阪神淡路大震災から30年 高校生ボランティアとして被災地を見た医師に聞く“災害医療の今”

2025年1月17日 19:34
阪神淡路大震災から30年です。当時、高校生ボランティアとして被災地を見た医師に「災害医療の今」について聞きました。
 「神戸のきれいな街が、爆弾でも落ちたように破壊されちゃうんだと衝撃を受けた」(名古屋大学医学部付属病院 山本尚範さん)

 名古屋大学医学部付属病院の医師、 山本尚範さん(46)。

 高校生だった当時、ボランティアとして、阪神淡路大震災の被災地、神戸市の避難所などを回り、支援活動にあたりました。

 「ものすごくたくさんの助け合いがあった。自分たちも少しずつ入らせてもらって、助け合う現場の仕事に携わりたいと、自分の中で浮かんだのが救急の医者という仕事だった」(山本さん)
 

“30年前の医療体制は未熟だった”と感じる山本さん

震災を契機に生まれた、災害医療という考え方
 現在、救急医として、随時運ばれてくる患者と向き合う山本さん。

 30年前に起きた阪神淡路大震災での医療体制は、今となっては未熟だったと感じています。

 「実は阪神淡路大震災の時に起きた最大の悲劇の一つは、ある大きな病院に医師も看護師もたくさんいて、医療機器も医薬品もいっぱいあったが、そこの病院がそういうふうに動いてるということを知らなかったがために、比較的被災地から近かったけど、ほとんど患者さんが運ばれていなかった。一方で、ものすごく被災地に近かったが、患者さんを診る力を失った病院に人が殺到するというようなことが起きました」(山本さん)

 震災を契機に生まれたのが、災害医療という考え方です。

 「たくさんのけが人や患者が一気に発生する。一方で、病院の医療を提供する力は落ちていく。需要と供給のアンバランスの中で、救える命が救えなくなることがあった。この30年、阪神淡路大震災で失った尊い数千の命の反省から、救急医療が発展して災害医療になっていく」(山本さん)
 

名古屋大学医学部付属病院  山本尚範医師(46)

「DMAT」という、もう一つの肩書き
 これまで、数々の被災地で活動してきた山本さん。

 「医師としては、2011年の東日本大震災ですね。この時に石巻市にお邪魔をしました。そこで災害医療を始めました。生活習慣病、高血圧や糖尿病などの日常の医療ができない、地域医療が機能を果たせなくなったところを、我々が少しお手伝いしてカバーをしていく」(山本さん)

 現在、大学病院の医師である山本さんのもう一つの肩書きが、医師、看護師、業務調整員から構成される災害派遣医療チーム、DMATです。

  阪神淡路大震災の10年後、2005年に発足しました。
 

“「それはDMATの仕事ではない」とは絶対に言わない”をモットーに

DMATのメンバーとして、1年前に能登へ
 1年前、メンバーとして能登の被災地に入った山本さん。

 モットーは“「それはDMATの仕事ではない」とは絶対に言わない”。

 「被災地に行くと、助けを求めている人たちがいっぱいいるけど、必ずしも医療だけじゃない、けがだけじゃない、病気だけじゃない。その意味では、『私たちはお医者さんですから』『看護師ですから』『薬剤師ですから』そんな言葉は、被災者は求めていない。救命はもちろん大事ですけど、それ以外のあらゆる苦しみに対して、できることを皆さんの力を借りてやっていくというのがDMATの仕事」(山本さん)
 

DMATは毎年、中部9県の医療従事者が集まりシミュレーションを行っている

DMATとしての使命を再認識できる
 災害医療に欠かせない存在のDMAT。

 毎年、東海地方を含む中部9県の医療従事者が顔を合わせ、行政や医療機関との調整、他のDMAT隊との連携などのシミュレーションを行っています。

 参加者は、DMATとしての使命を再認識できると感じています。

 「訓練で顔見知りになった先生は意思疎通がしやすいので、災害の現場でも非常に役立つと思います」(名古屋市立大学医学部付属西部医療センター 医師・60代)

 「能登半島地震で出動して、大きな組織として動くことでできることもあるんだと実感した。ただ自分の力量がなかなかついていかないところもあったので、研修で磨いていきたい」(南長野医療センター 篠ノ井総合病院 医師・40代)

 「中華航空機の墜落事故の際、受け入れ病院として活動した時に、災害医療、災害看護に迷いもあり、勉強したいと思った。当初は支援に入るチームや活動内容がバラバラだったが、被災地にとって何が医療として必要か、考えることができるチームが増えてきている」(愛知医科大学病院 看護師・50代)
 

名古屋市内には災害拠点病院として、11の医療機関が指定されている

神戸の震災以降に整備が進んだものは?
 DMATと同じように、神戸の震災以降に整備が進んだものの一つが災害拠点病院です。

 名古屋市内には、名古屋大学医学部付属病院を含め、11の医療機関が指定されています。

 この災害拠点病院に原則、備え付けられているものが――

 「ヘリポートです。普段はドクターヘリが止まっている。名大病院は災害拠点病院で災害時に、重症の方も含めて守るという役割がある」(山本さん)

 震災10年後にできた屋上ヘリポートは、自衛隊の輸送機などが止まれる規模を確保しています。

 「日本全国いろんな医療の力を活用するための、入口であり出口。ここが医療全体で人を救う1つの玄関口であり、拠点になると考えている」(山本さん)
 

30年前の教訓は、“防ぎえた災害死”を減らす

いかに“防ぎえた災害死”を減らすか
 30年前の教訓。いかに“防ぎえた災害死”を減らすか。

 「多くの災害を経験、トレーニングをする中で、災害医療の関係者というのは、お互いに知り合って、助け合う顔の見える関係をつくってきたことが非常に大きい。それを医療業界だけじゃなくて、ボランティアもやっていると思うし、あらゆるところに広げていくことが、防災力を高める1つの大きな力になる」(山本さん)
 

これまでに入っているニュース

もっと見る

これまでのニュースを配信中