今村昌平監督「黒い雨」ロケの日々つづる絵日記 6月に亡くなった俳優・山田昌さんの遺品に
2024年8月6日 11:01
今年は広島と長崎に原爆が投下されてから79年。35年前の日本映画「黒い雨」は、原爆の悲劇を描いた名作の一つとして知られています。今年6月に94歳で世を去った俳優の山田昌さんが、この映画のロケの日々を描いた絵日記を遺していました。

映画「黒い雨」のロケの様子。後列右が山田昌さん、前列中央が息子役の石田圭祐さん、前列右が北村和夫さん(山田さんの遺族提供)
1989年に公開された「黒い雨」は、井伏鱒二(1898~1993)の小説をもとに、今村昌平監督(1926~2006)がメガホンを取りました。日本アカデミー賞の最優秀作品賞に選ばれ、カンヌ国際映画祭にも出品されました。
「黒い雨」とは、原爆が投下された直後に降り注いだ放射能を帯びた雨のこと。この雨を浴びた20歳の女性・矢須子を中心に、原爆や戦争による重い傷を負った人々の暮らしをモノクロによる抑制的な表現で描きました。
矢須子を演じた田中好子さんは日本アカデミー賞の主演女優賞などを受賞し、俳優として高く評価されました。矢須子と暮らす叔父夫婦を北村和夫さんと市原悦子さんが演じ、三木のり平さんや小沢昭一さん、原ひさ子さんらも出演しています。
「黒い雨」の撮影の大半は1988年、岡山県吉永町(現在の備前市)にスタッフ・キャストら70人余りが合宿し、約70日にわたって行われました。
「黒い雨」とは、原爆が投下された直後に降り注いだ放射能を帯びた雨のこと。この雨を浴びた20歳の女性・矢須子を中心に、原爆や戦争による重い傷を負った人々の暮らしをモノクロによる抑制的な表現で描きました。
矢須子を演じた田中好子さんは日本アカデミー賞の主演女優賞などを受賞し、俳優として高く評価されました。矢須子と暮らす叔父夫婦を北村和夫さんと市原悦子さんが演じ、三木のり平さんや小沢昭一さん、原ひさ子さんらも出演しています。
「黒い雨」の撮影の大半は1988年、岡山県吉永町(現在の備前市)にスタッフ・キャストら70人余りが合宿し、約70日にわたって行われました。

山田さんが描いた「岡崎屋タツ」と息子「悠一」(遺族提供)
バスに突っ込む息子を止める母
山田さんが残した絵日記は、はがきより一回り大きいサイズの冊子に描かれ、「映画“黒い雨”ロケ中にあったこと 昭和六十三年六月八日より」とあります。素朴で味わいのある絵に色がつけられ、説明が添えられています。
「よーおし 爆破、成功!」
「もうええ 成功成功」
山田さんは、近所の商店のおかみ「岡崎屋タツ」を演じました。息子の悠一は戦争で精神を病み、家の近くにバスが通ると銃の代わりに棒を、爆弾の代わりに枕を抱えて突っ込もうとします。タツは悠一に飛びついて止め、「成功、成功」となだめます。
山田さんは生前、「砂利道の小石が手足に刺さって痛いから、リハーサルは1回だけ。しかも古い木炭バスでブレーキが心配だから、スタッフが後ろでバスを引っ張って止めていた」と話していました。
絵日記には、悠一役を演じた石田圭祐さんについて「すごいプレッシャーとは思えない」と書かれています。石田圭祐さん(68)は文学座に所属し、主に舞台や映画の吹き替えなどで活躍しています。
「よーおし 爆破、成功!」
「もうええ 成功成功」
山田さんは、近所の商店のおかみ「岡崎屋タツ」を演じました。息子の悠一は戦争で精神を病み、家の近くにバスが通ると銃の代わりに棒を、爆弾の代わりに枕を抱えて突っ込もうとします。タツは悠一に飛びついて止め、「成功、成功」となだめます。
山田さんは生前、「砂利道の小石が手足に刺さって痛いから、リハーサルは1回だけ。しかも古い木炭バスでブレーキが心配だから、スタッフが後ろでバスを引っ張って止めていた」と話していました。
絵日記には、悠一役を演じた石田圭祐さんについて「すごいプレッシャーとは思えない」と書かれています。石田圭祐さん(68)は文学座に所属し、主に舞台や映画の吹き替えなどで活躍しています。

(左)出番がない日に山菜採りをする山田さん(右)手芸を教える山田さん(遺族提供)
出番がない日は山菜採りや手芸教室
別のページには、こんなものが。
今村監督「昌さん 今日はアナタの出番はないから 何かひろっていらっしゃい」
山田さん「はい」
山田さんは手拭いをかぶり、つぎをあてたもんぺ姿でセリやワラビを摘んでいます。
こんなページも。
「皆に袋づくりを教え カアチャンカアチャンが 先生先生に変り とても忙しい毎日になる」
山田さんは手芸が得意で、撮影の合間にスタッフや俳優たちに教えていたそうです。
今村監督「昌さん 今日はアナタの出番はないから 何かひろっていらっしゃい」
山田さん「はい」
山田さんは手拭いをかぶり、つぎをあてたもんぺ姿でセリやワラビを摘んでいます。
こんなページも。
「皆に袋づくりを教え カアチャンカアチャンが 先生先生に変り とても忙しい毎日になる」
山田さんは手芸が得意で、撮影の合間にスタッフや俳優たちに教えていたそうです。

(左)山田さんが描いた今村昌平監督(右)小沢昭一さんがけがをした様子(遺族提供)
今村監督にプレゼント、アクシデントも
今村監督は、日本人として初めてカンヌ国際映画祭の最高賞を2度受賞するなど、世界的に評価されました。
今村監督に、衣装の残り布を使った手縫いの袋をプレゼントして、喜ばれたことが描かれています。
「『どっちを向いても体にぴったりついていて、タバコはきちんと一本づつ出て来るし 体の一部の様で横にチンポコがついている様だ』と、大変感謝された」
「大変なことになった 小沢さんが腕を骨折」というページも。
小沢昭一さんが田んぼに転落して腕を骨折してしまい、撮影が一時中断したこともありました。小沢さんは、ギプスをつけた姿で映画に出ています。
今村監督に、衣装の残り布を使った手縫いの袋をプレゼントして、喜ばれたことが描かれています。
「『どっちを向いても体にぴったりついていて、タバコはきちんと一本づつ出て来るし 体の一部の様で横にチンポコがついている様だ』と、大変感謝された」
「大変なことになった 小沢さんが腕を骨折」というページも。
小沢昭一さんが田んぼに転落して腕を骨折してしまい、撮影が一時中断したこともありました。小沢さんは、ギプスをつけた姿で映画に出ています。

今村昌平監督を囲むスタッフや俳優たち。最後列左から3人目が山田昌さん(遺族提供)
「楽しい日々だったんだろうな」
1930年生まれの山田さんは、戦時中に勤労動員で航空機工場で働いた体験がありました。また、2人の叔父を戦争で失いました。俳優となってから、原爆で親を失った子どもや、子を失った母親の手記を朗読する活動を長年続けていました。
山田さんの娘の天野ひさ英さん(54)は絵日記について、「楽しい日々だったんだろうな。演技で詰まったり困ったりすることもあっただろうけど、それも含めて青春のような、母にとっていい時代だったのだろうなと思いました」と話しています。
山田さんの娘の天野ひさ英さん(54)は絵日記について、「楽しい日々だったんだろうな。演技で詰まったり困ったりすることもあっただろうけど、それも含めて青春のような、母にとっていい時代だったのだろうなと思いました」と話しています。
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