矢場とん 2代目・鈴木孝幸元社長(77)が死去 名古屋のみそかつを全国に広める 

2025年3月28日 17:01

名古屋を代表するグルメ「矢場とん」のみそかつ。その矢場とんを、全国に広めた2代目の鈴木孝幸さんが亡くなっていたことがわかりました。お客を大切にした、その思いとは…。

 みんな大好き名古屋めし「みそかつ」。名古屋・矢場町にある「矢場とん」本店は、きょうも観光客などで大行列です。

 その矢場とんを、大人気店に育て上げた立役者2代目の鈴木孝幸元社長(77)が2月に亡くなっていたことが分かりました。

「子どもが喜ぶことなら何でもやるっていう感じ」(鈴木孝幸元社長・2009年の取材)

 長男で3代目の拓将代表取締役。お客さんと触れ合う孝幸さんを覚えています。

「行列しているお客さんとかに手品してて。『なんか面白いおじさんきたよ』と、若い子が「社長!電話です~」って呼ぶと、お客さんが『え!あのひと社長さんだったの?』みたいな」(矢場とん 鈴木拓将 代表取締役)

 

全国に広まった“みそかつ”

”みそかつ”矢場とんを全国に広めた立役者

 1947年に大須に誕生した「矢場のとんかつ」。創業者の長男として生まれた孝幸さん。

 孝幸さんが主導して、ナゴヤ球場の外野席に屋台を出店したことで、みそかつは多くの野球ファンに親しまれました。

「 (孝幸さんは)大学時代にチケットもぎりや売店の売り子のアルバイトをしていた。(その縁で)『売店でも出すか?」みたいな感じで入ってたみたい」(鈴木拓将 代表取締役)

 1980年に社長に就任。就任当時は本店の1店舗だけでしたが、2004年に東京・銀座に進出するなど、名古屋のみそかつを多くの人に広めました。現在は、国内31店舗に。

 ただ、2008年には孝幸さんを怒らせる、こんな出来事も…。

「もう憤慨ですね」(鈴木孝幸元社長)

 

矢場とん 3代目 鈴木拓将さん 

とっても優しく、多くの人に親しまれた孝幸さん。

 2008年、韓国・ソウルに「偽矢場とん」が出現。「ぶーちゃん」そっくりのキャラクターに、看板。これには孝幸さんも当初、お怒りでしたが、騒動が大きくなり、ソウルの店は閉店しました。

「全然怒りは無いです。おいしいトンカツの作り方でも教えてあげようかなの気持ちでいます」(鈴木孝幸元社長)

 普段はとっても優しく、多くの人に親しまれた孝幸さん。葬儀はすでに、家族や店のスタッフなどで執り行われました。

「相談を受ければ、何でもとにかくこう何とかしてやるよっていう。何でもすぐに手を差し伸べる人だった。(葬儀では)僕よりも全然すごい勢いでなく泣いてくれるんですよね皆さん。本当にやっぱこの人って、ずっと人のために、生きてきたのかなって」(鈴木拓将 代表取締役)

 お別れの会は、孝幸さんの誕生日、5月25日に名古屋観光ホテルで開かれる予定です。

 

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