競泳・今井月、パリ五輪目指し親子で挑んだ日々 選考会終え胸の内明かす「今後のイメージができない…」
2024年3月28日 18:11
岐阜市出身のスイマー今井月選手。並々ならぬ思いでパリオリンピックを目指した、親子の日々に密着しました。
今年1月取材時の月選手
「今はパリ五輪に向けて水泳を続けてきたので、五輪に行けないイメージとかしていなかった」(今井月選手・バローHD/東京ドームスポーツ所属)
今井月選手、23歳。夢破れた翌日、人知れず涙を流していました。
父・博美さん
月選手を支える 父・博美さん
岐阜市にある居酒屋「ぱくり家」。お店をきりもりする今井選手の父・博美さんは、
1年半前に脱サラし、自宅を改装してオープンしました。
店内には至るところに娘の写真が飾られています。
さらに看板には月選手をイメージした月のイラストが描かれ、娘への愛が詰まっています。
「私がポテトサラダ作ってあげようかな」(今井月選手)
今井選手が実家に帰ってきた時は、手伝うことも――
「実家が居酒屋だと『実家に帰る』『飲みにいく』目的が2つできるから、月選手にとっては1つ遊び場が出来た感じ」(父・博美さん)
13歳の頃の月選手と父・博美さん
小学生から得意種目は平泳ぎ
今井選手が水泳を始めたのは3歳の時。得意種目は平泳ぎで、小学生の記録を次々と塗り替えていきました。
8歳の時、母親が病気で亡くなったあとは博美さんが全ての面でサポートしてきました。
「バランスは、好きな物しか食べないので。生野菜は絶対つけていますね」(父・博美さん)
「美容師さんに憧れた時もあって、パパの髪をチョキチョキと切って」(今井月選手)
「朝起きたら僕の髪の毛が無かったです」(父・博美さん)
どんな大会でも、会場にかけつけ撮影してきました。
「自分の泳ぎをすぐにその場で例えば予選と決勝があるレースだと予選の泳ぎを見てすぐ修正しなきゃいけないと本人は思っている」(父・博美さん)
月選手と父・博美さん
天才スイマー誕生と話題に
中学1年の時、国内トップレベルの大会で次々と表彰台にあがり、天才スイマー誕生と話題を呼びました。
その後、個人メドレーに活路を広げた今井選手は、2016年にはリオオリンピックに出場し、2017年の世界水泳では5位に入賞するなど、目標の東京オリンピックに向けて着実に歩みを続けていました。
今井月選手
2018年以降、スランプに直面
ところが、2018年以降スランプに直面し、東京オリンピックもまったく手が届かず引退も考えました。
「父親に“もう辞めるわ”とメールしたぐらい練習も憂鬱だし、朝起きるのも憂鬱だった」(今井月選手)
「いろんなコーチを試してこれ以上の選択肢が無かったら、すんなり辞めていいよと言ったかもしれないけど、新たな選択肢を選んだところで、行けるんじゃないかと予想していた」(父・博美さん)
今井月選手
新たな拠点に移籍…日本代表へ復帰
父が勧めたのは、新たな拠点への移籍でした。2021年の秋、かねてから今井選手を評価していたコーチのもと、平泳ぎに専念すると決めました。
「環境を変えて、それでもダメだったら仕方ないと思えるぐらい絶対自分なら戻ってこられるという気持ちがあったから続けられた」(今井月選手)
その選択が功を奏し、去年6年ぶりに日本代表へ復帰。世界水泳では準決勝進出、アジア大会では銅メダル獲得とパリオリンピックを目指し調子を上げていきました。
「勇気を出して環境を変えて良かったと思いますしその選択を後悔した日は1日も無い。200m平泳ぎは自分の種目だとアピールできるように頑張りたい」(今井月選手)
涙をぬぐう月選手
代表選考会を終えて語った胸の内
そして迎えたパリオリンピックの代表選考会。
200m平泳ぎ決勝。派遣標準記録を切り、2位以内に入ることが代表の条件です。途中までは、自己ベストを上回るペースでしたが、ラストの競り合いで結果は3位。
パリにあと一歩届きませんでした。
戦い終えた翌日。胸の内を明かしてくれました。
「今はどう過ごしていいのか分からない。今後どうするのかとかもイメージができない。まだ23歳なので若いと思う気持ちもあるんですけど。自分の中では小さい時から頑張ってきたという感じもあって、“もういいんじゃないか”って思う自分もちょっといます。しばらくオフをもらったので、その間に自分の水泳人生をどうするかいろいろ考えながら決めていきたいと思ってる」(今井月選手)
「なんだろう難しいよね水泳って。オフの間に水泳から離れた世界を見たりとかするのもいいし、ちょっといろんなことを見てきてやってみて、それで考えればいいかなと思っている。これからもやるといったら、次の4年もっと全力の応援を考えます」(父・博美さん)
(3月28日15:40~放送メ~テレ『ドデスカ!+』じもスポ!コーナーより)