動として、生き物調査を行うなど、様々な活動を通して、故郷の復興支援に取り組んでいる。

「可能性を秘めた“夢みる農業”を伝えたい」

「一緒に過程を楽しんで 農業の魅力を体感してもらう」
■子どもたちと農作業を行う理由
「(子どもたちと)一緒に過程を楽しんで、『こうやってものができていくんだ』っていうのを知ったときに、みんなすごく笑顔が変わるんですね。『楽しい』『自分もこれをやってみたい』と思う子が1人でも出てくれたら、後継者になってくれたら、私は嬉しいなと思って、この米作りをさせて頂いています。」

「農業で“夢をみる”」
「いつもできたお米を見ながら、『今回はどんなふうにお料理しよう』なんて考えたりするのも楽しいんですね。これをもしかしたら海外に持って行ったりとか、六次産業化でお酒にしたりっていうことも考えたりすると、すごく胸がワクワクするんですよ。農業で夢を見ることができる“夢みる農業”っていうのを、これからもできるんじゃないかって可能性を感じます。」

織作峰子

写真家/1960年、石川県生まれ。大学時代にミスユニバース日本代表に選ばれる。82年に写真家・大竹省二氏に師事。1985・1986年全国二科展入選。87年に独立し、幅広いメディアで活躍するとともに、大阪芸術大学写真学科教授、学科長を務める。世界各国の美しい風景や人物の瞬間を撮り続けている。

「目の前のことに懸命であれば 自然と道が開ける」

「女性カメラマンとしての苦労を乗り越えて」
「私は最初、報道から入ったんです。報道カメラマン。例えば100人(カメラマンが)いたら、99人が男性で、私1人が女性で。そうすると『女は邪魔だ』みたいな、そういう風にはっきり言われたり。でもクヨクヨしないで、また次の日になれば仕事が待っているので、『目の前にあるものをとにかくこなしていこう』という精神で頑張ってきましたね。」

「座右の銘『桃李もの言わざれども 下自ずから蹊を成す』」
「桃李というのは桃、すももですね。植物なので口はありません。だから自分からものを語る事はしません。でも美しい花が咲き、その花を見るためにその下には道ができて人が集まる。『ちゃんと自分の事をきちっとやっておけば、人はついてきますよ』っていう言葉。これは大事にしたいなって思っています。」

大谷昭宏

ジャーナリスト/1945年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。68年、読売新聞大阪本社入社。徳島支局を経て、本社社会部記者として大阪府警捜査一課や朝刊社会面コラム「窓」を担当。87年に退社後、故黒田清氏とともに「黒田ジャーナル」を設立。2000年、個人事務所を設立し、新聞・テレビなどでジャーナリズム活動を展開。著書に『事件記者という生き方』『冤罪の恐怖』『監視カメラは何を見ているのか』などがある。

「“生”への愛おしさを大切に 事件と向き合う」

「現地で痛みを共有し 真実を伝える」
■現場へ足を運ぶ理由
「現場を見ないといろいろ言えない、というのが私の基本的な所なんですね。現場に行ってみると、伝えられている事とはかなり違う事がいっぱいある。災害でいうと、やっぱり現地に入って、現地の方と触れ合って、一緒に泣いたり笑ったり、あるいは怒ったりしなければ、本当の災害の酷さっていうのは分かってこない。それが私の本音の所なんですよね。」

「“生”の尊さを知るからこそ 事件と向き合える」
「生きていることの素晴らしさがあるからこそ、命を奪われた方、期せずして命を失ってしまった方、その方たちの無念さが分かるような気がするんですね。だから事件や事故や災害というものと真正面から向き合える。なので“生きとし生きる”という言葉を大事にしている。」

是枝裕和

映画監督/1962年、東京生まれ。早稲田大学卒業後、テレビマンユニオンに参加。主にドキュメンタリー番組の演出を手掛ける。95年、初監督した映画『幻の光』がヴェネツィア国際映画祭で金のオゼッラ賞を受賞。04年、『誰も知らない』がカンヌ国際映画祭にて史上最年少の最優秀男優賞(柳楽優弥)を受賞し、話題を呼ぶ。国内外で評価が高く、監督作品は他に『歩いても 歩いても』(08年)『空気人形』(09年)『奇跡』(11年)など。

「“こだわらない”で 現場の面白さを大切に」

「最新作は 監督自身の悩みが原点」
■最新映画「そして父になる」のテーマについて
「ちょうど今、自分に5歳の娘がおりまして、なかなか一緒にいる時間がない中で、『一体父親っていうのはどういう存在なんだろうな』という。『血が繋がっているだけではダメなのかな、やっぱり一緒にいる時間が大事なのかな』ということを日々悩んでいるものですから、そんな悩みを映画の主人公にも一緒に考えてもらおうと思ったのがスタートです。」

「現場で起きることが面白い」
「台本に天気が"晴れ"で書いていて、(撮影当日に)曇っちゃったときに、"晴れるまで待つ"というのが普通なんだけど、実はそんなにそれが大切かどうかはわからないんだよね。そこにこだわると逆に、現場で起きている面白いこと、現場で起こる可能性のある面白いことを見つけられない可能性が出て来るので、そこはあまりこだわらずに、現場に臨みます。」

草野仁

TVキャスター/昭和19年旧満州生まれ。東京大学文学部社会学科を卒業後、NHKに入社。主にスポーツアナウンサーとして、オリンピック、野球、競馬など幅広い競技の実況を中心に活躍。昭和60年にNHKを退社しフリーに。以降、朝や午後の情報番組のMCをはじめ、さまざまな番組の司会進行を務める。TBS「世界ふしぎ発見!」は放送開始28年目に突入する長寿番組に。その他、講演、執筆活動も行い、この10月に「話す力」(小学館101新書)を上梓。

「“夢実現”へ立ち向かう中で 人生の充実感が生まれる」

「“あなたとコミュニケーションしたい”という姿勢で」
■話しをするときに一番大事なこと
「相手の方の目を穏やかな表情できちっと見て、『あなたとコミュニケーションしたいんです』『あなたとお話ししたいんです』という姿勢を出していくということ。自分にあまり話す内容がなかったとしたら、相手の方の思いをたくさん聞き出していこうじゃないか。どんなことを考えていらっしゃるかを伺おうと。そういう気持ちで、“コミュニケーションをする”ということに向かっていくことが一番大事なんじゃないかなと思います。」

「“夢実現”へ向かっていくことの大切さ」
「夢を持って、それを実現しようと向かっていくことの大切さ。これはもう、世代を問わず、全ての人に言えることだと思っておりまして。それなりの夢を持って、それをなんとかして実現したいなと思って、いろいろ努力をしたり、いろんなことを積み重ねていくところに、人間の人生の充実感、あるいは楽しさというものが生まれていくんだと思うんですよね。」

伊藤羽仁衣

ウェディングドレスデザイナー/デザイナーでもある父の影響を受け、幼少の頃よりドレスデザインを手掛ける。13歳で『毎日モードコレクション』にオリジナルドレスデザインを発表。22歳で北海道札幌にウェディングドレスブランド『HANY WEDDING(ハニーウェディング)』を立ち上げる。2010年東京青山にウェディングドレスブランド『THE HANY』出店。「世界で一番エレガントで美しく可愛い花嫁様を作る」というコンセプトのもと、個性溢れるデザインで新しいドレスを生み出し続けている。

「“大好き”が詰まったドレスで“Happyの連鎖”を創りたい」

「自分の“大好き”を最優先に」
■ウェディングドレス選びのポイント
「悩んでいる方だと『私はピンクが似合わないからダメなんじゃないのか』とか、結構“ダメ”から入られる方がいらっしゃるんですけど、そんなことなくて、やっぱり自分の大好きな物を着て頂きたいなと思うんですね。髪型とかヘアメイクで全然雰囲気って変えられるので、『私がこうだからこのドレスじゃなきゃいけない』っていうよりは、自分の大好きなドレスを着て頂いて、それに合わせてコーディネートして頂くのがいいんじゃないかなと思います。」

「幸せな気持ちが “Happyの連鎖”を生み出していく」
「幸せな花嫁さんが出てきて、ゲストの人もそれを見ただけで幸せになるじゃないですか。花嫁さんに接するにしても、ドレスのデザインにしても、幸せな気持ちじゃないと良いものもできないし、良い接客もできないと思うので、やっぱりいつも自分も幸せじゃなきゃいけないなと思います。」

安藤美冬

起業家・ノマドワーカー/株式会社スプリー代表。1980年生まれ、東京育ち。慶応義塾大学卒業後、(株)集英社を経て現職。ソーシャルメディア発信を駆使し、肩書や専門領域にとらわれずに働く独自のノマドワーク&ライフスタイル実践者。『自分をつくる学校』学長、講談社『ミスiD(アイドル)2014』選考委員、雑誌『DRESS』女の内閣 働き方担当相などを務めるほか、商品企画、連載執筆など幅広く活動中。『情熱大陸』などメディア出演多数。著書に7万部突破の『冒険に出よう』。

「自分を発信しながら“冒険”の道を突き進む」

「自分を発信して 相手に“好き”を決めてもらう」
■1つの仕事に縛られない働き方について
「得意だったツイッターでとりあえず自分を発信して、自分の存在を知ってくれた人から、「うちと一緒にシェアハウスを作りませんか?」とか「一緒にカバン作りませんか?」とか「うちの企業のソーシャルメディアのブランディングをしてくれませんか?」みたいなかんじで(依頼が来るという)、自分だけの働き方をデザインしちゃえばいいんだと思ったんですよね。好きなことがないんだったら、相手に好きになるものを決めてもらえばいいと思ったんです。」

「“毎日が冒険”のチャレンジ精神」
「大人としてこの日本を生きていると、冒険を忘れがちなので、あえて自分には「毎日が冒険なんだ」と言い聞かせて、毎日少しでも新しいことにチャレンジしたりとか、やったことのないことでも一歩踏み出してみるとか、そういったことを自分の座右の銘としています。」

鳥羽美花

染色画家/愛知県生まれ。京都市立芸術大学大学院修了。日本の伝統技法「型染め」を駆使し、独自の絵画世界を創出。94年、初めて訪問したベトナムに魅せられ、その風景をテーマとする作品を発表し始める。01年—02年、ハノイでの『鳥羽美花作品展—型染とベトナムの風景』が高い評価を得る。05年、世界遺産のフエ王宮「太和殿」で個展を開催。ベトナム政府より文化功労賞を授与され、国内では都市文化奨励賞、京都市芸術新人賞、外務大臣表彰などを受賞している。

「独自の表現を追求し細やかで雄大な世界観を作りたい」

「作品づくりにおけるこだわり」
「例えば糊であるとか、水であるとか、自然の作用に影響されることもよくあるんですね。いわゆる失敗、例えば、滲んでしまうとか。それを見つけて、良い方向に変えて行くという。うまく捉えて表現していく、新しい表現に繋げて行く、ということを心がけています。」

「一点に絞られない世界観」
「淡雪は春先にすぐに溶けてしまう雪なんですけど、それをずっと見ていると、本当に広い世界が広がっていく。非常に雄大なのに繊細。繊細かつまた雄大である。それを作品そのものにやっていきたいなというのは常に思っています。」

とみこはん

消しゴム版画家・イラストレーター/日常のおかしみや楽しみを、消しゴムはんこで描く。食べ物や人物のモチーフを中心に、雑誌、書籍、広告、テレビなど様々な分野で活動中。著書に「とみこのはんこ」(河出書房新社)。国内外でワークショップを開催している。

「“思い立ったが吉日”で夢を叶える」

「常に表情が変わる、消しゴムはんこの楽しさ」
「絵は一緒なんです。絵は一緒で彫った人も一緒なんですけど、押す人の力によって線の出方も違いますし、その絵が全部コピー&ペーストではなくて、一回押すごとにまた表情が変わるというのが面白いものだなと思って、ずっと彫っています。」

「思い立ったが吉日」が信条」
「やらなかった理由を長年言ってもしょうがないというのが基本的に私の心にあって。やらなかったことを誇らしく喋ってもあまり良い事はないので。毎日きっかけがあるのであれば、挑戦をしたり、勉強していきたいと思っています。」

幸田真音

作家/1951年生まれ。米国系銀行や証券会社で、債券ディーラーなどを経て、95年『小説 ヘッジファンド』で作家に転身。国際金融をテーマとした作品を多数発表している。主な著書に『日本国債』『凛冽の宙(そら)』『日銀券』『バイアウト』『財務省の階段』ほか多数。日本経済を救った不世出の財政家・高橋是清の生涯を描いた最新刊『天佑なり』(上下巻)が発売中。財務省財政制度等審議会や政府税制調査会、NHK経営委員会などの委員を歴任。

「全ての瞬間を“楽しむ”ために心がある」

「最新著書『天佑なり』について」
「ちょうど今アベノミクスということで、是清がやった政策と似ているというか、安倍総裁が是清の高橋財政をモデルにしたというところがあります。過激な経済対策というのは最初は歓迎されますけれども、それをやめるとき、出口政策というのはとても難しいんですよね。その問題に取り組まなきゃいけない時期が来ますから、是清が残した本当に貴重な、身を持って残された経験を是非知って頂きたい、参考にして頂きたいと思いますね。」

「どんなときも楽しむことの大切さ」
「刻々と価格が変動するという大変なプレッシャーの所にいたときにですね、私のアメリカ人のボスが、本当に大変なときにですよ、“Have fun!”って言ったんですよ。「楽しめ」って。「プレッシャーをも楽しみなさい」っていう言い方をしたんですね。「自ら楽しませたり、周りの人を楽しませたりするためにこそ心があるんだよ」っていう言葉がすごく素敵だなと思っています。」

武田美保

スポーツ/教育コメンテーター。5歳から水泳を始め7歳でシンクロコースに転向。17歳でナショナルA代表となり1997年よりデュエットに取り組みその後日本選手権7連覇を達成する。2001年世界水泳福岡大会ではチーム/デュエットで金メダルを獲得し、アトランタ、シドニー、アテネの3オリンピックで銀・銅計5つのメダルを獲得する。引退後はエンターテイメントの世界で感動を世の人々に送り届けている。現在 文部科学省/教育再生実行会議メンバー、内閣府税制調査会委員、三重大学特任教授としても活動中。

「妥協しない日々の積み重ねが夢を叶える」

「引退後は教育問題に目を向け活動中」
■自身の経験から子供の「教育」で必要な事とは?
「どんどん競争して悔しいという想いを子供達はしっかりと感じて、悔しいから次同じ思いにならない為にはどうすべきかという事を、成長過程において身につけていってもらいたいなというのが一番なんですね。
是非競争にどんどん自分の身を投じてもらいたいなと。」

「モットーは毎日自分更新!」
「小さな歩みでもいいので1ミリ以下単位でもいいから、昨日より今日、私が上手になった事を私が知っていればいいんです。
それをモットーに自分も活動を続けていきたいですし、子供達と関わる時にそれを伝えたいなと思います。」

遠藤功

早稲田大学ビジネススクール 教授/株式会社ローランド・ベルガー 会長/早稲田大学商学部卒業。米国ボストンカレッジ経営学修士(MBA)。三菱電機株式会社、米系戦略コンサルティング会社を経て現職。欧州系最大の戦略コンサルティング・ファームであるローランド・ベルガーの日本法人会長として経営コンサルティングにも従事。実行支援を伴った「結果の出る」コンサルティングとして高い評価を得ている。株式会社良品計画社外取締役。ヤマハ発動機株式会社社外監査役。最新著書「行動格差の時代 心の勢いで壁を突破する8つの力」(幻冬舎)が発売中。

「“現場力”こそが日本の競争力を高める!」

「不況を乗り切る為には『現場力』が大切」
日本の企業の現場程こんなに強く、こんなにしっかりしている現場は世界を見てもなかなか無いと思うんですね。
会社も色んな戦略を作ったりする訳です。でも実行しないと意味がない。やる当事者は現場です。そういった意味でやりきる現場、やり抜く現場、やり通す現場をいかに作っていくか。これまでもそしてこれからも現場力というのを経営の中心に据えていくべきだと思っています。」 」

「日本の『ものづくり』に現場力あり!」
「色んな苦労を現場はしていて、ただ単に機械が動いているだけじゃなくて、いかに生産性を高めていくのか、いかに品質を良くするか色んな課題に現場は挑戦している。日々のオペレーションをやりながらやっている訳ですね。そこから知恵が出てきて、これが日本の競争力に繋がっている。
日本の“ものづくり”がいかに強いかというのは、素材や部品を作っている所に原点がある。」

大友克洋

漫画家・映画監督/1954年宮城県生まれ。73年に漫画家デビューし79年に初単行本「ショートピース」を刊行。「気分はもう戦争(82年)、「童夢」(83年)、などを発表。82年に連載開始した「AKIRA」は自身の手によって88年に映画化し国内外より熱狂的に支持される。その後もオムニバス・アニメ映画「MEMORIES」(95年)、長編アニメ「スチームボーイ」(04年)、実写映画「蟲師」(07年)などを発表。2005年フランス政府から芸術文化勲章シュバリエを授与されている。新作映画「SHORT PEACE」7月20日(土)公開。

「自分のやりたいことをやる、それが個性になる」

「日本をテーマにした最新映画「SHORT PEACE」について」
■オムニバス映画「SHORT PEACE」の一篇「火要鎮(ひのようじん)」は大友さんが監督・脚本を手がけている。
「震災後「日本」というテーマが出てきたと思いますね。日本をもう一回、自分たちの中で考えている日本を、時代を超えながら作って行ければいいんじゃないかと。
(「火要鎮」については)昔から江戸ものをやりたくてね。それを形にするにあたっては、いろいろな資料を調べて、実際に昔の走り方「なんば走り」というのですかね、走ってビデオに撮って参考にしたりしました。ちょっとでも江戸の雰囲気が出せればと。そういう所で苦労したというか。 」

「未来を担う若手クリエイターたちへ」
「もうちょっと、好きなことをやればいいのに、と。好きなことをやっているんでしょうけど、なんとなく、みんな似ているかなという感じがします。既成のパターンを使いすぎるというかな。もう少しオリジナルを出してもいいんじゃないかな、という気がします。」

石原良純

俳優・気象予報士/1962年生まれ。1984年 慶応義塾大学経済学部卒業。1984年 松竹富士映画「凶弾」でデビュー。司会 ANN「トリハダ(秘)スクープ映像100科ジテン」テレビバラエティ TBS「ぴったんこカン・カン」ANN「Qさま!!」キャスター ANN「モーニングバード」CX「選挙特番」KTV「よ〜いドン!」ほか、各分野で活躍中。

「どんなときも下を向かずに“空を見よう”」

「気象予報士、俳優業などマルチに活躍」
■様々なシーンで活躍する上で心がけている事は?
「やっぱり僕の中心はテレビだと思うんですよね。テレビの中で一番大事な事は、“楽しむ”という事。観ている人に楽しんでもらうには、出ている人間がその瞬間を楽しまなきゃいけない。時間に追われてスタジオを駆け回る事もあるかもしれない、待たされる事もあるかもしれない、それでも何がここで楽しのだろう。今日は何が楽しいのだろうと、常に楽しむということを心がけているんです。」

「大先輩からもらった厳しさは財産」
「僕の周りには怖い人がいたんですよ。俳優業だったら渡哲也さんや、舘ひろしさん、演出家だったらつかこうへいさんに出会ったりとか、おっかない人が一杯いたんです。でも恐くするのって大変なんですよ。後輩に対してエネルギーをかけてやんなきゃいけないじゃないですか。だから昔の恐い先輩は僕らに対しても力をかけてくれてたなと思うんだよね。そういう人にね、どれだけ出会えるか。それが結局、後々の財産になっていくから。」

森岡薫

日系2世の父とペルー人の母を持つ日系3世。ブラックショーツやファイルフォックスなどの関東リーグの名門チームへ所属。 2006年に日本初のプロフットサルチームとして発足した大洋薬品/BANFF(現:名古屋オーシャンズ)の初期メンバーとして加入。Fリーグでは2007,2011シーズンMVP,2011,2012シーズンに得点王を獲得。リーグ6連覇に多く貢献した選手。2012年8月には日本に帰化し2012年FIFAフットサルワールドカップにおける日本代表に初選出され日本代表の中心選手として活躍中。

「感謝と謙虚の気持ちを大切にプレーし続けたい」

「高校を1年で中退。21歳まで建設現場で働き生活」
■大事な時期にスポーツと離れながらもプロになれたのは?
「真剣にフットサル選手になろうと思った時から、アルバイトをしながらだったので生活の面では苦しみながらやっていた部分もあって、16歳から21歳までずっと運動してない人がプロになったっていう時点でやっぱり不可能なものはないなって、思い始めたんですね強く。不可能を可能にしたっていう自分の気持ちは負けず嫌いな部分がすごくあって、練習でも負けたくないし、周りに認められたいという想いが大きかったんですよね。」

「謙虚な姿勢でプレーする」
「スポーツ選手にとって一番大事な言葉かなと思うんです。謙虚な気持ちがないと間違った考え方だったり、決断をしたりするので、そういう謙虚な気持ちを持ちながらプレーしていくという事は、自分がフットサルで関わった色んな人達へ感謝の気持ちを持ちながらプレーしているというのもあると思うので、やっぱり謙虚な姿勢を持ちながらやっていきたいですね。」

喜多俊之

プロダクトデザイナー/1969年よりイタリアと日本でデザイン制作活動を始める。イタリアやドイツ、日本のメーカーから家具、家電、家庭用品などのデザインで多くのヒット商品を生む。作品の多くは、ニューヨーク近代美術館やパリ国立近代美術館など、世界のミュージアムにコレクションされている。また、ライフワークとして、日本の伝統工芸に取り組む他、地場産業を活性化する仕事に関わり続けている。大阪芸術大学教授。2011年イタリアの黄金コンパス賞を受賞。

「デザインで“ものづくり”に心を込める」

「デザインで使う人と作る人を繋ぐ」
■デザインの役割とは?
「デザインは使う側と作る側の、潤滑油のような役割をしているんじゃないかと思うんですね。ですからこの潤滑油がよければ、物ももっと使いやすくなるとか、楽しくなる。
使う人のことをやっぱり考えないといけないですね。」

「心を込めてものづくり」
「機能性や安全性、経済性、人への思いやり、そういったことを含めてデザイン。特に日本は物に心を込めると言いますか。魂を込める、極める、ということをやってきましたので、これをやはり続けるべきじゃないかと。世界で一番良いものを作ろうという心がけがいるんじゃないですかね。」

立浪和義

野球解説者/1969年生まれ。大阪府出身。1987年PL学園主将として甲子園春夏連覇。同年ドラフト一位で中日に入団。一年目からショート、レギュラーで活躍。新人王獲得。その後もチームの中心選手として活躍、ミスタードラゴンズと呼ばれる。2003年2000本安打達成。2009年引退。通算487二塁打はプロ野球歴代最多記録。引退後は野球解説者として活動。2013年WBC日本代表チーム打撃コーチ。

「“気”を胸に 走り続けたい」

「ドラゴンズ一筋22年!」
■第一線を走り続けていけた秘訣は?
「厳しい指導者の元でスタートさせてもらったという事と、 すごく厳しい上下関係であったり、礼儀であったり、寮生活を経験させてもらった事によって、我慢する事や忍耐力を自然と身につけさせてもらった事が、プロ野球の激しい競争世界の中で、当然良い時よりも悪い時の方が多いですから、乗り越えてこられたのかなと思います。」

「自身のバットにも刻んでいた言葉『気』」
「常に気持ちを込めてという意味もありますし、気合いの“気”でもありますし、自分の体を動かすのに“気”というのはすごく大事だと思います。何よりも綺麗ごとを抜きにして最後はいかに気持ちを込めて、気合いを入れて常に全てのことに対して取り組むという意味で、自分はいつもバットに“気”という字を書いていました。」

久瑠あさ美

メンタルトレーナー/愛知県出身。東京・渋谷のカウンセリングルーム「ff Mental Room」代表。日本芸術療法学会会員。日本産業カウンセリング学会会員。日本心理学会認定心理士。精神科・心療内科の心理カウンセラーとして勤務後、トップアスリート、各界アーティストをはじめ、企業経営者、ビジネスパーソンなどのメンタルトレーニングを行い、多くのクライアントから絶大な信頼を寄せられている。新刊「あなたの「限界の壁」をぶち破る!マインドフォーカス」が発売中。

「変えられない”過去”より変えられる”未来”に目を向ける」

「性格を変えるより性格を活かす」
■メンタルトレーニングで大切なことは?
「自分の性格のせいで人生がうまくいってないと思っている方が多いんですね。性格を変えるのではなくて、自分の性格をまず活かす事。自分自身が持っている力を引き上げていく潜在能力というのが、まだまだ眠っているという所に焦点をあてていくことですね。」

「人生は劇的に変えていける」
「今ある自分を、こうありたい自分に塗り替える瞬間っていうのは、これまでの自分の想定内の人生から、想定外にビジョンを持っていく。これが限界を超えていくという事なんですね。だから、人生は劇的にしか変わりようがないと思ったら、ちょっと恐いものって無くなるんじゃないかな。」

草野満代

アナウンサー/1967年生まれ。津田塾大学学芸学部卒業後、89年にNHK入局。「モーニングワイド」「紅白歌合戦」などNHKの代表的な番組を担当してフリーに。97年10月から9年間「筑紫哲也NEWS23」のキャスター。現在、テレビ東京「L4you!」、BS-TBS「謎解き!江戸のススメ」出演中。また、総務省年金業務監視委員、
環境省地球いきもの応援団、等政府懇談会メンバーとしても活動中。

「日々“一期一会”で現場の声を届ける」

「心と心のキャッチボール」
■会話をする上で大切にしている事は?
「相手の気持ちというか心をどう受け止めて、どう相手に返してあげるか、そのキャッチボールが出来るのが会話だし、伝わるって事なのかな。別に自分の事をしゃべる必要はなくて、ただ相手の話を聞いてあげたらいいんじゃないかなと、よく聞き上手が話し上手だったりするんですよね。」

「大切にしている“一期一会”」
「メディアの仕事をしていてカメラのレンズを通したら、不特定多数の方と対面している訳ですが、でも結局は一対一の関係が何通りもあるという事なのかなと思うんですよ。そういう人達にむけて私は常に仕事をしている訳で、その瞬間瞬間に精魂を込め、(出会いは)無駄にしたくないという思いがとても強いですね。」

山城厚生

静岡福祉大学教授/1961年、静岡大学卒。日本社会事業大学附属社会事業学校研究科を経て静岡県に勤務。精神衛生センター、保健所、保険予防課、精神保健福祉センターなど精神保健福祉及びメンタルヘルス業務に従事。2004年、静岡県を退職。「NPO法人こころ」を設立し理事長となり現在に至る。2004年より静岡福祉大学教授。また、長年ホームレスの無料宿泊所である「金谷民生寮」の運営にも携わっている。

「“心の病”と向き合い 手を差し伸べたい」

「時代とともに変化する心の病」
「世の中が便利すぎて、人とやりとりせずに子供時代を過ごしてしまったり、無縁社会と言いますかね。最終的には技術だとか知識も大事だけれども、心がどう通じ合うか。その心が大事だな、ということをいつも伝えているんですけどね。」

「同じ立場の人が関わり合える場が大切」
「精神障害者の方々が集まるとか、患者さんを抱えている家族の方が集まるとかですね。そういうグループ活動。これは医師だとか(福祉の)仕事をしている方の当事者のやりとりよりも、同じ立場の方達が話し合ったり共有する。その事が非常に効果的です」

奥田祐斎

染色アーティスト/絹・水・火・染料を絶妙に操り、自然との調和から生まれる『にじみ』の美しさは、まさにアートである。古代染色家でもある奥田祐斎はこれまでに多くの研究を通し独自の染色技法を開発。日本の恵まれた気候風土を最大限にいかしながら日本独自の染色芸術を内外に発信し続けている。1950年、紀州熊野で紺屋の四代目に生まれる。2008年、ルーヴル・パリ装飾美術館に出品。パリで好評を博し、2010年、ルーヴル美術館・ギメ美術館の学芸員・修復家17名が祐斎を訪ね来日。

「チャレンジ精神が人生を色濃く染める」

「作品の中に日本の侘び寂びを込める」
■色合いが変化する独特な「夢黄櫨染(ゆめこうろぞめ)」の魅力について。
「時間と共に美しさが変化していく物。例えば青畳にしても新しい時は青く、時間と共に茶色に変わっていく状態ですね。それがまた素晴らしいと思える日本人の感性。そういう中に今までなかった染め遊びがあるのかなと思います。」

「“染め”の中に全てがある」
「素晴らしい水が日本にある。生地に水と染料を置いた時に自然に広がっていく美しさっていうのは世界に類例がないんですね。そんな染めを通して常に新しい自分を発見していく。全ては僕にとっては染めであり、染めがまた夢を広げてくれる。」

柴田達志

建築家/愛知県岡崎市生まれ。大同工業大学 建築学科卒業。表現者としての確立を志してASOスタイルを設立。建築そしてアートの可能性を提案。設計・デザインを通じて表現を始める。

「人生の“証”となる建築を作り続けたい」

「お客さんの気持ちになって技術を提供すること」
■設計をするうえで、柴田さんが大切にしていることとは?
「その人の気持ちになって僕は設計できているかどうか。これを一番僕は気にしているし、設計というのは、やっぱり僕らが技術を持っている、建てる力を持っているとしても、お客さんはそういう事は知らないけれど、幸せになりたいという気持ちを持っている。だからそういう気持ちが合致するためには、僕らが技術をお客さんの気持ちになって提供する、そういうことかなと思うんです。」

「家づくりは『証』づくり」
「自分のやってきた足跡というものをしっかりしたい。家を作ってほしいと願う方も、同じように自分の証をつけたいと思っていると思います。家族が幸せになれた、もしくは、自分の愛する人を守っていくんだという気持ち。そういう気持ちを幸せの原点、目標においているかもしれない。無理しているんですよ。家を作るというのは。お互い話し合っていく事でやっといい家の全体像が見えてくると僕は思っています。」

田原総一朗

早稲田大学文学部卒業。岩波映画製作所、東京12チャンネル(現・テレビ東京)を経て1977年フリーに。現在は政治・経済・メディア・コンピューター等、時代の最先端の問題を捉え、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。テレビ朝日系で1987年より「朝まで生テレビ!」、1989年より2010年まで「サンデープロジェクト」等に出演。テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、1998年ギャラクシー35周年記念賞「城戸賞」を受賞。『塀の上を走れ 田原総一朗自伝』(講談社)ほか著書多数。

「しなやかに したたかに たくましく生きる」

「たくましい若者が育ってきたから 日本の将来は明るい」
■田原さんが今、一番注目していることとは?
「僕は今、若い連中に非常に関心がある。彼らは、物心ついたら日本はもう不況なんですよ。だから高度成長もバブルも知らない。親父や友達たちがリストラにガンガン遭うのを見てきて、政治家も経営者も頼りにならないから、「オレたちがやるしかない!」と。こういうたくましい連中が育ってきたから、日本の将来は明るいと思っている。」

「座右の銘“しなやかに したたかに”」
「“しなやかに”というのは、柔軟性。つまり硬直化しない、柔軟でありたいということ。“したたかに”というのは、これは生きる知恵ですよ。やっぱり生活ができる基盤は作らなきゃいけない。そのためには資格を取ったり、どこかの企業に入って、その技術やノウハウを学ぶ。これはやっぱり“したたかさ”だと思う。」

藤巻健史

フジマキ・ジャパン代表/1950年、東京生まれ。一橋大学商学部を卒業後、三井信託銀行に入行。80年にMBAを取得。85年、米銀のモルガン銀行入行。ディーラーとして抜群の実績を買われ、当時としては東京市場で唯一の外銀日本人支店長に抜擢される。2000年の同行退社後は、世界的投資家ジョージ・ソロス氏のアドバイザーなどを務めた。現在、投資助言会社「フジマキ・ジャパン」代表取締役社長。東洋学園大学理事。一橋大学経済学部で講師も務める。著書多数発表。最新刊「ひとたまりもない日本」が発売中。

「未来を見据えて“和して同ぜず”判断を」

「英語で世界へ挑戦して欲しい」
■来る未来に備えて、若者には英語力を身につけて欲しいと話す藤巻さん。その理由とは?
「通貨が安くなってくると、日本だけの小さい市場じゃなくて、市場は世界中に広がるわけで、国内だけに閉じこもらず、やっぱり英語で世界に挑戦していかなくしゃいけない。だとするとですね、今はまだ円が強いと思うので、強い円を利用して海外へ行くなりして、英語を習っておけば、円が安くなったときに、その投資した英語力で世界に羽ばたけると思うので、若者にはやっぱり英語をやっておいて頂きたいなと私は思いますね。

「自らの考えを持つ『和して同ぜず』」
「ケンカする必要はないよ、皆と仲良くやりましょうね。だけれども、みんながそう言っているからといって、それが正しいとそれについていっちゃいけませんよ。それが“和して同ぜず”なんですね。“皆が言ってるから正しい意見なのかな?ちょっと違うかもしれないな”と、ちょっと引いて自分なりの考えを持って、大衆に流されてはいけませんよということだと思います。」

小松美羽

銅版画家/日本の風土が生み出すものにこだわり、信州を拠点に世界にメッセージを発信する新進気鋭のアーティスト。長野県坂城町出身。女子美術大学短大部卒。坂城町特命大使。その端正な顔立ちから「美しすぎる銅版画家」としても話題を呼ぶ。6月にはフランスのグラン・パレ美術館で作品が展示、11月にはドバイのリッツカールトンで展示会を開催予定。現在、河口湖ミューズ館・富士レークホテルにて9月18日(水)まで「画家 小松美羽展」2ヶ所同時開催中。

「感受性を守りながら、世界へ発信していきたい」

「人も動物も“差別のない世界”」
■代表作「四十九日」は、亡くなった祖父がラクダに乗り、ウサギに案内をされて地獄から逃げているところを描いているそうです。その意図とは?
「死後の目の濁り方が動物も人間も一緒だと気付きまして。あの世の世界に行ったときは、人間も動物もそんなに差がなくて。ウサギ自身が人を先導してあげてるという“差別のない世界”を作り上げたかったのです。」

「自分の感受性を守りたい」
「自分の感受性を自分で守っていくってすごく難しいことだと思うんですよ。アーティストだったら作品を発表する中で、たくさんの意見を言われるし、良い事も悪い事も言われるし。その中でちゃんと軸を持てるのがすごく重要だと思っていまして。大切な意見を吸収しつつ、でも自分の感受性を守りながら、融合していくということをやっていかないといけないと思っています。」

水野敬也

作家/慶応義塾大学経済学部卒。著書に200万部を突破した「夢をかなえるゾウ」のほか、「ウケる技術」、「人生はワンチャンス!」「四つ話のクローバー」「雨の日も、晴れ男」「大金星」がある。また恋愛体育教師・水野愛也としての著作「『美女と野獣』の野獣になる方法」もある。さらに、漫画「LOVE理論」の原案を務めたり、DVD作品「温厚な上司の怒らせ方」の企画・脚本をこなすなど、活動は多岐にわたる。

「人生はワンチャンス! 恥を恐れず挑戦あるのみ!」

「空想の世界でなく現実で夢を叶える」
「例えば遊園地ってあるじゃないですか、その場所で夢が叶うっていうのは素晴らしい事なんですけど、同時にそれって現実逃避でもあると思うんですね。夢が叶う場所って特別な場所ではなくて、やっぱり、日常というか現実の場所で夢を叶える事が生きる醍醐味だと僕は凄く思っているんです。」

「『聡』をかけ!」
「行動する事ってやっぱり恥をかく事を恐れない事だと思うんですけど、僕の『恥をかく』っていう字の『恥』の字が最初から間違っているんですよ。もう座右の銘から恥をかいてるっていうくらい、最速で恥をかく。それくらい恥をかく事を自分は恐れずに生きていきたいという意味なんです。それが一番成長するし、経験出来るという事なんですよね」

三橋貴明

経済評論家/東京都立大学(現:首都大学東京)経済学部卒業。外資系IT企業 NEC 日本IBMなどを経て2008年に中小企業診断士として独立、三橋貴明診断士事務所を設立した。2007年 インターネット上の公表データから韓国経済の実態を分析し、内容をまとめた『本当はヤバい!韓国経済』(彩図社)がベストセラーとなる。その後も意欲的に新著を発表している。当人のブログ「新世紀のビッグブラザーへ」の一日のアクセスユーザー数は12万人を超え、推定ユーザ数は36万人に達する。最新著書「アベノミクスで超大国日本が復活する!」が発売中。

「未来に希望を持つ事が、明るい日本へ繋がる」

「家庭でできる日本経済のデフレ対策」
「日本の家庭は今、預金病にかかっていてですね。みんな将来への不安感とかあるいは成長への否定論に頭の中が洗脳されていてお金使わない。だから景気が悪いんですね。誰かの作り出した物やサービスをみなさんが買う事で、誰かの所得が出来ているということ、それがまわり回ってご主人の給料にも影響していること、仕事にも影響してるというのを是非考えて欲しいなと思います。」

「成長こそが全ての解」
「とにかく成長しないと、経済成長しないと何も解決しないよというのをわかって欲しいです。逆に経済成長したらほとんどの問題は解決します。その為に重要な事は一個だけで日本経済はやる事やればちゃんと成長出来ると信じる事ですね。」

池田信夫

経済学者、株式会社アゴラ研究所所長/1953年生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHKに入社。報道番組の制作に携わり、1993年に退社。1997年、慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程を中退。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現職。日本を代表するブロガーとして積極的な言論活動を展開している。

「何事も自ら経験していくことが、愉快であり、有益である」

「多くの人に様々な形で情報を届けたい」
「僕がアゴラというウェブサイトをやっているのは、ちょっと専門的なことをああいうウェブサイトの場で多くの人に知ってもらうということが、例えば選挙のときに、目先の「税金上がるのがいやだ」とかそういうことだけで決めるのではなくて、もう少し長い目で、5年10年と考えた場合に、どういう選択をするのがいいのかと考える材料にしてもらおうと思っているわけです。」

「何よりも自分でやってみることが面白い」
「世の中でいろんなことがあって“ネットビジネスでこんなのやっている人がいて面白い”とか言う人がいるけど、そういうことを言うよりも、自分で新しいメディア作ってやってみるほうが面白いし、それによっていろんな人に 影響を与えることもできるし。あまりいろんな人の評論を聞くよりも、自分でやってみるということが一番面白いんじゃないでしょうか。」

吉村作治

早稲田大学名誉教授。エジプト考古学者。1966年、当時早稲田大学生で、アジアで初めてのエジプト調査隊を恩師故川村喜一教授と計画し実現させた。その後カイロ大学に留学し、約半世紀にわたり現地調査を行っている。1987年にはクフ王のピラミッド南側から4550年前の太陽の船をハイテクで発見し、2011年には同船坑の蓋石を取り出し、現在船の部材を取りあげ復原に向けてプロジェクトを進行させている。この他に、王家の谷アメンヘテプ三世王墓の修復をユネスコと共同プロジェクトとして実施中。有料メルマガ「新・週間作治」がスタート!

「自分の“未来”は自分で“創る”」

「未来は“ある”ものではなく“創る”もの」
「みんな未来があるとボヤっと思っているんですよね。未来って無いんですよ。自分で創るしかない。例えば10年を考えて、10年だったらこういうところを目指そう。それを目指す為には5年でどうなるべきだろうか。その為には1年でどうなるべきだろうか。その為には今どうあるべきか。未来というのは現在の積み重ねなんですよ。」

「夢は叶う」
「夢は叶うんだと信じて何かをやる。その為には目標を決めなければいけない。毎日ただ唯々諾々と生きてる。これじゃあ夢なんか持てないし叶うわけがない。まず第一に身辺整理をして、自分の夢を決めて、その夢に向かってどうしたら良いかというチャート図を作って、一個一個やっていく。絶対できます。」

チャン・ビン

二胡奏者/遼寧省出身。中国国立南京前線歌舞団で活躍後、1992年来日。名古屋芸術大学、愛知県立芸術大学等で学んだ後、国内外で幅広い日中交流親善の音楽活動を開始。2005年、愛知万博二胡大合奏後、チャン・ビン二胡演奏団を結成し、日中両国で演奏会を多数開催。2008年日中平和友好条約30周年記念式典、人民大会堂に招待を受ける。2010年、上海万博二胡大合奏。現在も日中友好の架け橋として精力的に活動を続ける。

「二胡の音色で日本と中国を結びたい」

「今の日中関係について思う事」
「寝られないほど寂しく感じているんですが、中国と日本は隣の国ですし、昔から文化においても、歴史においても、お互いに家族のように付き合ってきていますから。やはり、仲良くする事を願っています。」

「伝えたい言葉は“友情”」
「みんなの情を大切にしたいと思っています。友情を大切にしたい。私たちはこうして生まれてきて、いろんな方と出会っているので。やはりお互いを大切に、友情を大切にしたいと思います。」

高木美也子

生命倫理学者/日本大学総合科学研究所教授。青山学院大学理工学部卒業。パリ第7大学(通称ソルボンヌ大学)理学部博士課程修了。専攻は生化学、生命倫理。CNNキャスターを経て、現在では、コメンテーターとして多数の番組に出演。アジア生命倫理学会副会長、内閣府総合科学技術会議生命倫理専門調査会委員、国立大学医学部長会議研究倫理連絡協議会委員 ほか。著書に「クスリになる話」「生命のゲーム」「身体と性のあぶない話」「操作されるイノチ 複製されるワタシ」「人間パズル」など。

「一点突破 全面展開」

「今の世の中に感じることは?」
「閉塞感を強く感じます。若い人たちも、もうひとつ覇気がないというか、一部の人たちは頑張っているけど、あとの人たちは『もういいじゃんそんなの』とか、そういう雰囲気が多くて。」

「閉塞感を打破するために」
「閉塞感があるからって、そこで鬱々としていても始まりません。色々な物事を体験する『自分探し』もいいけど、『一点で頑張る』ことも重要だと思いますね。ひとつのところで頑張れば、新しい関係性ができたり、新しい展開も見えてくると思います。」

野口健

アルピニスト/73年、アメリカ・ボストン生まれ。16歳でモンブラン登頂。99年、7大陸最高峰世界最年少登頂記録(当時)を25歳で樹立。エベレストや富士山の清掃登山、遭難したシェルパの遺族を補償するための「シェルパ基金」設立、「野口健環境学校」の開校など、様々な活動に取り組む。

「現場を知るからこそ伝えたい“富士山から日本を変える”」

「清掃登山を続ける理由とは?」
「意外とシンプルで。僕は登山家ですからいろんな現場に行きますよね。現場に「行く」ということは自分で「見る」ということじゃないですか。やっぱり自分が見ているので、「見る」ということは「知る」わけじゃないですか。「知る」ということは同時にどこかで「背負ってしまう」んですよね。行って、見て、知って、どこかで背負って、みたい。ですから、自分で見る見ないって大きいんですよね。」

「富士山で清掃登山を続けることの意味」
「富士山が大好きで大好きで清掃活動をしているというよりも、富士山で起きていることが全国どこでも起きているんですよ。富士山というのは日本のシンボルですからね。このシンボルを徹底的にやっていけば。こういった活動が日本中にわあっと広がっていけばね、それこそ“富士山から日本が変わる”のかな、と」

竹内純子

国際環境経済研究所 主席研究員/1994年、慶応義塾大学法学部法律学科卒業。農林水産省生物多様性戦略検討会委員、21世紀東通村環境デザイン検討委員等歴任。2012年1月よりNPO法人国際環境経済研究所主席研究員、2月より一般社団法人フォレストック協会理事。著書「みんなの自然をみんなでまもる20のヒント(山と渓谷社)」発売中。

「和と輪と環のバランスで、環境と両立した経済発展を」

「環境と経済を両立させるとは?」
「環境と経済という循環、そして両立ということを考えて、どんな社会を作っていけばいいのか。人間というのは基本的に発展を求めるものだとは思いますし、発展を目指すのが自然の流れだと思いますけれども、その中でいかに、環境といった部分に配慮していくかというところが、バランスの取り方が重要なんだろうなというふうに思います」

「環境保全と経済発展のために」
「私は環境と経済を考えるときに、非常に重要なのは、仲間を増やすことだと思っていまして、人と和やかに、人と輪になって、そして人と環境を考える。やっぱり一人でできることというのは非常に限られていますので、いかに仲間を増やすかだと思っているんですね」

上念司

経済評論家/1969年東京都生まれ。中央大学法学部法律学科卒業。日本長期信用銀行、臨海セミナーを経て独立。2007年より経済評論家・勝間和代氏と株式会社「監査と分析」を設立。2010年、米国イェール大学経済学部の浜田宏一教授に師事し、薫陶を受ける。最新著書「日本の危機管理は、ここが甘い」(光文社新書)が発売中。

「変動する経済の情報を分かりやすく発信」

「今の世の中、生活する上で経済の動きは無視出来ない!」
■難しい経済の話を分かりやすく伝える方法とは?
「経済の話は無味乾燥でツマラナイところがあるんですね。例えば今のお金不足でデフレが起こるというのは、貨幣数量理論というのに基づいてるんですけど、貨幣数量理論なんて言おうものなら、その瞬間に思考が止まってしまうじゃないですか。なので例えばガンダムに例えたり色々面白い事を言って、興味を持ってもらった人に話をしていくという事が基本ですかね。」

「上念さんの信念『経世済民』」
「経世済民は経済の元になっている言葉なんですね。これは世を治め、民を救うという意味なんですけど、まさに経済というのは熱いハートとクールな頭脳でやっていかないといけないモノなので、まさに経世済民という言葉がピッタリかなという風に思っています。」

猪子寿之

ウルトラテクノロジスト集団 チームラボ代表/1977年生まれ。2001年、東京大学工学部計数工学科卒業と同時にチームラボ創業。大学では確率・統計モデルを、大学院では自然言語処理とアートを研究。数々の作品を発表し、2012年にはヨーロッパ最大のバーチャルリアリティ博覧会「Laval Virtual」にて、書家・紫舟とチームラボのコラボレーション作品「世界はこんなにもやさしく、うつくしい」を発表し、「建築・芸能・文化賞」を受賞した。

「デジタルのテクノロジーで新しい価値を作りたい」

「チームラボ作品の根底にある想い」
「例えばアートだったらデジタル領域だからこそ出来る新しい表現だったり、音楽の演出だったらデジタルを使うことによって、今までに無いような体感を得てもらうとか、デジタルのテクノロジーとデジタルのクリエイションを使って、新しい価値を作るという想いで作っています。」

「言語が無ければ世界は一緒」
「(作品は)出来るだけ言語的じゃないようにしていて。自分が言語を好きじゃないのもそうだし、世界中共通になるので。言語が無ければ世界は一緒。人の想像力で足してもらえることが、受け手にとって一番大事。」

田北浩章

東洋経済新報社 取締役編集局長/慶応義塾大学経済学部卒。建設、医薬、証券、機械などの産業記者、「オール投資」「週刊東洋経済」の編集部を経て、「ベンチャークラブ」「週刊東洋経済」「会社四季報」等の編集長・編集部長、第1編集局次長兼証券部長、企業情報部長を歴任。2011年より現職。拓殖大学客員教授。

「健全なる経済社会をサポートしていきたい」

「強い企業のキーワードは“理念”」
「本当に強い企業とそうでない企業がここら辺ではっきりと淘汰されるという風に思います。キーワードは理念です。理念のきちっと明確な企業かそうじゃないかが、大きな分かれ道になるんじゃないかという風に思います。」

「就職活動をする学生へ贈る言葉」
「反省はしますけれども、後ろを振り向いてばかりいては前に進めないので、 僕はとにかく“振り向くな振り向くな後ろには希望はない”んだと、これを特に大学で今、就職活動で非常に辛い思いをしている学生の方に贈りたい。 」

水道橋博士

最新著書「藝人春秋」発売中

「でも、やるんだよ!!」

「最新著書『藝人春秋』に込めた想い」
「テレビで伝えられる事はテレビで伝えればいいし、タレントとして出来ることはタレントとしてテレビやラジオなどでやればいいんですけど、本でしか伝わらないものがあるから、本を書くと思っている。 タレントっていうテレビの表側に出てフラットな画面でしか伝えられない裏側や奥行き、陰影というのは本でしか伝わらない。」

「博士の人生哲学」
「理不尽であろうが、これは無意味で無目的になってるかもしれないけれども、「でもやるんだよ!!」と。 やる気を失ったとき、立ち止まったとき、佇んだとき、「でもやるんだよ!!」しかないですね。理屈はいらないんですよ。 行動しか無いんですよ。頭で考えてるだけじゃダメだ。立ち止まって考えるんじゃダメだ。行為をするんだということですよね。」

※本回のナレーターは、江口ともみさんです。

麻衣

歌手/2歳からピアノを始め、6歳からNHK東京放送児童合唱団に所属。音楽家である久石譲を父に持ち、幼少時から音楽活動を続けてきた。4歳の時には、映画「風の谷のナウシカ」の中で、ナウシカの幼少時の回想シーンで流れる「ラン ラン ララ~」のメロディを歌った。2010年12月にはファーストアルバム「麻衣」を発表。2011年7月に全世界で公開された映画「ハリーポッターと死の秘宝 Part 2」のオープニングにソロボーカルとして参加。各分野で主題歌やCMソングを担当するなど活躍している。

「歌声に夢や希望を乗せて」

「麻衣さんの歌への想い」
■歌声で大切な事とは?
「発音が命というか、やっぱり歌なのでインストとはちょっと違うと思うんですね。言葉を大切に、何が自分は言いたいかという事を込めて歌っています。人の声のもつ魅力って代え難いものがあると思います。」

「思い描ける未来は必ずくる」
「想い描けるというのは自分が実際イメージ出来る事なので、自分がイメージしてビジョンに入ってくるというモノは、例えばそれが高望みだとかそういう風に思ったとしても必ずやってくる、と、そう思っているのです。」

和田裕美

作家・(株)ペリエ代表取締役/京都府生まれ。外資系教育会社でのフルコミッション営業時代、世界第2位の成績を残し、その後95%の成約率という圧倒的な営業力で最年少の支社長となった実績を生かし、営業・コミュニケーション・モチベーションアップのための講演やスクールも運営中。最近は中高生など、若い世代に未来が明るくなる考え方などを伝える活動にも取り組んでいる。

「“陽転思考”で人生に学びと気づきを」

「自分を褒める習慣が自信へと繋がる」
「自信っていろんな人が最初はゼロだと思うんですよ。会社に入ってもゼロだし、初めて奥さんになってもゼロだろうし、そうすると最初から「自信がなくてもいいんだ」という気持ちでいた方が良いと思っているんです。
ちょっとでもいいから出来た事とか、挨拶してみたとか、ありがとうって言われたとか小さな事の積み重ねで自分を褒めるような習慣を身につけてもらいたいなと思います。」

「事実の受け止め方を転換する『陽転思考』」
「目の前の事実っていうのはいろんなことがやってきますし悲しい事も辛い事もいろんなことがありますけど、でもその悲しみや辛さの中にも何かの学びがあったり、気づきがあったりすると私は信じているのです。
不安がなくなるという感じがあるので「陽転思考」が私の大事な部分ですね。」

橋爪功

俳優/1941年、大阪府出身。文学座、劇団雲を経て、75年に演劇集団円の設立に参加。以後、映画・舞台・TVドラマ等、幅広い分野で活躍。数々の映画作品に出演し、日本アカデミー賞優秀助演男優賞、同主演男優賞を受賞。近年の主な映画出演作に『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』(10/錦織良成監督)『奇跡』(11/是枝裕和監督)『「わたし」の人生 我が命のタンゴ』(12/和田秀樹監督)などがあり、日本を代表する実力派俳優である。

「人が自然に“在”るということの深みを表現したい」

「俳優として小市民に息づかいを与えたい」
「「バカだなあいつ」とか、そういう人物に惹かれるんですよ。小市民といいますか、そういう人物に息づかいを与えたい。今の世の中はだんだん情報が増えてきたので、そういう小市民が、小市民でいられる環境が薄くなりつつあるじゃないですか。だからますます「こんな人いるなぁとか、かつてこんな人がいたなぁ」という人を表現したい。」

「橋爪さんからのひと言、「在」という文字に感じる想い」
「そこにいる、そのまま自然に「在」る。それは自然にいる為には、ある時には欲望を抑えなければならないだろうしある時はより良い姿でいるためにいろんな勉強をしなければいけないだろうし人の気持ちとか考え方も聞き取っていかなくちゃいけないということ。」

鈴木愛

デザイン書道作家/1977年愛知県豊橋市生まれ。6歳から書道を始める。商業書道を久木田宏延氏に師事。2003年よりフリーデザイン書道作家として活動を開始。様々な企業や店舗、商品のロゴや、作品を制作。その数は600点程。日本デザイン書道作家協会 正会員。岡崎市「暮らしの学校」デザイン書道講師。豊橋市「愛知大学オープンカレッジ」デザイン書道講師。

「何にも縛られない表現で、文字を“感”じて」

「誰にでもできる表現方法で、自分の内面を伝える」
■鈴木さんが考える、デザイン書道の魅力とは?
「文字というものを伝達手段としてではなく、絵とは違う文字でそれぞれの皆さんの思いを込めて、自分の内面をぶつけることができるという。そういう表現手段として気軽に取り組んで頂く事ができれば、もっと書を楽しむ方が増えていくのではと思っています。」

「文字を表現として『感』じて」
「文字である以上、日本人の方は読もうとしてしまうんですけれども、読むというよりはそれを見てワクワクしたり、ドキドキしたり、ホッとしたり、何かキラキラしたいい感情が文字を見た時に動くというのが、私の中では一番の願いです。」

錦織良成

映画監督/1962年島根県出身。『BUGS』で監督デビュー。『守ってあげたい!』(99年)『白い船』(02年)『ミラクルバナナ』(05年)『うん、何?』(08年)『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』(10年)『わさお』(11年)などを手がける。何気ない日常をとらえる描写力と柔らかい映像センスに定評がある。2013年1月12日(土)最新映画「渾身」全国公開。

「何気ない日常にある、輝きを見つめたい」

「何でも無い、普通の瞬間が一番幸せ」
■錦織監督が考える、映画の役割とは?
「何でも無い瞬間、普通の瞬間が一番幸せなんですよね。普段の生活だと気づかない事を、映画がアンプのような役割を果たして、映画を観た人たちが映画館を出る時に“よし、明日頑張ろう”とか“今悩んでいたけど、大した事じゃないんだな”って思える。そういう役割も映画にはあると思うんです。」

「最新映画『渾身』を撮影する中で感じた大切なこと」
「何でもない日常だって言いながら、何でも無くはなくて。一人の人間が産まれて、歳をとって死んでいくまで、一生は一回しかないので、実はみんな大切な一瞬一瞬があって、大事に生きなきゃいけないなと教えられているような気がしました。」

寺田真二郎

料理研究家/1983年愛知県生まれ。調理師資格取得後、食品会社勤務、カフェ店長などを経て料理研究家に。お手軽簡単料理、アイディア料理、節約料理、アジア料理を得意とし、時短テクニックや驚きのアイディアを活かしたレシピが好評。現在、TV、雑誌、企業のレシピ開発・プロデュース等で活躍する一方、開催する料理教室は常に満席の人気。各種テレビ番組にも多数出演中。

「思いやりを込めた料理で、心も身体も豊かに過ごす」

「簡単なアレンジでバリエーションが増える」
■献立に悩む方へアドバイス!
「身近な材料や調味料で本格的な料理が簡単に出来てしまうというのを、料理のテーマとして考えています。レパートリーをどうしようと悩まれる方が多いと思うんですけど、調味料や食材の切り方を変えるだけで、いつもと違う料理になるので、深く悩まず色々挑戦して欲しい。」

「料理は思いやり」
「作る人も自己満足で作ってしまったら相手は喜ばない。食べる側も作ってもらうのが当たり前だと思ってしまうと、作る側の気持ちもわからないので、感想や明日何が食べたいと伝える事で、モチベーションや心も変わってくる。お互いに寄り添うカタチで毎日の食卓を楽しんで頂けるといいなと思います。」

宮澤正明

写真家/1960年東京都生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。卒業作品としてまとめた赤外写真「夢十夜」にて日本大学芸術学会奨励賞を受賞。翌年、アメリカのICP(International Center of Photography)第一回新人賞受賞。その後、広告・ファッション・エディトリアルフォト・インターネットなど幅広い分野で活躍。近年では平成25年に行われる伊勢神宮の御遷宮行事の奉納写真家として精力的に活動中。

「被写体は、古き日本の風景から時代を彩る女性まで」

「伊勢神宮の奉納写真家として」
■伊勢神宮の写真から伝えたい事とは?
「最近混沌とした世の中で、多分若い人も年配の人も含めて、日本人として誇りや自信が無くなってきている。でも日本人の民度ってすごく高いし、そのまま残されている風景が多い。それって全世界見渡してもなかなかなくて、そういうのを感じてもらえたら良いなと思って各地で展覧会をやっています。」

「いつも心に太陽を」
「人間は落ち込む時もあるし色々悩む時もあるけれども、何か自分の心に太陽を持っていると常に明るくいられる。伊勢神宮の御神官に聞いた事なんですが、やっぱり太陽をどこかで意識していれば自分が悩んでいる時や苦しんでいる時、必ず良い方向に導いてくれる。そういう意味でいつも心に太陽をということを思っています。」

柳田理科雄

作家/空想科学研究所・主任研究員。1961年鹿児島生まれ。ベストセラー『空想科学読本』著者で、現在は空想科学研究所・主任研究員。明治大学理工学部物理学科の非常勤講師を務めるなど、多岐にわたって活躍する理系作家。最新著書『空想科学読本12』が発売中。

「自由な発想から未来の常識が生まれる」

「見方を変えると全体像が見えてくる」
■空想科学から伝えたいこととは?
「普通に生活していますと、皆さん日常の目でしか物をご覧にならないので、それはいわば物を正面からしか見てないってことですね。それに科学の目を当てるってことは、例えば上から見たりとか下から見たりとか斜めに見たりする事によって、その全体像が良くわかる訳です。」

「今日の夢は未来の常識」
「今だと夢かもしれないけど、その為の努力をやっていけば気がついたらそうなっているかもしれない。だから現在の常識で色んな物を否定してはいけない、という意味と、自分の夢を大切にしてみんなで楽しく生きて行こうね、と。そういう2つの意味があります。」

毛利亘宏

作・脚本・演出家。1975年愛知県生まれ。早稲田大学演劇研究会にて劇団「少年社中」を旗揚げ。夢溢れるファンタジー作品を得意として、商業演劇や小劇場を中心に様々なジャンルの脚本を執筆、演出する。近年では「仮面ライダーオーズ」や「特命戦隊ゴーバスターズ」などでサブライターとして脚本を担当する。

「お客さんに勇気と幸福を届けたい」

「舞台はお客さんとの一体感が大切」
■お客さんとの距離感で大切な事とは?
「ステージの上で役者が演じたり勿論作家がいて演出家がいてスタッフがいて、物をつくっていくんですけど、ステージパフォーマンスはお客様の熱量あっての物というか。いわゆるお客様の表情とかも計算に入れてというと大袈裟なんですけど、お客様をお芝居の一部として考える、そういう事が大事だと思っています。」

「“一日分の幸福”を届けたい」
「僕らの舞台が、出来るだけ短い間でもガソリンになれば良いというか。もっと学ぶべき事はいっぱいあるし、世の中は楽しいし、それのちょっとだけ背中を押してあげられたら、というか。一日だけ幸せなまま生きてもらえたらなと考えています。」

伊藤聡子

フリーキャスター。1967年新潟県糸魚川市生まれ。フリーキャスターとしての活躍のほか、事業創造大学院大学客員教授。「なんとかしなきゃ!プロジェクト」メンバー、新潟都心軸プロモーション検討会議委員、糸魚川ジオパーク大使、きき酒師の顔を持つ一面も。情報番組のMCを経て、現在は情報・報道番組のコメンテーターを務める。取材を通じて、地域経済の自立と発展には、ビジネスの視点が不可欠と捉え、MBAを取得。「地域経済の活性化が日本の元気を取り戻す鍵」を持論とし、日本の地域おこしに力を注いでいる。

「文化や価値観が違っても、人と人は通じ合える」

「現場を知る」
■伊藤さんが大切にしている事とは?
「実際現地に行って肌で感じて、その空気じゃないとわからない。そういうモノは実際にありのまま伝えたいし、やはり私は、人にスポットを当てたいというか、色んな考え方、価値観の中でも根本的に私達と通じ合える部分は、どの国の人もあるという事を伝えたいです。」

「不易流行」
「どんなに時代が変わっても変わらない本質的な部分。それと同時に、時代と共に少しずつ変わっていく部分。その両方がうまいバランスで組み合わさって初めて良い物が出来るというか、世界が存在していくっていうのが私の中では理想かなと思っています。」

小松成美

ノンフィクション作家。神奈川県横浜市生まれ。毎日広告社へ入社後、放送局勤務などを経て、本格的に執筆を開始。主題はスポーツ、映画、音楽、芸術、旅、歴史など多岐に渡る。スポーツアスリートへの真摯な取材には定評があり、スポーツノンフィクションに新境地を開いた。また歌舞伎を始めとした古典芸能や西洋美術、歴史などにも造詣が深い。雑誌や書籍にて精力的に発表している。

「インタビューでは相手の声、言葉、表情が全てだと受け止める」

「会話は表情が大事!」
■相手と話す時、大切にしている事とは?
「自分の想いを伝えたり想いを受け取ったりする時に表情がすごく大事だと思うんですね。相づちを打ったり感嘆の声をあげたり、感想を言ったりする。それは本当に素直な思いで良くて、難しいリアクションをする必要はありませんし、会話をする時にとても大事だなと思うんですね。」

「No rain No rainbow」
「冷たい雨が降る事もあるけれども雨がなければ空を飾る鮮やかな虹は無いんだよ。だからツライ事もあればそれを乗り越えたからこそ楽しい事や美しい物や、そうした物に出会えるんだと。もちろん仕事をしていると色んな事があるんですが、『No rain No rainbow』と心の中でつぶやいています。」

阪本順治

映画監督。大阪府出身。1989年、長編デビュー作「どついたるねん」で第32回ブルーリボン賞最優秀作品賞を受賞。鮮烈なデビューを飾る。「顔」(00年)では、日本アカデミー賞最優秀監督賞、キネマ旬報ベストテン第1位など主要映画賞を総ナメに。その後も「亡国のイージス」(05年)「闇の子供たち」(08年)「座頭市 THE LAST」「行きずりの街」(10年)など、常に新しい作品世界に挑戦している。また2011年には主演・原田芳雄作品「大鹿村騒動記」が好評を博した。最新作「北のカナリアたち」が11月3日公開。

「ゼロからやり直す勇気が挑戦を生む!」

「置かれた環境で演技も変わる」
■印象に残るシーンを撮る為に意識している事は?
「立って言うか、座って言うか、寝転んで言うかでセリフのテンポが変わるように、置かれた環境で俳優の演技も自然に変えられてしまうことがある。それを期待しながら、そういう厳しい環境の中に俳優を置けば何か新鮮なものが見えてくるんじゃないかな、と」

「新しい自分を追い求める」
「『楽しく』の『く』を『て』に変えちゃいけないっていう。『楽して生きよ』になるんですよ。新しい自分を求める時に、古い自分をとりあえず捨てなきゃいけないっていうことはあって、その方が一回自分は壊されるかもしれないけど、また別の自分が芽生えるような気がしているんです。それもスリルです。それが好きなんですね。」

山本隆三

富士常葉大学教授 1951年生まれ。京都大学卒、住友商事入社。石炭部副部長、地球環境部長などを経て、2008年、プール学院大学国際文化学部教授。2010年4月から富士常葉大学、総合経営学部教授。財務省財務総合政策研究所「環境問題と経済・財政の対応に関する研究会」、経済産業省産業構造審議会などの委員を歴任。現在、(独)新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)、日本商工会議所などの委員、国際環境経済研究所「主席研究員」をつとめている。

「失敗を恐れず貪欲にいけ!」

「文化の違いを理解する」
■国際経営を学ぶ学生は、まず文化の違いを理解する必要性がある
「アメリカで相手を指差して喋るというのはものすごく失礼なんですが、日本ですとそれほど失礼という感覚が無いんですね。そういう文化の違いを知っていないと海外に行ってとんでもないヤツだと、個人の問題じゃなくて日本人全体の評判に関るようなことになる。ですから文化の違いをまず理解して、マナーを理解して、それから経営とかビジネスの知識を理解していく事が大事。」

「Stay Hungry」
「海外に赴任する可能性のある会社に入りたくないという学生が多いんですね。「何で?」と聞くと「タイに工場があるからタイに行きたくないから嫌だ」と。今学生が非常に縮こまり思考というか、あまり外向きの思考ではなくなったという感じはします。何か目標を持ってそれを実現する為に努力するということは必要」

西崎佳代子

トランペット奏者。名古屋市立菊里高校音楽科卒業。愛知県立芸術大学音楽学部器楽科卒業。ドイツフィルハーモニーフンガリカオーケストラ、ウィーン、ハンガリーツアーに客演。上海万博公式イベントにて中国文化センターでコンサートを行う。中部国際空港セントレア音楽祭に寺井尚子らと出演。五木ひろし御園座公演、宇崎竜童ディナーショーに出演。数々の一流ミュージシャンと共演し、「美しすぎるトランペッター」として注目されている。9月待望のCDデビュー。

「名古屋から世界へ 美しすぎるトランぺッター」

「音楽で個性の表現」
■西崎さんが考えるジャズの魅力とは?
「元々クラシックを勉強していたこともあって、クラシックの場合は必ず楽譜通り忠実にやらなければいけないんですが、ジャズの場合は自分の個性というか自分のやりたいように表現が出来るので自分に合っているんじゃないかなと思います。」

「音楽で元気とHappyを♪」
「わたしの音楽を聴いて、みなさんが「ハッピーになった」とか「元気になったよ」と言われるのが一番嬉しいので。とにかく今は自分にしか出来ないことを追求して、音楽でも生き方でも、とにかく自分にしか出来ないことをと思ってやっています。」

MICRO

1977年10月、愛知県刈谷市生まれ。アメリカ・ケンタッキー州育ち。'04年HOME MADE 家族として<Ki/oon Records>よりメジャー・デビュー。その後、「サンキュー!!」「少年ハート」「サルビアのつぼみ」など、たくさんのヒットを連発し人気を博す。T.M.Revolutionや、米米CLUBの石井竜也ともジャンルの垣根を越えて客演するなど幅広く活躍。作家としては、SMAPに楽曲提供するなど、プロデューサーとしての評価も高い。HIP HOPシーンのみならず日本の音楽シーンで注目度の高いアーティストの一人である。

「血縁以上の絆と出会う“家族フェス”」

「地元愛知県を拠点に活動」
■東海エリアから音楽を発信する想いとは?
「HOME MADE家族はここ東海エリアで、そして愛知県で誕生したグループでそこで育った人間なので、全国に行けば行くほど、より一層愛着が湧くというか気づかなかった事も一杯気づいたんですね。僕らを育ててくれた街に対して何か恩返ししたい。祭りとかを地元で1つでも出来たら良いなと思って」

「血縁以上の絆」
「自分の親に何かやってあげようとか自分の子どもに何かやってあげようと思う時って、損得感情あった上で動いていないと思うんですよ。でもこれが他人同士でもそういう風になっていけるとしたら、多分世の中って優しくなれるし、良い世界に変わると思うんですね。それが血縁以上の絆なんだなと思います。」

栄和人

鹿児島県奄美市出身。1976年、鹿児島商工高校(現:樟南高校)でレスリングをはじめ、日本体育大学に進学し全日本選手権大会6回優勝。1987年、世界選手権大会で銅メダルを獲得。現在は至学館大学 教授、日本レスリング協会女子強化委員長、
至学館大学(旧:中京女子大学)レスリング部監督。教え子には、吉田沙保里選手、伊調千春選手、伊調馨選手がおり、
オリンピックメダリストを輩出している。

「選手と共に夢を追い続ける」

「選手が強くなる姿を見ていく事が生き甲斐」
■レスリング部で選手を育てる面白さとは?
「付属高校で3年間、大学4年間。選手を7年間見れるっていうことは、まだ全日本も学生チャンピオンも獲れない選手が7年間の間に全日本もしくは世界選手権、そしてオリンピックまで選手が強くなっていく姿を見ていくことに生き甲斐を感じていますね。」

「試練を乗り越える忍耐力」
「完璧なものを求めようとすればするほど、プレッシャーになったり不安になったり壁にぶつかる、それが試練だと思うんですね。その試練に何回もぶつかって新たな道が出来たり、それを繰り返していくうちに乗り越えてきたって事なんで、そういうことを人生に活かしてほしいなって思います。」

森永卓郎

東京都出身。東京大学経済学部経済学科卒業。日本専売公社、日本経済研究センター(出向)、経済企画庁総合計画局(出向)、三井情報開発(株)総合研究所、(株)UFJ総合研究所(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング(株))を経て、現在、経済アナリスト、獨協大学経済学部教授。専門は労働経済学と計量経済学。そのほかに、金融、恋愛、オタク系グッズなど、多くの分野で論評を展開している。最新刊「モリタク流アキバ経済学」

「お金は自分が愛するモノに使おう」

「見栄を張らず自分が好きな分野にお金を使う」
■森永さんが考える賢いお金の使い方とは?
「私は人生を不幸にする最大の要因は見栄だと思うんですね。見栄を張ることによって、無理をして本来自分が使いたい分野にお金が使えなくなってしまう。別に人に評価されなくても、自分はこれが好きなんだという分野で思い切ったお金を使うという方がずっと素敵だと思いますけどね。」

「何かに熱中する事の大切さ」
「その人の人生がどれだけ豊かかっていうのは無駄遣いを出来る能力があるかにかかっているんだと思います。何か自分の熱中するものを持っていないと“100万ずつ毎日無駄遣いする”ってすごく難しいんですね。こういうモノだったら無限にお金が使えるぞ、という分野を持っていることが、私は人生の豊かさなのかなって思っています。」

中村元風

九谷焼開祖加賀大聖寺藩主前田家御用窯、今九谷窯アーティスト。1955年、石川県生まれ。金沢大学大学院理学研究科修了、生物学専攻。先代の中村翠恒(県指定無形文化財)、三代徳田八十吉(人間国宝)に指事。九谷焼のルーツ古九谷に造詣が深く、古九谷写しを得意とすると共に、五彩を進化させた独自技法「ふくら手」「禅九谷」を創造し、色絵磁器の新たな表現の可能性を切り開いた。

「未来を信じて新しいことに挑戦しつづける」

「先人の教えを今の時代に発展させ伝えていく」
■作品づくりへの想いとは?
「今に生きている自分達っていうのは、先人達が作り出してくれた陶芸という仕事、九谷焼という仕事を今の時代に発展させて次の時代に繋いでいく。そういう義務というか責任があると思っています。」

「未開拓な分野を見つけて挑戦」
「伝統工芸というと、もう出来上がってしまった世界の様に普通は思えるんだけど、まだまだ未開拓の分野が一杯ある。多分色んな分野でそうじゃないかと思うんです。それを素直な目で自分で見つけて、実現させるというか、無い物を作り出すそういう挑戦をしつづける事がすごく大事なんじゃないかと思います。」

内田けんじ

1972年生まれ。
自主製作した『WEEKEND BLUES』が第24回「PFFアワード2002」にて企画賞、ブリリアント賞をW受賞。その後、劇場用長編デビュー作『運命じゃない人』が05年カンヌ映画祭・最優秀ヤング批評家賞など4冠を受賞。国内でも報知映画賞最優秀監督賞をはじめ8冠を受賞。続く08年公開の『アフタースクール』は全国大ヒットロングランを記録。9月15日には、4年ぶりの新作「鍵泥棒のメソッド」が公開。

「お客さんを物語に乗せて、ラストまで連れて行きたい」

「ゼロから生み出すという楽しみ」
■内田監督が、映画の構想を練るときとは?
「“この人がこうなったら面白いな”とか、何でもないシチュエーションとかキャラクターの関係とか、“この設定は本当に映画として面白そうだな”とかそういうワクワクするような所から始めていくんですよね。自分が0から1に出来るっていうその難しさと嬉しさと興奮みたいな物が味わえるっていうのはやっぱり楽しいですね。」

「かつての自分に恥じない映画を作りたい」
「10代の頃、本当にお小遣いが貯まったら映画見に行っていて。本当に純粋に映画を見たくて見たくて仕方がなかった頃の高校生とか中学生の僕が、今の僕の映画を見て面白いかな~っていうのは、いつも思いますね。嘘はつきたくないし、手は抜きたくないし、誠実にコツコツと作っていくしかないんだな、といつも思っています」

石井竜也

稀代のエンターテインメント・バンド“米米CLUB”のボーカリストとして、また映画監督や各種の空間・イベントプロデューサーとして活躍。
近年はオブジェ“顔魂 ~KAODAMA~”の創作を続け、また愛と平和を願うイベント「GROUND ANGEL」は毎年末に開催を続けている。東日本大震災を受け「GROUND ANGEL」は、活動10年目となる昨年より、被災者への支援を主軸とし、ライブ、アートイベント等様々な活動を行っている。9月5日にニューアルバム「LOVE」をリリース。

「“夢中”であり続けることが美学」

「憧れを追いかけて生まれるもの」
■多くの楽曲を生み出して来た石井さんが、作品づくりについてこんなひと言。
「自分の中で歌詞が書かれていく時というのは、憧れがあったりする訳です。こういう恋愛だったらいいのにな、とか、人ってこうだったら良いのに、という憧れが人一倍強いような気がするんですね。だからリアルな物をみてリアルに書いているというよりは、自分の中にある憧れを追いかけて作っているような気がするんです。」

「原動力は“夢中”であり続けること」
「一つだけ大事だなと思うのが、“夢中”って言葉があるじゃないですか。これは“夢うつつ”という事じゃないんですね。ようするにそこで集中しているという、そこが僕は一番大切なような気がするんです。だから夢中であり続けるっていうのは、僕にとっての美学かもしれませんね。」

木場弘子

1964年岡山県生まれ。千葉大学卒業後、TBSに入社。女性スポーツキャスターの草分け的存在に。92年プロ野球選手の与田剛さんと結婚、一男の母。 現在はキャスターとして活動するほか、講演や執筆など幅広く活躍中。千葉大学教育学部特命教授。生活者の視点で国の審議会委員にも参加。

「フェイス・トゥ・フェイスで気持ちを引き出したい!」

「話を聞き、伝えるという喜び」
「キャリアを積む事、結婚する事、子どもを育てる事、または老いていく事。色んなステージを経験する事で、人に聞くという質問の幅も広がっていきます。だから人に伝わったなと思えたことと、人が喜んでくれたなと思えた時が、一番仕事をしていて嬉しいなと思いますね。」

「コミュニケーションにおいて大切なこと」
「インターネットやメール等、ツールが発達したという事がコミュニケーションの領域の中で非常に大きな幅を占めるようになりましたよね。けれど、大事なところというのは、フェイス・トゥ・フェイスで目を見て話す必要があるんじゃないかな、と最近良く感じます。やっぱり表情を見る。お互い納得する。そこは非常に大事だと思います。」

福井利佐

1975年静岡県出身。 大学の卒業制作として制作した「個人的識別シリーズ」がJACA日本ビジュアルアート展特別賞を受賞。主な仕事に、アーティスト中島美嘉のCDジャケットや写真童話集、桐野夏生氏の小説への挿画や装丁、雑誌「婦人画報」表紙への参加や、NHK「猫のしっぽカエルの手」オープニング映像制作など多数。8月に、最新作品集「KIRIGA福井利佐切り絵作品集」を上梓。 駿府博物館にて静岡で初の個展となる、「切り絵を魅せる -福井利佐の世界-」が開催中。(9月17日まで)

「繊細な切り絵で“温故知新”を伝えたい」

「手で作られるモノの温かさを伝える」
「手作業の良さと言うのでしょうか。手でモノを作っていくというのは、絵の中から伝わってくるものは見る人にも伝わると思うので、手の温もりというかそういう物も伝えていきたいですね。」

「古きを学び、現代に表現する大切さ」
「古いものを学ぶとそこから見えてくるものがあるのです。どういう歴史があって今こういうものが出来ているか、というのを知る事がやはり大事で、そこから学ぶ事が多いので、それを踏まえて今の現代に昇華させるというか、現代に合った表現を常に追い求めていきたいと思っています。」

江上剛

1954年生まれ。兵庫県出身。1977年早稲田大学卒業後、旧第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。 1997年第一勧銀総会屋事件に遭遇、広報部次長として混乱収集に尽力。2003年退行。 2002年に『非常銀行』で小説家デビューをし、作家として本格的に活動。近著として、『55歳からのフルマラソン』(新潮新書)がある。

「自分自身に責任を持ち、新たな世界へ踏み出そう」

「新たな挑戦が新鮮な発見へ繋がる」
「55歳みたいな区切りの時に、次の人生を歩み出さないといけないという気分がどの人にも訪れると思うんです。 僕自身、以前はまさか自分が近所の人とマラソンやランニングをするとは想像出来なかったんですね。 でも、色んな職種の人であったり、色んな人が様々な悩みを持っていたりとか一緒に話をすると、人間ってとてもカワイイなって感じるんですよね。 自分だけの世界に閉じこもらないで、ちょっと足を踏み出してみる事が必要かなと思いますね。」

「自分の言動には責任を持つ」
「今の世の中、例えば偉い人も含めた色んな人も含めて。自分で行った事を百万遍も言い訳したり、どんな事でも他人に責任をなすり付けたり、だから他人に対して攻撃的になったりするじゃないですか。 自分の生き方としてはやっぱり自分で言った事は、言葉も責任を持つようにするし、行った行動について言い訳はしない、後悔はしない、後ろは振り向かない。そういう気持ちで、生きてるつもりなんですけどね。」

かづきれいこ

新潟大学歯学部臨床教授  早稲田大学感性領域総合研究所研究員客員教授  他9大学にて非常勤講師を務める。 メイクを通じて女性の心理を追究。また、医療機関と連携し、傷跡やヤケド痕などのカバーや、それにともなう心のケアを行う“リハビリメイク”の第一人者。 多くの人が抱える「顔」の問題に、メンタルな面からも取り組むフェイシャルセラピストでもある。後進の育成と一般の方を対象にかづきメイクの指導をする「REIKO KAZKI」を主宰。

「素敵な笑顔で日本を元気に」

「美意識の変化が日本を変える」
「間違っているのは「目が二重」「鼻が高い」「顔がちっちゃい」あれは“美形”ですから。“美形”は“美人”とは違います。そこは今の日本は間違っていますよね。 自分がもらったものは大事なものなので大切にして、見た目の判断ではなくて中身の判断です。トータルを判断してあげてその子の基準を決めてあげたら、日本は良くなると思います。」

「笑顔が人を幸せにする」
「笑顔を作っている人というのはあまり不幸にならないです。これも私はいろんな人を見ていますので。笑顔が素敵な人に不幸な人はいないです。綺麗に笑える方というのは急に笑えないんですよ。 それまでの人生が素敵なんです。だからどんどん高齢化になって、もう何年か経ったら65歳以上の人が70%くらいになるかもしれないと言われていますが、その年代の人はどんどん笑って頂いて、その笑顔で若い子を元気にしていってほしいですね。」

藤沢 久美

国内外の投資運用会社勤務を経て、1996年に日本初の投資信託評価会社を起業。 99年同社を世界的格付け会社に売却後、2000年にシンクタンク・ソフィアバンクの設立に参画。現在、副代表。 03年社会起業家フォーラム設立、副代表。 07年ダボス会議を主宰する世界経済フォーラムより「ヤング・グローバル・リーダー」に選出され、30カ国を訪問。 グローバル視点での経済や経営のあり方を発信中。

「未来は人と人との繋がりの先にある」

「親と子の会話が未来を作る」
■グローバルな視点で経済や経営を見つめる藤沢さんが、社会のために私たちができることについてこう話します。
「世の中は人で構成されていて、一番身近な小さな組織っていうのが私は家庭だと思うんです。 なので家庭の中でまず親と子がしっかり話をして、親の価値観を子どもに伝えていくという事が、やはり社会を良くしていく為に一番最初に大切な事だと思っています。」

「心からの感謝が夢の実現へ繋がる」
「世の中って本当に1人じゃ動かせなくて、色んな人に助けてもらって色んな人の好意で、世の中って動いていくし自分の夢って実現していくんだなって、 その時すごく実感して。 お金を頂くって事は誰かに感謝する事される事であったり、誰かに喜んでもらう事とするならば、やっぱりまずは心からありがとうございます、と感謝をする事が何よりも大切な事だと思っています。」

尾木 直樹

1947年滋賀県生まれ。教育評論家。 現在は、法政大学教授・教職課程センター長、早稲田大学大学院客員教授、臨床教育研究所「虹」所長。 中高の教師として、22年間子どもを主役としたユニークで創造的な教育実践を展開し、その成果は多くの著書等にまとめられている。 最近は「尾木ママ」の愛称で多数のメディアで活躍中。 近著に『「学び」という希望―震災後の教育を考える』(岩波ブックレット)。

「教育の現場で“ありのままに今を輝こう”」

「生涯、現場主義を貫きたい。」
「問題とか苦しみとか課題とか、あるいはそれを解決する答えもですが、全部現場にあるんだと思うんです。研究室にはないです。 だから現場で子供達やお母さん方、あるいは学校の先生方の苦しみをそのまま受け止めながら一緒に悩み、一緒に解決の方法を探っていくそのスタイルでずっと貫いていくだろうと思います。」

「“ありのままで輝くこと”が何より大切」
「日本の教育っていうのは、良い高校に受かる為にしっかり受験勉強頑張ろうとかね。常に何かの為なんです。それはあながち否定されるものでも無いです。 でも、それをあまり強要していくと子供達がプレッシャーで潰れてしまうんです。 だから“今のありのままで、今を輝こう”。 その事が一番大事だと思います。それが未来をつくっていくし、成功のもとだし、優しい人になります。 困難がきても挑戦していく忍耐心も強くなっていくと思っています」

中川 恵一

1960年、東京生まれ。 東京大学医学部附属病院放射線科准教授、緩和ケア診療部部長。 東京大学医学部医学科卒業後、スイスのポール・シェラー研究所に客員教授として留学。 「がんの練習帳」「専門医が教える がんで死なない生き方」ほか著書多数。

「“がんを知る”ことは、命の大切さと向き合うこと」

「“ガンを知る”ことの大切さ」
「日本は特に子どもの頃にガンに関する基本的な事を教えていない。 その事が個々の不幸に繋がっていると思うんです。 最も欠けていて最も大事な事が“ガンを知る”という事なんです。 大人は子ども達にガンの話をするとノイローゼになるのでは、と言うんです。 子ども達は決してそんな事はなくて、大人とほとんど同じように話が聞けて、 ガンという病気から命の大切さを知ることができるのではと思っています。」

「若い医師への助言」
■緩和ケアの現場で日々患者さんと向き合う中川医師ならではのひと言。
「ただなんでも情報を患者さん側に提供して、あなたの責任で全部選んで下さいと言うことは医者の責任放棄だと思っていて。 患者さん側は非常にツライですよね。そういう今の医療現場では。 優しく告知するという事は、患者さんの辛いという想いを自分が背負う訳です。 だから若い医者にはそういう辛い部分を背負うという気概を持って欲しいと思います。」

野口 五郎

1956年、岐阜県生まれ。15歳のとき「博多みれん」で歌手デビュー。 「甘い生活」「私鉄沿線」などヒットを飛ばし、数々の音楽賞を受賞。 72年、第23回紅白歌合戦では当時最年少初出場歌手に抜擢されるなど、 一躍トップスターとなる。 その甘い歌声は変わることなく、現在はボーカリストでありながらギターリスト、 プロデューサーとして活躍の場を広げている。 新曲「僕をまだ愛せるなら」をavex ioより5月2日リリース。 発売日のオリコンデイリー演歌歌謡曲部門第1位獲得。

「積極的、楽観的、希望的観測で未来は拓ける。」

「新しい感覚で「昭和歌謡」を歌いたい」
「日本の言葉には一言一言パワーがあると思うんです。 そのパワーがそのままメロディーにのっけられた昭和という時代が 歌謡曲としてはパワーがあった時代ではないかなと思います。 だから「これは昔の曲だ」ではなくて、新しい感覚で、新しい曲として 捉えて頂きたい。 「昭和歌謡=古い」ではなくて「昭和歌謡=新しい」という感覚で聴いて 頂ければと思います。」

「未来はポジティブに動くことで拓かれる」
「自分の心の中で「あの頃は良かった」って絶対に思わないことですね。 今が一番良いと言っています。 行動を起こさないと物事は始まらないので、まず積極的に。 ネガティブに受け止めないでポジティブに受け止めて、絶対に未来は拓ける という希望的観測でみることです。」

内田 俊宏

1968 年青森県八戸市生まれ。 一橋大学経済学部卒業。名古屋大学経済学修士。 野村證券を経て東海総合研究所(現・三菱UFJ リサーチ&コンサルティング)入社。 名古屋本社にて地域経済を担当。 中部を代表するエコノミストとして多くの番組出演や新聞・雑誌への寄稿を行うほか、 国土交通省中部地方整備局、愛知県などの委員も務める。

「経済も、人生も、遠回りは無駄ではない」

「東海地区のモノ作りで日本経済を盛り上げる」
「やはり日本の強みというのは製造業、モノ作りであって、 その一番の中心地がこの東海地方ということになると思います。 この地域が競争力を上げていくというのは、これから日本全体の地方都市の 競争力を全体として引き上げて、最終的には日本経済の競争力アップにも 繋がってくると思います。」

「遠回りは無駄ではない」
「今の若い人たちは、目標を設定して、運良くそういった職業に 就ける方もいるでしょうけれども、実際にはなかなか難しいと思います。 ですからいろんなことをやりながら、 その時々で自分が本当にやりたいことを最終的には絞っていくと。 遠回りしたことはまったく時間の無駄にはならないと思います。」

山田 満知子

中京大学フィギュアスケートスペシャルアドバイザー。 名古屋スポーツセンター専属インストラクター 。 7歳でスケートを始め、全国高校スケート選手権、国体で優勝するなど選手として活躍。 引退後、指導者の道へ。 カルガリー、アルベールビル、ソルトレークシティー冬季オリンピックコーチを歴任。 1989年に文部省スポーツ功労者賞、2005年に文部科学省国際大会最優秀者賞を受賞。 伊藤みどりをはじめ、浅田真央、村上佳菜子など数多くの名選手を育てている。

「まっすぐクリーンな気持ちでいたい。」

「一生懸命に自分を磨くことが世界への第一歩」
「自分では一流の選手を育てるコーチを目標とはしていないんです。 そういうことを目標にしているとちょっと大変かな、と思います。 選手たちには、ただ自分を磨く、例えば自分という器が小さかったら、 それを一生懸命努力して磨いていこう、と。 大きくなることは出来ると思うんですけど、世界一の何かになるっていうの はそんな簡単にはいかないです。 楽しく頑張れる環境を作りたい、というのを目標にしています。」

「まっすぐに選手と向き合う」
「先生はまっすぐなクリーンな気持ちでいないといけないんじゃないかと。 例えば作った笑顔とか、作った頑張りというのは、 多分選手はすぐに見破ってしまう。 だからいつも先生が真剣にまっすぐ見据えて、 子どもたちやスケートや世の中に接していると、先生のダメな部分も含めて 愛してもらえるんじゃないかと思います。」

北野 大

1942年、東京都足立区生まれ。 1965年、明治大学工学部卒業。 1972年、東京都立大学大学院にて博士課程修了。分析化学で博士号を取得。 (財)化学品検査協会 (現:(財)化学物質評価研究機構)・企画管理部長、 淑徳大学教授を経て、2006年4月より明治大学理工学部応用化学科教授。 コメンテーターとしてもテレビなど幅広く活躍中。 タレント・ビートたけしさん(映画監督・北野武氏)の実兄。

「日本の資源は人材、心豊かな未来を目指す。」

「人材こそが日本の資源」
「日本の資源は人材なんですね。 鉱物も石油も出ない、だからやっぱり日本の資源は人材なんだと。 人間は生まれてきてすぐ人材になる訳でなく、教育という訓練を施す事に よって、はじめて人間が資源、人材になる訳です。 だからそういう意味でいかに資源をつくっていくか、それが我々教育官の 役目でもあるんです。」

「“心の豊かさ”を大切に」
「今の若い世代というのは、水道の蛇口をひねれば水は出るし、電気は付くし。 生まれた時からそういう生活をしている訳ですね。 日本は恵まれているということを、まず意識して欲しいんです。 これからはモノをもつ事も結構ですが、それ以上に“心の豊かさ”みたいな、 そういう価値観が大切なのではないかと思います。」

坂東 眞理子

昭和女子大学学長。 東京大学卒業。1969年に総理府入省。 青少年対策本部、老人対策室、内閣広報参事官、埼玉県副知事、 オーストラリア・ブリスベン総領事などを経て、内閣府男女共同参画局長。 2004年昭和女子大学教授となり、副学長を経て、2007年4月より同大学学長。 著書は「女性の品格」「親の品格」等多数。 最新刊は「日本人の美質」。

「愛語」を持って、未来を担う人材を育てたい

「大学は将来を担う人材を育てる場所」
「大学は研究も大事ですが、今社会に対してやらなければいけないことは人材を育てて送り出すという『教育』の分野だと思うんですね。 社会に通用する人材を育てる為には、大学で研究だけをしていた教員だけではなく、社会全員で教えるんだと。 そういう仕組みを作りたいなと思って色々工夫しているんですが、それが将来の社会を担うリーダーを育てることになればいいなと思っています。」

「『愛を込めた言葉』で伝えるように努力しよう」
「人間はいつも嬉しいこと、満足なことばかりではないんですけれど、 出来るだけ他人に対して柔らかい穏やかな顔で接する。 そして特に大事だと思うのが『愛語』。“愛を込めた言葉”を相手に伝える。 いくら自分が相手のことを思っていても言葉にしないと伝わらないですし、 いくら美しい言葉を言っていても、愛が無かったら人の心には届きませんから、愛のある言葉を出来るだけ発する。そのように努めていきたいなと思っています。」

瀬古 利彦

三重県桑名市出身。 早稲田大学に進学後、本格的にマラソンを始め1978年福岡国際マラソンで初優勝。 卒業後はエスビー食品株式会社で競技を続け、15戦10勝。 モスクワ、ロサンゼルス、ソウルと三度のオリンピック代表を経験している。 1988年に現役引退。 指導者として活躍し、現在はエスビー食品スポーツ推進局局長。日本陸上競技連盟理事。 最新著書に「すべてのマラソンランナーに伝えたいこと」がある。

「自分で決めたゴールに向かって“心で走る”」

「マラソンは身体と心の鍛錬が必要」
■3度のオリンピック代表を経験した瀬古さんから見たランナーたちへの苦言。
「先輩から言わせると、今の若い人は甘いですね。ただ、タイムだとか勝てば いいとしか思っていないから。もうちょっと違う事もあるんですよ。 足が速いだけじゃなく、やっぱり心も鍛えないとだめなんです。 バランスがうまくいっていないからケニア人に負けるんです。 彼らはハングリーで命がけで走っています。 そういうものが日本の若い人にはないと思うんです」

「自分で決めた事を最後までやり遂げることが自信に繋がる」
「自分の決めた事は必ず最後までやり遂げる。 これが大事ですね。 途中でやめると自信じゃなくなるんです。なんの自信にもならない。 練習でもそうです。10キロ走るって決めたら 遅くてもいいから10キロ走るんです」

柿沢 安耶

学生時代から料理研究家の元でフランス家庭料理を学ぶ。 その後、自然食やオーガニックの研究を深め、ベジタリアンとなる。 2003年にオープンしたオーガニックカフェにおける野菜デザートが好評を博し、 2006年、東京/中目黒に野菜スイーツ専門店「パティスリー ポタジエ」をオープン。 2011年、東京/六本木に「野菜寿しポタジエ」をオープン。 野菜料理の可能性を広げる為の活動を続けている。

野菜スイーツで、「地産地消」を応援したい。

「野菜を通じて広がる出会いがスイーツづくりの原点」
「野菜スイーツづくりのポイントは、やはり野菜自体が元気なこと。 よく畑に行くんですが、そこで実際に野菜と対面したときに野菜からもらえる 力というか、そういうものを大事にして、それから農家さんが野菜を育ててい るわけなので、そこでの農家さんとの出会いであり、農家さんから教えて頂く ことを大事にしていて。そこで出会った野菜からインスピレーションを得て、 それがケーキになったりします。」

「『地産地消』こそが食の正しい形」
「その土地のものを食べるというのは自然の理にかなっていると思うんですよ。 昔から日本人が食べてきたものを食べれば日本人の体に合っているし。 でも食料自給率も低いですし、難しい世の中ではあるかもしれないんですけど、 まだまだ地域に素晴らしい農家さんがいて、その地域の人たちが食べることで それを支えるっていう、そういった世の中を作っていくことができたら、 食べる側にとっても作る側にとってもプラスの世界になっていくと思うので、 もっと「地産地消」が広がっていくことを願っているんです。」

鈴木 光司

1957年生まれ。 90年「楽園」で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞しデビュー。 ホラー小説の金字塔との評価を得た「リング」吉川英治文学新人賞を受賞した「らせん」完結編の「ループ」など、メッセージ性の強いエンタテインメントを発表し、日本文学に新境地を拓いている。 新作映画公開に合わせ、5月11日に単行本「エス」が刊行された。

「自分の判断と決断で、ワイルドな人生をつかめ!」

「自分で決断した人生を歩こう」
「日本人を見た時に、周りを見て人と同じことをやって安心しようとする人が いる。僕はそういうことをやっていると、幸福になるチャンスがどんどん逃げ ていくような気がするんですよね。 自分の判断と決断というもので、自分の人生をきちっと歩んで行こうよ、とい うことをすごく言いたいんです。」

「自分で物事を解決する能力を持ってほしい」
■子育てにおいて、鈴木さんが心がけて来た事があるそうです。
「僕は愛する娘たちに危ない人生を渡ってほしくないんですよ。ところが親が 先回りして危険をすべて取り上げてしまったら判断したり決定するチャンスが 無くなってしまう。僕はある程度のことを経験させながら、宇宙の原理である とか自然界の原理・仕組み、世界の仕組みというものを徹底的に教えます。 そしてその問題の対処の仕方も教えて、さぁやってみろと。やらせますね。 自分の子どもたち、そして若者たちが自分の力で考えて物事を解決する能力を 身につけてもらいたいんです。」

安藤 竜二

1971年愛知県岡崎市生まれ
2006年、ブランディング・カンパニー株式会社DDRを設立。 2007年、経済産業省より中小企業サポーターを委嘱、2011年ビジネスチャンス「日本を変える起業家100人」に選ばれるなど、 現在日本全国の地域や老舗企業のブランディングを行っている。 著書に、「地元の逸品を世界に売り出す仕掛け方」「小さな会社と小さな自分を大きくする51のスキル」がある。

「情熱を持って、町の元気を作りたい。」

「町の元気を作りたい」
■地域に根付いた活動を続ける安藤さんの思いとは?
「この町元気だなっていう町って、みんな一人一人が元気なんですよ。 それは、ちゃんと仕事があって、それに対して誇りを持っている人がいて、 それを子どもが見てお父さんかっこいいなと思ってて、そういう町って小さな 町大きな町関係無しで町自体に活力があったりするんです。 そんな町の元気を作りたいと思っています。」

「自分に言い訳せず、向上心を持つ」
「言い訳ばかりしている人がいる。 例えば田舎だからとか、地方だからとか、僕の会社小さいからとか、有名じゃ ないからとか。でも元々みんなそうだったと思うんですね。 決してみんないきなり大きい訳じゃない。潰れそうになった苦難もある。 だけど一貫して言えるのは、みんな夢を持っていたし、目標を持ってやってい たから。 やれないと言い訳するんじゃなくて自分がやってないと思って向上することが 大事なのかなと思います。」

田中 雅美

1979年生まれ。 7歳で本格的に水泳を始める。
1995年「日本選手権」100m平泳ぎで日本記録を11年ぶりに更新。 アトランタ、シドニー、アテネとオリンピック3大会連続出場。 シドニーでは銅メダルを獲得。 2005年に現役を引退後、スポーツコメンテーターとして 多くの番組出演を行うとともに、執筆、講演活動等、様々な分野で活躍している。

「前向きに自分を諦めないことが、未来に輝く秘訣。」

「100%の力を出せたかどうかが大切」
■常に原動力となっている言葉があるそうです。
「レースや練習に対してすごい悩んでいた時期に、“ゴールした時にタッチをみるのではなくて自分の心に聞け”と。“今日の体調で100%できたかどうかが大事なんだ”と言われ、結果は後から目を向ければいいんだということを学んで。今でもその言葉はすごく、仕事をやる上でも生きています。」

「自分を諦めないことが、素晴らしい未来へ導く」
「挑戦することってすごく怖かったり、苦しかったりする方が大きいと思うんですけど、後ろを向いてしまったらそこでストップなんですよね。 だから常に前を向いて進んで行くこと。そして自分で決めたことに関しては決して諦めないこと。自分に対して諦めないということをやっていけたら、ずっと輝いていられるんじゃないかと思います。」

道尾 秀介

1975年生まれ。 2004年「背の眼」でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞しデビュー。
‘09年「カラスの親指」日本推理作家協会賞受賞。 ‘10年「龍神の雨」大藪春彦賞。「光媒の花」山本周五郎賞。 ほか、数々の受賞を経て、‘11年「月と蟹」で第144回直木賞を受賞。 独特の世界観を持つ作家として、大きな注目を集めている。

「人生を物語としたら、著者は自分。」

「自分の小説に心底惚れ込む」
■作家として小説を書く時の信念があるそうです。
「(著者の下心が)少しでも出てしまうと、読者は気づいてしまいますからね。 そうすると(小説の)世界全体が崩れてしまいますから。本当に自分がその小説に惚れ込んで、ただただ好きだから書いているという状態が最後の一行まで続いた時に、(読者が)感情移入できると思うんです。」

「自分は人生という物語を作ってゆける著者」
「その日一日のとらえかたをひとつの物語とした時に、著者は自分な訳ですよね。 せっかく自分で一週間でも一年でも10年でも物語を作れるのに、なぜ不平不満ばかりが出てくる物語を作ってしまうんだろうと。勿体ないと思います。」

木村 多江

1971年東京都生まれ 舞台の活動を経て、96年ドラマデビュー。
初主演映画「ぐるりのこと。」(08)では日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞を受賞。
以後、控えめで芯の強い女性役など映画、ドラマ、舞台など幅広く活動。
5月26日(土)公開の映画「MY HOUSE」出演。

「楽しさを見つけて、新しい朝を迎える。」

「言葉一つ、動き一つに魂が宿るようにお芝居をする」
■女優・木村多江さんにはお芝居をするときに考える“女優論”があります。
「作品を見て下さった方が何かを考えたりする機会になればいいなと思うんです。噓の世界なんだけど、まるでその人が実在するかのように、 言葉ひとつ、動きひとつにちゃんと魂が宿るよう、形でお芝居しないということに気をつけています。」

「幸せに新しい朝を迎える」
■幸せな毎日を過ごすための木村多江さん流の“考え方”があるそうです。
「みんな幸せのハードルが高くなっているのかなって思うんです。 今日を振り返ったときに嫌なことを思い出すよりも、ちっちゃな良いことを思い出したほうが次の日幸せに新しい朝を迎えられるかなって私は思うんです。」

小池 龍之介

1978年生まれ、山口県出身。
月読寺(東京都世田谷区)、正現寺(山口県山口市)住職。東京大学教養学部卒。
自身の修行のかたわら、一般向けに瞑想指導を行う。著書に「平常心のレッスン」「考えない練習」「超訳ブッダの言葉」等。

「考えない練習」で緊張と安らぎのバランスを整える

「考えすぎる」とイライラしがちになる
文字情報をずっと頭の中で処理していなければならないのが、ずいぶん心に負荷を与えていて。結果として心は絶えず緊張状態に置かれて、 イライラしがちになるということで、何よりリラックスできなくなると、人と一緒にいても居心地が悪いなという感じで“のんびりする時間”が味わえなくなるんですよね。

「考えない練習」でバランスを整える
「考えないようにしよう」とか、「頭の言語処理の力をちょっと休めよう」と思っても、「休めよう」という思考そのものが思考なので、考えが増えるだけですね。それよりは“感じる”度合いを増してあげればいいんです。 そのコツは「息を整える」ということができれば、自分の身体感覚が だいぶ返ってきます。程よい緊張は必要なんですが、それに対してなおざりにされている“安らぐ”とか“力を抜いて和らげる”とかを、「息を整える」ことでうまくもってくるとバランスが整うっていうことなんですね。

荻原 博子

経済ジャーナリスト
明治大学卒業。
経済事務所、ルポライターを経て、
1983年、フリーの経済ジャーナリストとして独立。
複雑な経済とお金の仕組みを分かりやすく解説。

「家族みんなで、楽しく節約。」

「家族で協力して節約」
■荻原さんは、今後は家族のあり方も節約に繋がると話します。
「皆さん、一生懸命節約なさったりしていると思うんですが、節約にも限度がありますよね。そうなると奥さんも働いて、お子さんたちもアルバイトして家族みんなで働く事も必要になるかもしれませんね。そんな時は、家族が多ければ多い程助かるんですよね。おじいちゃんおばあちゃんにお子さんたちを見てもらって、持ちつ持たれつという関係ができるので」

「価値観を変えて幸せに生きる」
■節約を考える中で、価値観を変えてみると、また違った幸せが見えてくると言います。 「意外と家族がまとまるというのが節約になるんですよ。ご飯なども、皆で食卓を囲んで食べれば、後で追加で温め直したりしなくても済みますよね。皆さんいろんな価値観を持ってらっしゃると思うんですけれど、これからはお金が潤沢に入って来ない。でも、価値観を変えれば幸せに生きられるという部分も一杯ありますよね」

北村 晴男

弁護士
早稲田大学法学部卒業。
弁護士法人 北村・加藤・佐野法律事務所 所属。
主に一般民事を専門とし、特に生命保険に関する訴訟では高い評価を得ている。
バラエティ番組では、笑わない弁護士としても有名。

「信念に基づき、批判を恐れない。」

「信念に基づいて主張する」
■北村氏は自分の信念を曲げないことがとても大切と話します。
「世間の8割9割の人がAが正しいと言っている時に「自分はBだ」と言うと、いろんな非難を受けたり、マズい立場になるから、とりあえず8割がAが正しいと言ってるならそれで倣っておこう。という考え方はよくある。でもこれは間違っていると思うんです。信念に基づいて主張するということがものすごく大事だと思っているんです。」

「ゴルフはマネジメント」
■趣味のゴルフを長年続けている北村氏。相当な腕前とのことですが、そこには物事を分析し戦略を立てるという、仕事に通じる哲学を感じているそうです。
「(ゴルフは)マネジメントなんです。自分のミスの傾向を知り、そのコースの状況を見て、どういう考え方でどこの方向にどのくらいのディスタンスでショットしていけば、仮にミスをしてもパーはとれるとか、いろんな可能性を検討しながら、ひとつのショットを選択していくわけです。」

放送一覧

2016年 3月

2016年3月21日(月)放送
ゲスト:中野信子

2016年3月14日(月)放送
ゲスト:塚本こなみ

2016年3月7日(月)放送
ゲスト:豊島圭介

2016年 2月

2016年2月29日(月)放送
ゲスト:村上心

2016年2月22日(月)放送
ゲスト:増田明美

2016年2月15日(月)放送
ゲスト:白河桃子

2016年2月8日(月)放送
ゲスト:上村愛子

2016年2月1日(月)放送
ゲスト:山本博

2016年 1月

2016年1月25日(月)放送
ゲスト:山本昌

2016年1月18日(月)放送
ゲスト:三橋美穂

2016年1月11日(月)放送
ゲスト:笠原将弘

2016年1月4日(月)放送
ゲスト:紫舟

2015年 12月

2015年12月21日(月)放送
ゲスト:飯塚順子

2015年12月14日(月)放送
ゲスト:三遊亭萬橘

2015年12月7日(月)放送
ゲスト:蜂谷宗苾

2015年 11月

2015年11月30日(月)放送
ゲスト:水尾衣里

2015年11月23日(月)放送
ゲスト:干場弓子

2015年11月16日(月)放送
ゲスト:音無美紀子

2015年11月9日(月)放送
ゲスト:亀山郁夫

2015年11月2日(月)放送
ゲスト:高嶋ちさ子

2015年 10月

2015年10月26日(月)放送
ゲスト:湊かなえ

2015年10月19日(月)放送
ゲスト:内藤淳平

2015年10月12日(月)放送
ゲスト:原田さとみ

2015年10月5日(月)放送
ゲスト:白井智子

2015年 9月

2015年9月21日(月)放送
ゲスト:浅尾美和

2015年9月14日(月)放送
ゲスト:本條秀太郎

2015年9月7日(月)放送
ゲスト:加藤庸子

2015年 8月

2015年8月31日(月)放送
ゲスト:安田喜憲

2015年8月24日(月)放送
ゲスト:清宮克幸

2015年8月17日(月)放送
ゲスト:松本丈

2015年8月10日(月)放送
ゲスト:原田眞人

2015年8月3日(月)放送
ゲスト:大和悠河

2015年 7月

2015年7月27日(月)放送
ゲスト:樹林伸

2015年7月20日(月)放送
ゲスト:酒井美紀

2015年7月13日(月)放送
ゲスト:鈴木千恵

2015年7月6日(月)放送
ゲスト:舘野泉

2015年 6月

2015年6月29日(月)放送
ゲスト:野村又三郎

2015年6月22日(月)放送
ゲスト:佐藤浩市

2015年6月15日(月)放送
ゲスト:篠田恵里香

2015年6月8日(月)放送
ゲスト:雅姫(まさき)

2015年6月1日(月)放送
ゲスト:上橋菜穂子

2015年 5月

2015年5月25日(月)放送
ゲスト:寺門和夫

2015年5月18日(月)放送
ゲスト:前田冨佐男

2015年5月11日(月)放送
ゲスト:本田よう一

2015年5月4日(月)放送
ゲスト:辛坊治郎

2015年 4月

2015年4月27日(月)放送
ゲスト:種本祐子

2015年4月20日(月)放送
ゲスト:尾崎勇気

2015年4月13日(月)放送
ゲスト:高橋博之

2015年4月6日(月)放送
ゲスト:浅野史郎

2015年 3月

2015年3月30日(月)放送
ゲスト:松本志のぶ

2015年3月23日(月)放送
ゲスト:国府弘子

2015年3月16日(月)放送
ゲスト:成島出

2015年3月9日(月)放送
ゲスト:山郷のぞみ

2015年3月2日(月)放送
ゲスト:石田巳賀

2015年 2月

2015年2月23日(月)放送
ゲスト:川口マーン惠美

2015年2月16日(月)放送
ゲスト:中西哲生

2015年2月9日(月)放送
ゲスト:辻口博啓

2015年2月2日(月)放送
ゲスト:青木良太

2015年 1月

2015年1月26日(月)放送
ゲスト:原志保

2015年1月19日(月)放送
ゲスト:河村雅隆

2015年1月12日(月)放送
ゲスト:ミサコ・ロックス

2015年1月5日(月)放送
ゲスト:諏訪綾子

2014年 12月

2014年12月22日(月)放送
ゲスト:細川珠生

2014年12月15日(月)放送
ゲスト:小椋久美子

2014年12月8日(月)放送
ゲスト:岩瀬大輔

2014年12月1日(月)放送
ゲスト:Ms.OOJA

2014年 11月

2014年11月24日(月)放送
ゲスト:増田セバスチャン

2014年11月17日(月)放送
ゲスト:北岡哲子

2014年11月10日(月)放送
ゲスト:開沼博

2014年11月3日(月)放送
ゲスト:天野喜孝

2014年 10月

2014年10月27日(月)放送
ゲスト:青山繁晴

2014年10月20日(月)放送
ゲスト:飯田泰之

2014年10月13日(月)放送
ゲスト:海演隊

2014年10月6日(月)放送
ゲスト:越智小枝

2014年 9月

2014年9月22日(月)放送
ゲスト:福和伸夫

2014年9月15日(月)放送
ゲスト:蒼山日菜

2014年9月8日(月)放送
ゲスト:中西輝政

2014年9月1日(月)放送
ゲスト:熊野善介

2014年 8月

2014年8月25日(月)放送
ゲスト:佐渡島庸平

2014年8月18日(月)放送
ゲスト:ヤマザキマリ

2014年8月11日(月)放送
ゲスト:末延吉正

2014年8月4日(月)放送
ゲスト:為末大

2014年 7月

2014年7月28日(月)放送
ゲスト:六角精児

2014年7月21日(月)放送
ゲスト:小川和久

2014年7月14日(月)放送
ゲスト:石黒不二代

2014年7月7日(月)放送
ゲスト:天野篤

2014年 6月

2014年6月30日(月)放送
ゲスト:水谷雅子

2014年6月23日(月)放送
ゲスト:佐々木蔵之介

2014年6月16日(月)放送
ゲスト:西澤真理子

2014年6月9日(月)放送
ゲスト:杉田達哉

2014年6月2日(月)放送
ゲスト:堀田あけみ

2014年 5月

2014年5月26日(月)放送
ゲスト:舞の海秀平

2014年5月19日(月)放送
ゲスト:伊藤洋一

2014年5月12日(月)放送
ゲスト:夏目幸明

2014年5月5日(月)放送
ゲスト:姫野カオルコ

2014年 4月

2014年4月28日(月)放送
ゲスト:佐々木圭一

2014年4月21日(月)放送
ゲスト:千谷美恵

2014年4月14日(月)放送
ゲスト:矢内理絵子

2014年4月7日(月)放送
ゲスト:田﨑史郎

2014年 3月

2014年3月24日(月)放送
ゲスト:岩崎恭子

2014年3月17日(月)放送
ゲスト:松尾たいこ

2014年3月10日(月)放送
ゲスト:嶌信彦

2014年3月3日(月)放送
ゲスト:遠山正道

2014年 2月

2014年2月24日(月)放送
ゲスト:飯塚翔太

2014年2月17日(月)放送
ゲスト:堤幸彦

2014年2月10日(月)放送
ゲスト:森理世

2014年2月3日(月)放送
ゲスト:安田道男

2014年 1月

2014年1月27日(月)放送
ゲスト:増島みどり

2014年1月20日(月)放送
ゲスト:椎木里佳

2014年1月13日(月)放送
ゲスト:村松亮太郎

2014年1月6日(月)放送
ゲスト:金美齢

2013年 12月

2013年12月23日(月)放送
ゲスト:江辺香織

2013年12月16日(月)放送
ゲスト:小林宏之

2013年12月9日(月)放送
ゲスト:谷中麻里衣

2013年12月2日(月)放送
ゲスト:夏野剛

2013年 11月

2013年11月25日(月)放送
ゲスト:加藤清隆

2013年11月18日(月)放送
ゲスト:竹内薫

2013年11月11日(月)放送
ゲスト:武田鉄矢

2013年11月4日(月)放送
ゲスト:諏訪哲史

2013年 10月

2013年10月28日(月)放送
ゲスト:石川和男

2013年10月21日(月)放送
ゲスト:大桃美代子

2013年10月14日(月)放送
ゲスト:織作峰子

2013年10月7日(月)放送
ゲスト:大谷昭宏

2013年 9月

2013年9月23日(月)放送
ゲスト:是枝裕和

2013年9月16日(月)放送
ゲスト:草野仁

2013年9月9日(月)放送
ゲスト:伊藤羽仁衣

2013年9月2日(月)放送
ゲスト:安藤美冬

2013年 8月

2013年8月26日(月)放送
ゲスト:鳥羽美花

2013年8月19日(月)放送
ゲスト:とみこはん

2013年8月12日(月)放送
ゲスト:幸田真音

2013年8月5日(月)放送
ゲスト:武田美保

2013年 7月

2013年7月29日(月)放送
ゲスト:遠藤功

2013年7月22日(月)放送
ゲスト:大友克洋

2013年7月15日(月)放送
ゲスト:石原良純

2013年7月8日(月)放送
ゲスト:森岡薫

2013年7月1日(月)放送
ゲスト:喜多俊之

2013年 6月

2013年6月24日(月)放送
ゲスト:立浪和義

2013年6月17日(月)放送
ゲスト:久瑠あさ美

2013年6月10日(月)放送
ゲスト:草野満代

2013年6月3日(月)放送
ゲスト:山城厚生

2013年 5月

2013年5月27日(月)放送
ゲスト:奥田祐斎

2013年5月20日(月)放送
ゲスト:柴田達志

2013年5月13日(月)放送
ゲスト:田原総一朗

2013年5月6日(月)放送
ゲスト:藤巻健史

2013年 4月

2013年4月29日(月)放送
ゲスト:小松美羽

2013年4月22日(月)放送
ゲスト:水野敬也

2013年4月15日(月)放送
ゲスト:三橋貴明

2013年4月8日(月)放送
ゲスト:池田信夫

2013年4月1日(月)放送
ゲスト:吉村作治

2013年 3月

2013年3月28日(木)放送
ゲスト:チャン・ビン

2013年3月21日(木)放送
ゲスト:高木美也子

2013年3月14日(木)放送
ゲスト:野口健

2013年3月7日(木)放送
ゲスト:竹内純子

2013年 2月

2013年2月28日(木)放送
ゲスト:上念司

2013年2月21日(木)放送
ゲスト:猪子寿之

2013年2月14日(木)放送
ゲスト:田北浩章

2013年2月7日(木)放送
ゲスト:水道橋博士

2013年 1月

2013年1月31日(木)放送
ゲスト:麻衣

2013年1月24日(木)放送
ゲスト:和田裕美

2013年1月17日(木)放送
ゲスト:橋爪功

2013年1月10日(木)放送
ゲスト:鈴木愛

2012年 12月

2012年12月20日(木)放送
ゲスト:錦織良成

2012年12月13日(木)放送
ゲスト:寺田真二郎

2012年12月6日(木)放送
ゲスト:宮澤正明

2012年 11月

2012年11月29日(木)放送
ゲスト:柳田理科雄

2012年11月22日(木)放送
ゲスト:毛利亘宏

2012年11月15日(木)放送
ゲスト:伊藤聡子

2012年11月8日(木)放送
ゲスト:小松成美

2012年11月1日(木)放送
ゲスト:阪本順治

2012年 10月

2012年10月25日(木)放送
ゲスト:山本隆三

2012年10月18日(木)放送
ゲスト:西崎佳代子

2012年10月11日(木)放送
ゲスト:MICRO

2012年10月4日(木)放送
ゲスト:栄和人

2012年 9月

2012年9月27日(木)放送
ゲスト:森永卓郎

2012年9月20日(木)放送
ゲスト:中村元風

2012年9月13日(木)放送
ゲスト:内田けんじ

2012年9月6日(木)放送
ゲスト:石井 竜也

2012年 8月

2012年8月30日(木)放送
ゲスト:木場 弘子

2012年8月23日(木)放送
ゲスト:福井 利佐

2012年8月16日(木)放送
ゲスト:江上 剛

2012年8月9日(木)放送
ゲスト:かづきれいこ

2012年8月2日(木)放送
ゲスト:藤沢 久美

2012年 7月

2012年7月26日(木)放送
ゲスト:尾木 直樹

2012年7月19日(木)放送
ゲスト:中川 恵一

2012年7月12日(木)放送
ゲスト:野口 五郎

2012年7月5日(木)放送
ゲスト:内田 俊宏

2012年 6月

2012年6月28日(木)放送
ゲスト:山田 満知子

2012年6月21日(木)放送
ゲスト:北野 大

2012年6月14日(木)放送
ゲスト:坂東 眞理子

2012年6月7日(木)放送
ゲスト:瀬古 利彦

2012年 5月

2012年5月31日(木)放送
ゲスト:柿沢 安耶

2012年5月24日(木)放送
ゲスト:鈴木 光司

2012年5月17日(木)放送
ゲスト:安藤 竜二

2012年5月10日(木)放送
ゲスト:田中 雅美

2012年5月3日(木)放送
ゲスト:道尾 秀介

2012年 4月

2012年4月26日(木)放送
ゲスト:木村 多江

2012年4月19日(木)放送
ゲスト:小池 龍之介

2012年4月12日(木)放送
ゲスト:荻原 博子

2012年4月5日(木)放送
ゲスト:北村 晴男