バスケW杯日本躍進の原動力・ホーキンソン 「名古屋の父」と慕う2人との交流と絆

2023年9月4日 18:56

48年ぶりに自力での五輪出場を決めたカーボベルデ戦を経て4日、羽田空港に到着した男子バスケ日本代表。躍進のキーマン・ホーキンソン選手は、かつて名古屋のチームにも所属していました。日本での暮らしを支えた「2人の男性」を取材しました。

ジョシュ・ホーキンソン選手

「この男がニッポンにいてよかったぁ!」飛躍の原動力:ジョシュ・ホーキンソン

 日本バスケ躍進のキーマンとなったホーキンソン選手(28)。
 
 アメリカ・シアトル生まれ、子どものころから背が高くスポーツ万能な少年でした。

 大学でバスケに専念し、強豪リーグで活躍しましたがNBAのドラフトにはかからず、日本でのプレーを選びました。

 日本に溶けこもうとする彼を支えてくれた恩人が、名古屋にいるといいます。

 「この前も会ったんだけど、名古屋には2人の父親がいるんだ。チーム以外で初めての友達のような存在で、日本での暮らし方とかを教えてくれた。実の父が『外に出ていろいろ経験しなさい』と言ったことを、彼らが手伝ってくれたんだ」(ジョシュ・ホーキンソン選手)

 

提供:平江富男 店主

ホーキンソン選手の「名古屋の父」1人目:理髪店の店主

 ホーキンソン選手が「名古屋の父」と慕う1人が、平江富男さんです。

 出会いのきっかけは、ホーキンソン選手が来日した2017年に、チームメイトと共に、平江さんが経営する名古屋市内の理髪店に訪れたことでした。

 「変な英語も話しながら互いにコミュニケーションをとっていたから、それが距離感を縮めたのもあるだろうし、英単語の羅列ばかりで語彙力はないから、その分身ぶり手ぶり顔の表現で話をしていました」(CutBox 平江富男 店主)

 一方で、ホーキンソン選手は来日後、驚くようなスピードで日本の生活に順応していたといいます。

 「2回目来た時に、冬に入っていて『めっちゃさむーい』って言いながら歩いていて、初めて聞いた日本語は『めっちゃ』でしたね。箸は僕より上手に使うし、本当に早く吸収していく人だったから会うたびにグレードが上がっている、順応速度が異常に速かったです」(CutBox 平江富男 店主)

 

ホーキンソン選手と平江店主

店主「特別なことはしていない」カットの後にはランチがお決まり

 週末の試合の翌日に訪れることが多く、カットの後に昼食に行くのが2人の定番過ごし方だったといいます。

 「僕が払おうとすると、『アメリカでは働いている息子が払うんだよ』って言ってたまにおごってもらったり、『日本ではパパが払うんだ』って言って、お互いに支払うときに声かけながら。ジョシュがあんまり辛いもの得意じゃなくて、『おいしい?』って眉間にしわを寄せながら(笑)『これグーじゃないよね?』とか言いいながら」

 「『から揚げが食べたい』って話から大量に食べられる店に行こうってこんなことになるならちゃんとした店に連れっていってあげればよかったなと」(CutBox 平江富男 店主)

 本当の家族のように思い出がたくさんある平江さん。

 「名古屋の父」と呼ばれることについては、次のように話します。

 「『名古屋の父』とか言われているけど特別なことはしていなくて、2人でランチに行って『ゆっくりして』って言って帰している、本当にそれだけしかしていないから、そう言ってもらえるのはもったいないというか、そんな気すらしています」(CutBox 平江富男 店主)

 

提供:ファイティングイーグルス名古屋

ホーキンソン選手の「名古屋の父」2人目:Bリーグ時代のメディカルトレーナー

 2人目の「名古屋の父」は、Bリーグのファイティングイーグルス名古屋のメディカルトレーナー・平岩丈彦さん。

 「メッセージとかのテキストでは『ジャパニーズ ダッド(日本の父)』普段はTさんです。僕の名前が丈彦(たけひこ)っていうんですけど、発音が難しいみたいで『Tでいいよ』と」(ファイティングイーグルス名古屋 平岩丈彦さん)

 ホーキンソン選手は2017年に来日。

 それから約3年間、ファイティングイーグルス名古屋で過ごしました。

 「今よりはまだ日本語が分からなかったので、一生懸命英語の翻訳とかを見ながら、でもその翻訳を見せるんじゃなくて、自分で理解したうえ自分で伝えようって」(平岩丈彦さん)

 

提供:ファイティングイーグルス名古屋

3年間の名古屋生活、日本での暮らし方を教えてくれた『ジャパニーズ ダッド』

 大学を卒業したばかりのホーキンソン選手。

 ホームシックの中、「日本での暮らし方」を教えてくれたのが平岩さんだったといいます。

 「けがをして、この近くの足のけがとかに御利益がある神社に連れて行って、お参りの仕方が分からないので、こういう風にやるんだよって。うちに遊びに来たり、家に当時、大学生だった息子がいたもんですから、一緒にゲームやったり、マンガを取り出して見ていたり」(平岩丈彦さん)

 「名古屋の父」と呼ばれることについては「とてもうれしい」と言います。

 「自分がやってきたことをそういう風に受け取ってくれたんだなと。言葉はそう簡単に通じるわけではないですけど、コミュニケーションはうまく取れていたのかなと思います」(平岩丈彦さん)

 ホーキンソン選手がチームを離れるときに残したコメントは「名古屋は、これまでもそしてこれからも私にとって特別な場所です」。

 

ドリルをするホーキンソン選手

勤勉で真面目で努力家!『ジョシュ何しているの?』『日本語を覚える』ドリルを始める

 当時、アシスタントコーチだった川辺泰三ヘッドコーチは、ホーキンソン選手の努力を振り返ります。

 「全然知らない間にひらがなドリルと漢字ドリルをやり始めたり、『ジョシュ何しているの?』って言ったら、『日本語を覚える』って。ドリルを始めた時は『すげえな』って思いました」(ファイティングイーグルス名古屋 川辺泰三HC)

 カーボベルデ戦で勝利を決定づけた3Pについては次のように話します。

 「日本に来た時には、とても今みたいに3Pが得意な選手というより、『打つこともできるよ』っていうくらいの選手でした。本当に勤勉で真面目で、オフェンス・ディフェンスともに年々成長していると思いますし、コミュニケーション能力も高くて、彼だからこそ、きょうまで成長したんじゃないかなと思います。名古屋での経験が原点なのかなとは思います」(川辺泰三HC)

 

おちゃめなクリスマスプレゼント

 努力を重ねたホーキンソン選手にはおちゃめな一面も。

 「クリスマスプレゼントの交換で、彼が用意してきたのが『ストレス解消パンチパック』って言って俺の顔をつけてきたんですよ(笑)」(川辺泰三HC)

 

「麺屋もんたな」の台湾まぜそば

お気に入りの食べ物は「台湾まぜそば」!?

 日本食のお気に入りもあるといいます。

 「台湾まぜそばがめちゃくちゃ好きで、週3ぐらいで多分まぜそば食べに行っていたと思います。むっちゃ好きらしくて『アメリカで店やりたいぐらい』と」(川辺泰三HC)

 ホーキンソン選手が通い詰めた、名古屋市天白区の「麺屋もんたな」。

 お気に入りは、太麺にあぶったチャーシュー・ニラと卵でスタミナ抜群のまぜそばです。

 「W杯をやっていることを知らなかったので、ニュースで見て『あれ?』って思って。大活躍していてすびっくりして、身近な人だったので『すげー』って」(麺屋もんたな 前田晃一 店長)

 長野のチームに移籍後も、オフシーズンに食べに来たというホーキンソン選手。

 2024年のパリ五輪にも期待が高まります。
 
 「優勝を狙うぐらい頑張ってほしいなと思います。また是非食べにきてもらえればうれしいです」(麺屋もんたな 前田晃一 店長)
 
(9月4日15:40~放送 メ~テレ『アップ!』より)

 

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