いまだ手付かずの場所も…爪痕残る中、寿司店の名物“能登丼”が復活 能登の味求め県外からも客が

2024年7月3日 21:06
能登半島地震から半年あまり。先月再び被災地を訪れると、変わらない光景が残る一方で、そこには、名物料理の復活と被災者の笑顔がありました。能登での生活再建のため、歩み始めた被災者の声です。
 元日の地震で、震度7を観測した石川県輪島市。観光名所の朝市通り周辺は、火災で住宅や店舗など約240棟、5万平方メートル近くが焼失しました。

 地震で倒壊した7階建てのビルはいま…。

「1月下旬、被災して1カ月。その時に見た衝撃。今は、変わらない現実にショックが大きいです」(濱田隼アナウンサー)

 街の中は、いまだ手付かずのところが多く残っていました。石川県によりますと、能登半島地震による犠牲者は299人。いまだ2000人以上が避難生活を続けています。
 

営業再開した「福寿司」

地震から3カ月半後、寿司店は営業を再開
 復興が思うように進まない中で、明るい兆しも見え始めています。

 穴水町の中心部にある「福寿司」。創業55年の老舗です。店主の松本志郎さんと、明るい笑顔の好美さん。夫婦2人で営んでいます。

 「(地震の直後は)道路が走れなかったけど、通れるようになったので、開通したし来てみようかと」(加賀市からの客)
 「能登を応援するという意味で、実際に行ってそこでお金を使うというのをしようと思っていて」(加賀市からの客)
 「今の言葉聞いたら涙出る。本当に。そういうお客さんたくさんいるから、お客さんのためにも。自分のためだけど、頑張らないといかんと」(福寿司・松本さん)

 「能登の味」を求めて、今は県外からも多くのお客さんが訪れるといいますが、「福寿司」も地震で被災し、しばらくは営業ができませんでした。

 メ~テレの取材班が初めて訪ねたのは、1月下旬。店の中は…まだ、片付いていませんでした。

 「年もとったからね、気持的にはやりたいけど、体がついていけない。大晦日正月1日は休み、2日から始めようと、材料たくさん冷蔵庫に入れていたけど全部ぱぁ。命があったから、やろうという気持ちがあればできるけど、なかなかそこまで整理がつかない」(福寿司・松本志郎さん 今年1月24日)

 78歳という年齢から、店の再開には迷いがあったといいますが…。
  
 「ここが私の舞台ですからね、一番気に入ってましたよ」
 「割れなかったんですよ、ネタケース」(松本志郎さんと好美さん 今年1月24日)

 寿司の「命」であるネタを入れるケースは、割れずに残っていました。昔からのお客さんの声も後押しとなり、地震から3カ月半後、営業を再開しました。
 

能登の海鮮をふんだんに使った能登丼

「おいしいものを食べてほしい」
 「福寿司」の名物は、能登の海鮮をふんだんにつかった能登丼です。

(松本さん)
 「ウリは赤西貝」
(濱田アナ)
 「うおー、うん、こりこりでおいしい」
(松本さん)
 「後味あまいでしょ」
(濱田アナ)
 「貝の甘みが口に広がる。おいしいなぁ、こういった味を残していきたいですね」
(松本さん)
 「おいしいものをやっぱり県外の人に食べてほしい、それで喜んでまた来てくれるのが一番いい」

 「能登丼」は、2007年に能登を襲った「地震」からの復興を願い、街おこしとして誕生しました。

 うつわや箸も能登のものを使ったこだわりの一品。今回の地震の前は、県内42の店が、能登丼を提供していましたが…元日の地震で、飲食店は大きな被害を受けました。

 火災による被害や建物の倒壊などで、3店舗は閉業を決めたといいます。

 半年がたち、再び「能登丼」を提供できているのは、「福寿司」を含めた15店舗のみです。

 再開できた「福寿司」でも地震後の変化を感じるといいます。

(松本さん)
 「奥の海岸は全部隆起した。船も出られないし絶望的だった」
(濱田アナ)
 「この半年で漁獲量に変化は」
(松本さん)
 「変わっています、ものすごく変わっています。輪島の海女も潜り始めたけど、海底が変わっている。アワビもサザエも少ない」

 「福寿司」のある穴水町もまた、地震による影響は色濃く残ります。いまだ3つの地区で土砂崩れなどの恐れから避難指示が出ていて、町内の3カ所で避難所が開設されています。

 街の復興には、観光客が再び訪れることが大事だと、志郎さんは話します。

 「いや~まだまだですよ。能登全体が頑張らんと、穴水だけ頑張ってもなかなか。まぁこれからですよね、1歩1歩毎日がどうなっていくかわからないけど、できることはやっていこうと思って」(福寿司・松本志郎さん)
 

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