祭りから消えた「手筒花火」祖父の思いを継ぎ50年ぶりの復活へ 愛知・豊川市
2024年10月17日 16:56
少子化や過疎化が進み、地方の祭りが担い手不足に直面する中、愛知県豊川市では長く途絶えていた手筒花火の復活に向け、若い世代が立ち上がりました。
五穀豊穣や無病息災などを願う「手筒花火」
縄を巻いた竹筒から、豪快に吹き上がる火柱。五穀豊穣や無病息災などを願う、手筒花火は東三河地方が発祥の地と言われています。
豊川市上長山町の下地区では毎年10月、白鳥神社で開かれる祭りで手筒花火を奉納する伝統がありました。しかし――。
「昭和49年に自分が26歳の年に終了したんですよ。後継者がいなくなって」(小林明さん)
準備の大変さに、若手の後継者不足が重なり祭りから姿を消した、手筒花火。今年でちょうど50年になります。
「やっぱさみしさがあったね、やってほしいなというさみしさがありましたね。継続してやってほしいというのがありましたね」(小林明さん)
1974年・白鳥神社 50年前に行われた「手筒花火」
50年ぶりの再開、ゼロからのスタート
これまで、他の地区で手筒花火に参加してきたという、小林さん。
再び、自分たちの地元で披露したい。再開に向け、本格的に動き出したのは小林さんの孫・真さんです。
「もともと祭りとか派手なことが好きで、手筒花火が好きだからですね」(小林真さん)
真さんは、今年の祭りで手筒花火のリーダーを務めることになりました。メンバーの大半が、真さんより年上です。
「めちゃくちゃ大変だなと思います。なにもかもが手探り状態で一番若いってのもありますけど、周りの人に支えてもらっているんだなと、こういうとき気づきますね」(小林真さん)
50年ぶりの再開は、まさにゼロからのスタート。警察や消防への許可申請など、必要な手続きも済ませました。
「ようやく許可が無事下りたので、なんとかできそうなのでよかったです」(小林真さん)
竹筒づくりをする小林真さん
最後に開催された日と同じ10月12日に向け準備
この日の作業は、大事な竹筒づくり。1本1本、丁寧に縄を巻いていきます。
「火をつけたときに(竹筒が)膨張する。割れるのを防ぐというのもあります。縄が緩まないようにというのは気を付けていますね」(小林明さん)
安全に行うために何が必要か。祖父の明さんは、かつて培った技や経験を伝えます。
「もともと50年前、やっていたときの経験とかも含めて、やっぱり祖父がいることによって周りの士気も上がるし、安心感も違うので本当に感謝していますね」(小林真さん)
今年の祭りは50年前、最後に開催された日と同じ10月12日。入念な準備が続きました。
豪快に吹き上がる火柱
吹き上がる炎は約1000℃
迎えた当日。 祖父・明さんの奉納花火を合図に祭りが始まります。
「いよいよですね。祭りに来て楽しいなと思ってもらう人が、1人でも増えてもらえればうれしいなと思って。その思いも強いですね」(小林真さん)
打ち上げ花火の後は、手筒花火。まずは、真さんの出番です。
吹き上がる炎は約1000℃。全身に火の粉が降りかかります。
「火が付いた瞬間に周りがすごく見えるようになるんですよ。お客さんの顔とか見に来てくれている人の数とか、注目浴びれる場っていうのが手筒花火には詰まってるんで自分の中ではそういう部分が魅力に感じていて」(小林真さん)
祖父・小林明さん地元で50年ぶりの手筒花火
「本当にやって良かった」
続いて、祖父の明さん。重さ20キロほどの竹筒を、50年ぶりに抱えます。
「私の実家の両親がここに来て、花火を見てすごく喜んだのを思い出して、青年の方たちが復活させてくれたのがすごくうれしかった」(見物客)
「まずはほっとしています、本当によかったと思います。無事みんな何事もなく大成功に終わって」(小林真さん)
「真が『復活したい』という話をしていて非常にうれしかったですね。これからも5年10年15年と続いていくように期待しています。やってくれてありがとうという気持ちでいっぱいですね」(小林明さん)
「簡単なことじゃないというのはわかっていましたけど『復活してよかった』『またやってほしい』『きれいだよ』と言ってくれる声が自分たちの励みになるので本当にやって良かったと思います」(小林真さん)