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オンブス6
オンブズ6 とは
メ~テレには、視聴者から寄せられた人権侵害や報道被害に関する問い合わせや苦情、批判に対して迅速に対応し、報道・制作の現場等に意見を述べるための第三者機関「オンブズ6」があります。
「オンブズ6」は、視聴者の皆様からの苦情に対応するだけでなく、人権侵害や報道被害に関し第三者の立場で放送に目を光らせ、被害が生じた場合は、社会通念や放送基準、各種法令に基づいてオンブズ的機能を果たしています。「オンブズ6」の「6」は、メ~テレのデジタル放送のチャンネル番号を表しています。
「オンブズ6」の委員は、大学教授の音 好宏氏、弁護士の清水 綾子氏、会社社長の九鬼 綾子氏に委嘱し、定期的に会合を開催するとともに、状況に応じて随時、社員及び社外スタッフ等に人権や放送倫理に関しての意見を述べて頂いています。
放送団体では、人権侵害や報道被害に関しては、放送と人権等権利に関する委員会が対応していますが、メ~テレでは、基本的人権を守り、正確で公正な放送をする立場から、より迅速かつ積極的、自主的に対応することが必要と判断して、2002年にオンブズ6を設置しました。
メ~テレの「オンブズ6」は、独自のもので、法的に設置されたものではありませんが、近年の捏造問題に端を発し、放送局に、より一層の自浄能力が求められる中、放送倫理の監視と是正勧告の意味を持つこの機関は、非常に重要な意味をもつものと位置付けています。
「オンブズ6」から指摘を受けた問題等は、随時、このホームページで公開します。
オンブズ6 近況
第73回 2024年9月2日(月)
都知事選で露呈したテレビ報道の課題 なぜネット地殻変動を読めなかったのか
議事概要
- 7月7日に投開票が行われた「東京都知事選挙」は、ネットでの地殻変動を捉えきれない旧来型の選挙報道の限界を示した、と指摘する声がある。マスコミの考える争点や構図と、有権者の認知に大きな「ズレ」があったのではないか。告示前や選挙期間中、取材や分析に何が欠けていたのか。地上波の報道が放送法を意識するあまり、過度な自主規制がはたらき、有権者がYouTubeなどのプラットフォームに情報を求めるようなことはなかったか。マスコミ不信を加速させないため、テレビの選挙報道に求められることを考える。
オンブズ6の意見
- 今回の選挙では、伝統的なマスメディアが争点をうまくフォローできていなかった。多くのメディアは、上位争いと予想した候補者をもとに「自民vs立憲」という構図で報じていたが、その想定は外れ、有権者がネットでの選挙活動に注目する形になったのではないか。公職選挙法や放送法など法制度に則った信頼性のある選挙報道が、ネット情報との比較の中で埋没しているのかもしれない。信頼できる情報を有権者に届けられる状況を、どのように構築していくのかが問われていると考える。
- テレビ報道を中心に情報を得ていた者として、今回の選挙結果には驚きを覚えた。結果に大きな影響を与えたとされるインターネットで展開された各種情報についても、従来のようにパソコンによるアクセスに限らず、さまざまな方法が普及している。とりわけネット回線に接続されたテレビ端末では、簡単なボタン操作で放送とネット情報が切り替わるため、ユーザーは自身がどちらを見ているのかについて意識的でないと、違いを感じなくなる。テレビ端末のネット結線率が年々増加している現状では、違いを明確にさせる何らかの差別化が求められているのかもしれない。
- ユーチューブ配信の投げ銭機能スーパーチャット獲得額が話題になるなど、各候補者がSNSを活用する選挙活動だったにもかかわらず、テレビの選挙報道は従来通りの仕方を踏襲していた。メディアの内部に、取材のアプローチを変えていくべきという問題提起がなかったのか疑問に感じる。厳しい言い方をすると、テレビの取材者は、かつては強みとされた看板や取材力にあぐらをかいていたことはないだろうか。争点や構図についての認識のズレ、選挙掲示板の不適切な利用のされ方、奇抜な政見放送など、さまざまな問題をマスメディアとして検証する必要があると考える。
南海トラフ地震臨時情報 慌てず準備を呼びかけも 非常備蓄品“品切れ”に
議事概要
- 8月8日、気象庁が「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」を発表した。臨時情報発表の翌日以降、ミネラルウオーターや缶詰、トイレットペーパーなどを求め、一部の店舗で非常備蓄品の“品切れ”状態がみられた。東海地方のテレビ各社も、「冷静な対応を」と注釈を付けつつ、非常備蓄品の品切れを報じた。水や米飯パックなどは、全国的に品薄になった。報道機関が報じれば報じるほど、欠品状態がさらに深刻になったことはないだろうか。今回の臨時情報発表を機に、安心・安全のための報じ方への課題を考える。
オンブズ6の意見
- オイルショックやコロナパンデミックで見られたように、生活必需品や備蓄品が『なくなるらしい』という情報がもたらされると、まず自分は確保したいという心理が働くことは、社会心理学的な調査でも明らか。メディアには、正しく具体的な情報を迅速に流すことが求められる。南海トラフ地震臨時情報が、どのようなものなのか、今回は十分な説明ができていなかったと考える。臨時情報は今後もたびたび発表されることが予想され、その時には具体的な対応の仕方について、生活者の目線まで噛み砕いて説明することがメディアには求められる。
- 臨時情報自体をどのように咀嚼したらいいのか、今回はひとりひとりの判断に委ねられた。結果的に、大したことないと考えた人、余程危ないのではと考えた人、情報の受け止め方は両極に分かれた。そもそも推奨されている十分な備蓄量を、日頃から常備している人は多くない。テレビ報道の影響は大きく、地震への不安と相まって「欠品する」と言われると、買いに行きたくなる心境になる。メディアとして臨時情報の捉え方についての指標を、どのように提示することができるか、今後に向けて考えることも必要ではないだろうか。
- 臨時情報の発表直後、非常備蓄品が一部品薄になった状況に、テレビ報道の影響力の大きさを改めて痛感した。但し、こうした品薄も少し時間が経過すると解消された。ひとりひとりが、何を備えればいいのかを確認し、備蓄量を点検する意味でも、警鐘を鳴らすことは必要なことだと考える。また今回の臨時情報は1週間で解除されたが、個人的には南海トラフ地震が発生する可能性が大きく変わったとは考えずに、備えを継続していくことを心がけている。
国語辞典編纂者が猛批判した『ニュースそうだったのか!!』 諸説ありに警鐘
議事概要
- テレビ朝日『池上彰のニュースそうだったのか!!』の7月20日放送内容について、著名な国語辞典編纂者が批判の声をあげた。番組では、「日本」の読みが「ニッポン」から「ニホン」になったのは、せっかちな江戸っ子が早口で話しためと解説。国語辞典編纂者は、これは俗説中の俗説で、諸説ありと断ったとしても、テレビで放送すべきではないと手厳しい。「諸説あり」という表現は、専門家が真実を追究して、それでもなお幾つかの説に分かれる、という場合にこそ使うべきで、「諸説あり」がフェイクを拡散させる免罪符になってはいけない。専門家の人選や事実確認のあり方、さらに「諸説あり」の使い方について考える。
オンブズ6の意見
- アカデミックの世界では、一定の領域に関する専門家が多く集まる場で、主流派の意見と、対立する非主流派の意見というケースはしばしばみられる。池上彰さんが博識であり、知らないこともしっかり調べる人と評価しているからこそ、国語辞典編纂者は自身の考えと異なる説が番組で紹介されたことに強く反応したのでは、と考える。池上さんの番組ではないが、専門家による奇抜な見解や意見を紹介しながら、番組ラストに「情報・見解はあくまでも一説であり、その真偽を確定するものではありません」と注釈テロップ1枚で処理しているケースも見受けられる。
- 「諸説あり」という言葉は、専門家が追究したうえで幾つかの説に分かれる場合もあれば、噂話も含めて安易に使われる場合もある。認識に個人差が大きく、明確に定義付けられていないともいえる。受け止め方がそれぞれ異なる以上、意思疎通としては足りていないことになり、意図せず誤解を招くこともあり得る。よって今回のケースで「諸説あり」の使い方の是非について、どこまで議論しても、皆が納得できる結論には至らないのではと考える。
- 個人的には「諸説あり」というフレーズを見ると、絶対に確かとは言えない、絶対に正しいとは言い切れない内容だと理解してきた。多くの視聴者が、そのように受け止めているとしたら、そこに大きな問題は感じない。むしろ情報番組などでコメンテーターが専門外のテーマに言及する際、付け焼刃で他人の意見を切り取って紹介するケースの方が罪深いのではないか。国語辞典編纂者として「諸説あり」という言葉を安易に使うべきではない、と警鐘を鳴らしたかったのかもしれないが、ここまで強い口調で批判されることに驚きを禁じ得ない。
第72回 2024年6月4日(火)
「うまずして何が女性か」 メディアが創作したフェイクニュースとの指摘
議事概要
- 5月18日、静岡県知事選応援演説での上川陽子外相による発言「うまずして何が女性か」を取り上げたメディアの報道について、危機管理の専門家をはじめ、発言を問題視する人たちは「誤解を招きやすい表現は避けることが賢明」と脇の甘さを指摘する。一方、情報リテラシー専門家の小木曽健氏は「内容は事実だが、切り取りや誤った解釈・勘違いを誘引する表現だ。フェイクニュースのひとつ、マルインフォメーションに他ならない」として、一連の報道は悪意が込められた言葉狩りだと断じる。さらに記事中の「問題発言だと指摘される可能性が…」という言い回しは、メディアによる「指摘の創作」だと手厳しい。発言を問題視した報道機関はフェイクニュースの増幅に加担してしまったと反省すべきなのか。
オンブズ6の意見
- 一般論として、取材される側は、取材する側の理解力やレベルに合わせて、話し方や説明の仕方を変えなければならないことがある。今回のケースは、上川外相自身が女性であり、応援演説で肉体的な「産む」「産まない」という話をするつもりは全くなく、集まった女性に向けて「我々で新しい知事を作っていこう」という意味で語ったもの、と受け止める。つまりメディアは、発言全体から一部のフレーズを切り取り、それをニュースにしている。やや意地悪な報じ方だと感じる。一方、現在の上川外相は、女性総理候補として注目されている立場であり、発言の一部を切り取られる危険性は常にある。政治家である上川外相にとって、次のステップに行くためのひとつの試練になったのではと考える。
- 発言の切り取りは、発言者による全体の趣旨や意図とは異なる形で伝わるおそれがある。本人が発言したこと自体は嘘ではないため、真実だと受け止められることが多い。また、音声の切り取りはもちろん、発言を文字に起こす際も、ニュアンスや意味合いが異なって伝わるケースがあり注意が必要。今回は、政治家として誤解を招きやすい表現であり、受け取る人によってはドキッとさせられる言葉だったことは確かだが、敢えて強いインパクトを与えるような取材者による切り取りに該当すると考える。発言から特定の箇所を抜き取ることについて、メディアの取材者は常に慎重な扱いが求められる。
- 上川外相の応援演説を現場で聞いたというある女性は「演説内容に女性蔑視や出産しない女性に対する裏の意味は一切なく、話した内容とは全く違う報道がなされた」として、メディアの報道を疑問視していた。実際に話された内容を短く抜粋すると、意図せず勘違いや誤解を招くことはある。しかし、時には意図的に悪く捉えられるような表現が拡散されるケースもあり、今回の報じ方は、これに該当すると考える。ニュースや情報を受け取る際には、意図的に作られたものではないか、フェイクニュースの可能性はないか、という目線を常に持ち続ける必要がある。
「定額働かせ放題」NHK報道に文科省が抗議 狙いは“委縮・忖度”なのか
議事概要
- 文部科学省諮問機関による公立学校教員給与制度に関する「審議まとめ」について5月13日、NHKが「定額働かせ放題とも言われる枠組みは残る」と報じたところ、文科省は同17日、「報道は一面的なもので大変遺憾」と抗議した。抗議文では「定額働かせ放題の枠組みが教育界で定着しているかのように国民に誤解を与える」としている。NHKの報道は「定額働かせ放題、どれだけ残業しても一定の上乗せ分しか支払われない教員の給与の枠組みはこのように呼ばれています」「定額働かせ放題ともいわれる枠組み自体は残ることになります」などと説明したうえで、現役教員の反応や有識者コメントなどを報じた。現場の教員らの間では、文科省が抗議したことに疑問の声が広がっているという。
オンブズ6の意見
- 抗議文を出した文科省の当該局長は、どこに向けてこのコメントをしているのか。報道したNHKではなく、審議会もしくは特別部会のメンバーに対してのメッセージであろう。しかし、それは踏み込み過ぎであり、妥当な対応とは考えにくい。報道内容で事実が間違っているのであれば、間違っていると指摘するべきであり、ジャーナリズムと行政との関係としては、やりすぎだと考える。今回の抗議は、メディアに対して強く物言いができる役人と身内から思われることが真の狙いではないかとも思わせる事象で、報道機関として萎縮や忖度があってはならない。
- 公立学校教員の給与制度について「定額働かせ放題」という言葉は、本当によくできた言葉で、実感を持って、その通りだと感じる。そもそも文科省が何のために今回の抗議をしたのか、その意図をはかりかねる。仮に、この抗議によって報道機関が萎縮や忖度をしてくれるとでも思ったとすると、その考えは明らかに甘すぎるし、世の中を知らなすぎるのではないか。この抗議をしたことで、結果的に、より注目を浴び、文科省の取り組みが、より批判されているとすると、いったい何のための抗議だったのか、疑念を抱かざるを得ない。
- 文科省は抗議文で「報道は一面的なもので、大変遺憾」と怒っているが、これは文科省にとって都合の悪いことを報道されたことへの過剰な反応と見えてしまう。その中身は、具体的に事実関係の間違いや誤った意見へ誘導する切り取りを指摘しているわけでもない。公立学校の教員は、ますます仕事が増え続け、ひとりひとりの疲弊も深刻になっている。こうした現状に対して、文科省が「定額働かせ放題」という言葉だけに抗議していても問題が解決しないことは明らか。システムを抜本的に変えるなど、取り組むべき課題は山積している。
『警察密着24時』多数の不適切な内容 密着系番組の制作手法を点検する
議事概要
- 2023年3月放送の『激録・警察密着24時‼』で、複数の不適切な内容があったとしてテレビ東京が謝罪、同局による警察密着系番組は今後制作されないことが発表された。公式サイトによると、「鬼滅の刃」に関する不正競争防止法違反の疑いがある事案を取り上げる中で、逮捕される様子を撮った4人のうち3人が不起訴だったことに触れなかった。また、実際の捜査場面の映像と、事後に再現として撮影された捜査員の会話や会議の映像が、明示されないまま混在して放送されていた。今回の事案をもとに、警察の全面協力を得た密着という制作手法について再点検すべきことがあるのか、意見交換する。
オンブズ6の意見
- この問題は、警察取材問題でもあるが、この領域に非常に強い制作会社と、どのように関わるのかという問題であろう。警察モノは、視聴者の目を引くとともに、見所を考えて内容面で盛ってしまいがち。だからこそ、発注元の放送局が、コントロールして放送前に的確なチェックができるのかが問われる。及第点の視聴率は期待できるが、裏を返せば視聴率補強のための「危うい毒饅頭」ともいえる。毒饅頭を使う時は、本当に注意しなければいけない。注意が弱く毒が回ってしまったのが、今回のケースではないか。テレビ東京は、警察密着モノというジャンルの番組制作をやめると発表したが、もったいない判断ではないか。コントロールとチェックが行き届いた番組制作の手法は、諦めず模索していくべきと考える。
- 警察は捜査機関で、犯罪の成否を最終的に決定できる権限を持たない。起訴・不起訴の判断権も持たない。日常の捜査で刺激的なものは少なく、比較的地味な作業を積み重ねていると思われる。しかし、警察密着モノの番組の中で、制作者は警察の権限をより大きく見せ、自由度を高めて伝えたくなる。また警察側も、世の中にアピールしたいという思いをもって制作に協力していてもおかしくない。番組制作者としては、そうすることで刺激的な内容を作りたいのだろうが、わきまえて制作しないと、踏み越えてしまう部分があると思う。
- 警察の協力を得ていても、決められた制作期間で、興味深い事件や事故に撮影クルーが次々と遭遇することはめったに起こらない。警察としても、重要事件の捜査状況を露わにすることには慎重で、制作者に密着する許可は与えにくいと思われる。結局、密着して撮影できる事案には限りがあり、やや大袈裟な演出や煽りなどの手法により、越えてはいけない一線を越えてしまったのだろうか。例えば、泥酔した人物が警察官のお世話になるシーンなど、映像的に興味深く見せられるネタを狙うような、現実に則した制作スタンスを再考する必要があると考える。
第71回 2024年4月4日(木)
SNS炎上でドラマ原作者急死 制作者の危機管理に欠けていたものとは
議事概要
- 日本テレビ制作ドラマ『セクシー田中さん』のマンガ原作者が急死した。原作の改変をめぐるトラブルが起因とされているが、直接の原因はSNSの炎上とみられる。脚本家の投稿を契機に、原作者がSNSで経緯説明をしたものの、いずれの投稿も予想外の炎上が起こった。ドラマ制作の経緯については、日テレ社内特別調査チームの報告が待たれる。民放連そしてメ~テレでは、誹謗中傷から番組出演者を保護する放送基準を定めたばかりだが、今回の事案を機に、出演者にとどまらず、番組制作に関わるさまざまな関係者とのやりとりについて、制作者はどのような対処が求められるのか考える。
オンブズ6の意見
- 原作者は、幾度も自分の作品がテレビで映像化された経験があり、テレビ番組になっていくプロセスを理解しつつ、番組内容に自分の発言が一定の主張を示すことができると認識をしていたのではと考える。最大の問題は、テレビ局側が、原作者、脚本家、演出家、制作現場の人たちと、うまくやりとりができていなかったこと、コミュニケーション不足であることは間違いない。原作を、どのように映像化していくのか、コミュニケーションのあり方を含め改めて確認する必要がある。世の中的にも丁寧な対応が求められていることは確か。
- 原作者と制作者側のコミュニケーション不足が指摘されているが、双方ともに多くの人が携わっている。間に人を介すれば介するだけ、伝聞のような話になる。とりわけ人の感情や想いを正確に伝えること、真の意図を互いに理解することは、極めて難しい。また原作の改変について、事前の契約で決められることには限度があり、協議条項を入れざるを得ない。自ずと双方が協議しながら進めていくことになると考える。
- 原作者と制作側とのやりとりやプロセスについて、明らかになっていることが乏しく、現時点では判断が難しい。その前提のうえで、原作者が作品を我が子のように大事にしているのに対して、制作側は安易に視聴率を取る方向に流れてしまったことはないだろうか。制作担当者が、今回の詳しい経緯などを説明のうえ、原作者とのやりとりを検証することが、再発防止には必要だと考える。
バラエティ番組アンケート捏造 “安易なランキング企画”に麻痺していたのか
議事概要
- 関西テレビ制作バラエティ『ちまたのジョーシキちゃん』で紹介された「関西人1万人が選ぶぎょうざがおいしいチェーン店ランキング ベスト10」でアンケート結果の捏造が発覚した。アンケートで2位になった店が除外されていた。制作者は、1位の店とライバル関係にあったことが排除した理由だと説明する。BPO検証委は「虚偽放送は明らかで悪質性は相当高い」としながら、構造的、恒常的に行われていた捏造ではないとして審議入りを見送った。『発掘!あるある大事典Ⅱ』の虚偽報道から17年余り、いまだに視聴者を裏切る番組がなくならない番組制作の現場を考える。
オンブズ6の意見
- 放送局側は、ライバル関係にある複数のスポンサーが出てきたがるような設定をどのように作るか、知恵を出さなければいけなかった。そのことは、放送局にとってのビジネスにもつながる。また制作者に求められることは、視聴者にいかにもパブリシティであるかのようには感じさせず、フェアで真剣に対決していると受け止められる演出にすること、内容を昇華させていくことであろう。そうした知恵を出さないから、今回のような事態を招いたのではないかと考える。
- ランキングを捏造してはいけないことは言うまでもないが、今回のケースでは、なぜ2位をわざわざ除外したのかが理解できない。1万人に聞いた調査のベストテンで2 位を除外したら、すぐにバレるはず。バレないとでも思ったのか、ものすごく疑問に思う。また制作過程においても、絶対に会社として問題になることが明らかであるにもかかわらず、なぜ誰からもそのことが指摘されなかったのかがわからない。
- テレビに対する世の中の目が厳しくなっているにもかかわらず、今回の事案は「ライバル関係にあったところが排除した理由」などと説明しているが、そのような理由には全く納得できない。また最近のテレビ番組では、いわゆる安易なランキングを目にすることも少なくない。何を根拠にしているのか、何人をターゲットに調べたのか、明らかにされないケースが大半。テーマや内容によっては、世論の誘導にも繋がりかねないと懸念する。
クドカンが『ふてほど』で仕掛け “注釈テロップ”の功罪を真面目に考える
議事概要
- 1986年から2024年へタイムスリップした“昭和のおじさん”が、コンプラで縛られた令和の人々に考えるきっかけを与えていくTBSドラマ『不適切にもほどがある!』の注釈テロップが話題を集めた。脚本家・宮藤官九郎の巧みな仕掛けを機に、注釈テロップの功罪を考える。最近の注釈テロップは「特別な許可を得て撮影しています」から「あくまで個人の見解です」「危険なのでマネしないでください」まで様々、ドラマやバラエティはもちろん、ニュースや情報番組まで、あらゆるジャンルの番組で多用されている。本来の狙いはクレーム対策や視聴者保護にあるのだろうが、注釈テロップへの過度の依存や乱用はないだろうか。演出や表現でアイデアや工夫が欠けている制作者はいないだろうか。
オンブズ6の意見
- 今回のドラマにおける注釈テロップは、あえて入れることにより、今、テレビ界で起こっていることを、やや批判的に斜に構えて問うている。そのうえで、エクスキューズをせざるを得ない今の社会というものは何なのかを同時に問うている。既存のテレビ放送は、相当エクスキューズをしなければいけないメディアになっている。しかし、エクスキューズしなければいけないメディアということは、非常に接触率が高まっている規律の効かないインターネット空間との、ある種の対峙でもある。そのことを考えさせられる注釈テロップだった。
- 表示される注釈テロップにより、その時代の考え方が如実に表れることになる。今回のドラマでは、あえて演出として注釈テロップを表示しているものと評価しているが、一般論として、注釈テロップを入れることで、すべてが免罪符になるわけではない。一定程度の注意喚起をしたとはいえ、内容がもたらす影響が違うところに出れば、責任を負う可能性はある。テロップだけを全面的に信用して、何をやってもいいわけではないと考える。
- バラエティ番組で表示される「危険なので真似をしないで」などのテロップは、視聴者に対して必要な注意喚起だと考える一方、番組によってはクレーム対策の「やっつけ仕事」かの印象を与えるテロップ表示も、時に見受けられる。制作者がリスク回避を意識していることは理解するものの、過剰な注釈テロップには疑問を感じる。制作者は視聴者の理解力を過小評価することなく最低限のテロップにとどめ、視聴者はテロップが表示されなくとも番組全体の文脈や演出から受け止める、そのような社会になっていくことが理想ではと考える。
第70回 2023年12月14日(木)
ジャニーズ性加害検証番組 「メディアの沈黙」を繰り返さないためには
議事概要
- ジャニーズ事務所創業者による性加害問題について、テレビ朝日検証番組が11月に放送された。番組では、背景に「マスメディアの沈黙」があるとしたうえで、高裁判決などを報道していれば被害者を減らせたのではないかという指摘は重く受け止める、旧ジャニーズ事務所との交渉には編成や制作の幹部が動くことが多く、忖度する局内の空気が醸成されたなどと検証内容を伝えた。系列局であるメ~テレとして、この事案をどのように教訓とすべきなのか、改めて意見交換する。
オンブズ6の意見
- 性加害問題や人権問題について社会の意識が、時代とともに変わってきていることを、制作や報道に携わる者が敏感に感じ取っているのかが問われている。同様の問題は他の芸能プロダクションでも起こらないとは限らない。振り返って検証するとともに、この後どうしていったらいいのか、放送局がしっかりと機関決定していくこと、考えていくことが重要。またニュースバリューの決定に、様々なプレッシャーが入らない仕掛けを考えること、時代に合わせた形での組織のあり様についても、併せて議論するいい機会だと考える。
- 人は作為的に悪い行動をした時には罪悪感を抱きがちだが、何もしなかったことに対しての意識は非常に低い。検証番組では、メディアの沈黙により被害が広がったのでは、と言及しているところもあり、不作為、何もしなかったこと自体を、もっと反省すべき。刑法改正で「強姦罪」は「強制性交等罪」となり、男性の被害者も想定されることになった。法律は世の中の状況を踏まえつつ、遅れながら改正されていく。報道機関は、捜査当局の動きにとらわれ過ぎることなく、一歩踏み込んだ考えを持つことも必要だと考える。
- 旧ジャニーズ事務所の経営陣、所属タレント、被害者の方たちは、深刻なダメージを受け、人生を左右されたことは明らか。それに比して、メディアとりわけテレビ局は、果たしてどれほどのダメージを受けたのか疑問に感じる。大したダメージも受けず、ほとんど痛まないまま、いつの間にか追及する側に立っている印象を受ける。社会が成り立つには一定レベルの「忖度」は必要だが、報道機関としてどのように折り合いをつけるべきなのか、今回の事案を教訓に、横並びではないジャーナリストの目線が求められている。
死体遺棄事件で容疑者顔写真を誤報 「取材力劣化」と「重大な人権侵害」
議事概要
- 11月下旬、名古屋のマンションで男性の遺体が見つかった事件で、容疑者として東海テレビが放送した「女性の顔写真」が別人だったことが判明した。「雁首」探しで間違いを犯さないため、報道機関はそれぞれ「裏取り」についてのルールを持っているが、今回のような重大なミスは、なぜ繰り返されるのか。容疑者あるいは被害者の顔写真に過剰に依存している現状に立ち止まって考えることも必要だと指摘する声もある。今回の誤報事案を他山の石としてメ~テレが学ぶことは何か、意見交換する。
オンブズ6の意見
- 担当記者の取材経験が乏しく新人教育が十分でなく組織としてのサポートもなかったこと、写真の裏取りとしてネット経由のやりとりに頼ったことにリスクがあったこと、背景にはふたつの問題がある。最近、マスコミ志望の若者にも、事件関係者の顔写真が報道には必要なのか胸の内で疑問を抱いている傾向が少なからずみられる。事案としては取材過程における単純な間違いに過ぎないが、「ジャーナリズムとは何か」というプリミティブなテーマにも関わる問題と捉え、同じような誤報が起きない取り組みが必要だと考える。
- この事案で、報道側に刑事的責任を問うことは難しく、民事的責任について慰謝料や名誉回復の費用を請求されたとしても、大きな金額になるとは考えにくい。重大なのは、報道機関としての信頼を失墜させた問題。顔写真を関係者に確認する、いわゆる「裏取り」については、当事者とどのような関係性にあり、最後に会った時期がいつなのかなど、取材者は信憑性の高い証言を積みあげて、慎重に判断しなければならない。例えば「写真の確認は3人から取る」というルールだけでは、同様の誤りが繰り返されてもおかしくない。
- 報道機関としてあってはならない「初歩的なミス」に他ならず、写真を間違えられた当事者の気持ちを思うと心が痛む。今回は事件報道における顔写真の誤りだったが、最近は取材協力者について映像や音声の加工が不十分だったことから、仕事を失ってしまう事案も起きたばかりで、こうしたミスに報道側はどこまで責任をとれるのか。いつ誰が巻き込まれ被害にあってもおかしくないとさえ感じる。一般論としては、顔写真を報道する基準について報道機関は改めて考え直す必要もあるのではと考える。
市民討論会で「障害者差別発言をスルー」 揺れる名古屋城復元計画
議事概要
- 「平等とわがままを一緒にするな」「なぜバリアフリーの話がでるのか。お前が我慢せえよ」今年6月、名古屋市が主催した市民討論会で、車いすの男性に向けて差別発言が繰り返された。この出来事を直後に報じたメディアは、朝日新聞のみ。メ~テレはカメラとともに現場取材していたが、ニュースとして報道したのは数日後に。その後、テレビ・新聞各社の報道が相次ぎ、名古屋市の対応への批判は広がった。ネットの世界では弱者への誹謗中傷が相次ぐが、リアルの世界で起きた障害者差別に、取材者は、そして報道機関は、何ができるのか、何をすべきなのか考える。
オンブズ6の意見
- ひとつの問題提起について、皆で議論すること、少し外れた意見も含めて、共に議論して方向性を定める「熟議民主主義」が、政治学では最近注目されている。単純な多数決で決めるやり方とは異なるひとつの手法だろう。しかし今回のケースは、歴史的建造物におけるバリアフリーのあり方という問題と、極端な意見を語る市民の問題が、ごっちゃ混ぜになっている印象を受けた。差別的な発言への対応とは別に、メディアとしてテーマを整理して、議論の本質について市民に還元する報道が求められていると考える。
- そもそも差別的発言をした市民に「一義的な問題」がありながら、主催者としての名古屋市の対応ばかりが問題とされていることには違和感を覚える。もちろん市には責任があり、発言について訂正ないし撤回させるような対応は必要だったと考えるが、あくまで「二次的な責任」の問題。名古屋城の復元問題が長期間にわたって続いているうちに、復元方法の問題と差別的発言の問題を、一定の心証で見ていることはないだろうか。改めてフラットな気持ちで受け止め、議論することが必要だと考える。
- 問題とされた発言は、あまりに偏りのある表現、普通ではない言い方で、本当に無作為に選ばれた人だったのか疑問に感じた。人選になんらかの意図があり、最初から対立する構図があったのではないか。一般市民の受け止め方として、非常に不快に感じる発言であったことは明らかだ。一方で、「エレベーターのない名古屋城を作りたい」、「昔のままの名古屋城に」という考え方そのものを、ハンディキャップのある方々への差別的な考えと捉えるべきではない。それらの問題は分けて考える必要がある。
第69回 2023年9月6日(水)
誹謗中傷から出演者を保護する放送基準「留意事項」 実効性ある取り組みとは何か
議事概要
- フジテレビ『テラスハウス』事案を契機に、民放連で検討が続けられてきたSNSなどの誹謗中傷から番組出演者を保護する放送基準の新たな条文と留意事項が策定され、7月に公表された。留意事項には「制作者がSNSに関する理解・知識を深めること」「問題発生時の社内体制を確認すること」「相談する社外専門家を想定しておくこと」等が挙げられている。また番組内容等に応じて「出演者の状況把握」「トラブル時にカウンセリング等の勧奨」等が列挙されている。誹謗中傷から出演者を保護するため実効性のある取り組みとは何か、メ~テレではどのような対策を取るべきか意見交換する。
オンブズ6の意見
- 番組出演者からのアラームを制作者が見逃すことなく受け取れる状況を作っておくことがポイントになる。それぞれの制作現場で、制作者は出演者とコミュニケーションを図ることで、悩みがあれば相談できるような関係性を築くことが必要。出演者との距離感は、番組制作に関わる人数の多寡にも影響されることから、キー局より名古屋局の方が、距離感はより近くなり、リスクを下げることにも繋がると考える。また番組制作においては、出演者や制作者の多くが同じ方向、同じ目標に目を向けがちだが、中には少し引いて俯瞰的に見る立場の人がいることも重要だと考える。
- 出演者への誹謗中傷などSNSでの炎上が大きくならない段階で止めるためには、問題が起きた初期段階で、いかに迅速に情報を把握できるか、いかに実効性ある対応がうてるかが重要。社内関係部署の役割を明確にしつつ、情報共有の仕組みを構築することが必須だと考える。一方で、社外の専門家については、問題に応じて相談先として相応しい専門家も異なること。また専門家との個別契約には費用がかかること。その両面から、放送局が相談できる社外専門家を恒常的に確保しておくことは、現実的にはハードルが高いとも考える。
- 番組出演者がリスクを十分に理解しているかなどを制作者が丁寧に説明することは、何度も確認しつつ進めていく必要がある。とりわけ対象となる出演者が複数名である場合、説明にかかる制作者の手間や時間はかなりの負担になると想像される。また相談する社外専門家を想定しておくということは、いろいろな分野について複数人の専門家をあらかじめリストアップすることだと理解するが、SNSでの誹謗中傷から出演者を守るため実効性のある取り組みとしては、そうした細かい決め事が必要になると考える。
インタビュー映像の杜撰な加工で告発者が“身バレ” 報道機関がとるべき対処とは
議事概要
- TBSテレビ『news23』の調査報道で、インタビュー映像の加工処理の杜撰さが要因となり、協力者が職場で「身バレ」してしまった。取材協力者のひとりは「職場で身バレしてしまい、退職するしかなかった」という。BPO放送倫理検証委員会は8月、取材源の秘匿という原則が損なわれ、放送倫理違反の疑いがあるとして審議入りを決めた。TBSテレビは「真摯に対応」というが、果たして真摯な対応とは、取材協力者に謝罪すること以外に何が考えられるのか。万が一、「取材源の秘匿」を損なってしまった時に、報道機関のとるべき相応しい対処とは何があるのだろうか。
オンブズ6の意見
- 今回の事案では、JAが自爆営業を強要しているという報道内容そのものではなく、TBSテレビが「取材源の秘匿」をできず問題を起こしたことに世間の目が向けられることになってしまった。本来は、被害を受けている人々を社会全体で救っていく必要があり、そのための調査報道だったはず。この事案を受けて、調査報道という報道手法が変に歪められてしまうこと、そのように評価されてしまうことには、強い危機感を抱く。
- 杜撰な映像処理で内部告発者の身元がばれてしまった場合、司法の場で被害者が救済を求め得るとすれば名誉回復か金銭賠償だが、今回のケースでは、いずれについても十分に納得のいく解決策にはなり得ないと想像する。この事案が与える影響としては、放送によって身元がばれることを怖れて、内部告発などさまざまな状況で、取材協力が躊躇される、さらには拒絶されることにならないか懸念される。そのことはTBSテレビのみならず、すべての報道機関に深刻な影響をおよぼすリスクもあると考える。
- 映像加工としては、画面のほぼすべてにモザイクをかける映像もあるが、時折、顔だけモザイクで隠している映像も見かける。顔だけのモザイク処理では、体型、洋服、背景などの情報から、当事者にとって同じ職場の人など、比較的近い関係の人には、誰なのか想像できてしまうことがある。誰なのかを徹底的にわからなくする配慮は必要だと考える。とりわけ今回のケースのように、深刻な内容を告発する場合、身元が明らかになれば、当事者の人生設計にも影響が出ることを、制作者は常に念頭において取材にあたらなければならない。
バラエティ番組出演者申立事案 “弱い立場の出演者”に求められる配慮とは
議事概要
- あいテレビ深夜ローカルバラエティ『鶴ツル』出演者による申し立て事案に、BPO放送人権委員会は7月、「人権侵害は認められず、放送倫理上の問題もあるとまでは言えない」と判断した。そのうえで「フリーアナウンサーとテレビ局という立場の違い」、「ジェンダーバランスの問題」など制作現場における構造上の問題は、当該テレビ局に限らず、放送業界に共通する課題だとして見直しや改善の取り組みを要望した。番組制作において、どのような環境整備が必要なのかを考える。
オンブズ6の意見
- 番組制作において、良識を持って自らの立場が優越的な地位を濫用している状況になっていないかどうか、確認をすることができる力が求められている。今回の事案は、フリーアナウンサーは逃げ場がなくなり、最終的な逃げ場をBPOに求めざるを得なかった事例だと考える。弱い立場の出演者には、逃げ場となる相談先、チャンネルを用意すること、助けを求める声なき声を聞き取り、救いの手を差し伸べることが必要。そのような制作現場の環境作りができているのかが問われている。
- 筋書きがない、シナリオがない中で番組制作が行われたことで、いつしか出演者の言動が、演出なのか現実なのかさえ、わからなくなってしまったのではないだろうか。そのような状況から、下ネタを越えて、いわばセクハラ状態が作られながら、長期間にわたって対処されないまま放置されていたのではないか。本来、現実の社会で許されないことは、番組制作においても許さないという姿勢が大切であるとともに、立場の弱い出演者に対しては周囲から一段踏み込んだ配慮が必要だと考える。
- 今回の出演者間の下ネタを中心としたやりとりを決して肯定するものではないという前提のうえ、例えば、これから名前や顔を売りたい方、どんな形でもいいから爪痕を残して表舞台に出て行きたい方であれば、今回のような状況にも「他の出演者からいじられていることが、おいしい」と受け止めるかもしれない。どんな現場でも、どんな人間関係でも、それぞれのパワーバランスはあり、時には理不尽な要求を受けることもあるが、今回のケースのように複数の出演者による番組制作時には、力を持っている出演者が常に言動に気をつけていくしかないのではないか。
第68回 2023年6月7日(水)
未成年者への“性的虐待疑惑”を見て見ぬふり 権力への忖度と消極的な報道
議事概要
- ジャニーズ事務所創業者による性的虐待疑惑。問題を20年以上に渡り「見て見ぬふり」をしていたとして、テレビや新聞が報道機関の責任を果たしていないと糾弾する声は大きい。絶大な影響力を持つ芸能事務所とテレビとの密接不可分な利害関係の陰で、未成年者への性的虐待が延々と繰り返されてきた疑惑。潮目が変わると思われた今回も、問題の取り上げ方にはメディアによって濃淡があるという見方が多い。報道機関としての信頼を取り戻すため、何が求められているのか意見交換する。
オンブズ6の意見
- 世界的にみても日本の芸能プロダクションは特殊なところがあり、コンテンツ制作費の中で出演料の比率が極めて高いといわれている。放送ビジネスは、芸能プロダクションの持つ集客力に頼ることで成り立っている側面がある。その中でも「世間の常識から見ると変だ」ということについては、忖度することなくメディアとして取材・報道すべきだった。民間放送であっても経営との独立性を保ったうえで、報道機関としての責を果たすことが、改めて問われている状況だと考える。
- 週刊文春がキャンペーン報道をした約20年前は、性的虐待問題に関する世の中の感度がまだ低かった時代だった。ここ数年は、社会としての感度がものすごく高まっている。これだけ問題が大きくなっていると、メディアとして何も報道しないこと、不作為自体が問題だということになる。いま何も動かなかったことが、後になってメディアとしての大きな落ち度と受け取られる可能性もある。報道機関としてどう対応するかは、少し慎重に検討する必要があると考える。
- 今回、日本の多くのメディアが「20年以上見て見ぬふりをしてきた」とも一部で報じられているが、この疑惑については、一視聴者としてかねてより噂レベルで聞くことがあり、決して初耳ではなかった。報道機関に所属するひとりひとりが、「見て見ぬふり」をしてきたという自覚があったのかどうかを含めて、改めて深く議論する必要があるのではないか。そのうえで、この疑惑について今後どのように報じていくのか、社としてのコンセンサスをとって臨むタイミングにあるのではと考える。
テロ容疑者の生い立ちは伝えない方がいいのか 「共鳴」を生むSNS時代
議事概要
- 「テロ事件の容疑者の生い立ちや動機は論じるべきではない」。安倍元首相殺害事件、岸田首相襲撃事件の後、このような声がネットを中心に飛び交った。「テロリストの半生の屈折を取りあげて『社会が悪いからテロリストになった』という物語にしてしまうと、容易に英雄視につながる」と懸念するジャーナリストがいる。一方、「SNSによって偏った意見が増幅するエコーチェンバーが犯罪の模倣につながる」と指摘する犯罪学専門家もいる。SNSの普及による予期せぬ「共鳴」の恐ろしさを前に、容疑者の生い立ちや動機、事件の背景を、メディアはどのように報道すべきなのかを考える。
オンブズ6の意見
- 「容疑者の生い立ちや動機は論じるべきではない」という意見には賛同できない。そうした論者の狙いは、例えば今の政権与党に対して強いシンパシーがあるが故に、そういう語りが出てくるのではないのか、という印象を持つ。本来はしっかり取材・報道すべきだったテーマでありながら、時代の流れの中でやり残されていた。そのテーマが改めて報じられ、被害者が救済される状況が出てきたことは、まさにジャーナリズムとしてやるべきことをやったことだと評価できる。
- 犯行に至った動機、生い立ちは、重要な要素として捜査さらに刑事裁判でも取り扱われており、そうした情報を一般社会に広めるな、ということ自体、無理がある。もちろん、殊更に動機を強調すること、感情を煽ることなど、SNSにおける一部の論調には注意が必要だ。そうした時代だからこそ、事件の経緯について適正な報道をすること、事実を淡々と報道することこそが、メディアに求められている重要な役割だと考える。
- 動機やバックグラウンドの報道は、よりよい社会を目指すために必要だと考える。但し容疑者についての報道で、「どんな人でしたか?」と人格などにフォーカスするインタビューも少なくないが、ここで語られることは取材協力者が誰なのかにより内容が大きく異なるため、報道する側も受け止める側も留意すべきだと感じる。また動機や背景などが過度に注目されることによって、被害者への弔意が軽んじられるようなことにならないよう、バランスを意識した報道が重要だと考える。
遺族の告白を踏みにじったNHK 放送前チェックには何が欠けていたのか
議事概要
- 5月15日放送のNHK『ニュースウォッチ9』の内容を巡り取材協力者から抗議の声が。新型コロナ3年を振り返る趣旨のエンドロール映像で、紹介された3人の遺族。視聴者には『コロナ感染で亡くなった遺族』と受け止められる内容だったが、実は『ワクチン接種後の副反応による死を訴えている遺族』だった。週刊現代の報道によると、担当した若手ディレクターは、今回の企画を自ら提案して取材・放送に至ったという。放送すれば遺族とトラブルになることは誰の目にも明らかな状況。放送前のチェックに問題があったのか、あるいは取材者への教育のあり方を考え直す機会とすべきなのか考える。
オンブズ6の意見
- 報道されている限りの情報から判断すると、やや厳しい言い方になるが「現場の劣化」が引き起こしたミスではないだろうか。問題の本質は、番組制作や取材にあたる人材を組織としてどのように教育していくのか、そのことによりミスをどのように減らしていくのか、ということ。人材の教育さらにその先の展開も視野に入れて、ぶれることのない取り組みが求められている。今回の事案を機に、単に放送前のチェックを増やすという再発防止策では、根本的な問題は解決されないと考える。
- 担当者に欠けていたのは、家族をワクチンで亡くしたと訴える遺族の思いが汲み取れていないこと。コロナで大きくひと括りにしてしまってよいと思う感覚、感度の緩さがあるとすれば、今回のような大きなミスが起きても不思議はない。取材協力者の思いを汲み取ることのできない、そうした感度そのものが引き起こした事案ではないか。取材者としての根本的な精神を教育していく必要があると考える。
- 取材先を探していたディレクターが、なかなか適当な取材対象にたどり着けず、最終的にワクチンの副反応で亡くなったと訴える遺族グループから取材の了解を取り付けた。その時点で、最初に思い描いていたテーマとは全く異なるものになっていた。にもかかわらず、後戻り、もしくは軌道修正ができなかったのは残念でならない。「上に相談したが却下された」という状況が詳しくわからないが、いずれにせよ取材に協力した方々が怒るのは至極当然で、現場の責任としか言いようがない事案だと考える。
第67回 2023年3月10日(金)
映画の肖像権をめぐり対立 「知事vsテレビ局」から見えてくるもの
議事概要
- 石川テレビが2022年秋に公開したドキュメンタリー映画「裸のムラ」について、馳浩石川県知事が自身と県職員の映像使用を問題視、「肖像権の取り扱いに倫理的に納得できない」と主張、石川テレビは「特段の許諾は必要ない」と反論した。事態はこじれ、2023年1月、知事のプロレスイベント参加映像について、石川テレビだけが映像使用を認められなかった。当該映画には「過剰な忖度や受け継がれてきた思考停止が見える」と評する声もあるが、一連のトラブルで見えてきたものは何かを考える。
オンブズ6の意見
- テレビ向けドキュメンタリー番組をもとに、再加工して制作した映画について、公人である知事が「肖像権の取り扱いに納得できない」とクレームしているところは無理がある。知事サイドはそれを承知で、地元メディアとのやり取りの中でマウントを取ろうとしているのではないか。この問題は、幾つかの新聞社や通信社も報道しているが、当該テレビ局だけにいわゆる「一人旅をさせる」のではなく、多くのメディアが継続的にウォッチしていくことに大きな意味があると考える。
- 今回のドキュメンタリー映画の肖像権は、公共性、公益性、手段の相当性を鑑みて、知事の立場においては一定程度許容されるべきもの。「倫理的に納得できない」との言い方は、違法ではない、法的には問題ないことをわかったうえでの発言だと感じる。権力を握っている人の傲慢さが表れているのではないか。但し、知事と比較して公的な立場として一段下がる一般公務員については、昨今の事情を踏まえ、何らかの配慮や工夫を考えてもと考える。
- 知事はドキュメンタリーとして撮影されていることがわかっていたわけで、一般的な肖像権の話というより、個人の感情的なこじれ、感情的トラブルが根底にあると感じる。公人とは異なり、一般の人たちの肖像権について、最近はニュース番組などでも顔にぼかしを入れる、あるいは顔を映さないなど配慮されているケースが多いが、必ずしもすべてではない。一般人が肖像権を侵害されたと感じた時、どのように対応すべきか、現状では課題が多いと考える。
2つの記者会見から考える 批判される「取材者の態度」「不適切な質問」
議事概要
- 2月17日、新型ロケットh5 打ち上げ中止のJAXA記者会見で、「想定範囲内の事象」と繰り返すJAXA担当者に対して、記者が「それは一般に失敗といいます!」の捨て台詞とともに質問を終えた。やりとりはツイッターで拡散され記者の態度を疑問視する声が相次いだ。2月28日のJAXA記者会見では、選抜された宇宙飛行士候補者の女性に向けられた記者の質問に批判が。「結婚しているか」「若い女性という観点からどんな貢献ができるか」と。回答は「プライベートに関する質問には回答を差し控える」「女性を意識してではなく、一宇宙飛行士候補生として頑張る」。これらの事象は取材者個々の資質の問題なのか、取材者と社会の間にギャップがあるのか、あるいは…。
オンブズ6の意見
- ユーチューブなどの普及により、記者会見の場でのやりとりが、一般社会の人たちに晒される状況になっていることが、こうした問題を生んでいる。ジャーナリズムに対するある種の社会の厳しさを含め、記者の立ち振る舞いが、社会通念や視聴者の皮膚感覚と乖離すれば、記者個人が標的とされ批判対象となり得る状況がある。そのような環境下で、取材をすることの重要性を記者たちは改めて認識する必要があるとともに、組織としても記者教育をする必要があると考える。
- 記者会見での質疑応答が、容易に一般人の目に留まることになり、発言に対する瞬時の反応がツイッターなどで画面に表示されることで、繰り返し繰り返し強調されてしまうところには少し怖さを感じた。また記者会見というオープンな場において、プライベートに関わる質問を必ずしもすべて否定するわけではないが、結婚やパ―トナーなど個人の身分関係に関わる質問には、極めて慎重な配慮が要ると考える。
- 国際的なイベントやスポーツなどにおける記者会見の質疑応答を見ていると、取材記者の質問力が低いと感じることが少なくない。それぞれの事案について、最低限必要な知識が欠如した記者による不適切な質問が、メディアの信頼を貶めていることはないだろうか。とりわけ「若い女性の観点から…」とか「女性ならではの視点では・・」等と尋ねることが、性差別に該当する質問であることは明らかだと考える。いまの時代に合った、且つレベルの高い質問ができる記者を育てていく必要がある。
「自社YouTube番組」で社長人事発表の真意 マスメディアへの三行半?
議事概要
- 1月26日、トヨタ自動車は自社YouTube番組「トヨタイムズ」の生配信で、14年ぶりの社長交代人事を発表した。豊田章男社長は「ステークホルダーの皆さまにできるだけ早く正しくお伝えするため」と述べた。日本を代表する世界的グローバル企業、そのトップがメディアへ不信感を募らせていたことが、大きな要因と分析する見方がある。SNS隆盛による「1億総発信者時代」と呼ばれる今、テレビや新聞などマスメディアにおける「ジャーナリズムの役割」を改めて考える。
オンブズ6の意見
- 記者会見ではなく、オウンドメディアによる発信では、客観性が不足して、いわば手前味噌になる恐れがあるが、日本を代表する大企業によるメディア戦略の前に、声を上げづらい状況になっているのではないか。オフィシャルな発信だけを捉えるのではなく、その向こう側にたどり着くため、取材者には凄く体力が必要になっている。伝統的なジャーナリズムには、どのような形で向こう側へ切り込み、客観的に分析するか、その取材手法が問われていると考える。
- 世の中が新しい情報発信手段を身に付けたことにより、オウンドメディアなどを活用した企業からの情報発信が増えていく傾向は止められない。その時、企業による発信情報には、目に見えない形で企業の意図が込められている場合もあると考えなければならない。メディアには、情報の背景や裏を見抜いて、時には別の観点を提示する報道が求められる。それは国民の知る権利に応えることにもつながる重要な役割だと、改めて認識する必要がある。
- ニュースの見出しの取り方ひとつでも、報道される側と報道する側の間に受け止め方のギャップが生じることは、繰り返されてきたことであり、やむを得ないことでもある。そのような思いが積もり積もって、今回のようにオウンドメディアによる情報発信を企業側が決断したと考える。時代が変わり、情報発信の方法も変わったことを十分理解したうえで、メディアとして企業との新しい付き合い方のスタンスを模索していかなければならない。
第66回 2022年12月23日(金)
放送基準“大改正” 「差別・人権」「価値観の多様化」「自殺配慮」への対応は
議事概要
- 2023年4月施行に向け民放連の放送基準が改正される。現行152条文のうち、45条文の改正と2条文の削除。「50年ぶりの大改正」とも呼ばれる。改正内容は多岐にわたるが、とりわけ「差別・人権問題への注意喚起」「価値観の多様化を踏まえた表現上の配慮」「自殺を取り上げる際の配慮」がポイントに挙げられる。放送倫理違反などの指摘を受ける事例が相次いでいる「差別・人権」問題。ジェンダーや性的マイノリティをはじめとする「価値観の多様化」。コロナ禍で相次ぐ「自殺」報道の取り扱い。報道そして制作の現場は、今回の改正をどのように受け止めているのか、どのような取り組みが求められているのか。
オンブズ6の意見
- 放送基準は、放送法により放送事業者に策定義務が課せられたもの。その放送法は、抜け穴が多い法律、ザル法だと指摘されることもあるが、ザルにはザルの良さがあると考える。それは表現の自由との関わりから深く理解することが必要である。「差別・人権の問題」、「マイノリティの問題」、「自殺報道」が改正の目玉だとされていて、報道や制作の現場の人たちには、今回の大改正を契機に、表現の自由、そしてクリエイティビティをどのように守っていくのか、併せて考えていくことが極めて重要なことであろう。
- 今回の改正内容は、条文の言葉ひとつひとつまで、丁寧に検討がなされたものと受け止める。但し、いかに丁寧に説明されていても、説明しきれない部分が必ずある。行間を読むことは重要で、なぜこの条文になっているのか、どのような経緯で定められた条文なのか、どこに目的がある条文なのかを、放送に携わるひとりひとりが深く理解しなければならない。自分たちで決めた放送基準である以上、この基準を周知徹底したうえで、大事にしていく必要があると考える。
- 「50年ぶりの大改正」ということだが、社会の変化、視聴者の受け止め方の変化に応じて、放送基準についても見直しを続けていくことは重要なことだと考える。報道や制作の現場では、難しい判断を迫られることは多く悩みは尽きないと思う。ひとつひとつの条文や解説への理解は大切だが、具体的事例への個別の判断においては、必ずしも過去の事例にしばられすぎない柔軟さも、時には必要になってくるのではないかと考える。
NHK「再発防止策」をもとに考える 持続可能で実効性ある取り組みとは?
議事概要
- BPO検証委から「重大な放送倫理違反」の決定を受けたNHKBS1ドキュメンタリー番組事案について、NHKの再発防止に向けた対応報告書が12月15日公表された。報告書では「チェック機能の強化」5項目、「リスク事例の共有」3項目、「ジャーナリスト教育」2項目と、実に計10項目の取り組みが列挙されている。2015年に発覚した「クローズアップ現代~出家詐欺事案」では、NHKが「取材・制作過程のチェック機能強化」を掲げながら、時間の経過とともに形骸化していたことが明らかになっている。再発防止に向けて持続可能で実効性のある取り組みとは果たして何なのか、意見交換する。
オンブズ6の意見
- NHKの対応報告書は、チェック機能の強化が前面に出ている印象だが、二重三重のチェックより、急がば回れで、ジャーナリスト教育、放送人教育が極めて重要だと考える。また報道や制作の現場では従来、仕事終わりの飲食の席などで先輩が後輩に経験を語り継ぐことにより、時間をかけて世代間ギャップを埋めてきていたが、コロナ禍でそのような場が少なくなった。組織としての力を保つためには、意識的に世代を超えたやりとりができる機会を設けることも必要になっていると考える。
- 問題が起きるたびにチェック項目を増やしていくと、現場は煩わしく感じることになる。結果的に、ルールを逸脱して目をつぶることが増え、放送前のチェックでスルーさせて、放送倫理違反が再発することを危惧する。つまり、あまりにも細かなルールを決めすぎても、実効性が持てないのではないか。結局は細かな規則やルールではなく、報道や制作のスタッフひとりひとりを対象に、きちんとした教育をすること、個々人の意識を高めることに尽きるのではないかと考える。
- 事実関係を放送前に丁寧に確認するという極めて基本的なこと、当たり前のことが履行されないことで、これほど大問題に発展するという象徴的な事例だと思う。再発防止のためには、今回の事例を具体的な教材として教育を続け、皆が共通認識とする機会をもつことが必要。厳しい言い方をすれば、そうした教育は1回限りでは効果が長続きせず、1年に1回、あるいは2年に1回と、繰り返し繰り返し周知していくことで、実効性のある再発防止につながるのではと考える。
再びブームで終わらせてよいのか? 「旧統一教会」報道に求められること
議事概要
- 「被害者救済法の成立」、「質問権の行使」など旧統一教会をめぐるニュースは続いているものの、取り上げるボリュームはメディア全体として急激に少なくなっている。霊感商法や合同結婚式などメディアが集中的な報道をした時代から「空白の30年」を経て、元総理襲撃事件以来5カ月近く続いた“加熱”報道だったが、教団と政治家との関係性など曖昧なまま問題の根幹が解決したとは言えない状況も残る。熱しやすく冷めやすい日本人の気質を挙げ、「旧統一教会問題もタピオカブームと同じ」と揶揄する声もある。2023年に向けて報道機関に求められることを考える。
オンブズ6の意見
- 「一時的に大騒ぎして、ピークを過ぎるとほとんど取り上げなくなる」との指摘は、メディアの持つ痛いところを突かれたという印象はある。但し今回の報道で、日本の政治と宗教団体との関わりという、これまで見えなかったことが、見えるようになったことは確か。テレビや新聞というメディアには、互いに競争しつつ、時には協調することで、新たな側面を明らかにすることを期待したい。視聴率が取りづらいテーマだとしても、大事な問題であり、メディアとして取り上げることは重要だと改めて考える。
- 日本の法律は、判断能力のある人が、自らの意思に基づいておこなったことについては、本人にしか取り返しができない、という大原則がある。被害にあったと気づいていない人には、アクションを起こすことが難しい。統一教会問題に限らず、何かの拍子で、そうした状態に自分も簡単に陥る可能性があること、そうしたリスクがあることを認識していれば、それに近い状態に陥った時、初期の段階で気づき、引き返すことができるかもしれない。こうしたリスクを広く啓蒙する役割を、メディアに期待したい。
- 統一教会による霊感商法は問題があると考えるが、同じようなことをしている宗教団体が他にないのか、報道による検証がなされていないことは不十分ではないか。ここ数カ月、メディアによる統一教会の取り上げ方は、ある種の加熱報道であり、一斉に袋叩きにしている印象が強い。同類の活動をしている他の組織には触れずに、統一教会だけを悪と決めつける風潮があり、疑問を抱くことがある。一定期間をおいて検証することが必要にもかかわらず、そのような報道が極めて少ないことを憂慮している。
第65回 2022年9月21日(水)
NHKドキュメンタリーにBPO意見書公表 「重過失に匹敵」の指摘
議事概要
- NHK BS1のドキュメンタリー『河瀨直美が見つめた東京五輪』が、BPO放送倫理検証委員会により重大な放送倫理違反と判断された。委員会決定では、制作プロセスの詳しい状況、様々な事実認定と、それらに対するBPOによる評価や判断が記されていた。確認されたのは、匿名男性を取り上げた際、五輪反対デモに金をもらって参加など事実と確認されていない誤った字幕を表記したこと。また使用されたインタビューは、別のデモについての発言を五輪反対デモの実体験かのように編集されていたことも明らかになった。「単なる過失ではなく、重大な過失と言わざるをえない」と指摘されたこの事案から、何を教訓とすべきなのか。
オンブズ6の意見
- ディレクターはじめ制作担当者の社会への関心の低さや、放送サービスを担う者としての自覚の足りなさ、そしてNHKが自ら調査し公表した調査報告書の内容の薄さが明らかになった。チェックシステムの強化だけでは本質的な問題解決にはならず、番組制作や報道の現場で働く人たちの倫理感、放送により何が起こるかという状況理解の力を高める必要があることが明確に示されたと考える。また今回の事案でのNHK側の対応には、一貫して河瀬監督らに類が及ぶことを避けようとする姿勢が見て取れた。
- BPOの意見書で、重過失に匹敵と指摘されているが、法的に言うと重過失はほぼ故意に等しい。わざとやったに等しいような評価を受けたということで、報道としてはあり得ない厳しい指摘を受けたことになる。「デモやその参加者に対する無意識の偏見や思い込みが潜んでいなかったか」とも指摘されているが、デモというものは表現の自由に関わる重要な事柄で、なぜ報道に関わる人たちがそのような意識だったのか、NHK担当者の感覚が表れてしまったとも言え、根深い問題だと考える。
- 別のデモに関する発言を五輪反対デモにすり替えたこと、ディレクターがそのことを認識して編集していたということは、実に由々しき問題。このようなことがNHKでは今までまかり通っていたのかどうか、強い不安すらおぼえた。また放送で今回のような重大な過ちをおかしたにもかかわらず、事案発覚後も、BPO委員会決定通知後も、これまでNHK側から出されているコメントは内容的に紋切り型と言わざるを得ない。このような深刻な事案を総括した発信、真摯な対応が求められている。
旧統一教会問題で無知を装う議員たち 「衆愚政治」へ向かっているのか
議事概要
- 安倍元総理銃撃事件を発端に政治と宗教の関係の報道が続けられている。多くの政治家、とりわけ自民党の政治家は旧統一教会と何らか接点のあったことが明らかになるたび、口を揃えて「知らなかった」。哲学者の内田樹氏は「議員が無知を装うことで責任逃れをしている」として、今の日本は衆愚政治に向かっていると警鐘を鳴らす。統一教会をめぐり1990年代には合同結婚式や霊感商法が大々的に報道されたが、その当時も自民党は「統一教会とは関係を断つ」と言っていた。政治家が繰り返す言い訳や開き直りを前に、メディアは生ぬるい追及しかできていないのではないか。報道機関として本当に伝えるべきことは何か。
オンブズ6の意見
- 公人である政治家は逃げ回ることなく、これまでの言動を説明する責任があり、責任感のなさは嘆かわしい。旧統一教会との接点を指摘された議員たちは、疑惑の炎上は長く続かず、逃げのびることができると思っていたのではないか。すなわち世論を読み誤ったとも言える。一方、メディア側も当初はこのネタの扱いについて、競合社の対応を含めて様子見をしていたきらいがある。報道機関としては、詰め将棋のごとく、ファクト、ファクトで詰めていくべきだと考える。
- 自民党は「問題のある宗教団体との関わりを絶つ」という曖昧な言い方をしていて、どこに問題があるのかは何も明らかにされていない。「法の不知は害される」という言葉があるように、法は知らなかったことによって言い逃れはできないもの。しかし今回は「知らなかった」と開き直る政治家に対して、追及する具体的な材料が乏しく、言われっぱなしになっている。政治家に言い逃れされないよう、メディアにはどこに問題があったのかを立証すること、様々な事実関係を明らかにすることが求められている。
- 旧統一教会問題については「何が問題かわからない」「電報を打ってくれと言われりゃ打つ」など、誰がどう聞いても炎上するだろうなと思えることを平気で発言する政治家が多く、感覚が相当ずれていると感じる。つまり良いか悪いかの判断ではなく、内輪の論理で今までずっと良しとしてきたもの、常識とされてきたものが問題視されている。いまは自民党と旧統一教会の問題がフォーカスされているが、そこだけに留めるのではなく、その他の反社的団体との関係も含めて追及すべきと考える。
吃音の芸人へのドッキリ企画に抗議 差別偏見の助長?見て見ぬ振り?
議事概要
- 7月に放送されたTBSテレビのバラエティ番組が吃音者への差別や偏見を助長していると、日本吃音協会から抗議を受けた。吃音をもつお笑い芸人がドッキリを仕掛けられ、しどろもどろになるシーンが対象となった。「吃音者への差別にあたる」という声があがった一方、「吃音そのものを笑う内容ではなく、芸人のキャラクターを笑う内容だ」と番組側を擁護する意見もあがった。バラエティ番組、とりわけお笑い番組は、吃音をどう扱い、また吃音者とどう接していくべきなのか。
オンブズ6の意見
- 障害をもつ人たちも同じ社会の住民でありながら、メディア露出は極めて少ないのも現実。メディアに出ないことが繰り返されると、世の中にいないことになってしまう。抗議を受けた番組内容そのものは、障害者いじめ、障害を晒して笑うという内容といえるかは疑問。他方、障害団体はある種のプレッシャーグループでもあり、今回の抗議はややパフォーマンスの臭いは否定できない。昨今、「優しい笑い」「痛みの伴わない笑い」がもてはやされるなか、表現の多様性をどのように担保するかを考えさせられた事案ともいえる。
- 例えば吃音で悩んでる人が、この番組を見たら、自分のことに置き換えて笑われているような感覚を受ける可能性はないわけではない。受け手により、さまざまな考えがあるものを、テレビで扱うのは難しい問題だと感じた。人と違うことが、個性なのか差別なのか、だんだん線引きが難しくなっていると感じる。個性というか、人との違いを、どういう取り扱いをして提供するのか、番組制作者はもっと意識しなければいけない。見る人が不快感を抱かない番組の作り方は、作り手の工夫次第でできると考える。
- 作り手に愛のないドッキリ企画には不快感を抱くこともあるが、この番組は容認できる範囲内だと感じた。この芸人の方が「偏見と差別の対象になるから今後は取り上げない」と言われてしまったら、彼が生きていくところを奪ってしまう結果になるのでは。仕事の機会を奪って欲しくない。あらゆることで完璧な人間などいるはずもなく、ひとりひとりさまざまな個性をもって生きている。そうしたことも紹介しながら、世の中としてそうした人たちと一緒にやっていく、という方向性にもっていく方がよいと考える。
第64回 2022年6月10日(金)
著名人の自殺報道 地上波テレビによる自宅前中継に批判
議事概要
- タレントの訃報に関して、厚生労働省が5月11日、WHOの「自殺報道ガイドライン」に反した報道が行われているとして注意喚起した。文書では「自殺の手段を報じる」、「自殺で亡くなった方の自宅前等から中継を行う」などを挙げている。コロナ禍で著名人の相次ぐ自殺は2020年にもあり、その報道が国内の自殺者増加に影響を及ぼしたと言われる。地上波テレビで問題報道が相次いだ理由や背景を考え、今後の留意点を確認する。
オンブズ6の意見
- 著名人が亡くなったことにニュース性はあるものの、自宅前から生中継をする必要はどこにあるのか非常に気になった。仮に近所の人に取材をしても、通り一遍の話しか出てこないのではないか。やや厳しい言い方をすると、番組作りにおける想像力が欠如していたのではと考える。また自殺についてディテールを報じないことはメディアの現場で周知されているが、支援策や相談先の情報を提供することだけをエクスキューズとしてはならない。どのように深掘りをして報道するか、改めて考えることが求められている。
- 著名人の自殺報道が詳細にかつ繰り返されることにより、視聴者側の自殺の誘因になることはあるのだろうと考える。但し自殺の報道をしたことで、放送局が法的な責任を問われることには常識的にはならない。報道する側としては、自ら何らかの歯止めをかけなければならない。詳細を伝えることで多くの反応があるとすると、視聴率との兼ね合いのなか、非常に線引きは難しいとも考える。
- 自宅前からの生中継は、その放送に関係した制作者らにガイドラインが徹底されていなかったことの現れと思われ、なぜガイドラインが周知徹底されていなかったのか、強く疑問をおぼえた。放送内容に問題があると指摘されるたび、現場への徹底が不十分だったという説明が繰り返されている。また支援策や相談先の情報の表示は、仕方なくやっているような印象を受け、現在の伝え方で果たして効果があるのか疑問に感じる。
痛みを笑うバラエティにBPO見解 笑いのネタで終わっては…
議事概要
- BPO青少年委が4月15日、「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティ」について、より配慮した番組作りをテレビ制作者に求める見解を公表した。「小学生は、ドッキリ企画をリアリティ番組としてとらえる可能性が高い」「青少年が模倣して、いじめに発展する危険性が考えられる」ことなどを指摘している。ここ数年、テレビに求められるコンプライアンスが過剰だとして笑いのネタにされることが目立つ。テレビ制作者たちの時代の変化や視聴者の変化への対応は遅れてはいないか。
オンブズ6の意見
- BPOは今回の見解を出すことにより、表現の幅を狭めることを目的にしているわけではなく、それぞれの制作現場で自ら考えることを求めている。昨今は、「人を傷つけない笑い」を得意とする芸人が評価されるなど、テレビから流れる笑いに対する空気感が、少し変わってきていると感じる。テレビの作り手たちには、時代によって変わる新しい笑いがどういうものなのかを考える、ひとつのきっかけにしてもらいたい。
- 笑いのために人に痛みを与える行為そのものより、傍観者として笑っている人たちをテレビで映すことの影響の方が、より問題あるのではと考える。子どもたちへの影響という観点でも、どのようなリアクションをしたのかに配慮しなければならないのではないか。見ながら笑っている人たちの価値観を許容してよいものと受け止められているとすれば、やはり問題があると指摘されてもやむを得ない。
- 時代の変化により、生き方や価値観まで大きくリセットしなければならないことが少なくない。激辛料理、大食い、落とし穴に至るまで、「痛みを伴うことを笑う」という範疇に入るとすれば、できなくなることが相当に多いのではと考える。世の中の風潮や意見に合わせていくことは大切だと考える反面、例えばリアクション芸人と呼ばれる人たちが戸惑うことがないか、番組制作にどのような影響を与えるのか、見通せないというのが正直な受け止め方でもある。
知床観光船事故「隠し撮り」報道がマスコミ批判につながる現実
議事概要
- 知床観光船遭難事故で、ひとつの「隠し撮り」の報道が波紋を広げた。知床遊覧船社長と観光業関係者との電話での通話記録で、『報道はおおかたウソ』『捏造されている』と話す内容だった。「隠し撮り」は原則禁止だが、他に有力な取材手段がなく、取材内容に重大性と緊急性があり、取材目的が社会的に正当と認められる場合などに限り例外的に許される。ネットでは、通話を録音した人の責任やテレビ局の責任を問う批判的なコメントが多数投稿された。「報道の理屈」も丁寧に説明してこそ、理解してもらえる時代なのか。
オンブズ6の意見
- 隠し撮りという取材手法を使い、それを報道することの責任は報道機関にあり、問われるのは公益性がその報道にあるのかということ。報道機関として、視聴者に伝えるべき内容なのかどうかが、まず問われる。隠し撮りによる今回の報道内容については、その内容から公益性があまりないのではと考える。一般論として、報道の理屈やジャーナリズムの論理についてメディア側がもっと丁寧に説明していくことは、メディア不信が高まる今、問われているのではないか。
- 隠し撮りとその公表というのは、目的と手段との兼ね合いの中で、許容されることもあるが、時には不快感を通り越して違法になることもありうる。どのような価値判断で報道するのか、メディアは説明する必要があると考える。取材や報道の本来の意図がどこにあるのかが視聴者に伝わらないと、場合によっては当事者を追い詰めるためだけの報道と受け止められ、それが違和感につながることにもなりかねない。
- 隠し撮りによる音声について、その内容が果たして真実なのかどうかを十分に確認することなく報道したのであれば、配慮不足で考えが足りなかったのではと感じる。今の時代は、隠し撮りや隠し録音が、一般社会にもかなり増えていると感じる。だからこそ、報道機関として、その取り扱い方は慎重にすべき。使われ方によっては、ひとりの人間を追い詰める手段にもなり得るという怖さがあることを考えなければならない。
第63回 2022年3月14日(月)
NHKドキュメンタリー 不可解な「確認不足」
議事概要
- 2021年12月放送のNHK・BS1のドキュメンタリーで、事実と異なる字幕テロップが付けられていたとしてNHKが謝罪、BPO放送倫理検証委員会は審議入りを決定した。問題とされたのは、匿名男性を取材した際、字幕で「五輪反対デモに参加している」「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」と説明していた箇所。NHKは「意図的または故意に架空の内容を作り上げた事実はない」と捏造は否定しているが、なぜ不十分な確認のまま放送に至ったのか、再発防止には何が必要なのか。
オンブズ6の意見
- 常識的な価値観を持っていれば、放送現場で、この字幕の内容がリスクを伴うものであることは十分察知できるはずで、そのこと自体がチェックできないままスルーしてしまったとすれば、もうひとつチェック体制を強化しても再発防止にはつながらない。制作者における社会に対する感度、どういうものがトラブルになるのか、OA後にどういうことが起こり得るのか、そうした感覚自体が甘くなってしまっていると考える。制作者向けのしっかりしたトレーニングが求められている。
- 形式的なチェックはどうしても形骸化しがちで、「〇か×か」を尋ねるだけでは確認したことにはならない。具体的な事実を確認する時には、「大丈夫」とか「信頼できる」という評価を元にした基準ではなく、何に基づいて判断ができたのか、その元となる事実、評価根拠事実を確認することが、こうした問題の対策には必要だと考える。「いつ、どこで、誰が、何をした」という事実関係をきちんとおさえる、そうしたチェックが必要だ。
- 「五輪反対デモ」というテーマを入れるのであれば、実際にデモをしている現場に取材に行くべきで、なぜそうしなかったのか理解できない。通りかかった男性が取材者に声をかけてきて、後日インタビューの約束を取り付けたという説明だが、「デモに参加した」という言葉を鵜呑みにして、裏取りをせず、そのまま放送したのは、脇が甘いと言わざるを得ない。テロップの事実確認以前に、なぜデモの現場に出向いて参加者にインタビューをしなかったのか疑問が残る。
SNSとの向き合い方 メディアの現状と課題
議事概要
- テラスハウス事案を契機に、テレビメディアとしてSNSにどのように向き合うべきか重い課題を突き付けられている。炎上に直面した場合、具体的にどのような対応をとるのか、どの組織が中心となり、どの専門家に相談するのか、あらかじめ準備しておく必要があるのでは。他方でSNSの炎上に加担しているのは全体の0.5%に過ぎないという分析もあり、過剰反応は禁物で冷静に対応することも必要とされる。SNS対応の現状と課題について意見交換する。
オンブズ6の意見
- 何より放送現場スタッフのSNSに対する認識を高めていくこと、意識の啓発が重要だと考える。特に若い世代のスタッフは、日常生活で利用しているSNSと、自分が制作している番組との関係性をしっかり把握する、そうした意識の共有が大事だと考える。意識の共有は、予算や放送局の規模等に縛られることなく、どの現場でも対応できること。SNSが持っている様々な特性、スピード感やチェックの難しさを理解していくことが重要だ。
- 企業は得てして、炎上を極度に恐れたり焦ったりしがちだが、SNSの炎上は、小さな火か、大きな火か、その大きさは本質な問題ではない。どういう問題を見過ごせないのか、プライオリティの置き方が、企業それぞれで異なる。炎上を静観するか、すぐ火消しに取り掛かるか自体に、企業の考え方が表れる。それは企業として社会的な意向表明でもある。どういうことには断固として対応するのか、あらかじめ考えをまとめておく必要があると考える。
- 例えばマスメディアのコンテンツに対して異論を唱えたいと考えた場合、マスメディアを舞台とすることは非常に難しい。それに対してSNSであれば、誰でも、幾度でも、どんなタイミングでも反論を発信することができる。結局、マスメディアで問題が起きたことも、SNSで反論する、時には炎上するということにつながっていく。加えて、炎上の一部には意図的に作り出されるケースもあり、どのように向き合うか、非常に難しいのが実情だ。
MBSトークバラエティ 「政治的中立性に問題」の指摘
議事概要
- 元日に放送されたトークバラエティ番組について、政治的中立の観点から問題視する声が相次ぎ、毎日放送が自ら社内調査を実施した。日本維新の会の元代表、代表、副代表の3人が揃って出演、他の政党関係者は出演しなかった。番組審議会では「不偏不党、政治的中立の点で問題はないか」と指摘を受けたという。企画段階、オンエア前のチェック段階で、内容について問題点を指摘する声は社内で上がっていたというが、なぜそのまま制作、放送されるに至ったのか疑問は残る。
オンブズ6の意見
- この事案では、番組審議会というシステム自体について、どういうことができるのかを広く示したことになるという側面があり興味深い。また政治家をテレビタレントとして使うことは、どういうことなのかについて問題提起をしたとも言える。ひとつの放送局でも、報道セクションでは多様性などバランス感覚の蓄積がありながら、制作系あるいは情報系セクションには共有されていなかったことが明らかになったケースであり、部署を問わず、改めて感覚を研ぎ澄ますことの必要性を再認識したのではないかと考える。
- 番組に3人をキャスティングすることで、視聴率に期待したところが先走ってしまった事案ではと考える。当該局の調査報告書には「違和感をおぼえた方がいた」という記載がある。現場の違和感は非常に大事で、違和感を率直に表明できる場があること、そして違和感を表明することが悪いこととして受け止められないことが大切。現場の違和感、問題意識について、皆で咀嚼して考えてみようという対応がとられる必要があるのではと考える。
- マスメディアとして、日本維新の会という政党との距離感について考えるべきという意見も一部にあると感じている。番組出演時に紹介された肩書きに、引っかかりを感じた視聴者がいたとすれば、制作者として考慮すべきところはあったのではと考える。仮に、現職および元職の首長という肩書きで、地方行政や地域活性化などをテーマにトークするのであれば、それほど問題視されなかった可能性もある。
第62回 2021年12月10日(金)
愛知弥富市の中3刺殺事件 メディアの配慮は適切だったのか検証する
議事概要
- 11月24日、中学3年男子生徒が同級生を校内で刺殺した。発生直後、詳しい動機が分からないまま、使われた凶器や計画性などについてメディアは大きく報じた。BPO青少年委員会は、千葉県八街市の飲酒運転児童5人死傷事故をめぐる報道をもとに「衝撃的な事件や事故に係る子どもへのインタビューには細心の注意を払う」よう報道機関に求めるコメントを10月に公表したばかり。少年事件の取材・報道での配慮について、今回の事件から学ぶべきことを考える。
オンブズ6の意見
- 事件直後の報道は、「刺した」という衝撃的な事実に引っ張られ、様々な番組で繰り返し取り上げていることが、非常に気になった。取り上げる回数については、もっと配慮があってよかったのではないか。詳しい動機が分からない中で、「いじめ」という言葉が比較的早い時期から報道されていた。加害者側のイメージが作られてしまいがちなので、そのあたりの報じ方は研究をしていく必要があると考える。
- テレビ、新聞、ネットニュースで扱い方は様々だったが、全般的に被害者ばかり繰り返し名前が報じられていることに違和感をおぼえた。同じ学校の同級生という情報まで出てしまうと、被害者が明らかになった時点で概ね加害者の特定まで容易にいきつき易い。今後、新たな供述や事実関係が明らかになると思うが、メディアによる取材では、被害者、加害者のみならず、周辺の生徒についても十分に配慮すべきだと考える。
- 事件が起きた時には、非常にセンセーショナルに繰り返し報道がなされた。一般的に、事件のその後については、なかなか詳しいニュースとして扱われにくくなりがち。そこについて、しっかり取材のうえ報道していくことが重要。どういう生活をしていて、どういう関係だったのか、事件のバックグランドや詳細を伝えることが、今後類似の事件が起こらないよう警鐘を鳴らすことに繋がるのでは。
相次ぐ電車内での刺傷放火事件 模倣犯を生まない報道のあり方とは
議事概要
- 8月から11月にかけて、電車内で乗客が巻き込まれる凶悪事件が相次いだ。京王線の容疑者と九州新幹線の容疑者は、模倣犯をうかがわせる供述をしているという。事件報道そのものが模倣犯の出現に寄与しているという指摘がある。ショッキングな映像を繰り返し報道することに問題があるのか、犯罪の手口を微細に報じることが気付きを与えてしまうのか。ソーシャルメディアの影響力が高まる今、凶悪事件について、マスメディアにはどのような報道が求められているのか考える。
オンブズ6の意見
- 自殺報道に関して先進国ではガイドラインを作り、自殺の連鎖が起こらないような報道をということが共通認識になってきている。電車における一連の事件は、短期集中的に繰り返し報道された印象が強い。キャッチアイが強いとはいえ、映像を繰り返し流すことについて、メディアとして一定のセーブを検討すべきではないか。容疑者が考えていたことは何だったのか、時間をかけて取材で明らかにすることが、問題をより明らかにし再発防止に繋がるのではと考える。
- 京王線の刺傷放火事件では現場に居合わせた人が撮影した乗客が逃げ惑う様子が繰り返し報道されたという印象がある。一部の視聴者は、日常生活で電車を使うことを躊躇する気持ちになっているケースがあるという。事件報道が、視聴者に違う不安感を煽っている側面もある。人の印象に根強く残るような映像を繰り返し報道することの意味は、メディアとして考えていくべき課題ではないか。
- 発生直後の現場の映像が報じられたことにより、万が一、自分がそのような場面に出くわした時、どのような行動になるかを考えた。ドアが開かず、逃げ口がなくなり、乗客は現場車両から逃げ、窓を開けて大変な思いをして脱出した。再発防止に向けた取り組みとして、鉄道会社がどのように対応するか警鐘を鳴らしたのではないか。但し、容疑者が仮装していたことについて、一部のメディアの取り上げ方には疑問を感じた。
視聴者質問偽装でBPO審議に 視聴者の信頼回復のため今できることは
議事概要
- テレビ朝日『大下容子ワイド!スクランブル』で「事前に番組側が用意した質問が、視聴者からの質問として放送されていた」として、BPO検証委で審議されることになった。担当チーフディレクターは「視聴者が聞きたいこととニュアンスが同じであれば、自分が事前に用意した想定質問を使っても問題ないと思っていた」と語ったという。「想定質問」の放送は約半年間にわたり続けられ、放送した内容の2割程度にのぼった。この事案が起きた背景や、再発防止策について意見交換。
オンブズ6の意見
- 制作現場においてコミュニケーションがしっかりとられている状況になっているかどうかが問題。番組制作は共同作業であり、相互に確認をしていく仕組みが、果たしてうまく機能していたのかどうか。視聴者の意見を捏造することと、番組を作るうえでの演出とは明らかに違うということが理解されていない。テレビ番組制作において基礎になる倫理的なトレーニング、研修や教育が必要だと考える。
- 視聴者側では検証できないような形で情報が操作されたことに対しての違和感が大きかった。どこまでが作為的なものだったのか、どこまでが真実だったのか、検証機能を持たないというところの気持ち悪さが、今回の問題を大きくしている。メディアは非常に大きな影響力を持っており、また自主的な規制に委ねられていることを重く考え、常に謙抑的な運用を心掛けるべきではないか。
- 番組に質問を寄せる視聴者は、それぞれ一所懸命に考えて質問を届けていると思う。しかし、文章が長過ぎるケース、放送にはなじまない言葉遣いのケースなど、そのままでは放送できない内容も少なくないと推測する。ニュアンスが近いような意見、似たような複数の意見があれば、それらを集約して伝えることも否定はしない。但し、そうしたプロセスは視聴者に包み隠さず伝えることが必要だと考える。
第61回 2021年9月8日(水)
前代未聞の金メダルかじり事件 ジャーナリストに求められる感度とは
議事概要
- 河村たかし名古屋市長による「金メダルかじり事件」。非常識なパフォーマンスは、各方面から猛烈な批判を浴びる大騒動となった。現場に臨場した取材者は、ニュースバリューの高いネタと即座に判断できたのか。日頃からパフォーマンス好きの市長だからこそ、金メダルを突然かんだことも軽くとらえたことはなかったか。今回の騒動をもとに考える、ジャーナリストに求められる感度とは。
オンブズ6の意見
- ニュースバリューに対する感覚のズレが表れた事案ではないか。メディア側は、日頃から河村市長を取材対象としていることから、今回もいつものパフォーマンスだと思い、スルーをしてしまいそうになったのでは。多くの市民が「明らかに変だ」と感じたことは、その後のSNSでの展開でも明らか。ポピュリスト政治家的な部分と市民感覚とのズレを、メディアとしてどのように扱っていくのか、取材者として感覚を常に研ぎ澄まさなければいけないということを教訓にすべきと考える。
- たまたまそれが金メダルだったというだけで、本人の同意なくして他人の所有物を口に入れるというのは、あり得ない話と言わざるを得ない。河村市長自身が、自分の立場を勘違いしたのか、自分のキャラクターを勘違いしたのか、そこに勘違いがなければ、このようなことはできないのでは。いずれにしても、取材者は河村市長の勘違いに乗ってしまうのではなく、その場で誰か止められなかったのか、何か問題点の指摘ができなかったのか、と率直に思った。
- ネットで炎上したから、報道として取り上げなければということではなく、取材した時点で当該行動はおかしいと問題提起ができたのではないか。河村市長自身のその後の謝罪対応には、少なからず違和感を抱いた。問題の本質がどこにあるのか、本当に理解されているのか。ネットやマスコミが沈静化すればいい、と思っているのであれば、とんでもないこと。何が許されない行動なのか、どこからがハラスメントにあたるのか。ジャーナリストとして追及することも再発防止につながるのではと考える。
相次いだ五輪関係者の直前降板 消せない過去の責任と背負い方
議事概要
- 「いじめ」そして「ホロコーストネタ」。五輪開会式の関係者が、開幕直前に相次いで降板することとなった。この降板騒動は一部で議論をよぶこととなった。いずれも1990年代の雑誌記事やお笑いネタが、2021年になって問題視された。過去の行為と、その責任の背負い方は、果たしてどうあるべきなのか。今回の騒動は、五輪という「特別な世界」での事象なのか、あるいは「インターネットの発達でこれからは当たり前」となる事象なのか。
オンブズ6の意見
- かつては、過ちを犯した人も、一定の償いをした後には、復帰を認めるという社会の共通認識があったはず。しかし過去の記録がずっと残り続ける現代ネット社会においては、どのように向き合っていくのか、どのような対応が理解されるのか、改めて問う必要がある。復帰を認めるか否か、どこにも明確な基準はない。他社の判断や時流におもねるのではなく、メディアは個々の事象について深く考え、当事者とも話し合ったうえで判断すべき。また、その判断については必要に応じて社会に説明することも求められる。
- インターネットの発達で「私刑」が容易になった。ヒトの過去の言動について、時間の経過とともに記憶が薄れていくことなく、記録が消せないことを前提にした対応を考えざるを得ない社会になっている。記録が消せないとすると、何らか上書きできるような機能を持つことはできないか。本人の反省や説明、あるいはその後の生き方など、何らかの形で上書きをして、新たに世の中に出すことが必要ではないか。そうした「上書きすること」に、メディアとして果たすべき役割があるのではと考える。
- 一度でも不適切な発言や言動をしたら社会復帰ができない、となると非常に生きにくい世の中になりかねない。降板や辞任など同様の事象が世の中で注目されると、人々が社会の表舞台で頑張ろうというモチベーションを失うのではという怖ささえ感じる。本人が反省しているのかどうか、どういう生き方をしてきたのかまで見ることが大切だと思う。「作品と人格は分けて考えるべきだ」という意見も含め、今回の騒動を機に議論を深めることが必要だと考える。
第60回 2021年6月10日(木)
実名や職業を報じる意味は 風俗店勤務女性殺害事件
議事概要
- 2021年6月、東京立川市のホテルで、派遣型風俗店で働く女性が刃物で刺され死亡、19歳の少年が逮捕された。この事件では、被害者について報道に違いがみられた。職業と実名を伝えたメディア、職業は伏せたまま実名で報じたメディア、職業を伝え匿名で報道したメディア。事件翌日、性風俗で働く人々を支援する団体は、警察やメディアに「性風俗で働く人の実名は原則非公開に」と要望した。「実名の報道」と「職業名の報道」について考える。
オンブズ6の意見
- 今回は「何を報じようと考えたか」により扱いが分かれた事案だ。風俗店で働いていた方が被害にあったことに重点をおいたメディアと、職業よりも誰が亡くなったかに重点をおいたメディア。ネットも含めた現状は、各メディアの報道内容を見比べると、実名と職業のすべてが分かってしまう実情がある。実名報道か匿名報道か、職業を明示するか否か、報道機関でどのような検討や配慮がなされ、最終的にどのような判断をしたのか、視聴者に丁寧に説明していくことが対応策として重要だと考える。
- 被害者の職業を報じないと、加害者の犯行動機や背景などが伝わりにくい事件だ。事件報道が社会に伝えるメッセージは様々あるが、例えば特定の職業が危険と隣り合わせということを考える契機にするという意味も含め、メディアは報道内容を考えるべきではないか。そのうえで被害者については、プライバシーが暴かれることがないよう配慮することを、基本的なスタンスにすべきだと考える。
- 警察は被害者の実名を含め、限りなく正しい情報をメディアに発表すべき。それを受け止めてメディアが報じる際、なぜ実名と職業がそれぞれ要るのかを考えると、今回の事件では被害者の実名は要らなかったのではと考える。但し、実名か匿名かを職業により判断するとなると、その判断は極めて難しい。情報を伏せることは、社会の不安感やデマにつながるリスクもあり、社会の安心感につながる報道のあり方を考えていくべき。
一流アスリートに会見拒否の自由は 大坂なおみ選手への罰金処分
議事概要
- テニスの大坂なおみ選手が、4大大会のひとつ全仏オープンで記者会見拒否を表明。大会主催者は、今後も会見に応じない場合、出場停止処分とする可能性にまで言及。結局、大坂選手は1回戦に勝った翌日、大会を棄権するとともに、3年近く「うつ状態」に悩まされていると告白した。この騒動を発端に、アスリートの記者会見には「改善すべき問題があるのでは」という声もあがっている。メディアとして、記者会見のあり方について考える。
オンブズ6の意見
- 大坂選手の扱い方は、日本と欧米のメディアで異なる印象がある。日本メディアはブラック・ライブズ・マターなどポリティカルな発言には、やや引いたスタンスで腫れ物を触るように扱うことはなかったか。映像メディアを中心として、やや片言の日本語を楽しむという取り上げ方になっていなかったか。スポーツジャーナリズムとして、彼女がどういう選手で、何が弱く、何が強みなのか、本質に迫る取材や報道がなされて然るべきと考える。
- 世界レベルの選手に対して、記者会見で競技とかけ離れた質問攻めにする現状に、選手が苦痛に思うのはごく自然なこと。あまりにも失礼で、つまらない質問をすることが、選手をこのような気持ちに追い込んでいるのではと感じる。メディアの取材者は、質問する力、質問力を高める必要があるのでは。今後どのように落とし所をみつけていくかについて、主催者、選手、メディアが互いに話し合う機会があってもいいと考える。
- プロスポーツ選手は、スポーツをすること自体のみならず、生き様、何を考え、どのように試合を運んだのかを含めて世間の関心が高く、その結果、スポンサーもつきビジネスになっている。一定のルールのもとの会見は、選手として応じざるを得ない。そのうえで取材する側にも、一定の程度の抑止が求められるのではなかろうか。記者会見だからと言って、取材対象者を精神的に病むところまで追い込むのは、やはり問題があると考える。
第59回 2021年3月1日(月)
女性蔑視発言を機に考えるジェンダーバランス メディアの課題とは
議事概要
- 2021年2月、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が女性蔑視発言で辞任に追い込まれた。五輪憲章が根本原則で掲げる「ジェンダーの平等」を、組織委トップが自ら軽んじたという批判が内外で沸騰した。世界経済フォーラムによるジェンダーギャップ指数で、153カ国中121位とされる日本。「ジェンダーの平等」を目指して、いまメディアが取り組むべきことを考える。
オンブズ6の意見
- 今回の発言でフォーカスされたのはジェンダーについてだが、メディアとして自分たちの表現の仕方を考えるひとつのきっかけにすることは意味がある。ジェンダーの問題に限らず、出身や文化的な背景なども含め、どのように対応していくのかは、放送局には重要な課題だ。多様性やバランス感覚について常に自覚的であることが大切であり、メディアシステムとして、多様性を意識した番組作り、多様性を意識した組織作りが重要だと考える。
- 男女の差別と同じように、LGBTの問題、さらに容貌や年齢に関わる差別も含め、配慮するテーマは様々あり、より包括的に目を向ける必要がある。今回の事案では、性差別だけをターゲットとして議論されている印象が強い。最近は、不適切な発言や表現が相次いで取り上げられているが、メディアとして萎縮することは好ましくない。制作現場の中で、表現のあり方について個別具体的に議論を重ね、考えを深めていくことは大切だ。
- ジェンダーに関しては、多くの場合、悪いと思ってその発言をしていないところに、そもそもの問題がある。「男性らしさ」「女性らしさ」というようなものが、育ってくる環境の中で、自分が意図していても、意図していなくても身に付いてきてしまうところがある。このことが自分自身で、その問題に気が付きにくいということにつながる。また組織としても同じような人が集まっていると、より違和感が覚えられにくいとも考える。
第58回 2020年12月9日(水)
新型コロナ第3波 いまメディアに求められていること
議事概要
- コロナ対策分科会のワーキンググループが2020年11月、差別や偏見への対策に関する提言をまとめた。報道機関に期待することとして、「ウイルスの特性に適した問題設定を持った報道」「知る権利への奉仕と感染者の個人情報保護のジレンマに正面から向き合った報道」「誤った風説に対するファクトチェック」などの役割をあげた。また、「これまでの報道について自律的に不断に検証を進めること」も重要と指摘している。メ~テレにおけるコロナ報道をもとに、改善すべきところ、留意すること等について意見交換を行う。
オンブズ6の意見
- いまの日本におけるコロナ感染に関する差別や偏見は、なにが「正義」なのか、個々人の価値意識が両極で相当に幅があることが原因ではないか。自分の価値観以外のものを排除する、不寛容が問題だと考える。日本社会の中にある、ある種の怪しさというものが表出しているのではないか。メ~テレという愛知・岐阜・三重を拠点におく放送局がすべきことは、地元と一緒にこのことを考えるというスタンスを示していくことではないか。
- 医療現場で働く方たちに対する差別や偏見は、非常に残念に思う。また、ほんの些細な噂やフェイクニュースで、店なり会社なりが立ち行かなくなることもある。誰が責任をとるのか、非常に難しい。地上波テレビとして、何がフェイクで、何がフェイクではないか、さらに、医師やコメンテーターの発言内容の検証も含めて、視聴者が信頼できる情報を整理して発信することが求められていると考える。
- 事実無根の噂について、悪意を持って意図的に行うと刑事的な責任を問われる場合もあるが、悪気なく良かれと思って噂話を広げてしまった場合に法的な責任を問うことは難しく、分かり易い警告も出しにくい。具体的な事案を取材・報道することは、ファクトチェックのような機能を持ち、世の中に事実を知らしめることにつながると考える。しかし同様の潜在的な事案は数が多過ぎて、すべてに対応しきれないという問題もある。
大統領選で問題浮上 偏向SNSは民主主義を壊すのか
議事概要
- 米国大統領選は、SNSが民主主義に及ぼす影響について大きな問いを投げかけた。ツイッター社は、トランプ大統領のツイートに「疑義がある」「危険を伴う」という警告を頻繁に発した。これに対してトランプ大統領や支持層は、「一方的な検閲」だと反発。フェイクニュースや誤情報が拡散され混乱をもたらすことは、可能な限り回避すべきだろう。一方で対処を誤ると、表現の自由をおびやかし、検閲による世論操作にもつながりかねないと危惧する声もある。ソーシャルメディアの政治利用、検閲行為のあり方などをテーマに議論する。
オンブズ6の意見
- 今回の大統領選挙ではツイッターなどSNSで自由な発言が拡散される一方、テレビなど伝統的メディアはSNSにおける発言内容をそのまま伝えていた、と反省を促す意見もある。SNSでの発言内容に対して、どういう価値があるのか、どういう問題があるのかを報道機関の視点を持って伝えることが、伝統的メディアが本当に取り組むべきことではないか。本当にやらなければならないことは何か、という問い掛けだと考える。
- 大統領選では、ある情報を正しいと受け止めるか、間違っていると否定するか、その判断は支持政党により真逆になる可能性があると考える。日本でも、ハッシュタグを付けることで、少数意見でも世論を煽り社会問題化させるということが散見される。現状は、ツイッターはじめSNSの利用の仕方が上手な人の意見が、世の中に拡散している。なんらかの基準を設けることは非常に難しく、いまは過渡期と捉えざるを得ない。
- 言論の自由と、誤った情報の拡散を防止する責務は、非常にバランスがとりにくく、誰が評価して判断するのかは極めて難しい。ソーシャルメディアは影響力がこれだけ大きくなっても、あくまで私企業であり、政治的な意向を持ってはいけないということはない。仮に中身に踏み込んで判断するならば、透明性の確保は欠かせない。そのためにはどういう手順で止めるのかなど、手続き的なところで担保するしかないと考える。
知事と市長が犬猿の仲!? メディアはどう扱うべきか
議事概要
- 「議員報酬削減や県民税削減をめぐる対応」から「あいちトリエンナーレ2019」、さらには「県知事リコール運動」まで、不仲説が取り沙汰される大村愛知県知事と河村名古屋市長。その姿を延々と見せられ続けている愛知県民や名古屋市民。両者が対立することで、住民の生活にまったく影響はないのだろうか。地元メディアとしてメ~テレは、この問題をどのように報道してきたのか。そして、これからどのように報道していくべきなのか。
オンブズ6の意見
- 一定の行政権限を持った首長でもあり、ファクトをニュースとして伝えなければいけない。その時、地元の報道機関として考えるべきは、市民・県民にとって、どれだけ価値のあるニュースなのか。首長(政治家)の中にはオーラを出しているタイプもいて、取材者が引っ張られるケースもある。しかし、報道組織全体としては多角的な取材と冷静な判断のもと、あくまで事実に基づいた報道をすることが大切だ。
- 知事と市長の不仲そのものは、大きな問題だとは受け止めていない。長期間にわたって、手を替え品を替え、トリエンナーレ、リコールなど、問題が続いているという印象。リコール運動は、いわゆる政治的な権利としてあり、どのような意見であっても、報道機関として検証のうえ、もう少し報道してもよかったのではと考える。但し、選挙との兼ね合いもあり、報道の仕方は非常に難しい。
- 市長と知事の態度、行動、発言に注目が集まり過ぎて、本来の問題の所在がどこにあったのかが見えにくくなっていないか。一連の問題では、公共団体のあり方、公金の使い方など報道機関として伝えるべき根本的な問題がもっとあったはずだと考える。政治家は、メディアの持つ力を承知のうえでアピールすることもある。メディアが乗せられてしまう、一役買ってしまうようなことは避けるべきだと考える。
第57回 2020年9月4日(金)
テラハ事案から考える SNS時代におけるリアリティ番組とは
議事概要
- 2020年5月、『テラスハウス』に出演していたひとりの女性が亡くなった。誹謗中傷の舞台となったのはSNSだが、原因を作ったのは番組に他ならない。リアリティ番組は、1990年代以降に世界的に広がり人気を博した。一方、出演者をめぐるトラブルなど社会問題化した事例も数多く報告されている。リアリティ番組というフォーマットそのものに欠陥があるというより、制作者の配慮、モラル、能力の問題なのだろうか。SNS時代におけるリアリティ番組、制作者にはどのような心掛けが求められるのか。
オンブズ6の意見
- 放送局が、番組をリアリティショーと謳いながら、ある程度の演出は認められているタイプの番組という認識でいるのに対して、視聴者とりわけ若者の一部は、感情移入して番組を視聴しているケースが多い。つまり、放送局と視聴者の間に認識のズレがあるのではないか。また、リアリティショーの制作にあたり、放送局・制作会社・所属組織が、出演者と適切なコミュニケーションをとっていたのかは問われるべき重要な問題だと考える。
- リアリティ番組は、視聴者の思い入れが強ければ強いほど、注目度が高まり成功するという側面がある一方、番組内での出演者の言動について、カメラを意識して感情が昂ぶることがあること、すべてがリアルではなく多少なりとも演出が加えられていることを、若い視聴者はどこまで割り切って受け止めているのか。ある意味で、視聴者としてのリテラシーが求められているのではないか。
- リアリティ番組は、制作者が編集の手を加えることにより、出演者の現実が非現実に近づいていく。受け止める視聴者は、どこまでが現実で、どこからが非現実なのかが分からない。時には出演者に肩入れしてSNSによる誹謗中傷という行動につながることもあり得る。番組として矛盾をはらんではいても、違法性があるわけではない。人を傷つけるのは違法な誹謗中傷とは限らないので、そこがこの問題のより難しいところだ。
物差しのない広告と番組の境界線 疑念を抱かれない番組作りとは
議事概要
- BPO放送倫理検証委員会は6月30日、琉球朝日放送と北日本放送の番組について、広告放送と誤解を招く内容だったとして「放送倫理違反があった」とする意見書を発表した。判断基準について「ガイドラインを作るのはBPOの役割ではない。BPOが指針や解釈を示したら、必要のない自己規制や萎縮を招く事態を恐れる」とした。そのうえで、民放連と民放各社が検討すべきこと、と対応を促がした。番組か広告かを峻別できる明確な物差しはない。見る人や社会状況によっても評価は微妙に違う。果たして、視聴者に疑念を抱かれない番組作りとは。
オンブズ6の意見
- 放送局は番組種別公表制度により、教育・教養・報道・娯楽などの分類を自ら公表しているが、広告か番組かが紛らわしいと問題視されている今、放送局が「これは広告」「これはパブリシティで情報提供も含めた番組」など、自信をもって対外的に明言することを検討してみてもよいのでは。また、広告か番組かを判断する基準については、BPOに委ねるのではなく、放送局自身で決めていく覚悟が求められていると考える。
- 明確なガイドラインがない状態が続くと、広告か番組かをめぐり放送局で同様の問題が続くことを懸念する。仮にBPOが放送局の良識に任せるというスタンスだとしても、視聴者から疑念の声があがるたび、個々の番組について都度なんらかの判断を示さなければならない。これ以上この問題が広がらないよう、広告か番組かの境界線に関するガイドラインは新たに策定する必要があると考える。
- 具体的な指針や基準がないまま、問題に抵触しないよう控えめに番組制作するというのは、厳しい経営環境にある放送局にとっては実態にそぐわない。BPOは指針や解釈を示したら必要のない自己規制や萎縮を招くと説明するが、逆に「基準が示されないから萎縮する」という考えもあるのではないか。どこが作るのが妥当かという問題はあるが、もう少し具体的なガイドラインや指標が必要だと考える。
人種差別的と批判されたNHK報道番組 陥りがちな過ちとは
議事概要
- Black Lives Matter. 全米に拡大する人種差別への抗議デモをテーマにしたNHK報道番組のアニメ動画が炎上。差別的な表現、ステレオタイプな暴力的描写が、黒人に対する差別と偏見を助長するとして内外から批判があがった。メディアの表象は制作する人々の意識を表す。「歴史認識の不足」「人種やジェンダー意識の欠如」だとメディアを批判する声もある。コロナ禍は世界的に民族の分断を招き、アジア人というだけで差別偏見の対象とされたことは記憶に新しい。番組制作において、陥りがちな過ちを改めて考える。
オンブズ6の意見
- 人種というものに対する感覚が、日本人はやはり少し弱いのではと感じる。しかし、今回のコロナ禍で表に出ているように、日本でも様々な差別や自主規制に繋がる問題が根底にはある。メディアとして組織的なチェックシステムの再点検、スタッフ個々の感度をあげるためどう取り組むべきか考える必要がある。
- テーマごとに番組制作に関わるスタッフを対象にした研修を継続的に取り組む必要がある。今回は人種差別に関する問題だったが、配慮すべきことやNGワードも時代によって変わってくる。今まではよかったけれども、これからは通用しないというケースが幾つかある。作り手同士が互いに共通認識を確認のうえ、徹底していくことが求められている。
- 少し前だったら多少の違和感があっても大事にならなかったことが、今ではユーチューブはじめ様々なSNSによって物凄く大事になる。その影響は個別の番組にとどまらず、そのような発信を許したメディアに対する信頼にも関わる。制作者は日々感度を鍛えるとともに、組織としてもチェック機能がはたらくよう取り組むべきだと考える。
第56回 2020年6月4日(木)
拡散されるデマやフェイクニュース テレビ報道のあり方とは?
議事概要
- 新型コロナウイルス関連のフェイクニュースが相次いだ。SNS上で拡散されたトイレットペーパーの品薄騒動は記憶に新しい。テレビ各局が揃って報じたのは、ドラッグストアの商品棚の映像、そして原材料を製造する工場の映像。アナウンサーは「品薄はまもなく解消する」と呼びかけた。それでも、その報道を見聞きして、また買い占めに走ってしまった視聴者も少なくなかったという。社会不安やパニック、デマやフェイクニュースに対して、テレビ報道はどう対処すべきか。
オンブズ6の意見
- 世の中の神経が高ぶり、日頃より不安な状況の中で、メディアから流される情報に対して過剰に反応する空気があったことは間違いない。そんななかで、テレビの伝え方がやや情緒的であったのではないか。その情緒的な表現にずいぶん視聴者は追われたのではないか。一連のコロナ報道では、どのように冷静に伝えていくのかが問われたと考える。
- PCR検査を積極的に進めるか否かについて、番組出演コメンテーターの意見は賛否両論さまざまで、誰の発言を信用していいのか分からなかった。緊急事態宣言の直前に遠距離バスに若者が殺到したというテレビ報道もあったが、その映像、その報道は果たして世の中の動きを正確に伝えていたのだろうか。
- デマが拡散された背景には、コロナに対する社会全体の不安が大きいと考える。そうした不安のなか、未確認の情報をSNSで拡散している人たちの多くは、悪気なく拡散している。悪気がないと法律上の違法行為は成り立ちにくい。テレビ報道の内容も、局所的な見方で不安を煽るのではなく、視野を広げた客観的な伝え方が必要だったのではないか。
差別や偏見をなくす報道とは プライバシーを侵害しない情報提供とは?
議事概要
- 医療従事者らが周囲の差別や無理解に悩むケースが顕在化している。京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授らは、日本民間放送連盟と日本新聞協会に、差別や偏見を防ぐための方策を検討するよう求める要望書を提出。5月21日、民放連と新聞協会は共同声明を発信した。センセーショナルにならないよう節度を持った取材、報道に努めること。感染者の公表や報道についてもプライバシーを侵害しない範囲で提供する観点から議論を深めるという。感染者や医療従事者らへの差別、偏見をなくすため、目指すべき報道のあり方とは。
オンブズ6の意見
- 医療従事者等に対する差別や偏見について、民放連と新聞協会が山中伸弥教授らと会議をしたことは非常に意味があったと考える。日本の大きなメディアの団体が協議のうえ共同声明を出したことは重要なこと。共同声明のタイミングで、新聞と比較してテレビはやや報道量が少なかったという印象を受けた。
- 医療従事者の過酷な現場の実態等が報道されたことで、一部にみられた差別や偏見が少なくなり、最近では感謝の気持ちが国民に広がっていると感じる。その一方で、感染者の発生に関する情報については、プライバシーに配慮しつつ、信頼されるメディアが可能な限り具体的な情報を発信していくことが不安解消につながると考える。
- 医療従事者をつぶすことは、ひいてはその地域の医療をつぶすことになり、万が一罹患した時は、自分にはねかえってくる、自分の問題だということ。誰にでも感染のリスクがあり、感染したこと自体が悪いことではない。差別や偏見がなぜダメなのかが理解されるよう、もう少し深く報道していく必要があると考える。
対面取材ができない報道の現場 求められる新しい取材手法とは?
議事概要
- 新型コロナウイルスの感染拡大をうけ、報道の現場も様変わりしている。現場に足を運ぶ直接取材から、電話、オンライン取材が中心に。また記者会見も開かれない状況もあるという。米国ワシントンでの取材では、コロナ前から政治家たちのツイッターやホームページを随時チェックするのが当たり前だという。それに対して、日本の記者は、いわゆる「対面取材至上主義」が強いと言われる。事実を追い求め正確に伝えるというジャーナリズムの価値を担保する新しい取材手法とは。
オンブズ6の意見
- 日本の大手メディアはかつてから対面取材至上主義を記者教育の中で続けてきた。対面取材ができなくなった時、いかに事実に近づいていくのかが、今回のコロナ報道で問われることになった。コロナ体験が、テレビのニュースのあり方、作り方に色々な意味で考えさせる局面を作ったことは確かで、そのことをニュースのクオリティを高めることにつなげていければ非常に意味がある。
- コロナにより対面取材が難しくなっている状況において、東京高検前検事長と新聞記者による賭け麻雀が大きく報道されたのは、タイミング的にも考えさせられた。感染防止の観点からウェブを活用したインタビューは、取材される側にとっても時間を効率的に使うことができるというメリットがあると感じた。
- これまでは夜討ち朝駆けに代表されるような、取材者の体力や家庭環境など厳しい条件をクリアできる者のみが最前線の取材者という傾向が強かったと考える。対面取材ではなく、新しい取材手法が求められる時代には、体力や環境にとらわれず、新しい感性や新しい視点をもった取材者が活躍できるようになることを期待する。
第55回 2019年12月12日(木)
表現の不自由展ドキュメンタリーについて
議事概要
- 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」。展示内容に抗議が殺到するなどして、開幕わずか3日で中止となり、表現の自由についての議論が巻き起こった。この事案を取り上げたメ~テレドキュメント『不自由アート~閉ざされた芸術展~』(2019年12月6日放送)の番組内容をもとに意見交換。
オンブズ6の意見
- あいちトリエンナーレをめぐる動きが飛び火して、様々なステージで抽象度を高めて議論されている時、地元局に求められるのは、地元でどう捉えられているものなのかを取材すること。無関心という人たちも含め、普通の人たちはどう見ていたのか。そのことがもう少し語られた方が良かった。それは今の空気を提示することでもある。
- 記録性を重視したという今回の作品は、まさに今なにが起きているかを考え作られた番組だと感じた。「表現の自由」が問題になると、検閲が必ずセットで問題になる。続編を制作するのであれば、そうした切り口で制作すると、より深みがあるものになると考える。
- 不自由展の中止そして再開をめぐって、「これが芸術かどうか?」、「税金を使うべきものなのかどうか?」、「表現の自由とは何か?」など、時間経過とともに、問題が次々と変わり、色々な意見が出てきたという印象を持っている。そのことによりこの問題は、より混乱が増したとも考える。
『スーパーJチャンネル』不適切演出について
議事概要
- 『スーパーJチャンネル』で2019年3月に放送された企画について、テレビ朝日は10月、不適切な演出があったと謝罪、翌11月にはBPO検証委員会で審議入りとなった。取材ディレクターが数人の知人を、初対面の客と装って取材したとされているが、同様の事案を未然に防ぐため、どのような取り組みが必要かをテーマに意見交換。
オンブズ6の意見
- フリーのディレクターが勝手にやったでは済まされない。このような状況を放送界で作っていることが問題だ。制作現場の中でうまくコミュニケーションができていないから、こういう事案が起こる。ある種の心理的亀裂が起こしているのではないのか。放送局の人たちは、制作会社の人たちが、どのように取材・制作しているのかを感じとることが大切で、まさにそれがコミュ二ケーションだと考える。
- 企画VTRを1本作るのに、どれだけの時間が取材者に持たされていたのか、時間的にタイトで余裕のなさが、ヤラセにつながってしまったのではないか。時間と人と予算をどのように使うかは難しい。ある意味、故意犯だと思うので、こう考えている人を、どうチェックしていくかは非常に難しい。
- 業務用スーパーで来店客にインタビューと言っても、どのような取材ができるかは分からない。企画者が、個人として買いに来る客がいたら面白いに違いないという程度の考えをもってインタビューに行ったとすると、そこに相当の無理があったのでは。そのような取材手順では、ひとつもエピソードが拾えない可能性がある。
第54回 2019年9月17日(火)
表現の不自由展・その後 中止事案 いかに報ずるか
議事概要
- あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」が、開幕直後に中止に追い込まれた。「歴史問題」「表現の自由と政治介入」「芸術とは何か」「ネット社会の病弊」など論点は様々。地元メディアとして、この問題を、どのような視点で、どのように報ずるか。
オンブズ6の意見
- 行政が資金を援助する文化的な表現の空間に、行政のその時のトップの思惑が入り易い状況が生まれてきているとすれば、非常に由々しき事態。大上段からの議論ではなく、ディテールも含めてファクトを丁寧に積み重ねて、少し継続的に取材していくことが、名古屋のメディアとしてできること。このテーマは名古屋のメディアが問われている。
- 「公共の福祉」という言葉の「公共」が、まるで「行政」のように取り扱われているようで、非常に危ない。政治の介入を許してしまうミスリードに使われかねない。「公共の福祉」という言葉を出して、この不自由展ができないものではないともっていくのは論理的におかしいのでは。
- 最近は、ネット上の意見、匿名の攻撃が行き過ぎている。今回の展示で芸術監督を務めた方の講演会が、今回の事案に端を発した反対意見によって中止させられることに繋がったという事実は、恐ろしいことと感じる。
京アニ放火事件 身元公表は異例の展開
議事概要
- 京都アニメーション放火殺人事件の犠牲者について、京都府警によると35人中20人の遺族は実名公表を拒否、府警の判断で全員の氏名をメディアに提供したという。テレビ局は犠牲者全員を実名で報じた。また今回、報道各社は、遺族への取材が集中するメディアスクラムを避ける取り組みも行なった。同様の事案にメ~テレが直面したらどう対応すべきか。
オンブズ6の意見
- 遺族およびその関係者について、現場の記者たちが凄く丁寧に取材しようとしても、非人道的な取材だと攻撃にさらされる状況が続いていた。伝統的メディアの無謬性を言うのではなく、取材する者として非常に悩んでいるという過程を含めて社会に提示することが非常に大切だと考える。
- マスコミ各社が協議のうえ代表者を決めて遺族に取材するというステップを踏んだのは非常に良いことと考える。実名の取り扱いについて、捜査機関は原則、報道機関に対して公表のうえ、公表された実名を報道するか否かの判断は報道機関に委ねるべき。
- 今回の場合、実名報道がなされたことで、亡くなられた犠牲者がどんな仕事をして、どんな影響を社会に与えたのか、もう一度考え直すことができた。それが犠牲者に対するひとつの弔いになると考える。
情報番組での出演者不適切発言 コメンテーターの選び方
議事概要
- 生放送の情報番組で、コメンテーターの発言に対して批判の声が相次いであがった。放送後にネットで炎上、番組側が謝罪する事態にも発展した。こうした事案を受け、コメンテーターの人選について様々な意見があがっている。果たしてコメンテーターはどう選び、番組側はどうさばくべきなのか。
オンブズ6の意見
- ローカル局の番組も、昨今は東京から著名なコメンテーターを連れて来るケースが多い。コメントができる人を育てる、一緒になって育てていくということを、特に名古屋くらいのサイズのテレビ局であれば取り組むべきでは。
- コメンテーターの中には「タレント枠」と「文化人枠」があり、「文化人枠」で出演している教授たる人が、切り取られて間違えられるようなコメントをしたことで、教養人として適切でないというレッテルが貼られたケースだと考える。
- コメンテーターが専門外の話題に対して基礎知識もないまま感想だけを発言する。それは危ういことだと考える。コメンテーター側にしてみると、少し炎上気味の発言をするとすぐに叩かれ、それ以降の番組出演がなくなる。テレビ局のあり方として少し疑問に思う。
第53回 2019年6月4日(火)
長野放送の番組、BPO審議入り「CMと識別しにくい番組」
議事概要
- 長野放送が3月に放送した番組が「番組か広告か曖昧だ」との指摘を受け、BPO放送倫理検証委員会で審議が行われることになった。当該番組は1社提供の持ち込み番組で、番組内容と提供社が求める内容のバランス、持ち込み番組に対する放送局の事前考査のあり方などを論点に意見交換。
オンブズ6の意見
- 広告部分と本編部分の切れ目がはっきりしないまま、放送局の考査がどのように処理をしたのかが気になった。「ニュース女子」ほどイデオロギー的な部分は強くなく、冒頭に政府の主張、その延長線上で働き方改革、最後は提供社のセミナーについてのコマーシャルになっている。どこからはコマーシャルで、どこまではコマーシャルではないのか、基準が以前より曖昧になっており、考査の力量がより問われる状況にある。
- 最近はテレビでも雑誌でも、記事と広告の区別がつくよう明示されているケースが多い。当該番組には、そうした表示はなく、スポンサーの思い通りに放送番組が使われたということであれば、放送局としての事前チェックに問題があったのではと考える。
- 今回のケースは、当該放送局が事前チェックを怠った可能性があるのではないか。今後、類似した事案が出てきた場合、どのように判断するかが大切。ひとつだけの情報に偏ることなく、複数の情報を紹介するなど、色々なやり方はあると考える。
読売テレビのニュース番組、「人権感覚の欠如」とコメンテーター激怒
議事概要
- 読売テレビのニュース番組が取り上げた企画が、出演コメンテーターから「人権的配慮に欠けた不適切な放送」だと放送中に批判を受けた。当該放送局は、取材協力者に謝罪するとともに、番組ホームページで謝罪コメントを掲載するなど対応に追われた。放送前のチェックに問題がなかったのか、またコメンテーターはじめ出演者への事前説明がどうだったのか、この事案の問題点を探る。
オンブズ6の意見
- VTRを受けるスタジオは、しばしば予定調和になりがちだが、当該コメンテーターは自分の感覚でストレートに番組内で意見を述べた。制作スタッフやアナウンサーが、その状況にどう対処していいのか、適切にハンドリングができなかったことは反省点だと考える。
- 取材対象者が放送してもいいと言ったからといって、それを放送していいのかは別の問題。健康保険証という極めてプライベートなものを、モザイクをかけたとしても映像にして見せるということが、制作者として感覚がずれていると言わざるを得ない。
- 番組で芸人が素人をいじるケースはしばしばあるが、今回は正直それほど深刻な印象を持たなかった。むしろコメンテーターが、生放送でしっかりご自分の意見を発言されたところが非常に興味深かった。生放送の番組としてテレビの醍醐味にもなるのではと感じた。
第52回 2019年3月13日(水)
憲法改正国民投票運動の放送対応 残された課題
議事概要
- 民放連の考査事例研究部会が、「CMの取り扱いに関する考査ガイドライン」の最終文案をまとめた。内容は「広告主」「出演者」「CM内容」から「CMの受付」まで多岐にわたる。考査のあるメディアとして視聴者からの信頼を守るため、個々の放送局が取り組むべき課題とは。
オンブズ6の意見
- 国民投票に求められるのは自由闊達に意見をたたかわせること。その意味から放送局による考査は、民放連によるガイドラインは留意しつつ、やや幅広に対応することが重要。メディアが多様化しているなか、インターネットと放送の違いのひとつは考査があること。地上波テレビの考査は厳しいが、厳しいことがポジティブに評価されるようになることが大切。
- 一般的に子どもはクリーンなイメージがあることからCMにも使われがち。未成年者が出演するCMは放送局の考査の際、厳しくチェックしていくことが必要。18歳19歳は、民法上は子どもでも選挙上は大人にあたる。この年齢の子どもたちがどう使われていくのかは留意しなければいけないと考える。
- 放送局によってCM放送可否の判断が分かれた時、広告主から放送局にクレームが寄せられないか心配する。どのように判断するのか、基準をしっかり持つことが必要になってくる。例えば「自衛隊」の映像も、被災地での救助活動の映像を使う場合、船舶の上に乗っている映像を使う場合では、視聴者の印象は大きく異なる。
不適切動画投稿相次ぐ 拡散する者たちの正体とは
議事概要
- 大手飲食チェーン店やコンビニなどで「バイトテロ」と呼ばれる不適切動画の投稿が話題となっている。「SNS上で目立ちたい」といった動機から行う従業員の個人的な投稿なのか。不適切動画を拡散する者たちの正体とは何か。また、この種の非正規従業員による不祥事の大半は「低賃金や劣悪な労働環境への不満」が動機では、という見方も一部にある。
オンブズ6の意見
- 一部の若者による不適切行為は昔からあったが、そのような行為を撮影した動画がテレビなど伝統的メディアにも乗って社会に出ていくことに対する予測はどうなっているのか。この話題をテレビがニュースにするのであれば、今の社会の中でこれが起こっていることはどういうことなのかを問うニュースにすべき。
- 高校生や大学生など仕事というものを十分にはしていない人たちの仕事というものに対する捉え方の教育、SNSというものの教育を誰がどうやっていくのかという問題。モチベーションを上げながら、組織の一員としてやっていくことについて導いていくことが大事。まさに労務管理の問題だと考える。
- 労働環境への不満があるから不適切な動画を撮ったという論調には違和感を覚える。また採用した時点で、その人がバイトテロのような動画を出すことは、絶対に企業側では判断がつかないと思う。また、こうした事案の報道では、炎上することに対してナーバスになり過ぎている側面もあると感じる。
女性蔑視からセクハラ批判まで 広告炎上の背景
議事概要
- 「セクハラ防止ポスター」、「女性ドライバー向けキャッチコピー」、「女性誌の見出し」など、様々な広告に対して女性蔑視やセクハラとの批判が相次いでいる。なぜ今、同じような炎上騒ぎが繰り返されるのか。はたまた過剰反応なのか。こうした事案を伝える側の報道機関として改めて襟を正すべきことはあるのか。
オンブズ6の意見
- 女性蔑視やセクハラと受け取られないよう配慮しつつ、もう片方で新たな別な表現はないのか、ということを問うような状況を作るにはどうすればいいのか。この流れのままでは、表現をどんどん狭くしていく危険性がある。放送はどういうプロセスでこのような表現をしたのか説明したがらないが、もっと説明した方がオーディエンスを味方につけられるのではないか。
- 官公庁や世界進出企業など「べき論」を言わなければいけない場合は配慮すべき。一方で特定の層をターゲットにした現実路線であれば、ポリシーを持ってやればいい。報道機関は、ある程度バランスをみて伝えなければならず、偏りがあってはいけないと考える。
- 様々な事象で、女性に対するセクハラや蔑視のラインが非常に曖昧だと感じる。逆に女性から男性に向けられる様々な差別用語も耳にするが、そのようなケースは周囲に笑われることはあってもセクハラや蔑視と扱われることはないのが現実。
第51回 2018年12月18日(火)
再免許と番組審議会のあり方について
議事概要
- 2018年秋、地上基幹放送局の再免許にあたり、「視聴者からの意見を十分に聴取できる体制を確保するとともに、その意見の番組審議機関への報告や、番組審議機関における議事概要の公表に積極的に取り組むこと」という要請が総務大臣から各放送局に通達された。「番組審議会」は放送法で定められた組織でありながら形骸化しているのではという指摘も一部にあるが、どこに課題があるのか。放送倫理の監視や是正勧告を目的とした「第三者機関」や「放送倫理・番組向上機構(BPO)」との関わり方も含めて意見交換。
オンブズ6の意見
- 重大事案に直面した場合、番組審議会が的確に機能することは極めて重要であり、そのため番審委員には分析能力など様々な資質が求められる。また苦情を含め視聴者意見を番審で積極的に取り上げ、放送局がみずからチェックしていることを対外的に示していくことは、放送局にとっての自律という観点からも重要である。
- 放送番組の充実向上のため、番組審議会という組織を効果的で上手く活用できるよう工夫の余地はあると考える。
- 番組審議会委員は相応しい能力や知見をもっていることが必須であり、委員委嘱の基準を明確化するなどの課題がある。放送法で定められた番組審議会の議論の内容と、放送局が任意で組織するオンブズ6等の第三者機関での議論をお互い交換、共有することが重要である。
「イッテQ!“でっちあげ疑惑”」事案から考える
議事概要
- 週刊誌報道を端緒に日本テレビ制作のバラエティ番組に “でっちあげ疑惑”が浮上している。日テレは「誤解を招く表現があった」としたうえで、企画コーナーの放送を当面休止のうえ、制作のあり方を再点検すると説明している。問題発覚直後、視聴者からは番組を擁護する声も多く上がった。一方で、視聴者との暗黙の了解、越えてはいけない一線を越えたと非難する意見もある。今回のケースはバラエティ番組における演出として許される範囲なのか否か意見交換。
オンブズ6の意見
- 「芸人が体を張っておもしろい現象を起こしていることは事実であり、フィクションか、がっかりしたと思う人はいない」というのが、今の作り手たちの感覚なのかなと思った。若干そこに甘えた節があったのでは。また、日本のテレビ制作者はわざわざラオスまで来てお金を撒いている、日本のテレビ番組はそういうレベル、と東アジアの中で感じられてしまっている典型で、日本のテレビ文化の貧困さを感じて悲しい気持ちになった。
- 制作者は、アジアの地域や文化に対して尊敬の念を欠いていたという気がする。すなわち「上から目線」の番組制作になっていた。ロケの失敗や不成立も隠さず、バラエティ番組なりにもっと面白く演出できたはずなのに残念だ。
- 報道番組にウソがあってはいけないことは論を俟たないが、一般視聴者はバラエティ番組に対して報道番組ほどの厳しさを求めておらず、織り込み済みで見ている。もちろん制作者が、そうした考えに甘えて、いい加減に制作することは許されることではない。
第50回 2018年9月27日(木)
憲法改正国民投票に関する放送対応について
議事概要
- 憲法改正が発議され国民投票が行われる可能性が高まっている。これまで経験したことのない国民投票に向け、正確に民意が反映されるよう、メディアには国民が主体的に行動し意思を表明するための材料を提供していくことが求められている。投票直前の「意見表明」は規制対象外とすべきなのか、「虚偽情報」「不正確情報」は放送前の考査で十分にチェックができるのか等、様々な課題について意見交換。
オンブズ6の意見
- 広告主が求める放送内容について、放送局の考査が的確に分析および判断ができるのかが問題。考査のあるメディアと考査のないメディアがあるが、考査のあるメディアは価値が高いということを、どのように提示できるかが問われている。
- ソーシャルメディアが広がり、誰もが発信する意見により情報を操作できる世の中にあり、投票に際しての意見表明はどうしても結論を左右しかねない。その意味から投票直前の意見表明は、規制対象に入り得るものという感覚をもつ。
- 憲法改正は日本の行く末、方向性を決めるもの。バラエティ的な情報番組も含め誰が何を発言するかにより一般市民は影響を受ける。事前に冷静な議論が必要であり、そのような場の提供をマスコミには期待している。
被害者報道の現状と今後について
議事概要
- 犯罪被害者の実名や顔写真についてのメディア報道に対し、被害者側から匿名要請が寄せられるケース、視聴者や読者が疑義や拒否感を訴えるケースが目立つ。また、取材記者自身がSNS上で実名やプライバシーをさらされ標的化されるなど、ジャーナリズムが危機に直面している側面も見逃せない。実名報道そして被害者報道の向き合い方に関して情報共有のうえ、議論を深める。
オンブズ6の意見
- 被害者への配慮が一定程度できつつ、取材も一定程度深堀りができた、というものをベストプラクティスとして報道機関で共有することが重要ではないか。今の時代状況にあわせた具体的な事例を積み重ねていくということ。
- 被害者やその関係者に、知る権利や報道の使命を正面から訴えても相手の心にはなかなか響かない。なぜ実名や顔写真の報道が必要なのか、その報道がなぜ人権を守ることに役立つのかを、取材者が真摯に説明することが大事だと考える。
- 被害者が実名や顔写真の報道を望まないのであればメディアは配慮すべき。加害者およびその周辺への取材についても、今はインターネットで検索すると個人に関する様々な写真や情報が入手できる時代でもあり、報道する側には取材の仕方の配慮など考えなければならない部分は多くある。
<第49回 2018年4月5日(木)>
「政府による放送法4条撤廃案の検討」をめぐる事情について
議事概要
- 安倍政権が検討している放送制度改革の方針案が3月中旬に明らかになった。テレビやラジオ番組の政治的公平を求めた放送法の条文を撤廃するなど、規制を緩和し自由な放送を可能にすることで、新規参入を促す構えだとみられている。民放テレビ各局のトップらは、放送と通信のルールを一本化する内容に「民放の解体につながる」などと危機感を口にしている。この時期に放送制度改革が検討されることになった事情や背景について意見交換。
オンブズ6の意見
- 2017年2月、BPO放送倫理検証委員会が選挙をめぐるテレビ報道について「政治的公平は量的公平ではなく質的公平」という意見を出したこと。また2017年10月、安倍総理がみずからインターネットテレビに出演したこと。このふたつが契機となって放送制度改革が検討されることになったという見方がある。
- 規制改革推進会議における議論に対して、水面下では番組審議会や集中排除原則などをあげ放送局に関する規定をどうするか検討されているという情報がある。もし本当にそうだとすると、放送を規定するものがなくなってしまうので、NHK以外はインターネットテレビと同じ、つまり民放は要らないということになる。
- 安倍総理は「産業界には放送局以外に放送をやりたい人がたくさんいる。だから、そういう人たちに開放すればよい」と言うが、その根拠がどこにあるのかがわからない。すごく疑問に思う。
- 放送法で定めている「政治的に公平であること」「報道は事実を曲げないですること」は、実は本当に難しい。メディアの影響力は大きく責任も重い。この点について議論を深めていった方がいいと思う。
第48回 2017年12月19日(火)
MXテレビ放送番組に対するBPO委員会決定と当社番組考査の現状
議事概要
- MXテレビ「ニュース女子」に対してBPO放送倫理検証委員会は、制作会社が制作して持ち込んだこの番組には複数の放送倫理上の問題が含まれており、そのような番組を適正な考査を行うことなく放送した点において、MXテレビには重大な放送倫理違反があったと判断した。この決定および持込番組に対する番組考査のあり方についてメ~テレの現状も併せて意見交換。
オンブズ6の意見
- 当該番組は出演者がある程度は好き勝手な発言をすることを売りにするタイプの番組という印象を持っていた。今回の題材が沖縄基地問題ということもあったのかも知れないが、BPOがニュース性の高い観点から番組内容をみて偏見ありと判断したのは、やむを得ないと考える。
- 番組内容は確かに偏っている印象を受けるが、この事案に対してBPOが「重大な放送倫理違反」とまで判断してしまうと、番組制作における縛りが今後きつくなることが懸念される。放送における公平性は大切だが、一方で番組ごとに様々なスタンスをもつことも重要だと感じる。
- 主としてインターネットで流す番組に対して考査のあり方はどうあるべきなのか考えさせられた事案。さらに当該放送局では果たして番組審議会がどのように機能していたのか疑問を感じた。仮に同様の事案にメ~テレが直面した場合、番組審議会やオンブズ6がどのように機能すべきか、また持込番組に関する考査が緩むことなく適正に機能するために必要なことは何か、社内で検討しておくべき。
第47回 2017年7月7日(金)
都知事関連報道に関するBPO委員会決定について
議事概要
- フジテレビが2016年5月に放送した情報番組で、舛添東京都知事(当時)の政治資金流用疑惑を取り上げた際の取材について、夫人と子どもがフジテレビに対して執拗な撮影で肖像権侵害を受け、放送場面は都合よく編集して視聴者を欺くものと申し立てた事案。BPO人権委員会は、肖像権侵害は認められない、放送場面についても放送倫理上の問題があるとまではいえないと判断した。そのうえで視聴者に誤解を生じさせないため工夫の余地はあったとした。決定には結論を異にする少数意見が付記された。このBPO決定について議論。
オンブズ6の意見
- 公人に対する取材の際、プライベートである家族や未成年者が撮影時に画面に入ってきた場合、どのように対応すべきか考えさせられる事案。映像になるものとかニュース的な音になるものとかに引っ張られずに編集・放送することが重要。
- 委員会決定では、事前に取材依頼を試みるべきだったとされている。取材対象や撮影時間等、配慮すべきことはあるが、事前に依頼をしないが故に明らかになることもある。そこには醍醐味があり、事前依頼なしに撮影するのは、ひとつの取材手法だと思う。
- 今回の都知事関連報道に限らず、最近の様々なニュース報道で、編集などにより主語と述語の違う報道がなされているのではと感じることがある。視聴者に対して印象操作のようなことに繋がっているのではないかという危惧をおぼえる。
第46回 2017年4月6日(木)
BPO委員会決定に対する組織としての対応
議事概要
- 2017年2月、NHKのSTAP細胞特集に関してBPO放送人権委員会が「勧告」として名誉毀損の人権侵害が認められる決定をくだした。これに対してNHKが意見表明、放送局側とBPOの意見が対立した。BPO決定に対して、放送局の組織としての対応のあり方について議論。
オンブズ6の意見
- 「BPOの決定が出ると現場は萎縮する」という意見があるが、本当に萎縮するのか。仮にメ~テレが同様のケースに直面した場合、オンブズ6という組織を持っているのでBPOと意見が違うことは十分起こり得る。放送局の自主自律、視聴者とどう向き合うかに関る問題。
- NHKが意見表明したことを、放送事業者は重く受け止めるべきだ。BPOと放送局とで意見が分かれることもあり得る。今回のケースが、次のステップを考えていく機会になればよい。
- 視聴者の立場から考えると、放送に関する人権のチェック機関はあるべきで、いい緊張感が生まれていると思う。BPOの意見に対して放送局が意見表明できるような空気になっていった方が健全だと思う。
放送は萎縮しているのか?~BPOシンポジウムの議論をもとに~
議事概要
- 2017年3月、BPO放送倫理検証委員会の記念シンポジウムが開かれた。テーマは「放送の自主・自律~放送と放送人、そしてBPOのあるべき姿を考える」。パネルディスカッションでは、放送局の萎縮の問題に話題が集中した。
オンブズ6の意見
- BPOで出た決定に対して、放送局は番組審議会で確認をするのがよいのではないかという発言があった。放送局がBPOの意見を受けるだけでなく、放送局が自ら目の前の問題とどう向き合うのかということを考えられる状況にしておかないといけない、という問題意識が感じられる発言だった。
- 視聴者か、権力か、何に対する萎縮なのか。権力に対して忖度や自粛をして当たり障りのない放送をしてしまうことがあれば大きな問題。公権力に対する萎縮がもしあるとすれば、放送局として排除していって欲しい。
- 放送内容が視聴者の意見や空気に対して忖度されているところも少なからずあると思う。クレームをいう人が必ずしも多数派ではないこともある。クレームがないようにという放送局の配慮によって、視聴者として本当に知りたいことが放送で伝えられなくなるのでは、という不安がある。