パリ五輪代表、アーチェリー界のエース候補・斉藤史弥「指導者だけど友達の方が強い」恩師の愛が逆境支える

2023年10月12日 18:00
東海地方でいち早くパリ五輪の内定を勝ち取ったアーチェリー界のエース候補、岐阜県羽島市出身、斉藤史弥選手。大舞台への切符を射止めたその直後、知られざる試練と向き合っていました。

岐阜県羽島市出身、斉藤史弥選手

 東海地方のパリオリンピック内定第一号!岐阜県羽島市出身、斉藤史弥選手。

 今、アーチェリー界で最も勢いのある大学一年生です。

 今年4月、選考会を勝ち抜き、初めてトップカテゴリのニッポン代表になると――

 国際大会で着々と成績を残し、オリンピック出場がかかった8月の世界選手権では団体銅メダル。

 代表入りからわずか4カ月で、見事、パリへの切符をつかみ取りました。

 「五輪の内定を1回目のチャンスでちゃんと勝ち取れたので、とてもうれしい気持ちでいっぱいでした。ほっとしましたね」(斉藤史弥選手)
 

大垣西高校 本間隼人先生(左)、斉藤史弥選手(右)

中学時代から高校卒業までの約5年間、二人三脚で歩む恩師
 9月、オリンピック出場の報告のため、2023年の春卒業した、母校・大垣西高校を訪れました。

 その姿を見守っていたのが、本間隼人先生。

 「指導者なんですけど友達の方が強い。『これやって』って言われても『嫌』とか言える」(斉藤選手)

 「色々なことを言い合えるし、親友を超えた友達かもしれない」(大垣西高校 本間隼人先生)
 
 出会ったのは、小学5年の時。

 その後、中学時代から高校卒業までの約5年間、二人三脚で歩んできた恩師です。
 

二人でオリンピック内定の祝勝会

オリンピック内定の祝勝会で世界選手権の話題に
 「オリンピックおめでとうございま~す!」 

 この日は、二人でオリンピック内定の祝勝会。食が進むにつれ、自然と世界選手権の話題に。

 本間先生:「世界選手権の3位決定戦で、オリンピック決まった時、皆平然としとったやん。もっとワーってなると思ったもん。なんで?」
 斉藤選手:「余裕で勝てる試合だったから」
 本間先生:「勝てるって思ったんや。すげぇよな。手震えんかった?」
 斉藤選手:「全然」
 本間先生:「じゃあ日本代表の選考会の方が緊張した?」
 斉藤選手:「うん」
 本間先生:「マジ!?」
 

斉藤選手にとって本間先生は指導者だが友達の方が強い

先生からのオリンピック内定祝いには深い愛情が
 ちなみに、本間先生からオリンピック内定のご褒美をもらったそうなんです。

 本間先生:「トレーニング用のゴム。3m分。ホームセンターに2人で行って『3m分で』って巻いてもらって。束ねて『はい、オリンピックおめでとう』って渡しました。うれしかったもんね」

 Q.斉藤くんから欲しいものって言わなかった?(ディレクター)
 斉藤選手:「ある。脱毛器が欲しい。海外だと時差でヒゲが生える時間が全然違うから」
 本間先生:「いくら?」
 斉藤選手:「5万とか。2桁はいかんと思うよ」
 本間先生:「すまんすまんすまん。じゃあ分かった。ゴム5m分足したる」
 斉藤選手:「いらん。使い道ない…」

 斉藤選手はちょっと不満そう。

 実はゴムチューブのプレゼントには先生の深い愛情が詰まっていたんです。
 

斉藤史弥選手は右肩を痛めていた

8月、斉藤選手の身体に異変が起きていた
 8月。パリへの切符を手にしてから、初となる国内大会に出場した斉藤選手。
 
 しかし、本来の強さを出し切れず、個人3位。

 実はこの時、身体に異変が起きていました。

 「肩を痛めているので、右肩です。弓を引く時に痛いので。昔から痛かったので、それをだましだましやってきて。1本目から痛かったので、最悪だって思いながら」(斉藤選手)

 肩は、アーチェリー選手にとっての生命線。度重なる海外遠征の疲労などが原因で状態が悪化していました。

 肩の回復を優先するため、大学の夏休み中は地元・岐阜に帰省。治療しながら、調整を行っていました。

 Q.治療を受けている時は痛い?(ディレクター)
 「痛いですよ。骨に響くような痛み」(斉藤選手)
 
 Q.治療後は楽になる?(ディレクター)
 「ちょっと軽くなった感じはします。今後も痛みと付き合いながら完治はできないと言われたので」(斉藤選手)
 

先生からオリンピック内定祝いでもらったゴムチューブでトレーニング

岐阜に帰省して面倒を見てくれるのは本間先生
 怪我で十分な練習ができない中、トレーニングに使っていたものこそ、ゴムチューブ。

 先生からもらったオリンピック内定祝いです。

 「オリンピック記念って形では言ったけど、これから絶対必要だし、若いうちにケアを覚えてくれればと思って。この先5年10年と大事になるものかなと思って。色々なメッセージを込めてプレゼントを選んでいるつもりです」(本間先生)

 岐阜に帰ってきて面倒を見てくれるのは、もちろん本間先生。

 「斉藤選手は走るの嫌いなんですよ。長距離走とか、そういう耐え抜くみたいな。だからあえてサッカーとかだと、言わなくても走るから。そういう風に楽しみながらという感じです」(本間先生)
 

斉藤史弥選手

「パリ五輪の目標はとりあえずメダルを取るところ」
 高校のアーチェリー部顧問として生徒たちを指導する傍ら、寄り添ってくれる本間先生。

 時には、本数を制限しながら、実戦形式の練習に付き合ってくれる場面も。

 「本間先生とはやっぱりやりやすいですね。本音で言えるんで。思ったことをそのまま言えます」(斉藤選手)

 「言葉遣いは変わらないけど、すごさが増した感じ。自信ついているんだろうな。あの場で射ったから強くなるんでしょうね。オリンピックを決める試合をやったのは」(本間先生)

 今や地元・岐阜で大注目、ニッポンのエース候補。

 信頼する恩師に支えられながら2024年に迫るパリオリンピックへ、前進し続けています。

 「残り1年あるかないかなんですけど、どれだけ肩の痛みをなくして最高のパフォーマンスができるか、徐々に1年かけてやっていきたいと思います。パリ五輪の目標はとりあえずメダルを取るところ。メダルを取ればメディアにも取材されるので、もっとアーチェリーの知名度が上がるかなって思います」(斉藤選手)

 Q.本間先生にオリンピックメダルを見せたいとかは?(ディレクター)
 「ないですね(笑)」(斉藤選手)

 (10月12日 15:40~放送 メ~テレ『ドデスカ!+』じもスポ!コーナーより)
 

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