名古屋が誇る俳優夫婦・山田昌さんと天野鎮雄さん 娘が振り返る素顔の両親

2024年7月27日 11:01
東海地方を代表する俳優だった山田昌さんと天野鎮雄さんが、去年と今年に相次いで世を去りました。二人が名古屋に設立した劇団「劇座」の座員でもある娘の天野ひさ英さん(54)に、両親の思い出を語ってもらいました。

天野鎮雄さんと山田昌さん。天野さんは昨年11月に87歳で、山田さんは今年6月に94歳で死去した(劇座提供)

 東海地方のみなさんが母(山田昌さん)に抱くイメージは、「鎌倉ハム」のコマーシャルじゃないでしょうか。「まぁ一本まぁ一本と、たいがいにしとかないかんよ。今晩のおかず、わやになってまった」。コミカルで優しい、包容力があるお母さん。友人から「優しそうなお母さんだね」と言われたことがあります。

 でも私は、家に母がいた記憶があまりないんです。母はずっと外で仕事をしていて、祖母(天野鎮雄さんの母)が育ての親でした。私の記憶に残る母は、大人になって劇団で見た俳優・山田昌。そして、ダメ出しをしたり演技指導をしたりする姿です。
 

1994年の舞台「鯱の湯の場合」で共演する天野鎮雄さんと山田昌さん。気弱な夫にしっかり者の妻という素顔に近い役柄だったという(劇座提供)

対照的な性格の父と母
 父(天野鎮雄さん)はこつこつ勉強を積み重ねるタイプ。何かを演じるとなると、関連する新聞記事を読んだり、関係者に会って話を聞いたりしていました。一方の母は直感で演じ、それができてしまうタイプでした。

 劇座の稽古でも、母の指導は「音が違う」といったように感覚的でした。わかる人はいいけれど、わからない人はダメ。俳優だけでなく、脚本も演出もダメと思ったらケチョンケチョン。そういう言い方しかできないタイプなのです。

 父は気配りの人ですが、相手を傷つけまいと回り道して、結局何が言いたいんだかわからなくなってしまうことも…。

 仕事も、父は頼まれると断れない。でも母は台本に文句を言って、まず一度は「やらない」と言わずにいられない。二人芝居をした時も、母は毎度「もうお父さんとは二度とやらない」と言っていました。翌年には忘れてまたやるんですが。

 そんな母でしたが、素直に言うことを聞く数少ない一人が、父でした。自宅の1階で暮らし、父が亡くなる直前まで、毎晩のようにお酒を飲みながら演劇論を交わしていました。
 私も同じ家に暮らしていましたが、議論が白熱すると「お前はどう思う」と巻き込まれてしまうので、2階に逃げたものです。
 

2004年の舞台「やっとかめ探偵団」の山田昌さん。おばあちゃん探偵のリーダー・波川まつ尾がはまり役だった(劇座提供)

「理想の母」を演じていたのかも
 母の人生は役者一本で、母親業はできていたとは言えません。それは性格とともに、生い立ちもあったように思います。3歳で生みの母を亡くし、2人の継母がいました。きょうだいも多く、母親に愛情を注いでもらった記憶がなかったそうです。テレビや舞台ではお母さん役が多かったのですが、「こういうお母さんがいたらよかった」という理想を演じていたんじゃないでしょうか。

 母は、「夏の雲は忘れない」という朗読劇に長年出演していました。広島と長崎の原爆でわが子を失った母や、親を失った子たちの手記を読むのですが、戦争の記憶がある世代だからだけでなく、母自身も親の愛を追い求めていたのではと勝手に思っています。

 父は困った人を見ると助けずにはいられませんでした。オーバーな表現かもしれませんが、いろんな人に愛を配った父に、愛を求めていた母という、いいコンビだったと思います。

 母は晩年、セリフが出てこなくなってしまいました。テレビ出演の最後は2018年の「どこにもない国」(NHK)、舞台は17年の「坐漁荘の人びと」(劇座公演)でした。本人は「まだできる」と意欲があったのですが、周りに迷惑をかけてはいけないと、私は止めていました。
 

天野鎮雄さんと山田昌さんを囲む劇座のメンバー。後列左から3人目が天野ひさ英さん(劇座提供)

亡くなってから知った父の大きさ
 父の最後の舞台は、2022年の「ながらえば」で、老旅館主の役でした。亡くなる2週間前までラジオに出演し、「学校教育に演劇を取り入れ、人を思いやる心を育ててほしい」と話していました。

 父の大きさを、亡くなって初めて知ったような気がします。通夜と葬儀に、ラジオやテレビ、障害者団体、福祉団体、平和団体などから約700人が来てくれました。ラジオリスナーからの募金で設立され、父が理事長を務めていた「愛知県難病救済基金」は、これからも続けていかなければいけません。父が力を入れていた平和を守る活動も終わらせてはいけないと思っています。

 父と親しかった人たちが、10月に「大アマチン祭」と銘打った写真展や演劇公演を名古屋市内各地で開いてくれることになりました。母も亡くなったので、二人をしのぶ催しになるでしょう。

 父が期待を寄せていた演出家の方が脚本を書いた「秋のそら音」という作品も上演されます。父が出演することはできませんでしたが、父と縁があった方々が出演してくれる予定です。

 また、愛知難病救済基金の啓発イベントとして、劇座のみんなが「文左衛門の事件簿」というコメディ舞台を上演します。父と母は喜劇が大好きで、名古屋の演劇をどうしていくかをずっと考えていました。これからも名古屋の文化を盛り上げていくことが、二人が一番喜ぶことだと思います。
 

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