「偶然でもいい。神経芽腫、小児がんのことを知ってほしい」娘の闘病記をSNSで発信し続ける父の思い

2024年12月27日 13:01
三重県の4歳の女の子が診断されたのは、小児がんのひとつである「神経芽腫」。治療で病院を自由に出入りできない中、病室から見たのは、ボランティア団体によるサプライズ花火でした。次回は、家族そろって外で見る約束をしていました。女の子の父親が毎日のようにSNSで投稿している小児がんの現状や闘病生活。SNSで広く伝え続ける理由、そして、今も病気と闘う子どもたちのために始めた、新たな活動とは――

小児がんの現状をSNSで伝え続けている(Xより)

 SNS投稿を始める約2カ月前、4歳の女の子は、国内で年間約100人が発症するという小児がん「神経芽腫」と診断されました。

 去年、病室から画面越しに見た打ち上げ花火。

 今年は家族3人、外で見る約束をしていました。治らなかった、小児がん。

 「笑舞はもう治らないけど、この病気自体が治る病気になることは、なんとか見せてあげたい」

 両親は、娘の闘病を通し、小児がんの現状を伝えることを決めました。

 今、病気と闘っている子どもたちのために、できることとは――

 三重県四日市市の向井笑舞ちゃん。

 家族が異変を感じたのは、保育園の運動会を控えた3歳のときでした。

 「最初は元気がなくなっておなかが痛い、足が痛いと言い出して熱が出た」(笑舞ちゃんの母・向井安由美さん)
 「足が痛いって言っていて、たぶん運動会で走るのが嫌なんだろうなと思っていたことが、一番後悔しています」(笑舞ちゃんの父・向井潤さん)

 4歳の誕生日を祝った1週間後、医師から告げられた病名は、神経の細胞にできるがん「神経芽腫」。

 笑舞ちゃんのがんは、腎臓の上にある副腎で発生、骨髄や足などに転移していて、5年後の生存率が半分以下の「高リスク群」とされました。
 

「とにかく知ってほしい」と話す向井笑舞ちゃんの父・潤さん

「とにかく知ってほしい」
 周りに同じ病気の子がいない中、父親の潤さんが情報収集として頼ったのは、SNS。次第に娘のことも投稿するようになりました。

 「SNSでいつも笑って楽しそうに、闘病生活をしている投稿があって」(父・潤さん)

 ―Xの投稿 去年1月
 「輸血中 献血を頂いている方や関わって頂いている方達のおかげでこの子の『いのち』に未来が生まれています」

 ―Xの投稿 4月
 「ミスドに元々行きたいと言っていて行けなくなったので、逆に全種類買ってきたらお店にいるみたいに本人が選べると思い買ってきた」

 治療の影響で、外を自由に行き来できないことなど、小児がんの現状を伝え続けました。

 笑舞ちゃんが受けた治療は、がんの摘出手術、抗がん剤投与、細胞の移植などです。

 さらに、「治験」という限られた子どもしか受けられない試験的な治療も受けましたが、完治させる方法はありませんでした。

 「とにかく知ってほしい。認知度が高まれば、国とか県とか自治体レベルで動いて、薬が早く手に入ったり、治験の枠が増えたり、海外に行かなくても国内で済むかもしれない。知識として持っていれば、大事な子どもを守れるし、そこは広めていく」(父・潤さん)

 笑舞ちゃんは1年半、懸命に病気と闘いましたが、今年4月、5歳で亡くなりました。

 「本当に悔しい。『なんでうちやねん』って思います。神経芽腫が標準治療で治るよというのを見ないと、僕は生きられない、何をしたくて生きているのか」(父・潤さん)
 

去年、笑舞ちゃんは病室から画面を通して見ていた

娘と約束「打ち上げ花火を一緒に」   
 「本当に笑舞を思い出すな。笑舞が海を見るのが好きだった」(父・潤さん)

 両親は、思い出の海岸で清掃活動のボランティアに参加しました。

 近くの三重大学病院で闘病している子どもたちのためにこの海岸から花火が打ち上げられます。

 去年、笑舞ちゃんも病室から画面を通して見ていました。

 「楽しそうでした。親子で花火が好きなので『来年は外で見よう』と言っていて、『そうだね』って」(母・安由美さん)

 向井さんを誘ったのは、小児がんで中学生の息子を亡くした、ボランティア団体の代表、寺際伸一さんです。

 「息子が入院していたときは、頻繁にボランティア団体が病院に出入りして、楽しく過ごしていたけど、今は入れないじゃないですか。イベントのひとつとして病気を忘れて、花火を楽しんでもらえる時間になれば」(ボランティア団体 代表 寺際伸一さん)
 「入院していてイベントがあるだけで、親も子どもも救われますし、本当に入院生活は単調なので」(父・潤さん)

 今年は支える側へ。

 「今、小児がんと闘っている友達がいるので、少しでも力になりたい気持ちが大きくて、来てよかった」(父・潤さん)

 笑舞ちゃんとは、どこへ行くときも一緒。寒い日には、いつも赤いニット帽をかぶっていました。

  ―Xの投稿
 「去年、病棟で笑舞が見た花火。今年はその花火を打ち上げるお手伝いをさせて頂きます。来週の打ち上げ日、雨が降らず子供たちの笑顔が溢れますように」
 

今年打ちあがった花火を見る笑舞ちゃんの両親

「笑舞と一緒に見たかったな」
 迎えた、打ち上げ花火当日。闘病中の子どもたちの願いとともに大空に打ち上げます。

 ボランティア団体による準備が進む中、向井さんはメッセージの記入を呼びかけていました。

 「小児病棟に貼って、闘っている子どもたちに見てもらいます」(父・潤さん)

 思わぬ出会いもありました。笑舞ちゃんが入院生活を一緒に過ごした仲間です。

 「去年の花火のときのメッセージで書いていた。『えまちゃんだいすき』と書いてくれて、メッセージを読んで笑舞がすごく喜んでいた」(母・安由美さん)

 「笑舞ちゃんがいなくなって、めちゃくちゃ泣いたんだ」(入院生活を一緒に過ごした女の子)
 「お空から見ている『がんばれ』って言っているから」(母・安由美さん)

 入院中の子どもたちも準備が整うと――

 「5・4・3・2・1」

 笑舞ちゃんが亡くなってから、約半年。両親はずっと願ってきました。

 「すべての小児がんが治りますように」

 「誰も小児がんにならない日が、いつか来たらいいなと思いますし、報告したい。笑舞に。『治るよ、治るよ』って言い続けてきたので」(父・潤さん)

 夜空を彩る500発の花火は、あっという間に終わってしまいました。

 笑舞ちゃんが使っていたペンライトで、入院中の子どもたちにエールを送ります。

 「ライトを振っているときが一番きて、病院にいる子の気持ちがわかるから」(父・潤さん)
 「きれいでした。すごいなっていうのもあるし、笑舞と一緒に見たかったな」(母・安由美さん)
 

笑舞ちゃんの父・向井潤さん

「偶然でもいい。神経芽腫、小児がんのことを知ってもらう」
 向井さん、今でもSNSの更新を続けています。

 ―Xの投稿
 「花火のように1人でも多くの人が小児がんの世界に触れる機会が広がり輪になって、子供たちの笑顔が美しく沢山咲きますように」

 「毎日寂しいけど、泣きながら笑舞のことをみんなに伝えて、本当に偶然でもいい。神経芽腫、小児がんのことを知ってもらう。残っているのって、笑舞が闘病した記憶とか、SNSとかを通して笑舞の影響力はあるので、ずっと育て続けて、生かし続けたいし、そうしていく」(父・潤さん)
 

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