かつて“東洋一“と呼ばれ愛された「衣浦マンモスプール」の記録 誘客の目玉はウォータースライダー 愛知

2024年8月16日 06:01
気温が40℃に迫る猛暑日が続くこの夏、そんな季節にはプールに出かけるという人も多いと思います。愛知県碧南市にかつて「東洋一」と呼ばれたプールがあったことを知っているでしょうか。

愛知県碧南市にあった衣浦マンモスプール(提供:碧南市)

 2003年に閉場された、愛知県碧南市の「衣浦マンモスプール」。

 オープンから50年を迎える今年、碧南市文化会館で、かつての「衣浦マンモスプール」のポスターなどを展示したイベント「思い出の衣浦マンモスプール」が、9月1日までの期間限定で開かれています。

 「私も利用客として何度か行ったことがあり、閉場してから20年以上経ちますが、いまだに多くの人に愛されているのを感じます」(碧南市市史資料調査室調査員 北村恒さん)

 今でも多くの人たちに愛される、「衣浦マンモスプール」について取材しました。
 

当時の造波プールの様子(提供:碧南市)

衣浦マンモスプールができるまで
 市の記録では、昭和30年代までは、碧南市には多くの海水浴場があり、利用客はひと夏で82万人を超えるほどだったと言います。

 しかし、臨海部の開発と埋め立てによりその姿は消えていき、そのかわりとして1974年にできたのが「衣浦マンモスプール」。

 当時では珍しい、波を起こす造波装置が設置されたこのプールは、オープン当初、年間入場者数29万人を誇るほどの大人気施設となりました。
 
 
 

オープン当初のマンモスプールのポスター

衣浦マンモスプールの記憶をもう一度
 利用客の減少と設備の老朽化により2003年に閉場されましたがーー

 「衣浦マンモスプールで30年ほど勤めていた市の職員の方がいて、その方が持っていた30年分のポスターなどの思い出の品々を寄贈いただきました。」(北村さん)
 
 碧南市文化会館の展示室には、宣伝用に毎年作られたポスター全30年分や、「衣浦マンモスプール」を象徴する籏、使われていた造波装置の銘板まで、当時の様子を思い出させるものが並びます。
 
 

ウォータースライダー完成当初のポスター

ポスターで見るマンモスプールの変化
 さらに、これらのポスターからは、「衣浦マンモスプール」の当時の状況を読み解くこともできると北村さんは言います。

 「最初の方のポスターは子どもだけ、もしくは子どもと母親がメインに映るなど、ファミリー層向けに宣伝していたことがわかります。しかし、年々利用客が落ち込み、集客のために50mのウォータースライダーを作ったころから、若い女性が中心に映るようになり、若い世代にもターゲットを広げていったことがわかります」(北村さん)

 それぞれのポスターの下には、その年の年間入場者数や、最多入場者数などが記録されています。

 オープン当初の1974年には、年間入場者数29万人を記録しましたが、入場者は年々減少し、1980年には半分以下の12万人にまで落ち込んでいました。

 そこで翌年の1981年、当時珍しかったウォータースライダーを設置し、若い女性も呼び込んだことで、入場者数は盛り返し、1983年には再び入場者数が20万人を超えました。
 

1988年のマンモスプールの様子(提供:碧南市)

日ごとの最高入場者数は1万8千人 最低は…
 1日ごとで見ると、歴代最高の入場者数は1万8千人。それ以外の多くの日でも、1日1万人以上の入場者数を記録している「衣浦マンモスプール」。

 当時のアルバイトの方の話では、「メガネが曲がるほどもみくちゃにされた」「朝にオープンして、入場の受付の列が午後1時か2時過ぎまで途絶えない」といった声もあったそうです。
 
 一方、歴代の1日の最低入場者数は、なんと4人。
 
 4人とはどういうことか。当時、受付を担当していた人の話ではーー

 「その時のお客さんは、子どもの2人組と、若い男女1組。その時台風が近くに来ていて、雨は降っていたけど、風は吹いていなくて、当時のプールを開く基準は満たしていたから、オープンしたけど、まさか来るとは思わなかった。プール内の売店も全部閉まっていたし、やめた方がいいんじゃないかと聞いたけど、せっかく来たからと言って入っていった」
 
 台風が近づいても入りたいほど愛された「衣浦マンモスプール」。取材した日の展示室では、当時の思い出について多くの人が語り合っていました。

(メ~テレ 杉野公祐)
 

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